第21話 影
はぁ、はぁ、はぁ……
薄暗い闇の中、荒々しい息遣いが聞え、狭いシングルベッドの上でオトコとオンナが絡み合っていた。
辺りにはオンナのヨガル声と、ベッドが激しく軋む音が聞えている。
1−LDKの部屋の壁際で――
俺は体育座りをして部屋の壁に凭れ掛かり、自分の目の前で繰り広げられている痴態を無視……いや、スコシは気にしつつ、手元で拡げていた某有名料理番組の本をペンライトでテラシて黙読していた。
実は俺、恵理のトコロで居候してからとゆーもの、いつの間にか愛読書が車の本から料理の本になっていた。
笑えねぇよな? この事実……
ハタ眼には情けねーかも知れねーが、コレが結構面白くってハマルんだ。
「……」
俺は本から眼だけを覗かせて、『オトリコミ中』の二人を軽く睨んだ。
……いい加減に気付けよな?
この部屋に来てからもう二十分以上になるが、部屋の奴等は全く俺に気付いてくれない。
「はぁん……う、うん? ンねえぇ?」
「う? ん、何?」
どのくらい経ったのか……?
お互いの体位を入れ換えた二人は、ようやく俺の存在に気が付いたみたいだ。
暗闇で、のそっと動いた俺の頭に、オンナが気付く。
「ヤダ、ちょ、ちょっとぉお! ウソ! ……誰か、ソコに居るよ?」
「え?」
オトコの胡散臭そうな声。
「あ、俺?」
ヤット気が付いたのか?
立ち上がろうとした俺は、手に持っていたペンライトを逆さまにしてしまった。
闇の中から俺の顔を、下からライトで照らし上げた状態だ。
「キャアアアア―――!!!」
オンナの絹を裂くような悲鳴が、狭い部屋に響いた……
「ダ、ダレだッツ!」
オトコが一声叫んで、部屋の明かりを素早く点ける。
「う……」
急激な瞳孔の収縮に、眼の奥がキリリと痛み、俺は片手をかざして室内灯の光を嫌った。
ナンか、光を嫌う吸血鬼にでもなった気分。
「こンのヤロウ〜〜〜!!!」
オトコは俺の傍に駆け寄ると、いきなり座り込んでいた俺の胸倉を乱暴に掴み上げた。
俺は力任せにぐいっと引き起こされてしまう。
「テメェ〜〜〜人ん家に勝手に……」
ヤバ! 殴られる!
「うわ〜っとっとぉ! たっつ、たんま! 俺っ! 俺だって!」
険悪な雰囲気を察して俺は慌てた。
両手を大袈裟過ぎるくらいに上げてホールドアップ。
勢いで手にしていたライトと本がアサッテの方に飛んで行く。
「……あぁあ?」
後ろに大きく振り被ったオトコの拳が、ピタリと止まった。
「な……?」
「ああ〜〜〜! 司ぁ???」
たった今まで、ヨガッテいたオンナが、先に俺の名を口にした。
全裸で二人の男女が俺を見詰めている。
「よ……よぉ」
俺は気マズくなりながら、口のハシに愛想笑いを浮べた。
「お前ぇ〜〜〜何でココに居ンの?」
「え〜っとぉ、コウん家のドア、鍵掛かってなかったし……」
俺は悪友である松永洸――コウの名を呼んだ。
* *
『金は貰っても、課長の『処女』は要りません』
そう言った後――俺は恵理のマンションを飛び出していた。
行くアテなんか無かった。
それでも俺は、恵理の居るあの部屋には……居たくなかったんだ。
ダメモトで何人か訊ねて行ったし、有紀のマンションなんか、イッちゃん最初に行った。
だけど、ゼンゼン捕まらねー。
俺はフィットをコロガシながら、いつの間にかコウのマンションに辿り着いていた。
で、カギが掛かってなかったから、コッソリと侵入……
「な、ナニ不法侵入コイテやがるよ! そう言うコトを聞いちゃいねーって」
口からアワを吹きそうになりながら、コウは面喰ってワメキ散らした。
「コウ、いいじゃん。司も久し振りに一緒スルぅ? アタシはゼンゼンいいよぉ?」
侵入者が俺だと判った冴子は、ベッドにうつ伏せに寝転がって片肘を付き、その手に頭を預けてフフッと艶っぽく笑った。
茶髪で長いウェービーヘアを、もう片方の指先に絡めて弄んでいる。
二人は水着の痕をクッキリと遺して小麦色のイイ色に日焼けしていた。
つか、焼き過ぎだろ。
冴子はOKでも、素が地黒のコウは消炭みたいだし。
「や……いいよ。俺は」
きっと、何度か二人で海に行ったんだろうな……
そう思った俺は、二人の仲の良さにチョッとだけ妬いた。
コウの彼女である冴子とは、ワケアリで俺とも関係を持ったことがある。
コウもソレを知っているし、前は何度か三人で……ってのもあった。
だけど、今の俺はそんな気分にはなれなかった。
恵理とのアノ後だ。
遠慮……しとく。
「あれ?」
コウが俺の顔を見て、ニタリと笑った。
俺はそのワケを素早く覚り、利き手で頬を覆ったが……遅かった。
「あっはあ、司ぁ、おまっつ、ナンだよォそのツラはぁよぉ? しかも、指先まで手形クッキリで……スゲーぞ?」
「う……っせーな!」
「痛ったそーじゃん?」
俺の左頬には、恵理から貰った右の手形が真っ赤に……しかもクッキリと浮かび上がっていた。
ヘラヘラと笑うコウに、俺は後ろから軽く膝カックンを仕掛けてやる。
「っせ〜な。前ぐらい隠せよ。この『コモノ』がぁ!」
続いてミゾオチに軽くフックを喰らわせた。
素早く身体を折り、腹を引っ込めながらコウは俺の拳を両腕でガードする。
「あう? ほ、放っとけ。お前と大して変わんねーじゃん」
ギャラリーになった俺のコトバに、コウは少し赤面した。
「お? そう言えば、司ナンで来たんだ? まさか……?」
「ナニごまかしてんだよ……え? 車だけど?」
アッサリと言い放った俺を見て、たちまちコウの顔色が変わった。
「ばっつ、馬鹿ヤロウ! まさか、『いつもの駐車場に停めました』ってンじゃねーだろーな?」
「そうだけど?」
ソレがナニか???
「フザケンナよ! イイかぁ? 俺まで巻き添えはゴメンだからな?」
俺は、イロをなして捲し立てるコウの剣幕に気圧される。
「多少のコトなら俺も聞いて遣れるがな、フィット絡みだけは、マジで勘弁してくれ!」
「……成和会か?」
俺は、コウの普通じゃない態度がナニを意味しているのかを覚った。
「ヤダ! 司……いっ、今、ナンって言ったのぉお?」
俺のコトバに、コウは押し黙って顎を引き、冴子は目を見張って驚いた。
「……アレでココイラをウロツイたりしてんじゃねーよ!」
「コウ……?」
「頼むからさぁ」
コウは急に情けない声を出した。
……ナニかあったのか?
「一体、どーしたんだよ?」
「つか、お前今すぐ車出せ」
「コウ?」
コウは苛立ちながら、なおも早口で俺に捲し立てた。
普段もあんまり冷静じゃねーお調子モンだが、今のコウは特別ヘンだ。
「……まだ『奴等』はお前だと特定出来てナイらしいが……」
「……?」
『奴等』って、成和会?
……だよな?
「アレからお前と別れた後に連絡があって……向井のダチが成和会の連中に襲われた」
「……え?」
「連中、峠攻めてる奴等、片っ端からヤキイレてるってよ」
「……」
「そのうち、お前のコト知ってる奴が口割らねーとも限んねーしよ……つか……おっ、俺だってイツそうなるとも限んねーからな?」
そう言うなり、コウは顔の前で両手を合わせて俺を拝んだ。
マッパでそーゆーコトすんなってぇの。
「どーしたんだよ?」
「悪ィ! 俺、先に謝っとく」
「ナニが?」
キショイじゃねーかよ。
「フクロにされたらお前のコト、マジ喋っちまうかも……」
「……アホウ」
トタンに俺の居心地が悪くなった。
んなコトで……謝ンなよ……
「じゃ、な」
「ああ。スマネーな」
結局、俺はコウの部屋から強制的に追い出されてしまった。
つか、自主的に。
理由はどうあれ、俺が遣ったコトが原因で被害者が出ていたのを知ってしまった。
これ以上居座って、コウ達に迷惑は掛けられねー。
マンションの外部通路をトボトボと歩きながら、俺は絶望を感じて宙を仰いだ。
深夜の夜空は澄み切って、幾つもの星が瞬いている――
確か、星座を習ったのは小学生の時だった……よな?
そう言やぁ俺が小四の時、爺ちゃんが死んだあの日の晩、オヤジが『爺ちゃんは星になったんだ』なんて……今時の小学生でも笑えるウソを、俺、マジで信じていたの思い出したぞ?
俺、あの星になっちゃうのか……?
なるかっつ!!!
けど……
――奴等はもうスグそこにまで来ている……
俺は消え掛けていた恐怖心が、足元から再び忍び寄り、コッソリと纏わり付いて来ているのをカンジて身震いした。
捕まれば……マジでヤバイ。
どうするよ?
マンションのエントランスから出てたトコロで、俺は駐車場に停めてあったフィットに、ウゴメく人影を見付けてしまった。
どきりと心臓が跳ね上がる。
俺は反射的にマンションの影に身を隠した。
……まさか?
息を殺して、そうっと物陰から様子を窺った。
体格のガッチリした……K-1にでも出られそうな二人組みの男が、恵理のフィットの前をウロツイテいた。
そして、短い二人の遣り取り……
「……間違いねーな?」
「ああ……連絡しとけや」
「よし」
そして携帯を掛けている気配がした。
「〜〜〜!!!」
声にならなかった。
いや、この状況で声なんか出したりすれば大変だ!
俺の血圧が、さあぁああ――――っと一気に音をたてて降下する。
せっ、せっつ、成和会の連中だぁあっつ!!!
うわぁああああ!!!
ヤバイッツ!!!
見付かったあああぁ!!!
頭の中がマッシロになった。
息苦しさから胸が苦しくなり、もの凄い恐怖に押し潰されそうになる。
今思えば、俺はこの時にそこから単身で逃げ出しておけば良かったんだ。
幾ら恵理が大事にしている車だからって……
俺は息を殺し、手前にあった植木の茂みに隠れるよう、深く屈み込んで身を潜めた。
そして駐車してある車の陰を伝って、そっとフィットにニジリ寄る――
動悸が激しくなり、近くに居る連中に聞えやしないかとハラハラした。
……頼むッツ!!!
俺を見付けるなぁあああ!!!
神様、仏様あああ……
俺は思い付いた神様の名前や、ナントカ大魔神って、聞いたコトのあるアリガタそうな名前を心の中で羅列し、必死に祈りまくり、拝み倒した。
神頼みだろーが、ナンだろーがこの際ナンでも遣ってやるっつ!!!
俺の緊張度が、百二十パーにハネ上がる。
……フィットに辿り着き、そっとケツに貼り付いた。
ヨッシャ!
ココまではダイジョウブ。
そして片手で小さくガッツポーズをした。
連中はまだ俺には気付いていない。
あとスコシィイ……
俺は震える指先で、ポケットにあるキーを弄った。
フィットのキーは、ティファニーとか言うブランドのキーリングに付けてあった。
そのキーリングにも、同じ素材で出来たプレートタグが付いている。
金属に、金属。
普通に持っていても音が出る。
俺は、恵理が付けていたこのキーホルダーが音を立てないよう、細心の注意を払って取り出した。
「……」
緊張してコメカミから汗が流れる。
心臓が先にイッチャいそうだぁああ〜〜〜
緊張から来るストレスは、俺にとって、何時間も待っていたような錯覚を起こさせる。
――俺はいつでもダッシュでフィットに乗り込めるよう、心の準備をしながら『その時』を待ち、発見されるかも知れない恐怖に堪えた……
……そして、待ち望んでいた『その時』が遣って来た。
遠くから車のライトが近付いて来た――
恐らくは、K−1な奴等が連絡して呼び出した仲間だろう。
生垣で鳴いていた虫が、人の気配を察して急にピタリと鳴き止む。
「……」
コウの居るマンションの近辺は、何棟もの同じマンションが立ち並んでいる、集合型マンションだ。
土地を共有している為、駐車場はかなり広いスペースが取ってある。
フィットの前で立っていた男達は、何箇所もあるマンションの駐車場入り口からその車を誘導するべく、フィットから離れた。
チャンスッツ!!!
連中が俺に気付いて駆け戻って来ても、追い付かれないくらいの距離とタイミングを見計らうと、俺は地面を蹴って伸び上がり、ドアに縋った。
素早くリモートキーでドアロックを解除する。
ガチャ☆
右側のゴツイホスト崩れが、ドアのロック解除音を聞きつけて足を止め、コッチを振り返った。
俺は躊躇せずにエンジンを起動させ、瞬時にサイドブレーキを外す。
動き出したフィットに気付き、慌てて二人の男が引き返して来たのが見えた。
遅せぇ〜よッツ!
車にさえ乗ればコッチのモンだ!
さっきのビビリはドコへやら……俺はハハッツと不敵に笑って余裕をカマシた。
俺は左足のクラッチを抑え気味にして、アクセルを力一杯踏み込んだ。
フィットはフロントを一瞬だけ軽く下げ、送り込まれて来たパワーをタメて開放する。
タコメータのレベルゲージが跳ね上がって標準装備のエンジンが吠えた。
フロントが浮いて、フィットが飛び出す。
「待てや! コラァ!」
連中がドスを効かせた声で怒鳴った。
冗談じゃナイ。ダレが待つんだよ?
俺は連中とは反対方向に、素早くハンドルを切った。
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