「あーしたっつ!(ありがとうございました!)」
俺はコウ達が帰った後も居残り、オヤジの工場に納品に来た卸業者の後姿を見送っていた。
「オヤジぃ」
「あんでぃ?(何でぃ?)」
オヤジは、積み上げて納品された※−1)ブレーキライニングの入った箱を、奥の倉庫へと移動させているトコロだった。
モチロン、俺も手伝っている。
「メーカー変えた? 前はミニアスだったろ?」
ミニアス社は車の足マワリ関係、主にブレーキ部分やパッキン関連を取り扱っている地元の会社だ。
中小企業ではあったが、他県の大手企業の製品と比較しても何ら見劣りしなければ、精度上でも問題は無かった。
むしろ、注文後の輸送時間や手間暇のコストを考慮すれば地元であるミニアスとの取引は手堅い。
県内での需要も高い、成長株の会社だった。
「ああ」
オヤジは俺の言葉にアイヅチを打つ。
「ナンで? ミニアス社製品は、俺の会社でも取り扱ってるよ? 儲かってるって……」
「ソイツは単なる噂じゃろうが?」
俺のギモンに、オヤジは歩を止めてゆっくりと振り返った。
オヤジは面白くなさそうに顔を顰め、ツラレて立ち止まった俺の顔を覗き込む。
「ん、なっつ……?」
自然と俺は仰け反った。
怖え〜よ、オヤジ、アップになるな〜〜〜。
「あそこのはな、まだアスベストが混ざっとるのよ」
「え?」
アスベスト――石綿。二〇〇四年には石綿を一パーセント以上含んだ製品の集荷が原則禁止になり、アスベストを含有した製品を取り扱っている各関連会社は、その代替品を打ち出して自社製品の安全性を
提唱した。
要するに、人体に有害な物質が出るアスベスト製品を廃止して、ノンアスベスト製品を取り扱っているのが当然になっていた今どきにも関わらず、製品を廃止せずにノンアスベストだとウソを吐いて取り扱っているらしい。
「それって捏造? 詐欺じゃん?」
木村工業でも取引のある会社だぞ?
ヤバイだろ?
おれの言い様にオヤジはナオも付け加えた。
「デカイ会社なら簡単に製品の代替が出来るがな、小せぇ会社じゃそれも
儘ならんってぇな……あそこの社長はワシもよ〜知っとる。じゃが、コッチも商売じゃからの。ワシは手を切らせて貰ったんじゃ」
オヤジは唸るようにそう言って、視線を落とした。
「……」
俺には、大柄なオヤジの背中が小さく見えたような気がした。
* *
壁掛け時計は、もう十一時半を過ぎている。
「……オソイ!」
駄目モト半分で一時間前に携帯GPSで確認したら、このマンション内に恵理が居るコトが判った。
だけどあれから一時間……恵理は一向に帰って来る気配がナイ。
ダイニングテーブルに座っている俺の目の前には、まだ盛り付けされていない器が二人分セッティングされていた。
今日のメニューは激辛カレーとサラダ。
作る時、俺は昼間の恵理に頭に来ていたから、イタズラ気分でカレーを激辛にしてやろうと企てた。
で、作っている途中、恵理が『晩御飯要らない』って言ってたコトを思い出したんだ。
まあ、余ったら明日食えばイイコトだし……
『要らない』って言ってたけど、ヤッパリ待つコトにしていた。
俺から恵理に頼みゴトもあったし……遅くなるって言ったって、お泊りになるようなコトは言わなかったし。
そんなワケでお預け状態。
やっぱり『マテ』状態のイヌだよな?
ぐうう……
ハラ……減ったぁ……
換気扇をフルに廻しているが、今となってはイタズラで作ったカレーの匂いがツライ。
思いっ切り空きっ腹にコタエる。
冷凍庫にハーゲンダッツを見付けてたけど、コレを食えば恵理の機嫌が更に……つか、逆鱗に触れそうな気がしてたから止めにした。
「う〜〜〜早く帰って来い〜〜〜」
俺は空腹を訴えるハラのムシを宥めスカそうと、ガムを口に含んだ。
もう一度携帯で居場所確認。
……やっぱり恵理はこのマンション内のドコカに居るハズなんだ。
帰って来にくいのか?
俺は居候だし……自分の家だぞ?
「……」
ムダに時間が過ぎているように思えた。
捜しに行くか。
俺はパジャマになっていたのをTシャツとジーンズに着替え直し、恵理を捜しに行こうと玄関のドアを開けた――
「うわっつ?」
「!」
ドアを開けた俺の目の前に、スーツ姿の恵理が顔を伏せて幽霊のように突っ立っていた。
「……」
恵理はゆっくりと俺を見上げる――
その瞳には全く怒気はナイ。
つか、まるで叱られて、凹んじまったコドモみたいだった。
ココを出て行った時とみたいに、修理工場で見た恵理の凛としたカッコイイ姿はドコにも窺えない。
……ナニかあったのか?
「ホントーに……遅かったスね?」
俺は目の前に居た恵理の姿に驚いたコトをハグラカスよう、穏やかに言ってアイソ笑いをした。
「……」
恵理の唇が微かに動くが、ナニを言ったのかは聞き取れない。
「ドコ行ってたんスか? 差し支えなければ居場所くらい……いっつ?」
イキナリ恵理は俺の首に縋り付いて来た。
俺は思わず
後退りして、片手で押さえていたドアを放す。
投げ飛ばされるかぁあ???
俺はトッサに身構えた。
「うわ、ゴメンって、課長のフィットを俺にクレッって言うのは冗談ん〜んっつ???」
俺のセリフが奪われた。
恵理は突然、両腕を俺の首に廻してキスをして来たんだ。
「んっ……ん???」
ばたん……
玄関のドアが俺と恵理をのみ込んだ。
俺はそのまま恵理に玄関で押し倒されている。
本当は、俺が倒されて遣ったんだけどね。
「んん……」
恵理から俺にキスを要求して来たのは、コレが初めてだった。
様子がヘンだ。
お世辞でも上手とは言えない恵理のキス。
でもコレが意地っ張りな恵理からの、遅い帰宅の侘びだとも思えた。
「何があった?」
俺は軽く力を込めて恵理の頭を引き離し、マジな低い声で囁いた。
ごつん☆
あうっつ……痛えぇ〜……顎に頭突きされたよ……
俺はシリアスには向かねーな。
「う……ぐすっ……」
え? 泣いてる?
恵理は俺を押し倒したまま、急にポロポロ大粒の涙を溢した。
俺はそれ以上恵理を問い
質せなくなってしまった。
「……課長? 夕飯、ちゃんと食って来ました?」
「……ううん」
恵理は声を押し殺して泣きながら、首を横に振った。
「ダメでしょう? ちゃんと食べないと」
「ひっく……うん」
恵理は何度もしゃくり上げる。
「俺も……実はマダなんっスよ。一緒に……食べますか?」
「……うん」
ヤッパリ今はナンにも聴けね〜な……
俺をベッドにしたまま、恵理は暫らくすすり泣いていた。
俺は恵理を押し退けるコトが出来なかった。
ナニが恵理を泣かせた?
俺か?
怒らせるようなコトはショッチュウだが、この恵理を泣かせるまでに至ったコトは、今のトコロ遣っていないツモリだが……?
「ぐすっ……司?」
「はい?」
恵理はぐしゅっと軽く鼻をススルと、俺から身体を離した。
「アタシを……見て?」
そう言って、シャツのボタンに手を掛ける。
ゆっくりと第一ボタンが外され、第二ボタンに手が掛かって、恵理の深い胸の谷間が見えた。
薄っすらとアザのようなモノが白い胸元に残っていた。
それは俺が昨夜付けたキスマークなんかじゃない。
フザケて付けたキスマークはトックに消えているハズだ。
うわ、うわ、まさかココで……?
「ま、待った!」
俺は慌てた。
基本、俺は『攻め』タイプだ。逆だと調子が出ないし、退いちまう。
俺の声に、恵理は驚いて手を止めた。
上体を起こした俺は、片手で課長の頭を引き寄せて、軽く唇を重ねた。
「メシにしましょ? 課長のハナシはアトで聴きますから」
しまったぁ……
そう言った後、俺は心の中で今日のメニューをサンザン後悔した。
……あんなの作るんじゃなかったよ〜〜〜
イタズラに作った激辛カレーが恨めしく思えた。
* *
「……ごちそうさま」
サラダだけ食べると、恵理は弱々しく言って立ち上がった。
フラフラと上体を揺らし、身体を重く引き摺るようにして部屋に向かう。
「……」
ぱり……
最期に残していたサラダに食い付きながら、俺は恵理が消えて行った部屋のドアを見詰めた。
恵理の暗い表情が頭に焼き付いて離れない。
今、恵理は自分のコトで精一杯。
俺の相談ゴトが介入出来る余地なんてなさそうだ。
どうしようか……
俺は迷った。
『フィットを俺にくださいよ』
玄関先で恵理に口走ったコトバ……恵理は俺の言ったコトなんて聴ける余裕はなかったハズだ。
コウ達から、俺は自分が暴力団である成和会に狙われているコトを知らされた。
『奴等は白いフィットのドライバーを捜してる』――
コトの起こりは恵理の美貌だ。
コッチは奴等を覚えてねーが、向こうにはトックに俺達の……つか、恵理のメンが割れている。
しかも俺は奴等の新型GT−Rを潰したコトになっているらしい。
二人共、見付かれば……ヤバイ。
ハナシを聴いた俺は、オヤジのトコロから戻って来る時でさえ、内心ビクって怯えていた。
恵理が帰ってくる間、ずっと独りで居るのが怖かったし、モチロン恵理が無事なのも祈っていた。
警察に……とも考えたが、現時点では俺が奴等に対しての加害者だ。
下手すりゃ被害者の連中が成和会とも知らずに、俺を引渡し兼ねねー。
しかも俺は交通違反の常習犯だった。
前科者の俺の言うコトなんか……ダレが聴くかよ……?
「……マジかよぉ」
俺はテーブルに座ったまま、両手で頭を抱えた。
恵理が無事に戻って来て安心したアト、俺は言い様のナイ焦燥感に襲われた。
次々とこみ上げて来る不安と恐怖に震えが
奔る。
さっきの恵理の様子じゃねーが、追詰められた心境に堪らなくなって、ナンだか泣き出したくなる。
正直、今すぐにでもココを飛び出して恵理のフィットを廃車処分にし、俺がフィットのドライバーだったって事実を
隠蔽して消去させたい……
だけど、フィットは恵理の車だ。
『アタシのフィットに傷を付けたら承知しないんだからぁ!』
GT−Rの連中を振り切るタメ、無茶をした俺に向かって叫んだ恵理のセリフが脳裏に
過る。
はぁ……
どうすればイイんだよ……?
「……」
軽く溜め息を吐くと、俺は後片付けのために立ち上がった。
カチャ、カチャ……
食器をトレーの上に積み上げる。
……俺だって命は惜しいさ。
死刑執行が確定している囚人になった気分だった。
しかも執行日は未定で、それがいつどういったカタチで執行されるのか判らない。
※−2)
恩赦ナシの無期限……ときた。
気が重い……
俺はノロノロと食乾機(食器洗浄乾燥機)に食器をセットすると、憂鬱になりながら
自室へと引っ込んだ。
* *
暗闇の中、俺は何人もの男達に囲まれていた。
俺は恐怖で呼吸を乱し、カッと見開いた眼がこの場からの出口を求めて、
忙しく宙を泳いだ。
「押さえてろ!」
怯える俺を
嘲笑いながら、男はチェーンソーのリコイルスタータを引いた。
二、三度乱暴にスタータを引くと、チェーンソーが不気味な音を立てて唸リ出す。
周囲には、ガソリンエンジンの異臭が充満した。
俺は
跪き、上体を軽く屈める格好で両腕を左右に拡げさせられていた。
男二人に腕を片一方ずつシッカリと押え付けられている。
呼吸が更に激しく乱れた。
「う……うわぁ……止めろぉ!」
俺は気が狂ったように首を振り、あらん限りの力で抵抗して暴れ出す。
「アッツ!」
後ろから、乱暴に前髪を鷲掴みされ、強制的に顔を上げさせられた。
恐怖で涙が止まらない。
「へへ……諦めな」
見苦しく暴れる俺に、腕を押さえている男達が冷たく言い放つ。
「イヤだ!」
俺の目の前で、男はチェーンソーを使って木製の椅子を意図も簡単に分断した。
ソイツでどうしようって……?
決まってる!
俺もその椅子と同じ運命だ!!!
「はあぁ……」
タスケテ……!
命乞いしたいが、声にならない。
恐怖で全身が
戦慄いた。
脂っぽいイヤな汗が、ジットリと俺の背筋を伝う。
「先ずは右腕からだ……気を失わないようにブッタ斬って遣らぁ。よ〜く見てろよ?」
「う……うわ……」
男達の含み笑いが、俺の恐怖心を否応無しに煽った。
チェーンソーの刃が、ゆっくりと俺の方に向けられる。
高速回転する外刃がピタリと二の腕に宛がわれ、青白く光る刃先が俺の身体に潜り込んだ。
俺の悲鳴がチェーンソーのエンジン音に掻き消される――
「はっ?」
俺は恐怖と息苦しさのあまり眼が覚めた。
ガクガクと震えながらも右手を持ち上げる――
「……」
あるべきハズの俺の腕は、ちゃんとソコにあった。
生きてる……
夢だったんだ……ヨカッタァ。
俺は額に吹き出した汗を片手で拭うと、ほっと胸を撫で下ろした。
「う……ん?」
だけどまだナンか息苦しい……
眠ってから、どのぐらい時間が経ったんだろう?
何かが俺の胸の上に乗っているみたいに重……ああ?
「んぁあ? ……か、課長?」
……恵理?
恵理は俺の胸の上に覆い被さるようにして
圧し掛かっていた。
通りで息苦しかったハズだ。
俺が眠っている間に風呂に入っていたのか、シットリと潤った柔肌にバスタオルを巻き付けているだけの姿だった。
「つ……かさぁ……」
眼が覚めた俺に気付いた恵理は、今にも泣き出しそうな顔をして俺を見上げて来た。
艶かしいピンク色の唇と、細い顎のライン。そしてその下に続くバスタオルから大きく盛り上がった胸が、クッキリと谷間を覗かせていた。
俺はゴクリとナマツバを飲み込んだ。
「な、な、ナンで……」
そう言ってから、俺はハタと思い出した。
探るような俺の視線が、恵理の胸元で留まった。
薄暗い室内でも、恵理が俺に見せていた左胸のアザがハッキリと判った。
肩口にも幾つか付いている。
ドキン……
俺の心臓が乱されて音を立てた。
それが乱暴されて受けたアザだというコトを、俺は簡単に見抜いていた。
恵理、もしかして誰かに……許したのか?
可能性は十分にある。
恵理だってコドモじゃない。
ホントウは、恵理の戻って来た時点の様子から、俺はオボロゲに予測していたんだ。
「あ? ……ああ、ゴメン。俺、課長のハナシ聴いてあげてませんでしたよね?」
俺は戸惑いながらも恵理の腕を軽く掴んで起き上がる。
=「……やだ……」
俺に促されて起き上がった恵理は、聴き取りにくいホドの小さい声で囁いた。
「……え?」
俺は躊躇いながらも聴き返す。
「う……ぁたし……やっぱり、司とじゃなきゃヤだ」
「!」
イキナリ恵理に襲われた。
ガバッと両腕で縋り付くように首を抱き締められる。
「あぐううっつ……」
気道を強く圧迫するように押え付けられて、ヘンな声が出た。
拳法三段、空手初段……有段者の恵理の腕は見掛けよりも強力だ。
本人が意識して手加減してても、それでも強い。
「……司とじゃなきゃダメ……やっぱりダメなの」
甘える恵理の声に、俺の思考回路がショートする。
何のコト???
突然のこの状況を把握出来ずに、俺は焦った。
どうやら恵理は誰かに……多分、携帯のカレシに許そうとしたが……邪念(俺かよ?)のせいで、その第一線を踏み切れなかったみたいだ。
「課長……?」
「ヤダ、『恵理』って……呼んでよ?」
恵理の瞳からポロポロと涙が毀れる。
その涙に、俺は罪悪感を抱いてしまった。
「……出来ません」
「司ぁあ」
甘えた恵理の吐息が、俺をクスグル。
俺は首に縋り付いた細い腕をゆっくりと解いた。
「どうして?」
「……ムリです」
俺は恵理の視線から逃げて眼を逸らせた。
そんなコト、今更俺に言わせるのか?
だけど……
「うんっ……」
軽く首を傾げて恵理の柔らかな唇を奪った。
恵理は俺のキスに浅く、深く応えながら、差し出した俺の舌先に戸惑いながら自分の舌を絡めてくる。
『司とがイイ』って言ってくれた恵理の言葉に、俺は大袈裟だが感激していた。
初めて出逢った時、これほど憎たらしい馬鹿女は見たコトが無いと思っていた……
なのに、今はゼンゼン違っている。
愛おしくさえ思えてくるのは、もう、俺には未来が見えていないから……なのか?