「テメェ、ドコのモンだ!」
「とっとと
帰んな!」
凄んだ怒声と、乱れる靴音……
侵入者はすぐそこまで来ている。
「ナニすんのよッツ!」
鋭いオンナの声が飛んだ。
「売り飛ばすゾ!」
「
退いてッツ! これでも退かないの?」
「この女ァ! ……うぉあ?」
一瞬、ソコに居合わせた何人もがドヨメイた。
オンナの『何か』に息を飲んで退いたのが判る。
一体、ナニを持っているんだ?
「ココを通してッツ!」
何人ものガラの悪い連中に絡まれながら、追詰められた野獣のように、再びオンナが鋭く叫んだ。
カッカッカッ……
小走りに駆ける靴音がハッキリと聴き取れる。
通路に響くヒールの音は一人分。
って、まさか……たった独り?
「て……テメェ、ザケヤガってぇ!!!」
オンナが見せ付けたであろう『何か』に怯んだ連中が、慌てて我に返ったみたいだ。
遠巻きに何人もの靴音が入り乱れ、口々に汚く
罵りながら、先を急いだオンナの後を追い掛ける。
「司ッツ! ドコなのッツ?」
俺ははっとして、俯いていた顔を上げた。
やっぱり……恵理だ!
まさか、俺を助けに……?
マンションを飛び出す前、俺は恵理にヒドイ言葉を投げ付けていた。
金をエサに俺を釣ろうとしていたが、それが恵理の焦りみたいなモンから来た単なる強がりで、本心から言った言葉じゃないってコト……俺はとっくに見破っていたんだ。
モチロン、金をチラつかせたコトに対して、貧乏人の俺は頭にキテいたさ。
けど、そうするコトしか出来なくなっていた、歪んでしまった恵理に対して、俺が素直にはなれなかったのも事実だ。
『馬鹿ッツ!』
テニスと武道で鍛え上げられた強烈な平手打ちが、俺の左頬に炸裂した。
溢れる涙を拭いもせずに……恵理は顔をクシャクシャにして、しゃくり上げながら泣いていた。
プライドの高いハズの恵理が、俺の目の前で大声で泣いたんだ。
もう、恵理は俺のコト、二度と
赦してはくれないだろうと思っていた。
本当は……俺、それでも構わなかったんだ。
そうすれば、俺だって恵理のコト諦められたのに……
『処女は要らない』……
我ながら、ナニぶっコイテやがんだよ?
その場の空気にガマンが出来なくなって、俺はワザとそう言った。
恵理は木村工業の社長令嬢であって俺の上司。
一方、元走り屋のこの俺は、どんなに背伸びしたってお嬢様である恵理とは釣り合わねーし。
この先、恵理との関係を、ずっと続けていけるとは思えなかった。
なのに恵理は勝手にドンドン突っ走って、挙句に金で俺を買おうとし、処女を棄てようと企てた。
俺だって、恵理が普通のオンナなら、金なんか頂かなくてもサッサと処女を頂いてたさ。
フツーのオンナ……ならな?
……お嬢様のするコトじゃねーだろよ?
このままだと、俺もいつタガが外れてしまうかもだ。
だから俺は自分から進んでこの関係を断ち切ろうとしたんだ。
結果、恵理を泣かせちまったが……俺のコト、サイテーなヤツだって……恵理が心底嫌ってくれて、それで終わってくれるんなら、その方がどんなにかマシだ……なんてね。
なのに……ナンで?
ココが成和会の事務所だってコト、マジで判ってないのか?
恵理みたいなお嬢様が来るようなトコロじゃねーんだ!
危険なんだ。アブねーよ!!!
「恵理ィ――ッ! 来るなあああ!!!」
ココに向かっている、まだ姿の見えない恵理に対して、俺は声を張り上げて怒鳴った。
「戻れ! 早く逃げろぉーっ!」
聞えたのなら、引き返せっ!!!
「テメェは黙ってろい!」
頭上から怒声が降った。
ガンッツ!
「あぅ……」
K−1な奴らの一人からいきなり胸倉を捕まれて、強烈なフックをお見舞いされた。
顎をシタタカに殴られる。
衝撃で首が折れそうに曲がり、再び俺の目の前で星が散った。
ふう〜っと視界が白み、脳が揺らされて意識が遠退く。
「司ああッツ!」
悲鳴に似た、恵理の声。
……必死に俺を捜してくれている。
その声で、俺は消えかけていた意識を『現実に』引き留める事が出来た。
つか、キゼツしている場合じゃねーだろ?
しっかりしろ!
俺は自分に喝を入れ、苦痛に顔を歪めながら頭を左右に振って意識を無理矢理引き戻す。
そして声のしたドアの方へと顔を向けた。
「司ッツ!!!」
部屋の前で、ヒールの靴音がピタリと止まった。
「テメェ……」
言い掛けたK−1なヤツラが、恵理の姿に鼻白んで口篭る。
……???
俺はボコられて腫上がった顔を、顰めるようにして眼を細める……
――見間違えたりなんかしない……開いたドアには、確かに恵理の姿があった。
襟を立てた黒いシャツに、動き易そうな黒いパンツスタイル。
腰の張りがイマイチの細身の恵理が、ナオのコトすらりとして見えた。
ただ、相変わらず、胸だけはデカかったが……
俺は視線をサマヨワせ、恵理を見てK−1なヤツラが退いた理由を捜した。
「その手を放しなさいッツ!」
恵理はK−1なヤツラに対しても、全く
臆する事無く強い口調で言い放った。
そして、今まで履いていたシルバーの
華奢なミュールを脱ぎ捨てて、素足になる。
「
煩ぇ! て、テメェ、ダレの許しでココまで来やがっ……」
再びK−1なヤツラが退き、言葉を飲んだ。
恵理から放たれる強烈なオーラに圧倒されていたんだ。
現役のオッサンが退く……って、マジかよ?
……ぞく……
俺の身体に悪寒が奔った。
つか、コレって……『殺気』?
「なっつ……? え、恵理っ……???」
俺は『殺気』の発生元を見付けてドン退きする。
静かに右足を一歩ナナメ前に擦り出して
半身に構えると、恵理は持っていたモノを横にして、自分の目線にまで持ち上げた。
右手にしていた黒い漆塗りの七十センチ程度の棒は、手元に『
鍔』らしいものがあり、全体に
僅かな
反りがある。
「え……理?」
俺は恵理を見詰めて固まった。
ナニ? その手に持っているモノは……?
差し出した棒を左手に持ち替えると、流れるような動きで腰の辺りに固定した。
ウソ、それってもしかして日本刀???
帯刀し、腰を低く落としながら軽く上体を左に捻る――
肩越しに相手を見据えているその姿は、どう見てもこれから抜刀をする構えの、臨戦態勢だった。
しかも一分の隙も無く、無駄な動きさえ
削ぎ落とされ、淘汰されたキレイな構え……
こんなモン、見様見真似で会得出来るモノじゃないってコトぐらい、俺にだって判る。
「来るのなら……覚悟なさい」
ネコの瞳が細くなり、妖しく光った。
――そして眼で射殺す……今の恵理の視線は、見るもの総てを瞬殺出来そうなほどの強い殺気を帯びていた。
その表情は、今まで俺がコワイと思っていた恵理の表情なんかよりもケタ違い。
遥かにイッちゃってる。
俺には、『殺気』で包まれた眼に見えない結界が、恵理を包む空間に張巡らされたように思えた。
不用意に恵理の『間合い』に飛び込めば、俺ですらどうなるか判らねーヤバイ雰囲気。
恵理は、まるで獲物を狙うドーモーな肉食獣――
「な……なにおぅ……こ、この……」
K−1なヤツラは完全に気圧されていた。
コイツラ、完全に恵理の殺気に飲まれてる。
……ソレって、まさか
真剣……なのかぁ?
つか、それなら銃剣等不法所持だろ?
一触即発――
状況を見守っている俺の喉が、ゴクリと音をたてた。
「くくっ……」
部屋の外……通路から、声を押し殺しても自然と漏れてしまう男の笑いが、殺気に包まれたケンアクな雰囲気をぶち壊した。
「……」
集中力を欠いた恵理が、顔を
顰めて構えを解いた。
恵理の周囲から、ピリピリとした殺気がコツゼンと消える――
はぁ〜〜〜ビックリしたぁ。
恵理はと言えば、ナンだかキマリが悪そうに、口を尖らせている。
気持ち、頬を赤くして。
「……もぉ〜、アンタってば……どーしてソウなのよ?」
困った顔をして、恵理は後ろを振り返った。
え??? 俺のコトじゃ……ねーのか?
助けに来てくれたハズじゃなかったの?
俺はこの時恵理からシカトされて、チョット複雑な気分になった。
「くすすす……強引。相変わらずだなぁ、恵理姫は」
笑いながら出て来たのは、さっき奥に引っ込んでいた刃物傷の水守だった。
今、恵理のコト『姫』って……呼んだ?
「ソッチこそ、こんな夜中にアタシを呼び付けておいて、このお出迎えはナニ?」
出たッツ! 恵理の高ビ〜〜〜!
こういう態度を取るのって、俺にだけじゃなかったのか。
ってゆーか、この二人の関係って……ナニ?
俺は二人の遣り取りをアッケにとられて見守った。
「もしかしたら、久し振りに※−1)
蒼月流を拝めるかなと思ってさ」
「……」
恵理は無言のまま、手にしていた日本刀をスラリと鞘走らせた。
「うわわっつ?」
その場に居合わせた俺達は焦った。
驚かなかったのはあの水守だけだ。
……一点の曇りも無い蒼白の見事な抜身が現れた。
その妖しい輝きは、トーシロの俺が見たってレプリカじゃないのが判る。
手に馴染んだ感のある
刃の切っ先を、恵理は水守にひょいと突き付けた。
「冗談にもホドってものがあるわ。司にナニすんのよ? 事と次第に因っては、この『
霧雨』の
錆にするわよ?」
ややトゲトゲしく苛立った恵理の声。
しかし、ナンてぇ古風な言い回しだよ。恵理は時代劇ヲタクなのか?
「俺は恵理の車がこの男に盗まれたのかと心配して遣っただけだ……この男の言う通り、どうやら本当に盗んだ訳ではなかったようだが……となると、この男は恵理の何なんだ?」
サスガの水守も、真剣を突き付けられれば慌てるか?
って、あんまし慌ててねぇし。
水守は甘いマスクを崩しながら、両手を軽く挙げて冗談っぽく降参しただけだった。
「よっつ……余計なお世話だわ」
核心を突かれ、恵理は赤面してウロタエた。
「カレシ? へぇ、まさか恵理が『こういうの』が趣味だとはね」
水守は、俺のブサイクに腫上がった顔をジロジロと観察した。
あの……ナンか俺、メチャクチャ不愉快なコト言われてね???
ボコられて、俺の顔は至る所が紫や青い内出血で腫れ上がり、眼もマトモに視界が確保出来ない状態だった。
つか、完全に人相が変わっちまってるし。
こんなの、俺じゃねーよっつ!
「ンな、ナニよ?」
「いいや? 『こういうの』より、やっぱり俺にしておけば?」
水守は、『勝った!』とばかり嬉しそうに爽やかに笑うと、親指を立ててソレを自分に向けた。
ナンだ? この二人の組み合わせは?
……あれ?
俺は鼻の下から顎に伝って
滴っている生暖かいモノの不快感に、今頃になって気が付いた。
うう〜〜〜、まだ鼻血が止まってねぇ〜。
「結構よ。『みもりん』にアレコレ言われたくはないわ」
水守のコビを含んだ言い方さえ、恵理は無下に却下する。
ぷっつ……
俺は思わず吹いていた。
『みもりん』ってぇナニ?
ひょっとしてコイツのニックネーム?
って、確か『ミカミ』って言われてたよな?
「オイ……」
思わず吹いた俺は、水守にスゴんで睨まれる。
ウシロに居たK−1なヤツラが、トッサに姿勢を正して萎縮するのが気配で判った。
サスガはその道のプロ?
恵理に負けず劣らずの眼光だったが、ザンネンながら俺の中では、スデにコイツの威光は地に堕ちてしまっている。
「……恵理」
「なあに?『みもりん』」
恵理は悪気が全く無いような、ワザとらしい笑顔を作った。
コイツが困ってるの、知っててワザと遣ってる……確信犯。
「その言い方……止めろ」
「あら、幼稚園の頃から『みもりん』は『みもりん』でしょう?」
「……だから、止めろって」
え? コイツと恵理が幼馴染の同級生???
「はい」
「ムリだ。そんなモン入んねーし」
恵理の差し出した『ソレ』を見て、俺はオオゲサに首を振って怯んだ。
「大丈夫よ。ちょとくらい大きくったって……」
言うなり恵理が俺の顔を無理矢理押さえ付ける。
「ナニがチョットだよ? デカ過ぎるってぇあっづ!!! いだだだ!!!」
「ガマン、ガマン」
「出来るかあああ!!! ぎゃあああ!!!」
大粒の涙を溢しながら、俺は必死に恵理の手を振り解いた。
恵理は俺の止まらなくなっていた鼻血を「止めてあげる」とか言っておいて、テッシュを何重にもマトメテでかいコヨリを作っていた。
それ、俺の鼻の穴よりもデカイ。
どー見たって鼻には入んねーだろが。
しかも花粉症のヤツ用に作られたデリケートタイプなんかじゃナイ。
フツーのティッシュなんだぞ?
コイツをイキナリ捩じ込まれてミロ! 鼻血が止まるドコロかその逆だっつーの。
「……っせえな。オトコだったら、多少のコトは我慢しろ」
恵理に手痛くフラレタ『みもりん』もとい『水守』が、不機嫌かつ鬱陶しそうに俺を見た。
『こんなブサイクに俺は負けたのか?』ってぇ未だに不満タラタラの表情だ。
「アンタならこれがガマン出来るのかよ?」
「……」
俺のスルドイ突っ込みに水守はダンマリを決め付ける。
「……っつ!」
俺は眼の奥にスルドイ痛みがハシったのをカンジて、顔を顰めた。
アレ? 虫?
痛みはホンの一瞬だったが、今度は目の前で、黒くて光っている虫みたいなのがイッパイ飛んでいた。
俺はソレを捕まえようとして、何度も手を振る。
「司?」
「はっ、はい?」
「ナニやってるの?」
恵理が不思議そうな……いや、心配そうな顔で俺を覗き込んだ。
その距離ワズカ数センチ。
だけど、その間にも虫は増え続けてイッパイ飛んでいる。
恵理の愛用している※−2)アナスイの甘い香りが、俺のマヒした鼻をクスグッタ。
しかも俺の目線からは、恵理の
寛げた黒いシャツから、柔らかそーな胸の谷間がマル見えだった。
ごく……
視線が離れない〜〜〜思わずナマツバを飲み込んだ。
つか、このムシみたいなの、ジャマだ。
「いっつ、いやぁ、べっつ、別に……」
チョット焦る俺。
俺の視線を覚った恵理から、今にも殴られそうな危険をカンジて、俺は退いた。
「うん?」
水守はイキナリ片手で俺の額をがしっと片手で鷲掴みにする。
ひぃ?
コイツには俺の下心がバレちゃったのかぁああ?
じたばたする俺を無視して、素早く内ポケットからペンライトを取り出すと、俺の眼に片方ずつ当てている。
どうやら俺の取った奇妙な行動に心当たりがあったらしい。
「……早く病院に行った方がいい」
「え?」
「軽度の※−3)網膜剥離だ。連中、加減が無いからな」
それが、殴られたのが原因だったってのも、コイツはスデに判っていたみたいだった。
水守は、かなり俺のコトを気遣っているみたいな言い方をしたが、その表情は相変わらずの無表情だった。
まあ、アンタからすれば他人事なのかもな……けどよ、俺がココまでボコられたのは、恵理のフィットを俺が盗んだってゆー、アンタのミョーな勘繰りのオカゲじゃねーのかよ?
ナンか納得イカねーぞ?