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  The reason 作者:Liah
第四章 15  語らいのとき

昼間の嵐は嘘のように去ってしまっていた。

濃い灰色の雲がちょうど月を隠している。空気が澄んでいるのか、珍しく星がいくつか瞬いていた。

バルコニーは部屋の照明で(ほの)かに明るい。手摺に肘をつこうとして、まだ雨が上がったばかりのように濡れていることに気がついた。

仕方なく両手をジャケットのポケットに突っ込む。ほんの少しの風が冷たくて俺は首をすくめた。

見渡す限りの家にはたいてい灯りが(とも)っている。
それはどこも穏やかであたたかく感じられて、賑やかなあるいは(なご)やかな団欒(だんらん)があるに違いないと俺は勝手に想像した。

今日もなんと目まぐるしい一日だったことか。

いきなり彼女がいなくなったかと思えば、おふくろがふらりと帰国してきてあんな話を聞かされた。
蘭のこともある。

以前オヤジに、これは自分の事件だと息巻いたことが途方もなく情けないことに感じられた。

いくら思考から追い出そうとしても、その時のオヤジの声の調子だとかおふくろの戸惑った表情だとかが何度も思い出される。

彼女と蘭のことに至っては、何をどうすればよいのか、何から考えるべきなのかさえまるでわからなかった。

思わず頭を掻きむしる。
あまりにいろいろなことがありすぎて、文字通り頭を冷やすつもりで、この寒空の下バルコニーへ出て来たのだが。寒くてかえって集中できなかった。

「色男は随分お悩みみたいね」

振り返るとおふくろが部屋着の上に赤いウールのストールを羽織っただけの恰好で、部屋から出て来たところだった。「うう、寒い」と両腕を抱えて震えてみせる。

「バーロ、わかったようなこと言ってんじゃねーよ」

寒いなら出て来るな。

「哀ちゃんが好きだけど、蘭ちゃんも傷つけたくない。
うんうん、わかるわよ、その気持ち。モテる男は辛いわねー」

俺の隣に並んで頷きながら、いつもの脳天気な調子で言う。

「こいつ、マジうぜー」

毒づいたもののそれ以上言葉が続かなかった。

おふくろは、地上の人工的な光でぼんやりと白っぽい夜空を見上げて言う。

「自分の気持ちに正直になるって、時々勇気がいるわよね。誰かが傷ついてるならなおさら」

風がふわりと正面から吹いた。「わー、やっぱり寒い」とおふくろは身体の向きを変え、背中を丸めるようにしてストールの前をあわせる。

「うっせーな。あんたに関係ないだろ」

俺はむっとした。普通母親が高校生の息子の恋愛に口出しするか。

「ごめん、ごめん。ひとりごとだから」

おふくろは少しも(ひる)まずかぶりをふって笑った。

「もし……もしもよ?哀ちゃんに他に好きなひとができたとして、でも新ちゃんに悪いからってそのまま新ちゃんと別れなかったら、新ちゃんはそれで幸せなのかな……。
哀ちゃんが何も言わないからって、本当の気持ちからずっと目をそらしていられるかしら」

俺がうんざりした顔をして睨むと、「だからひとりごとだってば」とこともなげに言う。

「誰かを傷つけてしまったときに……たとえば自分がその傷を何とかしてあげなきゃって、思ったりすることあるかもしれないけど……。そんなことって……ほんとにできるのかしら」

おふくろは真顔で呟いたのだが、やはり寒いらしく足踏みし始めた。
そしてまたからかうような目を俺に向ける。

「だけど新ちゃんは本当に哀ちゃんに恋してるのね」
「なんだよ、それ」

そう言われただけで顔が熱くなり、思わず横を向く。

「さっき、もしも哀ちゃんに他に好きなひとができたらって話しただけで、すっごい恐い顔してたもの」

おふくろは笑いを(こら)えながら俺を指差す。

それはそうだ。
彼女が他の男に想いを寄せるなど、考えるだけでどうしようもないほど腹が立つ。

無性に彼女に会いたくなった。
いや、たぶん彼女と別れた瞬間からずっとそう思っていたのだ。
博士の家はまだリビングに明かりがついているのが見下ろせる。彼女はそこにいるのか、地下にいるのか。
声をかければ届くほどの距離なのに、すぐ傍にいないことがもどかしい。

「新ちゃん。それより、怒ってるよね。
優作と私のこと…。ごめんね、黙ってて」

しばらく()があってから本題を話し始めた。
俺は何も答えなかった。いや、答えられなかった。

ごめんと言われて、いや別にいいよ、などと言えるような軽い問題ではない。

「私たち、そうすることが一番新ちゃんにとって……」
「わかってるよ。もうその話はやめだ」

俺は苛立っておふくろの言葉を遮る。

本当はわからない。
いや、頭では理解できるが心は納得できない。
でもそうやって物わかりのいいふりをすることが、平静に見せられる唯一の手段のように思えた。
平静に見せる?何のために?

「父さんは手紙の主を知ってたんじゃないかな」

話をそらしたくて、ずっと頭の隅にあった事を口にした。

「え?何?」

おふくろは、聞こえなかったのか話の先が読めないのか、俺の顔を覗きこんだ。

「例の匿名の手紙。頼み込んで事故現場を見せてもらったりしてるのに、手紙のことを警察に相談しなかったのは不自然だ。たぶん……」

俺は一瞬躊躇(ためら)ってから続ける。

「見当ついてたんじゃないか……。そして万が一手紙から指紋が出たら困るような理由があった」
「そうなの?」
「母さんは何か聞いてないのか?」

おふくろは大げさに首を横に振ってみせる。

「そっか……。じゃあ俺の思い過ごしかもな」

おふくろは返事をしなかった。
黙りこくっているので「用が済んだんなら中入ってろよ。寒いだろ」と言うと、その張りつめたような顔がふっと緩んだ。そして空を仰ぐ。

涙がこぼれないよう上を向いているのだとわかって俺は慌てた。

「バ、バーロ……何泣いてんだよ」

何かそんなにひどいことを言っただろうか。

「ゴメン、頭ではわかってたんだけど。小さくなった新ちゃんも可愛いいけどね」

おふくろがぽろぽろ涙をこぼし始めたのを見て俺は、こんなに心配をかけていたのだと、あたりまえのことに気がついたのだった。

結局俺はいつも守られてたってことだ。知らないうちに。

それを認めたくなくて平静を装いたかったのか……。
それはひどく子供っぽい考えだと自分で感じた。

彼女は違うのだ。
俺が知らずに受けていたものは、彼女にはずっと手が届かないものだった。

また博士の家を見やる。

「あ……」

明かりが洩れていた窓の一つが、不意にすーっと開いた。
そこから顔を覗かせたのは彼女だった。

空模様を見たかったのか、上を見上げながら白い息を吐いている。
そして彼女はこちらへ顔を向けた。ハッと俺に気付いたのがわかる。

俺が思わず手を挙げると、彼女は控え目に胸元で手を振ってから軽く会釈した。

いつのまにかおふくろが俺の後ろから、にこにこしながら思い切り手を振っている。
俺がげんなりとしてため息をつくと、彼女はもう一度会釈をしてから顔を引っ込め、窓を閉めてしまった。

おふくろに顔を向けると、にやにやしながら肘で俺を小突いてきた。

「なんか気持ちが通じちゃった感じ?」
「うっせーよ、今まで泣いてたやつが」

よく見るとおふくろの目はまだ潤んでいる。

「心配すんなって。灰原が絶対完全な解毒剤作ってくれっから」
「そうよね。きっとそうよね」

おふくろはそう繰り返すと、指先で目尻の涙をぬぐった。


彼女にあと三十六時間から四十八時間と言われてから、ほぼ十二時間が経過していた。














ここまで読んでくださっているみなさん、本当にありがとうございます。

また久々の更新になってしまいました^^;


次回、最終章突入です。
(↑一回言ってみたかった…^^;)

最終回ではありません。最終章です。
あと数回といった感じです。

もうしばらくおつきあいをよろしくお願いします。
いつもお立ち寄りくださってる方々、ありがとうございますm(__)m


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