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現実サーガ  作者: 光太朗
2/7

2 「パーティーに加えてよ」

 

「──イヤです、わたし、勇者なんて無理。魔王なんて倒せません。他当たってください」

 ひとしきりショックを受けた後、とりあえず立ち直った美琴の出した結論はそれだった。

 田中は、それでもいいけど、とあっさりといい、それからこう付け加えた。

「それでもさ、悪いけど、君がプレイヤーだという事実は変わらないんだ。勇者が魔王を倒さなかったら、世界はどうなると思う?」

 ゲームをやらない美琴でも、その答えはなんとなく想像できた。

 世界が滅ぼされるとか、魔王に支配されるとか……とりあえず、人間たちにとって良い結果にはならないのだろう。

 それでも、美琴は、「やります」とは決していえなかった。

 田中は田中で、美琴にくっつくことをやめようとはしなかった。

 ──そうして、いまに至る。

「今日のモンスター確率は夕方から上昇するらしいから、学校に残ってないでできるだけ急いで帰れよー」

 富北沢中学校三年二組担任の木下鉄二は、あたりまえのようにそう告げて教室から出て行った。

「ねえねえ、駅前に新しいショップができたの知ってる?」

「マジで? じゃあまたアミュレット買っちゃおうかなー。武器もかわいいの欲しいんだ」

 色恋とファッションにうるさいクラスメイト二人が、あたりまえのようにきゃいきゃいと話しながら帰って行った。

「なあ、おまえいまレベルいくつよ」

「なんだよ、おまえこそどーなんだよ」

「おまえが教えたらいう」

「ぜってーやだ」

 好きな子がだれなのか探り合うようなテンションで、あたりまえのように男子たちが騒いでいた。

 以前と変わらないように見えながら、確実に変わってしまったクラス風景。美琴は、スクールバッグに教科書やらノートやらを入れながら、ぼんやりと物思いにふけっていた。

 今日は七月十六日。あの日からもう、二週間も経った、けれども。

「……慣れない……」

 絶望的な気持ちでつぶやく。

 田中のいっていた、『知らないのは君だけ』というのは、まったくそのとおりだった。 あの日、学校にたどり着くと、クラスメイトたちはモンスターや武器防具の話題に花を咲かせていたし、教師はモンスターに注意するようにと呼びかけていた。

 まるで、もうずっと昔から、世界がこうであったかのように。

「はぁ……」

「まーたため息ついて、ミコっちゃんったら。そんなんじゃ、ダークポイズンにとりつかれるゾ」

 クラスメイトの中原理恵が、モンスターの名を流暢に日常会話に織り交ぜつつ、声をかけてきた。友人の少ない美琴だが、彼女とは仲が良いほうだ。おさげのまぶしい、まん丸眼鏡の社交派。

「……慣れない……」

 もう一度つぶやく。

 そのいいまわしの意味がわからない。美琴には、ダークポイズンというのがどういうモンスターなのかもわからないのだ。

「最近暗いねえ、ミコっちゃん。例のホストな彼氏とうまくいってないの?」

 二週間前から美琴につきまとっている田中は、クラスのなかではすっかりそういうことになってしまっていた。登校時も学校までついてくるし、帰りも迎えに来るのだ。もう、否定するのも面倒くさい。彼氏どころか、いまだに下の名も知らない薄っぺらい関係だというのに。

「うん、まあ、そんなとこ」

 なにもかも億劫で、適当に答える。

「元気出しなよー。ほら、ゲームでもやってさ。ミコっちゃん、この前さ、なんか変なゲームのこといってたでしょ? あれ、やっぱり実在するらしいよ。そんなマニアックなの、ミコっちゃんが知ってるなんて意外だったけど」

 急に、けだるさが吹き飛んだ。

「──『ティピカルサーガ』?」

「あ、そうそう、それ。……なに、どしたの」

 目を見開き、ただならぬ様子で食いついてきた美琴に、中原理恵は思わず身構える。しかし美琴にしてみれば、まったくただごとではなかった。『ティピカルサーガ』が実在すると、彼女はそういったのだ。

 世界がおかしくなったあの日、登校した美琴は、友人である彼女に『ティピカルサーガ』について尋ねたのだ。しかし、プレイしたことがあるどころか、名前さえ知らなかった。不審に思い、すぐに携帯電話のインターネットで検索したところ、一件のヒットもなし。

 どういうことかと問いただすと、世界が融合したから、『ティピカルサーガ』の存在そのものがなかったことになっているのだと、田中はそういっていたのに。

「どこで聞いたの?」

 はやる気持ちを抑えて、慎重に聞いた。

「お兄ちゃんゲームやるからさ、聞いてみたの。お兄ちゃんは知らなかったけど、クラスのひとがそのゲームについてなんかいってたんだって。そのひとはすごいゲーマーらしいよ」

「……どういうことだろう」

 思わず口に出してしまう。中原理恵がきょとんとしていたが、お礼だけ告げると、残りの荷物は一気に鞄のなかにつっこんで、美琴は急いで教室を出た。

 田中に聞いてみなくては、という気持ちと、とにかくそのゲーマーというのに会ってみたいという気持ちとが、同じぐらいにふくらんで、美琴を急かしていた。絶望と諦めと、得体の知れない妙な焦りに支配されていたこの二週間で、初めて見えた光のような気がした。

 この富北沢中学のすぐ隣に、エスカレーター式の富北沢高校がある。中原理恵の兄は、確かそこの二年生だ。

 階段を駆け下りて、下駄箱から運動靴を乱暴に取りだし、スリッパを放り込む。靴ひもを締めるときときだけ慎重になったが、どうしようもなく、気が焦っていた。

「ミコトくーん、迎えに来たよ」

 校舎から出てすぐのところに、黒スーツの田中が立っていた。軽いテンションに、多少ムッとする。

「なんで学校の敷地内にまで入ってきてるんですか」

 怒りのオーラを感じ取って、田中は少したじろいだようだった。

「だって、別にだれも止めなかったし。なに怒ってんの?」

 美琴はちょっと考えたが、結局、さっき中原理恵から聞いた話をそのまま田中に伝えた。田中はおもしろそうに目を細め、なるほどねえ、とつぶやく。

「世界の融合ってのは、現象事態がイレギュラーだから、そういうこともあるんでしょ。そのひとと、話しをしてみたらいいかもね。どのみち勇者はひとりじゃ魔王を倒せないし」

 最後の言葉に、美琴は眉を寄せた。つまり、仲間になってくれるひとを探さなくてはいけないということだろうか。

「そのひとに手伝ってもらえるよう、頼めってことですか」

「そういう展開もありなんじゃないかってね」

 といわれても、そもそも美琴には勇者業をまっとうする気がないのだから、関係のない話のように思えた。

「高校に行ってみます。もしかしたら、まだ学校に残ってるかも」

 とにかく、この異常な世界が異常であると認識できる人物と、会ってみたかった。この二週間、もしかしたらおかしいのは自分のほうなのではないかと思うことが、たびたびあった。そういう意味では、客観的にものをいってくれる田中の存在は大きかったが、彼だけでは、なんというかいまいち信用に欠けるのだ。

「ぼくも行っていいかな」

「ダメっていったら来ないんですか」

「行くけどね」

 じゃあ聞くなよと思ったが、いわないでおく。二週間の付き合いで、田中という人物はだいたいわかった。見た目どおり、軽くてうさんくさくて、変に頑固で、ゴーイングマイウェイ。あと、ドS。

 どういう仕組みなのか美琴にはわからないが、学校や店、家のなかなどには、モンスターは出現しないものらしい。出現するとしたらイベント的なことだね、と田中はいっていたが、それもよくわからなかったので、要するに建物内は安全なのだろうと認識している。

 富北沢中学と高校は、正門こそ別々に存在しているが、中庭が共有スペースとなっていて、わざわざ出なくてもお互い行き来できるようになっていた。なので、モンスターに遭遇する心配はない。

「今日のミコトくんはアグレッシブだねー」

 ずんずんと進む美琴の後ろを歩きながら、田中がそんな感想をもらす。アクティブの間違いじゃないのかと思ったが、やはりわざわざつっこむようなことはしないでおく。

 中庭を通り抜けると、周りはブレザー姿の高校生だらけになった。美琴のセーラー服は明らかに浮いていたが、めげずに校舎へ入っていく。確かにアグレッシブかもしれない。

「どこのクラスか知ってるの?」

「知るわけないじゃないですか。名前も知りません。片っ端から聞きます」

「おー、やるな、ミコトくん」

 中学生が紛れ込んでいるだけならまだしも、スーツ姿の白髪の男も一緒とあって、二人は注目を浴びまくっていたが、その目立ち具合に、かえって美琴は肝が据わった。とりあえず二年一組のドアから顔を出し、いままさに帰ろうとしていたお姉さん集団を捕まえる。

「あの、ちょっといいですか」

 ちょっと声がうわずった。

「なに? わ、初々しいー。だれか呼ぶ?」

 くるくるパーマの美人さんは、ずいぶんと友好的だった。それとも、もしかしたら、こうやって中学生が訪ねてくることはそんなに珍しくもないのかも知れない。富北沢は、中学生と高校生の合同イベントもさかんに行われるような校風なのだ。

「『ティピカルサーガ』っていうゲームについて、知っているひとを探してるんですが」

 お姉さんたちは、知ってる? とそれぞれ顔を見合わせる。なかのひとりが、わざわざお兄さんたちにも声をかけてくれたようで、背の高い男子生徒がひとり、心当たりがあるふうにやってきた。

「桜井じゃね? 二組の。ゲーマーっていえば、あいつだろ」

「有里沙かあ、いってたかも、なんかそんなこと」

「あー、それあたしも聞いたよ、だれも知らないゲームでしょ」

 なにやら、盛り上がり始めた。どうやら、桜井有里沙という人物が、『ティピカルサーガ』について知っているらしい。中原理恵の兄の知り合いで、ゲーマーということから、てっきり男だと思っていたので、美琴にとっては嬉しい誤算だ。女性のほうが話しやすい。

 話しがまとまったようで、くるくるパーマさんが美琴に向き直った。

「たぶんね、二組の桜井有里沙のことだよ。あの子、なんでだれも知らないのー、って怒ってたから、喜ぶんじゃないかな。パソ部屋にいると思うよ。一階の、職員室があるとこの突き当たり」

 最初のクラスでヒットするとは思っていなかった。美琴は傍目にもそうとわかるぐらいに歓喜し、顔を輝かせて、丁寧にお礼を告げる。廊下で、ばっちり化粧をしたお姉さん衆からなにやら質問攻めにあっている田中は放っておいて、パソ部屋なる場所へ向かった。


 パソ部屋と呼ばれていたが、いわれた場所にかかっていたのは『コンピューター室』という札だった。職員室の隣を通り抜けるとき、教師になにかいわれるのではないかとどきどきしたが、ありがたくも杞憂に終わる。中学生が高校内に入ってはいけないという決まりはないのだが、やはりどうやっても緊張はするものだ。

「入らないの?」

 いつの間にかついてきていた田中が、美琴のやる気をそぐようなことをいう。眉根を寄せて彼を一瞥し、深呼吸をして、ゆっくり、ドアをノックした。

 思ったよりも、大きな音が響く。数呼吸分の時間をおいて、ガラリとドアが開かれた。

 ひやりとした空気が流れ出てきて、美琴は一瞬ひるむ。しかしそれよりも、顔を出した人物の様相に息を飲んだ。

 金髪。異様に短いスカート。大きな、しかし鋭い目。

 ヤンキー、という言葉が、瞬時に美琴の頭を支配した。

「……中学生? と、ホスト?」

 しかし、向こうは向こうで驚いているようだった。胡乱げに、じろじろとこちらを見てくる。

「なに?」

 もっともな質問に、美琴ははっと気を取り直す。そうだ、ヤンキーだって人間だ。 

「あの……桜井有里沙──先輩、ですか?」

「そうだけど。あたしに用?」

「わたし、中学三年の吉川美琴です」

 一呼吸置いて、思い切って、美琴は口を開いた。

「『ティピカルサーガ』って、ご存じですか?」

 桜井有里沙は、ぱちくりと、目を瞬かせた。まるで、いまなにをいわれたのかまったくわからないというように。

 美琴は、じりじりと反応を待つ。もしかしたら、『ティピカルサーガ』について知っているというのはなにかの間違いで、自分は勢いだけでとんでもないことをしているのではないだろうかと、嫌な予感がよぎった。桜井有里沙という人物の前に立っていると、なんというか、取って食われそうな気分になってくるのだ。正直なところ、怖い。

「……TS、知ってんの?」

 TSという言葉には聞き覚えはなかったが、『ティピカルサーガ』のことを指しているのだろうという予測はついた。急いでうなずく。

「ちょっと来て」

 有里沙は、いきなり右手を伸ばして、美琴の腕をつかんだ。女性とは思えない腕力でパソ部屋のなかに引き込み、むりやり奥の椅子に座らせる。後ろから、黙って田中も続いた。ご丁寧にもドアを閉めたりしている。

 パソ部屋のなかは、肌寒いほどに冷房が効いていた。中学にあるコンピューター室と変わらない、無機質にデスクトップが並べられているだけの、味気ない部屋だ。

 その奥の、まさにいま美琴が座らされたところには、見慣れない小型のノートパソコンが一台。有里沙の私物らしく、彼女は美琴の隣に座ると、慣れた様子でそれをいじり始めた。

「えーと……美琴ちゃん、だったっけ? TSやったことがあるの? TSがどういうのか、知ってる?」

 ディスプレイを見つめたままで、ぽんぽんと質問を投げてくる。どう答えようか逡巡したが、美琴はおとなしく知っている知識をそのまま言葉にした。

「世界中で大ヒットしている、ゲームです。すみません、わたしはやったことはないですが……社会現象みたいになった人気ゲームですから、名前ぐらい、知ってます」

「ステキ! あたし、自分がおかしくなったのかと思った!」

 有里沙は甲高い声をあげ、美琴に抱きついた。ふわりと甘い香りが漂ってきて、美琴は思わず緊張する。おとなの女のひとのにおいだ。

 有里沙はすぐにパソコンに向き直った。見て、と促されたが、その画面には美琴にも覚えがあった。

 インターネットの、検索ページだ。有里沙は、キーボードはちらりとも見ずに『ティピカルサーガ』と入力し、検索ボタンを押した。

「一件のヒットもなし。自分のほうがおかしくなったと思ってあたりまえよね」

 画面には、一致するページは見つかりませんでした、の味気ない一文。

「わたしも、それ、やりました」

「でも、あなただっていま、世界中で大ヒットしてるゲームっていったでしょ」

「えと……」

 美琴は、ちらりとうしろを振り返った。田中が、実におもしろそうに笑んで、こちらを見ている。

 こういう場合、ありのまま伝えてもいいのだろうか──

「桜井先輩は、どうして、『ティピカルサーガ』をご存じなんですか?」

 とりあえず、いちばん気になっていたことを、聞いた。有里沙は、少し眉をひそめる。

「……その質問は、どういう意味? まあいいわ。毎晩ね、夢を見るの。あたしがゲームを──もちろんTSをね、やってる夢。でも、どうしても夢だと思えなくて、目が覚めてからTSのソフトを探すけど、ない。友だちに聞いても、ネットで調べても、収穫なし。まるで最初から、TSなんてなかったみたいに。でも、とにかくその夢がリアルなの」

「夢、ですか」

 ということは、やはり彼女も忘れてしまっていたのだ。夢を見て、思い出したということだろうか。

「おかしいのはね、二十四時間ゲームをつけっぱなしてるのがあたりまえのこのあたしが、夢を見始めたころから、なんのゲームをやってたんだかわかんなくなっちゃったの。それまでは、ゲーム機のなかになんのソフトも入ってないことなんて、十秒だってなかったのに。あたしいま、なんのゲームやってたんだっけって、思い出そうとしても、なんか記憶があやふやで──これは夢じゃない、絶対TSはあったんだって。そう思ったら、なんだか、いま生きてるこの世界のほうが、夢みたいな気がしてきてさ……本当に、こんなんだったかなって。だって、まるで、TSのなかにいるみたい。ねえ、あなた、なにか知ってるんでしょ? これ、どういうこと?」

 たまっていたものを一気に吐き出すように、有里沙は早口でまくしたてた。勢いに押されたのと、なんと答えていいのかわからないのとで、美琴は黙ってしまう。なにかをいおうとするのだが、言葉にならない。このひと本当にゲーマーなんだ、という呑気な感想が頭をよぎる。見た目はまるっきりヤンキーなのに。

「そっちのひとも、TSのこと知ってるの?」

 初めて、有里沙が田中に注意を払ったようだった。田中は肩をすくめるだけで、なにもいわない。

 美琴は意を決した。

「あの……信じられないかもしれませんが」

 一応、前置きをするが、信じてもらえなくても別にいいと思った。頭のおかしい変なやつ、と思われるぐらいだ。どうってことはない。

 美琴は、二週間前に田中からいわれたことを、できるだけそのまま、彼女に伝えた。田中も特に否定はせず、世界管理委員会の名刺まで渡して、美琴があえていわなかった、彼女が魔王を倒す勇者である旨についての説明も、丁寧に加えた。

有里沙は、黙ってしまった。

 美琴はもう一度、彼女の反応を待つことになった。エアコンのモーター音が、やけに大きく聞こえる。そうだ、早く帰らないとモンスター確率が上がるのに、と頭の片隅で思ったが、いまはこちらのほうが重要だった。

 おもむろに、有里沙は立ち上がった。パソ部屋の奥のドアを開けて、その向こう側になぜかある冷蔵庫から、パックジュースを三つ持って戻ってくる。ん、と、美琴と田中に渡した。濃縮還元、百パーセントグレープフルーツジュース。

「いいね、おもしろい」

 やっと彼女の口から出て来た言葉は、美琴の予想をはるかに超えたものだった。

「あたしもそれ、参加するわ。ぜったい役に立てる自信がある。魔王を倒すんでしょ? パーティーに加えてよ」

 椅子に座り、短いスカートからすらりとした足を出し、悠然と組む。

 この展開は予想していなかった。これでは、田中の思惑どおりだ。

「でも、わたし、魔王を倒す気はないんです。というか、無理です。運動神経良くないし、そんな度胸もないし……」

 謙遜でもなんでもなかった。成績はすべて中の中。中学三年生の平均値をそのまま体現しているようだと、常々自分で思っている。桜井先輩が代わりにやってくれるならそれがいちばんいいですが、といいたかったが、あまりにも無責任な気がして、さすがにそれはいえなかった。

 そもそも、魔王ってなに、という根本的なところもなにもわからない。倒せといわれても、実感が湧かないのだ。

「え、そうなんだ? でも、美琴ちゃんが勇者ってのは、決まっちゃってるんでしょ?」

「決まっちゃってるね。それは変えようがない」

 田中がジュースを飲みながら、あっさりと肯定する。

「まあ、ゲームやマンガの主人公って、現実になったらそんなもんかもね。なんで自分が、ってなるのはあたりまえかあ。ましてや、急にこの胡散臭いのが出て来て、勇者なんでヨロシクとかいわれても、モチベーション上がんないよねえ」

「そう、そうなんです……! わかってもらえますか!」

 ホロリと泣きそうになる。ひとの優しさというものに、久しぶりに触れた気がした。

「いま、さらっとひどいこといったよね」

 田中がこっそり落ち込んでいるようだったが、そんなことはどうでもいい。まさか、自分が胡散臭いという自覚がないのだろうか。

「とにかく、こうやって話しも聞いちゃったわけだし、あたしは全面的に美琴ちゃんに協力するわ。なにかあったらいつでも会いに来て。たいていはここでパソゲーやってるから」

 このひと本当にゲーマーなんだ、ともう一度美琴は思った。つくづくひとは見かけによらない。

 ちゃんとわかってくれるひと、しかも味方になってくれるひとがいるというだけで、美琴の心はずいぶんと軽くなった。鬱々としていたものが、少しだが晴れたような気がした。相談できるひとがいるのといないのとでは、その差は大きい。もちろん、そういう意味では、田中は戦力外だ。

 外は、だんだんと赤らんできていた。美琴は、有里沙に礼を告げ、帰ろうと鞄を持つ。部屋から出ようとする二人を、有里沙が呼び止めた。

「ねえ、田中さん。もしかして──」

 なにかをいいかける。しかし、言葉につまり、やっぱりいいや、とやめてしまった。

 結局二人はそのまま帰路につき、残された有里沙は、いやに真剣な面持ちで、じっとなにかを考え込んでいた。

 彼女は、ある可能性に思い当たっていた。


「ミコトくん、今日の夕食なに?」

 家に着くなり、田中は率先して食卓についた。数ヶ月間出張があたりまえの美琴の両親は、依然として帰ってくる気配はなく、田中と二人で朝夕の食事をとるのが当たり前になってしまっていた。

「まだですよ。たまには作ってください。ほんとなら、家賃と食費ももらいたいぐらいです」

 すぐにエアコンの電源を入れて、暑苦しい靴下だけ脱ぎ捨てた美琴は、着替えるのも億劫で、制服のままソファに座り込んだ。意外なことに、それもそうかと田中は納得したようだった。

「冷蔵庫のなかのもの、なんでも使っていいなら、なんか作るよ」

「……ほんとですか?」

 どうしてこの男は、見かけだけでなく、発言の真偽もいちいち胡散臭いのだろう。若干の不安はあったが、断る理由もなかった。帰りも全力疾走してきたので、へとへとだ。

「こう見えて、僕は万能タイプだからね。ゲームでもやって、ゆっくり待ってて」

「それ皮肉ですか」

 目くじらを立てるのも面倒くさい。ゲームなら、日々体感中だ。どうしていまさらゲーム機の電源を入れる必要があるのか。

 待っている時間、なにもしないのも暇なので、美琴はテレビを見ることにした。『ティピカルサーガ』と融合したことで、いまの世界がどうなっているのかを知るために、ニュースを見る機会は格段に増えた。毎日、モンスターに襲われてだれそれが亡くなった、というニュースがさかんに流れている。

 わたしが魔王を倒したら、こうやって死んでいくひともいなくなるんだろうか──

 そう考えないではなかったが、テレビの向こうで淡々とキャスターが告げる事実も、残された家族が無念にむせび泣く姿も、美琴にたいした感慨を与えなかった。

 どこか違うところで起こっているできごとのように、現実味を持たないのだ。

 だれかが、魔王を倒してくれたらいいのに──ぼんやりと、考える。

 昔アニメで見た勇者は、正義感に溢れ、己の信念に燃える青年だった。自分の命をなげうってでも、世界を救おうとしていた。

 美琴には、それだけのものがない。

 今日、有里沙にいわれたとおりだ。いきなり勇者だといわれても、よしわかった魔王を倒すぞ、などという展開になるはずもない。そもそも勇者というのは、勇気あるもののことであるはずなのだから、自分などほど遠い。

 とりとめもなくそんなことを考えていると、やがていいにおいが漂ってきた。

「もうすぐできるよー」

 のほほんとした声。この男の飄々とした様子も、美琴のモチベーションに少なからず関わっているのは間違いない。

「いいにおい。パスタですか?」

「ベーコン、牛乳、卵、スライスチーズと塩こしょう、隠し味にコンソメで、たちまちカルボナーラ!」

 皿に盛られたカルボナーラは、まるでイタリア料理店で見るようなものだった。上に散らす粉チーズやパセリが常備されていないのが、非常に惜しい。

「カルボナーラって、家庭で簡単に作れるんだ……」

 そのこと自体も、田中があっさりと作ってしまったということも、意外だった。美琴に作れるパスタといえば、ナポリタンぐらいだ。

 麦茶をコップに注ぎ、田中と顔をつきあわせて椅子に座る。

 いただきますと手を合わせ、フォークでくるくると巻いた。ぱくりと、一口。

「おいしい……」

「でしょ? 料理はセンスだね。ミコトくんの料理も悪くないけど、僕の勝ちだな」

「じゃあ、毎日でも作ってください」

「別にいいよ」

 いいんだ、と拍子抜けする。確かに、自分の作るつたない料理よりもおいしいし、完成までが速い。慣れているのだろう。

 フォークを口に運びながら、目の前でパスタに食らいついている田中を、ちらりと見た。彼が来て、もう……まだ、二週間。

 ほかのひとたち──たとえば、クラスメイトたち──ほどではないが、この状況が、だんだんあたりまえになってしまっている自分に気づいていた。

 モンスターから逃げるのもうまくなった。田中との会話も、よそよそしさがなくなった。なにより、こうやって二人で食事をする日常を、楽しいと、思い始めていた。

 美琴の両親は、一年のほとんどを外で過ごしている。ずっとひとりでいた彼女にとって、家族のように一緒にいる存在というのは、新鮮だった。

 そんなこと、口が裂けても、いえないけれど。

「どうかした?」

「……なんでもないです」

 少しでも、ほんの少しでも、田中もそう思っているといいと、かすかに思う。思いが伝わったわけではないだろうが、見ると、田中はいつになく優しい笑みを浮かべて、こちらを見ていた。

 急いで目を逸らす。

「どうかしましたか」

 意図してそっけなく、今度は美琴が問う。

「なんかさ……こういうのも、ちょっと楽しいかも、って思ってね」

 思いがけない言葉が返ってきた。余計に顔を見られなくなって、美琴は黙ってパスタを口に運んだ。




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