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謡曲「経正」を原案にしています
構成は能楽にのっとりましたが
その他はすべて作者の創造です
経正
作:杜若


じょうん
琵琶の弦がふるえた。
ゆらり、と壁に映る影が大きく揺れる
「風か・・・・」
行慶ぎょうけいは読経を止め、呟いた。
すでに深更に近い時刻である。
僧、雑役のものを含め百人以上もの人間が寝起きしている
この寺も、さすがにこの時間は足音もなく静まり返っている。
「・・・・・南無」
改めて手を合わせ、経文を唱え始める。
僧が写経をするための小さな部屋で、その声は以外と大きく響いた。
じょうん
また、弦が震えた。
読経が止まる。
螺鈿らでんの細工を施した美しい盤の上で弦は陰々と震え続ける。
じょうん、じょうん、じょうん、
「主を偲んでいるのか」
通常仏像が祀られている小さな段のうえに、置かれている琵琶に
行慶は語りかけた。
仁明の帝の頃はるか唐土より渡来した名器、青山せいざん
長らく御所に宝物として置かれていたが、
仁和寺御室、守覚親王しゅかくしんおうが一人の公達にこれを預け下した。
経正つねまさというその公達は、栄華を誇る平家一門の出で
まだ元服もすまぬ童形のころより親王に使え、その寵愛も
並々ならぬものであった。
経正も天与の管弦の才能があったらしく、彼の手のなかで
青山は時に優しく、時に力強く音色をかなで、
親王を初めとする人々の心を慰めた。
花鳥風月に愛で、管弦に親しみ、和歌に己の心を偲ばせる
御仏に仕える日々であったが、当時の貴族としては
当たり前の日常は、あっけなく終りを告げた。
伊豆に流された頼朝の挙兵、平家の総帥清盛の死
時代という目に見えぬ絵巻物は大きく動き出した、
人々の血と悲鳴を動力にして。
「私も平家一門として戦に行かぬわけには参りません」
直衣を鎧に、撥を刃に換えて経正は寺を去った。
かつては武門を誇った一族も風雅な暮らしに慣れて久しく
荒馬のごとき武者に蹴散らされる様は、さながら春の嵐に
吹き乱される桜のようだった。と戦場の様子が都雀の口の端にのぼって
寺の奥までとどくころ、経正討ち死にの知らせが届いた。
守覚親王の悲しみは深く、形見の青山をなでさすりながら
経正の名を呼び続ける様は、人々の涙を誘った。
「・・・・管弦講を、ですか?」
久しぶりに姿を見せた親王は、行慶の言葉に小さくうなずいた。
「樂を愛し、愛されたものが血なまぐさい戦場で命を落とすとは
あまりにも哀れ。せめて極楽への道筋を楽で示してやりたいのだ」
管弦講とは、読経だけでなく楽を奏し故人の霊を慰める法要である。
行慶は承諾し、満月の夜法要は執り行われた。
「それとも、自分が奏でられなかったことが不満かね」
笙、笛、琴。古今東西の名器がこの法要のために集められたが
青山は奏でられることなく祭壇に祀られた。
「経正の他にこれを奏でられるものなし」
と親王が弾くことを許さなかったのである。
 じょうん
琵琶がなった。
また、風が吹いた。と行慶は思った。
風が吹いて灯心がゆれるから、影も大きくゆれるのだと。
だが、薄い紙にかかれた経文はかさりともゆれぬ。
壁に立てかけた琴の弦もピクリとも震えぬ。
じょうん
琵琶の弦は震える
ゆらり、と影が揺れる。
「ああ・・・・又ここに来ることができたとは」
小さな声は細い灯明の影から聞えた。
ゆらり、ゆらり、ゆらり
炎が揺らぐ。部屋のなかのありとあらゆる影が揺れる。
琵琶、祭壇、そして行慶自信。だがあの部屋の隅で形を取りつつある影の
実体は・・・・・・どこにもない。
「物の怪の類か」
行慶は数珠をにぎりしめた、古来より経に惹かれてくる化け物は多い。
「私です、行慶殿」
再び発せられた声は、懐かしさに満ちていた。
「経正殿?」
陽炎のようにゆらいではいるものの、凝り固まった影は確かに
涼やかな公達の顔をしていた
「すでに肉体は滅びた身ながら、美しい楽の音と懐かしい青山の姿に
惹かれ、浅ましくも姿を現しました」
そういって苦笑する様は、時折背後の壁が透けて見えることを除けば
生前と何の代わりもない
「さようか、ようまいられた」
答える行慶の口調には恐れや疑いは微塵もない。
異界や物の怪は日常のすぐ近くに口をあけている。
そんな時代である。
「手にとってよろしいでしょうか」
「どうぞ、これは貴方のものですから」
実体のない身で掴めるのかと思ったが、行慶の手から離れた
青山は何の違和感もなく経正の懐に収まった。
「ああ、再びこれを手に取ることが出来たとは」
透ける指がいとおしげに琵琶の弦をはじく。
無造作極まりない動作なのに、こぼれる音はこの上なく美しい
しばらく弦を爪弾いていた経正は、行慶の視線に気付き
恥ずかしげに顔を伏せた。
「この身はとうに朽ち果てたのに、なんという妄執かと
お思いでしょう。」
いいえ、と行慶は首を振る
「都を離れ、戦場で命を落とした貴方様をみ仏が哀れんだのでしょう。」
「そうでしょうか、なにやら暗い道を歩き続けていました。ふと気がつくと
青山の音が聞えたのです。夢中で走りより気がつけばここにいました」
行慶は頷く、古来より妻が、子が故人の魂を呼び出してしまうことはよくあること
常に傍らにあり、もはや己の半身と化した琵琶に魂が呼ばれないと、どうして言えようか。
「どうぞ、心の行くまで奏でられませ」
行慶の言葉に、青年はうなずいた。
優美な動作で撥を握ると、4本の弦の上にすべらせる。
じょうん。じょうん。じょうん。
歓喜に震えるように青山は音を紡ぎだす
芸術品と呼べるものとはいえ、只の琵琶に過ぎない青山
優れた技巧を持つとはいえ、人に過ぎない経正
しかし、この2つが出会ったとき神や仏すらも聞き入るだろう音色が生み出される。
「これぞ、まさに奇跡よ」
胸中で行慶はそっとつぶやいた。
第一、 第二の弦は秋風が松を揺らすかのごとき低音
第三、第四の弦は鶴の鳴き声を思い起こさせる高音。
互いは絡まりあい、重なり合い。
聞くものを無限の境地にいざなう。
じょうん、じょうん、じょうん。
只一人の聞き手として、行慶はすこしでもこの楽の音が
長く続くことを祈った。
風が吹いた。
ばらばらと雨粒が瓦を叩く音がする
「雨でしょうか」
「見てまいりましょう」
行慶が戸板をあけると、月の光が刃のように部屋に差し込んできた
「ああ、雨ではありません。庭の松が風にあおられ、落ちた葉が瓦をたたくのです
・・・・・経正様?」
ふりかえれば 経正の姿はなく、床には青山がポツリとおかれている
「・・・・・いってしまわれたのか」
残念に思いながらと板を閉めた行慶の耳に、地の底から這い上がるような
うめき声が届いた。
「経正殿?」
動揺しつつも、視線をとばせば、果たして彼は部屋の隅にうずくまっている
だが、その姿は・・・・・・
優しげな顔は苦痛にゆがみ、先ほどまで優しく撥を握っていた手は
爪が伸び放題に伸び、青筋すら浮かんでいる
先端にこびりつく赤黒いものは、血だろうか
「・・・・経正殿!!」
「ああ、まだこの姿が見えるのか。浅ましい。恥ずかしい」
うめきながら経正は獣のごとく部屋の中を駆け回る
その姿に先ほどの貴公子ぶりは微塵もない
「ああ、苦しい。炎が私を焼く、
亡者の手が迫ってくる」
見開いた目から血の涙を流し、纏った衣を引きちぎる。
炎など、どこにもない。亡者の手もみえはしない。行慶には
「ああ、私を見ないでくれ。あさましい。恥ずかしい」
見えぬ炎を、亡者の手を必死に払いのけながら経正は叫ぶ
「ともし火を、明かりを消してください。私の姿が見えてしまう」
「経正殿!!」
戸板が倒れた。
風が嵐のごとく部屋の中に吹き込んでくる、
祭壇が、楽器が、そして灯明が倒れた。
一気に満ちる暗闇。
「経正殿!!」
答えはない
どのくらいたっただろう
月の光がゆっくりと部屋に差し込んできた。
照らし出されたのは 倒れた祭壇と投げ出された琵琶。
そして散らばる灯明。
それだけだ。
「修羅道に、おちられたのか」
亡者たちが未来永劫戦を繰り返す血にぬれた世界。
望まない戦に只一度、借り出されたために。
そこで命を落としたがゆえに。
青山との邂逅は、せめてもの仏の慈悲か
経正の執念か。
「南無・・・・・」
行慶は手を合わせ、経文を唱えた
それしかできることがなかった。
風が吹いた。
琵琶が震えた・・・・・
じょうん。

終り














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