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第四部 瀬戸さつき編
59 一難去りて 1
「なるほど、そういうわけが……」

 ちゃぶ台の前に座ったさつきがごとりと湯のみを置く。

「だいたい事情は分かりました」

 乾坤一擲の大勝負の後、事態の説明に応じてくれた彼女を、春臣たちは自宅の居間に招いていた。
 勝負に勝った春臣の求めに応じ、臨戦態勢を解いた彼女に、緋桐乃夜叉媛や、異空間にまつわるこれまでの経緯を最初から説明をしていたのである。かれこれ、もう三十分ほど経っただろうか。

 いつぞやのように、全てを話すのには時間がかかるため、重要な部分だけをかいつまんで説明したが、どうやら彼女はそれで理解をしてくれたようだった。さすがに巫女だけはあって、神に対する知識はそれなりにあるらしく、逆に春臣が説明できない部分を彼女が補足してくれたりもした。

 そうしているうちに、彼女の中から敵意の熱は消え去ってしまったようだった。今は、数十分前の戦士のような凛々しさはどこへやら、一転して、穏やかな表情を浮かべている。
 とはいえ、媛子が置かれている状況が、耳にした事のない特異な事例だったためか、興味深げに頷きつつ、机に出していた和菓子には手もつけないで、落ち着かないのかお茶だけを三杯もお代わりしていた。

「もう一杯、いただけますか?」

 そしてこれで、四杯目だ。

「いいよいいよ。いくらでも飲んでくれ」

 湯のみを受け取って立ち上がりながら、春臣はそっと彼女の方を窺うと、物憂げにため息をつきながら、すでに庭に目を向けている。
 どうやら、これまでの出来事と照らし合わせながら、状況の整理に取り掛かっているらしい。
 しばらくはそっとしておいた方がいいだろう。

 春臣は台所に向かい、コンロの火にやかんをかける。急須の中のお茶はすでに空っぽなので、新しいものを沸かさなければならない。

「はあ……」

 しかし。骨が折れたものだ。

「榊君?」

 声がして振り返ると、背後に立っていたのは椿だった。

「お菓子のお代わりは、ある?」

 先ほどの騒動が終わった後で、この少女だけは能天気だ。

「冷蔵庫の中」

 と指で示す。

「おお、おおきに」

 礼を言って、椿はいそいそと冷蔵庫のドアを開け、羊かんの箱を取り出している。そんな彼女を見ていた。ふいに、以前、媛子のことを彼女に説明したのを思い出す。
 あれは中々に、まさしく骨折り損という名に相応しい徒労で、彼女は春臣の説明を聞いた後で、全然分からない、という内容の事をぬけぬけと言ったのである。
 一年しか歳が変わらないというのに、同じ話(彼女の場合は端折っている)を聞いたさつきとは大違いだな。と春臣は思う。
 可能なら今からでも慰謝料を頂きたいものだ。

 しかし、そんな春臣の気持ちも知らず、鼻歌を歌いながら羊かんを刻む彼女は、いつでも楽しそうだ。

「あんまり甘い物食ってると、太るぞ」

 横目で彼女を見ながら言うと、

「ええもん。むしろうちはもう少し太った方がいいって、母さん言うてたし」

 と多めに羊かんを切っている。

「ああ、確かに。体型的に、青山は少し痩せ気味だよな」

 春臣はちらりと彼女を頭から爪先までを流し見る。痩せすぎという分類ではないにしても、もっとご飯を食べてもいい気がする。

「せやねん。それに、もっと大きいしたいとこもあるし」
「大きくしたい? 身長か?」
「えっと、な、なんでもない」

 するとなぜか頬を赤らめ、自身の胸元に目を落とす。そして、慌てたように切り終えた羊かんを皿に移し始めた。

 まあ、そんな彼女はさておき。
 お代わりと言えば、思い浮かぶあの神様はどうしたのだろう。
 考えてみれば、先ほどから説明を春臣に任せたままで、彼女は何も話していない。

「それは媛子の分も入ってるのか?」
「え、ううん」

 彼女は首をふる。

「媛子ちゃん、さっきからお菓子食べてへんもん」
「そりゃまたどうして?」

 彼女が好物を目の前にして、手を出そうとしないとは、天変地異の前触れかもしれない(神様であるだけに、なんとなく洒落にならない)。
 椿が咎めるような目つきで春臣を見る。

「そらあ……榊君が胸に手ぇ当てて考えてみたらどうなん?」
「あ、ああ、なるほどね」

 気まずい汗が垂れた。やはり先ほど彼女を泣かせてしまった罪は重いようだ。必死に謝る春臣を一応許してくれた媛子だったが、やはり、大うつけ者が出す食べ物など食えるか、という無言の怒りの表れなのだろうか。

「もっとしっかり謝罪をしないとだめか?」

 つぶやきつつ居間に戻ると、相変わらずさつきは窓の外を眺めており、少し離れたちゃぶ台の上で、媛子は椿が言ったように、羊かんを前にして黙然と考えに耽っているようだった。両者の間に友好ないし非友好的な会話が交わされた形跡はない。
 意識的にお互いが避けていたのではないのだろうが、つい数十分前までは、敵同士だったのだ。この空間に横たわる沈黙には怖いものがある。

 とりあえず、媛子は後回しにして、

「瀬戸さん?」

 向かいの少女に声をかけた。

「あ、はい」
「それで、さっきのことなんだけど」
「……そうですね」
「俺の拙い説明だったが、いろいろと複雑な事情を理解してもらえたと思う。まあ、あれだけで全部そちらさんが納得したとは思ってないけど、少なくとも媛子は、この町を乗っ取ろうだの、人々を脅かそうだなんて、そんな大それたことをするやつじゃないんだ」

 これには素直に巫女服の少女は頷いた。

「はい。どうやらそのようですね。こうしてじっくりお話しを聞かせてもらって分かりました。それに、どうやら夜叉媛様からは、神独特のオーラを感じます」
「そうか、理解してくれてうれしいよ。でも、神のオーラか。へえ……」

 ぼうっと彼女を、その小さき様を見て、感心のため息をつく。やはり彼女は列記とした神であるらしい。
 すると、さつきが上半身を前に倒し、いきなり土下座の体勢になった。

「え?」

 止める間もなく彼女が口を開く。

「先ほどまでは取り乱していましたので、それに気がつかず、榊さんには、本当にとんでもないことをしでかしてしまいました」
「いや、もう済んだ事だ。気にするなよ」

 しかし、彼女は依然として、頭を下げたままだ。

「ダメです。ここで一度、けじめの意味も兼ねて、私の非礼を詫びさせてください。神の御前に仕える巫女たるもの、関係のない人々に危害を加えることは断じて許されません。真に申し訳ありませんでした」

 さつきがあまりに真剣に謝罪をするので、春臣はどう声をかけていいのか分からなくなる。完全にひるんだというか、わたわたとしてしまい、思わず、隣の椿に目でSOSを出した。
 彼女はそれに目配せで応じ、何をするのか、土下座したままの彼女の肩を優しく叩く。

「さつきちゃん、大丈夫やで」
「へ?」
「誰にでも失敗はある。皆、同じや」
「でも、私は……」
「うちの方が、よっぽどさつきちゃんよりも失敗するで。方向音痴やし、おっちょこちょいやし、お寝坊さんやし……」

 指を折りながら、彼女は自身の短所を愉快気にしゃべる。おそらく、何の抵抗も感じずに、自然とこういうことが出来るのは彼女の良い所であり、特技なのだろう。

「は、はあ」

 すると、さつきは軽く頷きながら、椿の話に耳をかたむけは始めた。どうやら、後は彼女に任せておいて良さそうである。

 さて。

 くるりと向き直り、ちゃぶ台の上の媛子を見る。
 今度はこっちか。
終わりが中途半端になってしまいました。明日続きを載せます。


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