序章 5 動揺
とうとうしびれを切らして地下へ降りて行き、ドアをノックしたが返事がない。
「おい、灰原。灰原だよな。いるんだろ」
それでも返事はない。やはり倒れてでもいるのか。
思わずドアを叩いて大声を出した。
「灰原。大丈夫なのか。ドア、開けるぞ」
焦ってノブに手をかけた瞬間ドアは内側から開かれた。
「うるさいわね。大きな声ださないでよ」
「返事ぐらいしろよ。心配するだろ……」
語尾がかすれているのが自分でもわかった。目の前で俺を見下ろす美しい茶髪の女性は確かに灰原哀そのひとだった。
「一体何を心配してくれたのか知らないけど、不法侵入と覗きの現行犯に、返事なんてする必要はないと思うけど」
「お、おま、何を。別に覗いてたわけじゃ……」
一瞬で顔が熱くなる。
「まあ別におこちゃまに見られても、どうってことないけどね」
「な、何を……」
おまえだって焦ってたじゃねーか、という言葉を飲み込んだ。これでは完全に灰原のペースだ。埒があかない。
「は、入るぞ」
「どうぞって言うしかなさそうね」
灰原はドアを大きく開け、俺を招き入れるように脇へどいた。
相変わらず殺風景な部屋だ。
もともと博士の実験室のひとつだったこの部屋には、さまざまな機械や測定器のようなものが所狭しと置かれ、壁には長いコードのついた電気工具がいくつも取り付けられている。
ドアの横の棚には俺も聞いたことのない薬品名が書かれた瓶がずらりと並び、フラスコやシリンダー、シャーレなどが整然と置かれている。
今日は作業テーブルの上に滅菌パックされた医療器具らしきものもいくつかのっている。
ただひとつパソコンデスクの脇にかけられたランドセルだけがこの部屋では異質なものに思えた。
灰原は早速パソコンに向って何やら打ち始め、俺はソファに座ってその姿をちらりと盗み見る。
赤みがかった茶髪や醸し出されるきつい雰囲気は以前とかわらない。
端正な顔立ちは子供の時の面影を強く残していたが、若い女性特有の輝くような美しさに溢れ圧倒される。
今気がついたことだが、白衣の下は薄いラベンダー色のタートルネックのカットソーにグレーのふんわりとした形のニット、足首が細くなっているタイプのやや長めのジーンズだ。それらが一般的に何と呼ばれているものなのかは知らなかったが、最近流行りのスタイルであることは俺にもわかった。
着るものをあらかじめ用意していたということは、あたりまえのことだが、これは昨日今日思いついたことではなく周到に準備され、博士も子供たちもいないこのタイミングを狙っていたのだろうことが窺えた。
さほど歳は変わらないはずなのに、なぜか今は自分よりはるかに大人に見える。
「で?どうしたの。何か訊きたいことがあるんじゃないの」
よほど長い時間黙り込んでいたらしい。
訊きたいことは山ほどあるが、何から訊くべきか少し頭の中を整理しなくてはならなかった。
今日は少し時間がとれましてもう一話upしました。ようやくふたりが会話らしいものを始めまして、私もどんどん書き進めてはいきたいのですが、年末でさすがにバタバタしておりまして…。なるべく早く次が書けるようがんばります。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
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