薄い
耳朶にふうっと息を吹き掛けた。
舌先で肉薄の縁をそっとなぞって行く。
「うん……」
恵理は逃げるように、俺に触れられていない方の肩を大きく
竦めた。
恵理の火照った身体が俺の肌の部分にしっとりと押し当てられる。
俺は恵理の両肩に刻印みたいに付けられた醜いアザを消すように、その上からキスをする。
そんなコトしたくらいじゃ恵理のアザは消えやしないのに……
アザの位置は、肩口をシッカリと掴めば、指先が丁度の位置に来る。
……俺よりも少し大きい
掌。
おそらくは、俺みたいな貧相なホソオモテの痩せ狼よりも、体格も立派な虎かライオン……
拒むコトはナイと思った。
恵理がご令嬢である限り、将来性のある優秀なオトコを、親が勝手に用意していたって不思議じゃない。
俺の周りには縁のナイ奴等ばっかしだったから、中々思い付かなかったこのコトバ……
『婚約者』?
つか、そう考えるのが自然だ。
否定する方がどうかしてる。
なのに恵理が俺を選ぶ理由って……ナニ?
A : 気まぐれお嬢様の火遊び
B : 婚約者に不満アリ……ナニかの映画タイトルみたいだな。
Aであれば俺はまだ救われる。
恵理が飽きてくれれば、釈放されてオサラバだ。
頼むから、Aであってくれ〜〜〜
恵理は軽く眼を閉じて、素肌に触れる俺に身を任せた。
ころんとうつ伏せに転がせ、俺は覆い被さるようにウシロから抱き
竦める。
恵理は両腕の肘をベッドに着いて、上半身を起こし、頭を
擡げた。
今度は白い
項から肩、バスタオルから覗いている背中にも、キスの雨を降らせてやる。
両脇から差し入れた俺の手が、緩んだバスタオル越しの胸に触れた。
恵理の切ない溜め息が漏れる。
肩甲骨の真ん中やや上の辺りにキスが及ぶと、恵理は身体を
撓らせて仰け反った。
「課長?」
「あん……な、ナニ?」
「オトコの寝室を襲うなんて、いい度胸ッスね? ハシタナイとかって思わないんスか?」
いいトコのご令嬢が……
「……」
「お陰で夢見が悪かったっスよ」
「
魘されてたの、あっ、アタシの……せい?」
「そう言うコトになりませんか?」
ナンでココに来たんだよ?
人が真剣に……
俺は恵理の胸を力任せに掴んだ。
「いっ! ……痛ぁい! 止めて!」
恵理の悲鳴が部屋に響く。
「うう……」
マジで痛かったんだと思う。
涙ぐんだ恵理は、黒目がちな瞳を大きく見開き、驚いた顔をして俺を見上げた。
「はい、お終い」
まだ『あの時の続きだ』とばかりにそう言って、俺は勝ち誇ったように笑った。
精一杯余裕をカマシた作り笑いを装って。
――恵理、頼むから……ホント、これ以上ココに居て欲しくないんだって……
今の俺は、成和会からどうすれば逃げられるか……つか、どうすれば助かるのかってコトだけで頭がイッパイなんだ。
暴力団=オトシマエ=死んで侘びを入れる……若しくは半殺し……って恐過ぎる図式が頭に焼き付いて離れない。
マジで余裕、ねーんだよ。
だけど、俺が成和会に追われてるだなんてコト、絶対恵理には言えない。
連中のGT−Rを潰したのは俺であって、恵理のフィットじゃない。
恵理は、『知らなくていい』コトだ。
恵理の会社――木村工業には、SPに該当する
警護官がいて、必要であれば、社長をはじめ上層幹部や要人を護衛する組織があるらしい。
これは部署のお茶室で雑談に混じった時に聞いたコトだ。
半分真実、半分デマらしいが、木村工業が業界でのトップシェアを誇っている事実がある以上、上層部の身辺警護する者が必要になると考えるのが妥当だ。
もし、そんなシステムが存在しているのなら、恵理にもしもの心配は不要だし。
大体、こんなコトでオンナをムダに怖がらせるのは、俺的にNGで好きくナイ。
……つか、成和会に怯えている情けナイ俺を、恵理に知られたくはなかった。
「部屋に……戻ってください」
「司?」
俺のコトバに驚いた恵理の瞳が大きくなる。
「う……」
言い返す言葉さえ失くした恵理の瞳から、大きな涙が毀れた。
引き寄せておいて、思い切り突き放した……
……俺、最低だ。
それでも、このままワケも言わずに黙って恵理を部屋から追い返すのは、胸が痛む。
ナケナシの良心ってぇヤツだ。
「俺、今ね、ムシの居所が悪いんスよ。だから……」
取って付けた理由を、恵理は簡単に見破った。
「ウソ」
「えっ? い、いや、ウソなんかじゃ……」
「……」
涙眼の恵理は、怒ったように手早くバスタオルを巻き直すと、さっさと部屋を出て行った。
……怒らせちまったかな?
俺はベッドの上で半身を起こし、片膝を立てた状態で恵理が出て行ったドアを見詰めた。
恵理だって、俺に聴いて欲しいコトがイッパイあったハズだ。
でなきゃ俺にあんな風に……付けられたアザを見せたりはしないだろう。
だけど俺だって、今は自分のコトでイッパイイッパイなんだよ。
「はぁ……」
思わず溜め息。
恵理に襲われ、悪夢から解放されて助かったのは俺の方なのに。
夢は眼が覚めたら消えるけど、現実はそんなに甘くはナイ。
リセット出来るものなら、今すぐにでも遣りたいよ。
成和会に眼を付けられれば、恵理だって『あの時にフィットに同乗してた女』だと炙り出されてしまうかもだ。
そうなってしまってからじゃ遅いんだよ。
恵理に被害が及ぶ前に……近いうちに、俺はココから出て行こう。
そんな気になった。
最期の頼み……『俺にフィットを譲ってクレ』は、明日言おう。
言うなら早い方がイイ。
「……」
う〜〜〜ん、それにしてもナンだかな。
俺は、自分のコトバにハマッテしまった。
『お嬢さんをください!』じゃなくって、『お嬢さんの
車をください!』。
……手切れの品じゃあるまいし。
カッコ悪……
くそ、ナンか調子……出ねーな。
俺は頭の後ろで両手を組み、そのままゴロンと仰向けに寝そべった。
「……」
目を閉じて、何度も寝返りをうつ。
「……」
眠れねー。
スッカリ眼が覚めちまったよ。
ドウシテクレル?
眼が冴えて、眠れなくなってからそんなに時間は経過していなかったと思う。
再び部屋のドアが開いた物音に、俺は驚いて飛び上がりそうになった。
ガバッと半身を起こしたい衝動を抑えて、眠ったフリをする。
辺りの状況を窺おうとそうっと薄目を開けると、俺の視界が近付いて来る白い人影を捉えた。
「え……?」
恵理……!
恵理は俺の部屋に戻って来た。
さっき出て行ったまんまの格好……バスタオル一枚で。
「ん、な……課長?」
俺は慌てて跳ね起きた。
恵理は俺の様子を窺いながら、おずおずと俺の居るベッドに近寄って来る。
ア然とした俺は、バスタオル一枚と言う恵理のセクシーな身体から眼が離せなくなっていた。
「どうしたんです?」
薄暗闇で、そっと問い掛ける。
「……」
「課長?」
俺の声に、恵理は軽く眼を伏せた。
「俺、さっき言いませんでしたっけ?」
『お終い』って。
ナンで戻って来るんだよ?
怒り半分、嬉しさ半分でスゴク複雑な心境だ。
俺の声で、怒ってると判るハズなのに、恵理は黙って近付いて来る。
ちぇ……オカマイナシでシカトかよ?
お嬢様ってーのは……
俺は、警告されても近寄って来る恵理の無神経さに、多少なりとイラついた。
……金持ちは金さえ払えば自己中も許されるとでも思っているンだろうか? って思われても、仕方ない行動を取るんだな?
恵理はすぐ目の前まで来ると、黙って右手を俺の目線にまで持ち上げる。
? ……ナニか持ってる。
「……これ……」
恵理の突き出した右手を見て、俺は鼻白んだ。
その手の中には、カードみたいに拡げた三枚の万札があった。
「……そ、それ……」
うわ、久し振りに見る福沢諭吉ぃ!
だけど恵理はナニが言いたいんだ?
恵理は俺の驚いた表情を見て、ニッコリと微笑んだ。
「コレで、司を買えば良い?」
「え……?」
一瞬、コトバを失くしてフリーズする。
聞き……違いか?
かっつ、『買う』?
『買う』……って、言わなかったぁ? 今ぁ!
「コレで、アタシが司を買うの」
な、なんだとおぉおお〜〜〜!!!
「マッ……マジ? ア、ア、アタマ、大丈夫ッスか?」
声がドモッて裏返った。
俺、課長に援交なんて、頼んでなんかいませんが???
い、いや、落着けっつ!!!
この場合、支払う意志があるのは恵理の方だから……こっつ、コレって逆援交ってヤツ???
「ううん。正気」
いや、チョット待て。
カルイノリで答える恵理に、突っ込みを入れてる俺……って、ンな場合じゃねーだろよ?
「しょ、正気……って……」
「うん」
「……」
本気だか、冗談だか判らない。
恵理の明るい返事に、ドン退きしてしまう。
「コレなら文句、ナイでしょう?」
「……」
あのなぁ……『文句』って、ナンだよ?
俺が恵理とえっちする為には、金が必要だって思ったのか?
俺達のカンケイって、そんなモノなの?
金どうこうでケリが付けられると思われているのなら、心外だ。
俺は恵理の自信ありげな言い様に、急にハラが立って来た。
「ナニ……? 課長から見れば、俺娼夫?」
ん、なワケねーだろッツ!
「コレ、要らないの?」
恵理は手にした万札をヒラヒラとナビカせた。
ああっつ、福沢諭吉が……視線が諭吉を追い掛ける〜〜〜っつ。
い、いかん!
恵理になんだかんだ言って怒っても、所詮は貧乏人の俺だ。
無意識に、視線が福沢諭吉を追い掛けてるんだから情けナイ。
だけど、今の恵理って……
「そんなコト、ドコで覚えちゃったんです?」
まるで、何処かの飲み屋での下品な『客』みたいだ。
俺は溜め息混じりにそう言った。
ソコマデして俺とヤリたいのかよ?
「……え?」
ニコヤカに笑っていた恵理の表情が強張り、手が止まった。
「イイトコロのお嬢さんが……ヤルコトじゃないですよ?」
「……」
俺のコトバに、シュンとした恵理。
さっきの威勢はドコへやら……だ。
趣味のネット小説とやらで、逆援助交際の話でも読んで知恵付けて、真似したくなったってーのが、バレバレなんだよ。
どんな小説かは知らねーがな。
「前にお仕置きしたばっかりなのに……課長ってば、ゼンゼン懲りてませんねぇ?」
ごく……
恵理の喉が鳴ったのが聞えた。
俺はクローゼットの中にあったバスローブから、ベルト用のヒモを外した。
恵理はベッドの端に座り、じっと俺の手元を見詰ている。
『ナニするのよ?』
恵理の視線がそう俺に問い掛けているみたいだった。
俺はソレを恵理の傍に置き、座っている恵理の前に
跪いた。
ヒモは暫らく、そのままで放置。
「また、縛られると思いました?」
それはア・ト・デ。
でもホントーは、いつ殴られるとも判らない恵理を、サッサと縛り上げたい気分だけどね。
恵理の両手を自分の手で包み込むように取ると、俺はイタズラっぽく笑って恵理を見上げた。
「……うん」
恵理は俺の笑顔を見て緊張が解けたのか、ホンの少しだけ表情が和らいだように見えた。
「俺が三万っスか? それとも課長が三万円?」
ドッチだろ?
恵理は目を合わせられなくなったのか、恥らうように俺から視線を逸らせた。
「さ、さっき……言わなかった? つ、司を……買うって」
オイオイ、声が震えているぞ?
ダイジョウブかぁ?
「はぁ俺? 三万って……安ッツ!」
「え?」
不満げな俺の声に、恵理は不思議そうな顔をした。
「俺、学生ン時にホスト遣ってたんっスよ?」
「な、ナニ……く、口から出任せ言ってンのよ……学生で……って、で、出来るワケないでしょっつ?」
くすっ……
真剣な顔をして俺のコトバを否定している恵理が、妙に可愛く見えた。
お嬢様だからこそ、俺みたいな奴等の『そんな部分』は見えてないってコトかな?
恵理は本気で信じてはくれなかったケド、コレはホント。
年齢なんて簡単にサバ読める。
その時は、事故の返済金や修理代でど〜しても生活出来なかったから……つか、事故る度に金が必要になってホストを遣っていた。
純真無垢の俺はドコへやら……高額金欲しさにエスカレートしてしまい、客とのえっちに目覚めてしまった。
俺の生活状況がオカシクなったのもこの辺りからだ。
あんまりイイ思い出じゃねーな。
今回も退院後、夜間にホストをすればナントカ生活出来たかも知れねーし、モチロンそうなれば恵理とも出逢えなかっただろう。
だけど、俺は今度はそうしなかった。
俺は水商売自体を非難しているんじゃない。
社員として本採用された者が副業を持つコトを、木村工業は社内雇用総則での禁止項目として挙げている。
これが他社だったら、俺は多分ヤッテいたと思う。
例え木村工業と同じく社員の副業が禁止されていたとしていても……
それだけ、俺には恵理の父親――社長が特別な存在だった。
俺が木村工業に就職を志望した動機はモチロンあるが、ソレはまた別にするとして……
どういったイキサツがあったのかは知らねーが、普通、大企業の社長自らが、俺ゴトキ新入社員の事故見舞いに、多忙を極めている自分の予定を削ってまでワザワザ来てくれるか?
本採用されている俺がホストの副業をすれば、こんな俺でも採用してくれた大恩のある木村工業の社長に対しての『裏切り行為』だ。
だから、貧乏のドン底に蹴落とされても、地べたにハイツクバッテでも、絶対にそれだけは出来なかったし、遣ろうとも思わなかった。
「信じて貰えなくっても、別にイイですけど……ね?」
俺は恵理と視線を絡ませたままで、恵理の右手を持ち上げた。
そして、その甲にそっとキスをする。
「な、ナニ? いつもの司じゃない?」
慌てた恵理がその場をチャカそうとするが、俺は完全にムシしてやった。
今の恵理の背筋は、トリハダ
状態になっているのかも。
雰囲気に酔わせて……あ……ダメだ。
もう、モタナイ……
思わず顔を逸らせた。
「くすっつ……くっくっくっ……」
「?」
イキナリ肩を揺すって吹き出した俺を、恵理はまたしても不思議そうに見詰めた。
ダメだな俺、スッカリ似合わねーキャラになってんの。
「あ? ゴメ……俺的に……つーか、これ以上はムリ」
「……何のコト?」
「課長のナイトに、俺は向かねーってコトですよ」
「?」
恵理は俺のコトバに小首を傾げた。
俺は恵理の『素』のリアクションに折れちゃったみたいだ。
しゃーない、三万円分頑張りましょ〜かね?