第二章 6 薬
灰原に耳打ちされ蘭を見送るのは玄関先までにした。外出は絶対禁止ということらしい。戻ってくるとキッチンからコーヒーの香りがしていて、彼女はリビングのソファの背もたれに頬杖をついて座っている。
どうやら蘭が現れたことで一旦休戦になるような気配だ。
「やっぱ、まずかったかな。明日会う約束なんかしちまって」
「あれじゃ、まるで私がきつい女みたいよね」
彼女は俺の言った事には答えず、ひとりごとのように言った。
確かに蘭を追い返すような形にはなってしまったが、きつい女という自覚がなかったとは。
俺はその件については言及しないことにする。ひとことでも触れたら、彼女は俺が地下室で演じた失態を責めたててくるに違いなかった。
灰原は何を考えているのかしばらく視線を落としていたが、つと顔をあげた。
「あなたって」
「。」
「浮気をするとすぐにばれるタイプよね」
「なんだよ、それ。なんの関係があるんだ。わけわかんねー」
そんなことを言いながら、彼女の向かいのソファに腰を下ろし携帯を開いた。
彼女は目を細めて俺を見る。
「まあ、精々気をつけるのね」
「だから、何なんだ一体。何に気をつけるんだよ」
「あなたが理解できるように説明する自信はないわ」
俺は携帯から目を離して、むくれてみせた。いちいちムカつく発言だがそれ以上は聞いても教えてくれそうにない。
彼女はくすくす笑って立ち上がるとキッチンへ入っていった。カウンター越しに見ると、シンクの横に洗って伏せてあった二つのマグカップを返して並べ、コーヒーを淹れているらしかった。
一日に何杯飲んでいるのだ。
「何時に飲んだの?」
「へ?」
「あなたが勝手に持ち出した解毒剤を何時何分に飲んだのか訊いているのよ。 薬の効能や特徴を知っていれば、服用時間を記録しておくのは当然でしょう」
コーヒーを注ぎ終えて両手にマグカップを持った彼女は、美しい顔にたぶん最高の微笑みをたたえて俺に視線をよこすが、目が笑っていない。
「怖いんですけど」
俺はソファの上で後ずさる。
「あら、時間がわからなければもっと恐ろしいことになるわよ。
たとえば明日彼女の前で子供の姿に戻ったりとか……」
彼女はテーブルにマグカップを置いて再びソファに腰かける。
俺はコナンのまま博士の家を出た後、すぐに隣の自宅で薬を飲んだ事を話した。
沖矢昴は帰省中だと言っておいた。彼女は完全に納得はしなかったものの、警戒していた人物が今は留守と知って少しほっとしたようだった。もっと早く知らせてほしかったとも言った。
無理な相談ではあるが。
灰原はテーブルの上に置かれていたファイルを拡げ、ついさっきの検査結果から発作の兆候がないことを説明した。次に彼女が俺に見せたのは例の解毒剤だ。
「これを5時間毎に飲みなさい。 とりあえず明日一日ぐらいはもつと思うから。
ただし飲み忘れは禁物よ。必ずアラームを使って」
話しながら灰原は白衣のポケットからブルーのプラスチック製のピルケースを取り出し、解毒剤のカプセルが入った瓶を振るようにして器用に数個移し替えた。
それから俺に掌を出すよう促し、蓋を閉めてからピルケースをのせる。
彼女の説明によると今度の解毒剤は、薬が切れ再び幼児化する前に服用することで、血液中の有効成分の濃度を保ちその効果を持続させるのだということらしい。
「つまり風邪薬1日分を3回に分けて飲むのと同じってこと。」
彼女が手にしている瓶のラベルに目がいく。
「ちょっと違うけどそう思ってもらってかまわないわ。
このまえあなたが連続して服用したあと、思いついて改良したものなんだけど。
あの時みたいに幼児化してから再度服用するよりは、はるかに身体への負担は少ないはずだし、連続投与する事でうまくいけば長時間大人の身体でいられるかもしれない。ただし……」
「いずれは耐性がつくってことだな。」
結局この身体のままではいられないってことだ。
ここまでお付き合いくださっている皆さまありがとうございます。
ふたりのやりとりはまだ続きます。
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