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空き教室で

作者:押水武
これは僕が高校2年の夏の話。
2007年8月2日。
私立大橋高校・2年生進学コース、夏期講習2日目の出来事だ。
確かあの年は酷い暑さで、蝉がとてもうるさかった。

無人の教室で鳴り響く音。その教室に入った僕たちは……
 音がした。
 甲高い音。
 いや、声だったのだろうか。
 とにかく。叫びとも、唸りとも、あるいは金属のこすれる音ともとれる、耳ざわりの悪い音声が教室内に響き渡った。一斉にクラスの全員が顔を見合わせる。息を飲む音が聞こえるほどの、一瞬の、静寂。そして少しずつ、ざわめきが起こりだす。「なに今の音」「悲鳴? ねえ悲鳴だった?」と。
 その中で誰かがポツリと言った。
「5組の教室からだったよな」
 その言葉を待ち構えていたかのように、またも大きな音が響いた。
 今度は、何の音かすぐにわかった。
 誰かが暴れて、机やイスが倒される音だ。
 5組の教室に、誰かが、いる。
「まったく……。今年もか」
 うんざりしたように、先生が言った。

 これは僕が高校2年の夏の話。
 2007年8月2日。
 私立大橋高校・2年生進学コース、夏期講習2日目の出来事だ。
 確かあの年は酷い暑さで、蝉がとてもうるさかった。
 とても。

「ほらお前ら騒ぐな。今のは隣の教室の机が倒れた音だ。ちょっと授業を中断して片付けに行くから、男子の出席番号1番から10番は手伝え」
 さも大したことではないという風に、村上先生が言った。
「それからクラス委員」
「はい」
 呼ばれて、クラス委員の三橋美貴が答える。
「職員室に家庭科の大林先生がいるから、塩もらってこい。“2年5組の教室に入るから塩を下さい”って言えばわかるから」
「……はい」
 頷いてはみたものの、どういうことか今一つ釈然としない。三橋はそういう表情をしていた。
 先生もそれに気付いているはずだが、それ以上は言葉を発せず、廊下に出ていった。
 耳をそばだててみたが、もう隣の教室からは音は聞こえてこない。
 静かなものだった。
  窓の外でギーギーと鳴きわめくアブラゼミの声のほうが余程うるさい。
「ほら男子、早く来い」
 廊下から先生の呼ぶ声がした。
 それで僕を含む、手伝いを言い遣った10人の男子はようやくおずおずと立ち上がった。「なんなんだよ。ったく」そう吐き捨てたのは、クラスの中でも成績があまり良くない村田くんだった。

 狭い廊下で、僕たちは先生を半円状に囲んだ。
 5組の教室の前だ。
 音は、しない。さっきと同じだ。壁越しにはもう何の音も聞こえていない。
 だけど中には誰かがいるはずだ。
 だって、ドアを開く音もしていないから。
 もちろんここは2階だから、その気になれば窓から飛び降りることだってできるんだろうけど。
「多分教室の中は机とかがグチャグチャに倒れてるはずだから、皆でそれを片付けるぞ。6組が授業中だから静かにな」
 言いながら、先生はポケットから出した鍵でドアに取り付けられた大きな南京錠を開いた。
 理由は知らないが、この教室は他の空き部屋と違って錠がかけられており、立ち入りが禁止されている。
 そう。
 さっきから5組、5組とこの教室のことを呼んでいたが実はこの学校に2年5組は存在しない。ここはあくまでただの空き教室だ。それなのに何故「5組の教室」と呼ばれているかと言えば、簡単なこと。4組と6組の教室に挟まれた位置にあるからだ。
 昔からそうなっているらしい。
 大橋高校に2年5組はない。
 4組の次は、1つ飛ばして6組。
 5組の教室は、誰にも使わせない。
 昔からそうなのだと、聞いた。

 物々しいガチャンという音で南京錠が外されるのを見つめながら、ふと「あれ、じゃあ中の人はどうやってこの教室に入ったんだろう」と感じた。
 多分他のみんなも同じことを思っていたのだろう。
 なんとなく、辺りの空気がどよめいているようだった。
「いいか、教室に入ったら注意しろ。床に赤いビニルテープで囲ってる場所がいくつかあるから、そこは絶対踏むなよ」
「なんでですか?」
 坊主頭で背の低い宇和健次郎が、高校生男子にしては随分カン高い声で尋ねた。
「なんでかって……? 知らねーよ。俺に聞くな。床が腐ってるとかだろう。とにかく踏むと危ないんだってよ」
 先生の返答はあまりにも適当だったが、声にあからさまな不機嫌さが混じっており、誰もそれ以上は聞き返せなかった。
「じゃあ片付けはじめるぞ。あ、あと教室の中に見慣れない奴がいるかもしれないけど、気にするな。ほっとけ。あんまりソイツは見るな、絶対にソイツとしゃべるな。いいな」
 言い終わるか終らないかのうちに、やや滑りの悪いドアを、先生は思い切り開いた。

 普通の教室に見えた。
 校庭わきの観葉樹で日陰になっているのと電灯が点いていないせいで、薄暗い。
 冷房は効いていて、ひんやりしている。
 少し埃っぽいが、長い間使われていない割には綺麗だ。誰かが掃除だけはしていたのだろうか。
 まるで変わったところのない、ごく普通の、使われていない教室のように、見えた。
 前を歩く皆がヒョイヒョイと妙な足の運びをするので何かと思ったが、床を見るとそこは、例のビニルテープの場所だった。
 テニス部の佐柿が電灯のスイッチを入れたが、パチリという乾いた音が響くだけで、一向に明るくならない。どうしたのだろうと思っていると先生が
「ブレーカー切ってあるから、ここは電気つかないぞ」
 と言った。
 明りのつかない部屋で、中央制御で電源系統も別になっているであろうエアコンだけが唯一電気的な低い唸りを上げている。
「さあやるぞ」
 先生が教室後方を指さす。
 整然と机が並ぶ教室前方とは対照的に、後方は誰かが喧嘩でもした後のように机は倒れ、ロッカーは開きっぱなしで、掃除用具や黒板消しが飛び散っていた。
 教室中央に大きな丸いビニルテープの囲いがあり、そこから後ろにだけ放射状にチョークの粉がまき散らされている。
「1番から3番はホウキであのチョークの粉を片付けろ。4番はちりとり。残りのやつは机を並べなおせ」
 号令がかかり、皆が一斉に作業にとりかかった。
 誰もそのことを口に出さないし、視線を向けたりもしなかったが、はっきり見えていた。
 中央のビニルテープ囲いの中。
 髪の長い何かがいた。
 うつむき、ゆらりと立っていた。
 僕は机を抱えながら視界の端でちらりと様子を伺ったが、バサバサの暗い色の髪に隠されて、それの顔は見ることができなかった。
 全員が、黙々と作業を続けていた。
 誰も口を開くことはなく。
 周囲の机を並べるふりで少しずつ角度を変えながら、僕はソレに目線を送り続けた。
 と、空調から噴き出る生暖かい機械風と、窓の外の青く茂る観葉樹の木漏れ日と、机を持ち上げようとわずかに腰をかがめた角度と、ほんの少しの視線の揺れとが、全て偶然に重なり合って、かすかな瞬間、垂れ下がった黒髪の隙間から、不気味なソレの表情が垣間見えた。見えたような気がした。
 が次の瞬間
「真面目に片付けせんか」
 という野太く低い声とともに先生に頭を小突かれ、そのせいで自分が一瞬に見たものは明確に意識にとどめることはできず、するりと抜けるように無意識へと滑り落ちてしまった。
 ただ、ソレが随分と怒っていることだけは、ハッキリと認識できた。
 そして遅ればせながら、こんなのがいるせいで5組は空き教室にせざるを得ないんだと実感した。
 その時になって気づいたが、僕はほんのつま先数センチのところまでビニルテープの囲いに近づいていた。
 先生に頭をはたかれなければ、この赤い線を踏み越えていたかもしれない。

 その後も、誰も、一度も口を開くことなく、わずか5分あまりで片付けは終わった。
 教室を出るとき、ふと振り向くと、暗さに目が慣れたせいだろうか先ほどまでより随分とはっきりと、教室の真ん中でうつむくソレの形が見えた。
 ドアが閉じられ、ガチャリと南京錠がはめられた。
 鍵のはまる音が鳴った瞬間、視界が急に明るくなったかのような錯覚におちいり、不思議だった。
 まぶたの裏にまだあの薄暗い気味の悪い教室の光景が張り付いているようで、放心したように立ち尽くしていると
「おい、お前大丈夫かよ」
 とテニス部の佐柿に話しかけられた。
「先生が見るなって言ってたのに、お前アレをガン見で近づいてくんだもんな」
「うそ」
 自分ではさり気なく視線を送っているだけのつもりだったが、周りからはそういう風に見えていたのか。
「でもアレなんだったんだ。うちの学校の古い制服着てたよな」
「うん。特徴のないセーラー服だったけど、多分うちの昔の制服だったっぽいね」
「で、髪がやたら長くて全然手入れされてなくて」
「足元は白のソックスと学校指定の上履きだった」
「爪も伸びてたな」
「顔は見えなかったけど、くちびるはひび割れてカサカサだったよ」
「こら、やめろ」
 僕たちの会話は、強く睨みつけてくる先生によって遮られた。
「これ以上アレの話はするんじゃない。いいな」
「どうしてですか。ていうか、アレなんなんですか?」
「アレが何かは俺も知らん。生きてるか死んでるかもわからんくらい昔の、この学校の生徒だ。それしか知らん」
 言いながら先生は頭を振った。
 僕と佐柿だけじゃなく、他のみんなもいつの間にか先生の話に聞き入っていた。
「もうアレの話はするなよ。なあ、話していると想像したり思い出したりするだろ、アイツの姿を。それがいかんらしいのだ。お互いの見たものを教えあうことで、ちゃんと見えなかった部分も想像で補って記憶に定着する。そうなっちまったらもうダメだ。あの教室だけじゃなく、その時は、お前ら自身のところにも来るぞアイツ。だから、他の奴らも、今日見たものは忘れること。話すな。2度と思い出すな」
 教室から出てきたクラス委員の三橋が、取ってきた調理塩を先生に渡した。先生は自分の頭と肩にそれをパラパラ振り掛ける。
「“いる”と思うことがいかん。存在を認めることが原因になる。結局、ああいうもんが住んでるのは本当は、あの暗い教室でも夜の墓場でもなんでもなく、人間の頭の中ってこった」
 言って暗く笑う先生の表情が、一瞬あの教室で見たアイツによく似ていたように、どういうわけか僕には思えた。
 もしかして先生は、もうアイツが教室の外でも見えるようになっちゃってるんじゃあないだろうか。
 何の根拠もないけど、そう思った。
 さて。
 気付いた人もいるかもしれないが、僕は教室で見たアイツの容姿をあまり詳しく語っていない。これは意図的だ。
 理由は先生が語ったとおり。
 あまり詳しく話せば僕自身アイツのことを思い出してしまう。
 それに、皆さんの中でも想像力の強い方が鮮明にアイツの姿をイメージしてしまえば、その人のところに行ってしまわないとも限らない。
 決してみなさんは、暗い教室の真ん中に一人で立つボロボロのセーラー服を着た長い髪の女の子のことを想像しないでほしい。
 最後に佐柿がその後どうなったかを簡単に話しておく。
 年が明けるころから、佐柿は学校を休みがちになった。
 部活もやめてしまった。
 目に深いクマができ、いかにも不健康そうだった。
 誰もいない空間を睨みつけていることがしばしばあった。
 本人は受験勉強の疲れとストレスであまり眠れないのだと語っていたが、そうではないと僕にはわかった。
 3年の1学期で佐柿は学校を辞めた。
 とてもはっきり覚えているのだが、最後の日、両親に連れられて職員室に向かう途中、佐柿は5組の教室の前で足を止めていた。しきりに首をかしげながらそのドアを見つめていた。
 柔和な印象の男だったのだが、まるで別人のように目が釣りあがっていた。
 明らかに、精神に変調をきたしていた。

 駅でばったり佐柿と遭遇したのはそれから2年後。
 病院に行く途中だという佐柿は、顔つきを見る限りはあの当時よりは幾分具合が良いようだった。顔つきだけを見れば以前の佐柿に戻ったようで、柔和な笑顔を顔に張り付けていた。
 違うのは体だ。
 彼は両足と左の肘から先が無く、電動の車いすに乗っていた。
「事故にあってさ、左足がちぎれた。痛かったぜアレは。で、そのとき右足も骨折したんだけど、そのときの麻酔と点滴が体質にあってなかったらしいだよな。壊死した。右足と、左腕。あと右目の視力もほとんどないんだ。左目だけは視力1.0だから、バランスとれなくて逆にきついんだよな。頭痛くなるし」
 柔和な笑顔を保ったまま自身に降りかかった不幸を淀みなく語る佐柿は、傍から見るとあまりにも不気味だった。そのことを知ってか知らずか、彼は話を続ける。
「体のあちこちが順番に無くなってくのは、そりゃあ怖かったぜ。あまりに続けざまだったからな。このままだと俺はどうなっちまうんだろうって思ったよ。そのくせ病院からの補償金があるから金だけは困らない。医療の進歩はすごいな。金さえ出せば、かなり体が欠損しても死ねないんだ。だからもしかしたらこのまま全身削りおとされて、最後は頭だけが残って身動きもできないでベッドで生かされ続けるようになるんじゃないかって、そう思ったよ。怖かった。でも、もう大丈夫なんだ」
 少しだけ風が吹いた。
 もうすぐ列車が到着するのだろう。線路を挟んだ反対側のホームにいつの間にか人がたくさん並んでいた。
「精神安定剤を貰ってな、その薬が効いてる間はアイツ消えるんだ。そして消えてる間は、なにも起こらない。もっと早く気付けばよかった。やっぱり先生の言ったとおりアイツらは頭の中に住んでるんだよ。」
 佐柿は息をついた。
 ついさっきまで浮かべていた気持ちの悪い笑顔は、消えていた。
 向かいのホームに列車が到着した。
 それを横目で眺めながら彼は、声を潜めてこう言った。

「あの日からずっと思ってるんだ。この足も手も、ホントはお前がこうなるはずだったのにな。お前はあんなにアイツに近づいたのに、なんでお前じゃなく俺なんだよ」

 言いたいことを全て言い終えたのか、彼は電動車いすのレバーを器用に操作して改札口のほうに消えていった。
 その後ろにピッタリと黒い髪の女が張り付いていたのが、僕には見えていた。


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