目的の雑貨屋には、結局いつもの倍の時間をかけてたどり着いた。黒格子のオイルランプとそれに吊るされた木の看板が目印のその店は大通りから一本外れた小道の角にあり、赤い屋根と緑に塗られた壁の木造りの外観がなかなかかわいらしいなりをしている。ベルを鳴らしながら入口のドアを開けてセシルが抱えていたイヴを下ろすと、彼女はふらっと引き寄せられるみたいに店の中へと足を踏み入れ、見回して感嘆の声をあげた。
「いろんなものがある……」
「そうだね」
その感想にはセシルも苦笑するしかない。まさに百聞は一見に如かず。
ぽうっと棚へ見入っているイヴの手を引いて、セシルは奥のカウンターへと向かう。顔なじみの店主に声をかけてあらかじめ用意していたメモを渡し、品物をそろえてもらうあいだはあちこちを見遣って見て回りたそうにしているイヴの願いをかなえてやることにした。手を繋いだままゆっくりと店内を歩く。
セシルがこの町でよく利用するこの雑貨店には、そんなに広くもないのにそれこそ日用品から嗜好品まで、いつ来てもなにかしらの新入りを含んでさまざまなものが所せましと並べられている。セシルですらときどき首をかしげたくなるような物品も混じっていれば、ましてイヴには正体も分からないものだらけだろう。あれなに、と聞くこともできずいそがしく首を動かして、イヴは次々目に飛び込んでくるものを必死に追いかけている。そのうち目を回しそうだ。
気もちは分からないでもないが、そうなる前に、とセシルはちょうど目に留まったもので動き続けるイヴの視線を引くことにした。
「イヴ、ほらこっち。見て、これ綺麗でしょう?」
「ううん、なあに……? お花?」
「の、髪飾り。こんなふうにね、ほら、髪に挿して使うんだ」
フードの下に手を入れて、目元にかかる髪を白い花が付いたピンで緩く留める。それを、そこにあった売り物の鏡を指して映してやると、少し爪先立って覗きこんだイヴからはうれしそうなほほ笑みがこぼれた。
「かわいい」
鏡から目を離し見上げてくるイヴに笑みを返して、セシルはそっと持ち上がったフードを被せなおしてやる。残念だけれど、どうあってもこの少女の姿は人前にさらせない。
そのすぐあとに準備ができたと奥から呼ばう声がしたので、髪飾りのことも告げて一緒に清算してもらった。代金と引き換えに受け取った一抱えもある紙袋は、そのまま『箱』へ入れてしまう。中身をあらためなくともこの店主に抜かりなどないことを分かっている。
「よし、じゃあ行こうか」
「どこへ?」
「イヴの好きそうなものがあるところ」
店を出るとイヴは名残惜しそうに振り返ったが、セシルはわざとかまわずに道を歩き出した。イヴの興味にすべて付き合っていたらさすがに日が暮れてしまう。石畳は夕方にさしかかってほのかな橙にかがやき、月日を経てまるみを帯びた灰色の石並びが鈍くもどこか美しい。
「ほら見てイヴ、空の色が綺麗だ」
「たまごやきのいろー」
「……うん?」
「あっちははちみつのいろ。そのちょっと上ははちみつのかかったパンケーキのいろ」
「もしかしておなか空いてるの?」
次々出てくる色のたとえに、セシルは思わず隣を歩くイヴをじっと見下ろしてしまった。似ていると言われれば確かに似ているかもしれないけれども、イヴのそれはなんだか切実に聞こえるのだ。それでも、てくてく歩いているイヴの歩調は規則正しく、さほどの疲れは見られない。
「どうして? おなか、そんなにすいてないよ」
「そう?」
「うん。だって……」
ふと、言葉とともにイヴの歩みが止まった。なんの前触れなく、はたりと足を止めてしまったイヴにセシルは軽く引っ張られるかたちになる。
「イヴ、どうし……」
振り返りながらどうしたの、と尋ねようとした途中で、セシルは呼吸とともに続く音を呑みこんだ。
「イヴ?」
動揺を押し隠し、いつもと同じ声音になるようつとめて冷静に呼ぶ。往来のど真ん中でなかったことを幸いに、石畳に膝をついてフードの下から彼女を見上げた。
「せ、しる……」
繋いだ手からも伝わってくる――イヴは、小さく震えていた。
「どうしたの」
「……っ、かんな……」
「え?」
「分からない、よぅ……でもなんかっ、なんか……いや、なの……」
「…………」
青い瞳が泣きそうにゆがむ。セシルは弱った顔でその頬をひと撫でし、イヴを抱き寄せながら立ちあがった。軽くあたりを見回してみても、変わったものは見つからない。でもイヴのこの様子は尋常じゃない。
「なにか居る……?」
イヴがこれほどまで怖がるようなものを感知できない、それどころかわずかの異常も感じないなどと、自分の感覚も鈍ったものだとセシルは舌打ちしたい思いに駆られた。
危険を感じないということは、イヴが特別反応しているだけだろうか。それとも本当に、自分がそれほどまでに鈍くなってしまったのか。
「……どちらにしても」
「セシル?」
「なんでもないよ、大丈夫だ。イヴ」
わきあがる軽い苛立ちと余計な思考をいっしょくたに追い払って、セシルはいまだ怯えた顔をしているイヴへといつもの顔でほほ笑んでみせた。自分が不安定になっていたら、この子をますます怯えさせてしまうだけだ。
感知できないことに焦っても仕方がない。
そう割り切ってセシルは手を繋ぐより近く抱き寄せ、とりあえず行こう、とイヴをうながす――促そうとした。けれどそのとき、ふっとセシルの感覚になにか覚えのある気配が引っかかる。
咄嗟には言い当てられない、けれど確かに知っている魔力。
だがセシルがそれを思い出すよりも先に抱いていたイヴの肩がびくりと跳ねて、彼の直感を裏付けるような反応をみせた。
さらに彼女へと注意を向けたセシルが、親しげな声音で呼び止められたのもほぼ同時。
「クロフォード!」
予期しないところで名を呼ばれ、セシルははっと顔をあげて声のしたほうへ目をやった。多くの人が行き交う中、その人混みを抜けこちらへやって来たのはとくにこれといった特徴もない青年だ。セシルはやや目を眇めて見遣る。どこにでも居そうな男であっても、一応知らぬ相手ではない。
「…………ギルバート・カーター?」
記憶力はそう悪くないと自負しているセシルだが、突然現れた彼の名を思い出すまでには少々の時間がかかった。それほどまでに意識外の人物だったのだ。
ギルバート・カーター、本来ならばセシルが関わることなど微塵もなかったのだろう男。ところがこの地方でイヴの面倒を見ることになってから、ついでとばかり父にここの魔法学校へ無理やり転入させられたせいでどういうめぐり合わせかクラスメイトになってしまった。
級長であったギルバートはなにかとセシルを気にかけていたらしいが、セシルはといえば学校へなどほとんどゆかず屋敷でイヴと過ごしていたのだから顔を合わせたのも数えるほど、咄嗟に思い出せなくても仕方がないだろう。もっと重要人物であれば違ったのだが。
そんなだから親しげに破顔されるような付き合いはない――そうセシルが疎ましさを含んだ視線で見返すのに、ギルバートはいっこうに堪えた様子もなく近づいてくる。
イヴのことを最優先したい今、はっきり言って邪魔だ。
はじめにさっぱり気づかないふりをしていればよかった。
「偶然だな、おまえと町で会うなんて珍しいってか、初めてじゃん?」
「何か用?」
セシルはさりげなさを装ってイヴを自分の影に隠しながら、ことさらに素っ気なく訊いた。関わらないほうが身のためだ、お互いに。人当たりのよい彼に罪などないのだとはいえ、その性質もことセシルに関しては相性が最悪だと言わざるをえない。
案の定そういう彼だからセシルの思いはまったくと言っていいほど伝わらなかったらしい、もしくは伝わっていても気に掛けなかったのか。悪びれない笑みをうかべるギルバートがあろうことかセシルの背後をひょいと覗き込んできたために、庇ったイヴを守ろうとセシルが身構えるのは当然のことだった。変わった雰囲気を感じ取って、息をひそめて成り行きを見守っていたイヴの身体が一瞬のうちに固くこわばって縮こまる。
ギルバートも一瞬顔を引き攣らせたが、セシルの変容をどう受け取ったのかなおも態度は変わらなかった。ここに至っては、セシルが普段から外では人を寄せ付けないのがわざわいしたのかもしれない。会うたびに打ち解けようとしてくるギルバートにとって、そんなセシルの雰囲気など慣れたものだったろう。
「その子、もしかしてこのあいだ庭に居た子? 妹か弟?」
「それ以上近づくな」
イヴの被るフードの下を覗きこむように身をかがめたギルバートの視線を、セシルは体を入れて遮る。きつい口調での制止に「なんでだよ」と戸惑いと憤りを混ぜたような抗議があったが、黙殺してイヴを抱きよせる腕に力を込めた。そうしてみてふと気づく。
彼女が、ひどく震えている。ギルバートに意識が逸れたせいで失念していたが、彼と出くわす少し前からイヴは様子がおかしかった。今はさらに酷くなっているそれをギルバートに対する人見知りというには尋常でない気がして、セシルは得体の知れない焦燥感を覚えた。煽るように、ゆらりとイヴの持つ魔力の気配が不穏に揺らめく。
「イヴ」
ごく小さな声で名前を呼ぶと、イヴはセシルの上着を強く握って体を寄せてきた。俯いたフードの下からのぞく肌が色を失くし、呼吸は浅く、唇もぎゅっと噛み締められている。
一体なぜ。
考えるより先に小規模の結界魔法を結びながら、それでも動かしていた思考の片隅で、そのときふっとひとつ、ひらめくものがあった。
――同じだ、あの時と。
セシルが留守にしているあいだに、イヴが魔力を暴走させたとき。あの日、過去を――正確には過去を含め様々なものを――『視る』ことのできるアキに聞いた、本来扱えないはずの力を引きずり出されてしまったために制御できずそうなってしまったのだろう、という結論を、疑う理由もなかったせいでそのまま納得してしまっていた。
でももし、そうでなかったら。いや『それだけ』で、なかったら。
共通しているのは目の前の存在だ。ギルバート。今、セシルが探っても特におかしなところは見受けられないけれども、何かイヴの勘に触れるものがあるのかもしれない。
職業柄の癖とでも言おうか、本格的に警戒すべきだと判じた瞬間視線を――というか雰囲気を――鋭くしたセシルにギルバートははっきりうろたえた。セシルはそれで一瞬より疑いそうになったのだが、すぐに彼が一般人であることを思い出して思考を切り替えようとする。ギルバートはセシルが普段対峙するような海千山千の狐狸どもではない。しかしながら、あるいはそうであってあえて『演技』をしている可能性は考えられる……。
「クロフォード、な、なんか怖ぇぞお前……」
ギルバートが怯えたように顔をひきつらせて後ずさる。それもまたわざとらしくさえ見えてしまったセシルは、疑いだしたらキリがないとうんざりため息をついてひとまずの考えを追いやった。
考えすぎるのはお前の悪い癖だ――と、主に兄から幾度となく言われた言葉が思い出される。その兄本人といえばいささか楽観的すぎるところがあるのだが、たしかに今は、考えてばかりでは動けない。
「僕に何か、用事が?」
「い、いや用事ってほどでも……」
「そう。じゃ」
「ええっ!?」
会話をほぼ一方的に終わらせてセシルは、イヴを抱き上げると立ち尽くすギルバートの隣を足早にすり抜けた。背後でギルバートが素っ頓狂な声をあげても振り返ることさえしない。
すれ違う一瞬、やはりギルバートから感じた覚えのある魔力の残滓。それは彼自身のものではなく、彼がここ最近、それもおそらくは数時間のうちに身近に接触した人物のものだろう。気になるからこのまま放っては置かないけれども、ともかくも今はイヴを安全な場所に移して、それからだ。
「イヴ、今の人いやだった?」
「…………ん」
尋ねると、イヴは数回呼吸をくりかえしたあと小さくうなずく。
ギルバートから離れることでイヴの状態はだんだんと落ち着いていった。かなりの速度で置き去りにしてきた上意図して雑踏に紛れるような動き方をしたので確かに引き離したはずだし、追ってきている気配もない。
「どうしていやだったか、分かる?」
「……ううん……」
「そっか……」
アキを連れてきておけばよかったと、セシルは今更ながら屋敷に残してきた子どもへ考えを遣った。どういうわけか彼らふたり、ここのところセシルのもとへ居ついているから丁度良かっただろうに、つい留守を任せてしまった。こうしてイヴを連れてきたことも、屋敷を守ってもらうこともどちらにも意義はあるから、なにが良かったのかすぐに判ずることはできないが。
「もう大丈夫?」
「うん……」
こくりと首を縦に振っても、イヴはまだ落ち着かないように神経をとがらせている。
こわい思いをさせて、ごめんね、と。セシルは喉元まで出かかった言葉をため息とともに飲み込んだ。
楽しいばかりで済まないだろうと予測はしていたけれど、さすがにこんな事態が起こるとは考えていなかった。セシルが迂闊だったとも言えない出来事であるとはいえ、やや軽率だったかと後悔せずにいられない。
イヴにとってははじめての外の世界。それなのに、恐ろしいものという思い出として残ってしまうのだろうか。
フードの陰から、雑貨屋で買った白い花飾りが覗いている。それをつけてあげたときの、彼女の嬉しそうな顔を思い出す。
願わくば恐ろしいばかりでないのだと知っていてほしい。屋敷の中にずっと居るよりはたしかに危険も多いのだけれど、それでも、この世界は。
「イヴ、おいで」
「……どこへ、ゆくの?」
「……きっと、いいところだよ。きみにとって」
地面に下ろしたイヴの手を握りなおして、セシルは警戒の色を浮かべるイヴに優しく微笑みかけた。セシルを見つめるイヴの瞳が頼りなげに揺らぐのは、まだ先ほど味わった恐怖を忘れられないからに違いない。
「だいじょうぶ。怖いものはなにもないよ」
「……ほんと?」
「本当だ。僕が、きみを守るから」
今度こそ。そう、言葉にはしないままだった強い決意がイヴにも伝わったのだろうか。彼女は緊張をふっと緩めて、信頼のこもる眼差しで見上げてくる。
青い瞳は今、輝く夕日をうけて神秘的な色に染まっていた。今はセシルばかりを見上げているイヴが少し視線をずらせば、空を美しく燃やして地の向こうへと沈みゆく太陽を見ることができるだろう。
見てごらん、と促そうとし、続く言葉を決めかねて開きかけた唇をまた閉じる。
イヴへ告げるのに「空が綺麗だよ」と「夕陽が綺麗だよ」、どちらがよいのだろうかと、彼女の視線を受け止めながらセシルはふと、自身でさえ思いがけないほど真剣に考えた。
だがすぐに思考を放棄したのはイヴが目を逸らしたからではなく、彼女がそうする一瞬の間で答えが分かったからだ。
すなわち、どちらでも結果は同じ、と。
「きれいね、セシル」
「……うん」
そうだねとささやくように、けれど心から、セシルは思わずといったふうにこぼした彼女にうなずいた。
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