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第一部 邂逅編
6 神様の力
「今のはいったいなんだったんだ? 病気か何かか?」
「いや、これは人間がかかるような病ではない。簡単に言うと、わしという存在が、消えかかっていたのじゃ」
「存在が、消える? 幽霊だから?」

 春臣が真顔で訊ねると、彼女は不快そうに額に皺を寄せた。先ほどの勢いを取り戻したようで、ぴょんと立ち上がる。

「……お主、そんなに死にたいのか?」
「はあ?」
「先ほどから何度も言っておるように、わしは幽霊なんぞではない! 絶対で、人が畏怖すべき高貴な神だと言っておろうが! その二つの耳は何のためについておる! このたわけが!」

 そう言われても、こんな威厳の欠片も無い小さな彼女では、春臣には何の迫力も実感もない。挙句の果てに、

「もしかして、この家に憑いてる座敷童とかか? だから、この家から出ようとするとああなったんだろ」

 と、こんなことを言い出す始末だ。
 すると、彼女は説明することを諦めたのか、ふうっと深い溜息をつく。

「……もうよい、そんなに信じぬというのなら、やはりここは実力行使じゃな。物分りの悪い手合いには、力の差を見せつけるのが一番じゃ」
「何か手品でも見せるのか?」
「そんなちゃちなものではない。ぬしが愚弄したわしがどれほどの神威を持っておる崇高な神であるか身をもって知り、恐れ、慄き、ひれ伏し、命乞いするがよいのじゃ!」
「はあ、左様で」

 どうでもいい春臣は椅子に座り、ぱたぱたと片手で顔で扇いだ。

「余裕でいられるのも今のうちじゃ、神力を取り戻したわしの真の実力を見せてくれよう!」

 そう力強く啖呵たんかを切った彼女はその気になったようで、指先までかかった袖をまくる。何が起こるのかと見ていると、ふいに右手を後ろに持っていった。

 その手が後ろ髪を束ねていた鈴付きの太い針のような簪を掴む。

 そして、春臣と目が合った彼女が刹那、あやしくにやりと笑うと、ためらいもなく一気にそれを引き抜いた。

 しゃりん。
 簪の先端についた鈴が揺れ、常闇を照らすような綺麗な音を奏でる。

 結われていた彼女の紅蓮の髪が、いともたやすくはらりと解かれ、それがまた光を受けながら、鮮やかな輝きを見せた。

 さながら、コマ送りのように。

 可憐に揺れた、

 それは、緋のうねり。

 目の前で見ている春臣には、それが、まるでこの世のものでないような、神聖で、鮮烈な、舞い散る花の美が具現したような、そんな強烈な印象を受けた。

 はっと喉を掴まれた様に、息が止まる。

 そして、今度は彼女が引き抜いた簪に目がいった。
 美しい髪に気を取られてすぐに気がつかなかったが、いつの間にか彼女が引き抜いたはずの簪は、なんと別のものに変わっていた。

 その名を春臣は知らなかったが、それは神楽鈴と呼ばれ、持ち手と反対の柄の先端を囲むようにいくつもの鈴が段々に取り付けられた神楽舞に使用される道具であった。

 そして、彼女はその神楽鈴を両手で支えるように持つと、頭上高くに掲げ、念を込めるように目を閉じる。
 その瞬間、ぴりりと春臣の頬の辺りの筋肉が引きつるように反応した。

 なにか、ただならぬことが起きそうな雰囲気である。

「うわ、待て。止めろ!」

 しかし、声で制すも時既に遅し。
 精神集中の極みに達した彼女はためらいもなく、空気を袈裟切りで両断する。

「はあっ!」

 しゃりりん。
 思わず、春臣は両手で目を庇った。
 どうなるんだ?

「……」

 しかし、何も起こらない。
 ふわっとした空気が前髪の辺りを掠めたといったくらいで、何か体に異変があるわけでもないようだ。

 しっかり五秒経って、恐る恐る目を開けてみると、そこには神楽鈴を振り下ろしたままの彼女がいる。

「あれ?」
「何だ、何も起こらな……?」

 言いかけて、春臣はあることに気づく。
 妙だ、どうにも彼女の様子がおかしい。
 先ほどよりも一センチほど縮んだような。

「な、な、なにごとか!」

 どうやら彼女も自身の視線の高さが低くなったのに気がついたのか、右往左往としている。

「あんたが小さくなったのか?」
「まさか、こんなはずでは。おい、これはどういうことじゃ」

 完全に我を見失った彼女が判る筈も無いことを訊く。

「そんなもの、こっちが訊きたいところだ」

 ただでさえ、この少女の存在が意味不明なのだ。これ以上頭の中に疑問を詰め込んだところでまともに返答できるわけがない。

「うん? 待てよ。そもそもわしは……」

 すると動きを止めた彼女は不思議そうに服の袖を持ち上げて自分の姿をしげしげと見始めた。

「どうした?」
「ううむ、そういうこと、なのか?」

 なにやら独り言を言いながら考え込んでいるようだが、春臣には皆目分からない。
 そこで少しの沈黙があり、耐え切れず春臣が質問した。

「それで、神様。俺はこれからあんたに何をしてやればいいんだ?」
「お、ようやく神だと信用したようじゃの。わしの力、恐れ入ったか!」

 春臣からの呼び方が変わったことに彼女の顔がぱっと花咲くようにほころぶ。

 しかし、力の差を見せるなどと大見得切っておきながら、自分が縮んでいたのでは、正直春臣にとって説得力の欠片も無い。

「恐れ入ってないけど、とりあえずはあんたのことを信じることにするよ。それだけ必死なんだしな」

 一生懸命徒競走を走りきった子供を褒めてやるような感覚で春臣は言う。

「む、なんだかわしが人間にとてつもなく低く見られておる。蔑みの視線を感じるぞ。ぐぬぬ、この屈辱、どうしてくれよう」

 やはりその言い草が気に入らなかったのか、彼女は歯軋りをした。
 まあ、言葉のとおり、春臣は彼女を上から低く見ているのだが。

「ともかく、あんたはここに居ればさっきみたいなことにはならないってのか?」
「そうじゃな。とりあえずは安全のようじゃ。この通りぴんぴんじゃからの」
「それで、これからどうする?」
「そうじゃのう、わしやこの状況に対する説明はおいおいすることにして、まずは……」

 すると、彼女は意味ありげに流し目で春臣を見る。

「先ずは?」
「わしは腹が減っておるぞ」
「それで?」

 うんざりするように聞くと彼女は、

「何か旨い食べ物を持って来い。話はそれからじゃな」

 と召使と相対しているかのように命令する。
 まるで、すでにこの家の主の地位は乗っ取ったと言わんばかりの厚顔無地こうがんむじっぷりである。

「……」

 その横柄な態度に何も言い返せなくなる春臣。
 ともかく、そういうわけで春臣は突然自宅に現れた神様の接待をすることになったのである。


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