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第一部 邂逅編
5 続・幽霊さん?
 彼女は手のひらの中央辺りまで来るとその場で正座する。
 そして、くるりと首を向けると、何か礼を言うのかと思いきや、

「ふう、しかし人の手のひらの上というのはなかなかに座り心地が悪いのう。こうふにふにでこぼことしておると、不安定この上ない」

 とそんなことをぼやいた。
 せっかく彼女に協力してやろうとしている矢先に不満を吐露されるのはあまりいい気持ちはしなかったが、春臣は無視して聞き流すことにした。

 しかし、手のひらの上で彼女を見ると、改めてその小ささがわかる。
 物語にある一寸法師や親指姫とはおそらくこのくらいのスケールの話なのだろう。こんなに小さいと世界の巨大さがしみじみと実感できそうである。

 そして、いざ手のひらを持ち上げようとして、はっとした。

「あれ?」

 春臣が不思議に感じたのも無理はない。
 意外にも幽霊と思っていた彼女はおよそこの大きさの生物が持つにふさわしいだけの重さを備えていたのである。
 少々ずしりときた。

「幽霊なのに、重たいんだ」

 すると、彼女は振り向き冷たい視線を向けてきた。てっきり重いと言ったことに対して怒っているのかと思いきや、

「お主、人の話を聞けんのか。わしは神であるとさっき申したであろう、そのような霊魂とは違うのじゃ」
「神ぃ?」

 春臣はあからさまに胡散臭そうな目つきで彼女を見る。

「左様、わしは神なのじゃ、お主のような人の子が、そう簡単に目に触れることすら出来ぬほどの存在なのだぞ」
「ははあ、なるほど、それでさっきからそんなに偉そうな態度なのか」

 春臣は合点がいったと頷く。
 長い年月、この世をさ迷ったせいで、過去のことを忘れた彼女は自分のことを神だと勘違いをしているのかもしれない、と思ったのである。

 すると彼女は春臣の言葉に顔色を変えて怒り出した。

「ぶ、無礼者! 神に向かって偉そうとは何たる暴言じゃ。かくなる上は天罰を……」
「はいはい、分かりましたよ。申し訳ありませんでした、神様。以後気をつけます。これで気が済みましたか?」

 感情の無い棒読みの台詞を吐く。

「そんな気持ちのこもらぬ上辺だけの謝罪など聞きとうない。その場にひれ伏し、許しを請え、さすれば、今回限りは見逃してやろう。それを拒むというなら、お、お主のようなちっぽけな存在など、わしの小指の先でぽぽいのぽいじゃぞ!」

 自分より明らかに小さな彼女は頬を膨らませ、怒り心頭といったようで地団太を踏む。しかし、春臣はそんな彼女に対し、冷静に対応した。

「ちょっと落ち着いてくれよ。そうは言うが、俺が協力しないとあんたはここからどこにもいけないんじゃないのか? どうやって来たのかも分からないんだろう? 俺の協力なしで一人で帰れるのか?」
「ぐ、ぐう……こ、小癪なことを言う」

 すると、彼女は痛いところを衝かれたと、苦い表情をした。
 春臣としては彼女に対する絶好の武器を得た気持ちで意地悪く笑った。

「なんなら、このまま外に放り出してやってもいいんだぜ。あんたがそれでいいならな。だが、このあたりの夜道は危険だぞ。猪とか出るって言うし、下手すりゃ野犬に襲われるかもな」
「や、野犬?」

 彼女の顔色が今度はみるみる青ざめたのが分かる。

「そ、それは御免じゃ。外には出さんでくれ」

 その様子があまりにも必死な様子だったので、春臣は言いすぎたかもしれないと反省する。

「ごめん、ごめん。脅かして悪かったよ。そんなことしないって」

 だが、そもそも幽霊ならば最初から死んでいるはずで、野犬に襲われたところで問題があるようには思えない。しかし、その点を指摘すれば、激怒することは目に見えている。そのため、その言葉は喉の奥に押し留めた。

「ぐうう、こ、こやつ、童の分際で神を愚弄するなど、無礼千般ぶれいせんぱんじゃ、ただではすまさんぞ。わしがこんな姿でなければ少しは神力しんりょくも使えように……」

 などと彼女はしばらくぶつぶつと言っていたが、春臣はとりあえず、彼女を手に乗せたまま、部屋を出、階段を下りることにする。
 どこに当てがあるわけではないが、この家の近くに古い墓でもあるのだろうか。春臣は知らないが、彼女ならそれくらい、霊感(幽霊だけに)というやつで分かるやもしれない。

 狭い廊下を進み右手の居間まで来ると、庭に面したガラス戸を開けた。
 外はもうすっかり濃い闇である。
 遠くの方にちらほらと人がいることを示す民家と外灯の明りが点在しているが、あまりにも頼りない。
 軒下に置いてあるサンダルを履く。

 すると、手のひらに乗っている彼女は建物の外に出て行くのが分かったようで、

「お、お主、外には出んと、先ほどそう言うたではないか。これはどういうつもりじゃ」

 と明らかに怯えた声で言った。手のひらにしがみついてくる。

「いや、家の中にいてもあんたが元いた場所は分からないと思ったからさ、外に出ようと思って。大丈夫だよ、俺がいるから」
「はあ……」
「それでどうだ? 何か感じないか? こっちの方向に行ったらいいとか、インスピレーションみたいなもんをさ」

 春臣は彼女を手のひらに乗せたまま、ダウジングをするようにいろいろな方向に向けてみた。

「そんなことを急に言われてもな。というか、もう少し丁重に扱え、お、落ちてしまうではないか」

 悲鳴に視線を向けると、彼女は遠心力のためか、体を左右に大きく揺らしていた。ふらつく手のひらの上では、危うく転がり落ちそうである。春臣は慌てて、手のひらを静止させた。

「ああ、ごめん。つい調子に乗っちゃって」
「調子に乗られて振り落とされてしまうなど、洒落にならんぞ。全く、どうしてこんなことに」

 春臣はとりあえず、彼女が安全なように注意しながら、もう数歩だけ前に出た。
 すると、近くの草陰からは実家では聞いたことの無いような虫の音がよく聞こえてくる。ふと、やはり遠くに来てしまったのだ、ということを実感し、心細くなった。
 その感情から目を逸らすために、彼女に訊いた。

「今度はどうだ? 何かこの場所のことが分かるか?」
「ううむ、変じゃの。特にこの地がなんらかの霊域というわけでもないようじゃ」

 彼女はしゃりんと鈴がついた簪を鳴らして首を捻った。

「……」

 そしてしばらく沈黙した後、急に彼女が顔を上げる。

「あ!」
「どうした?」

 何事か、と春臣は驚く。

「さ……」
「さ?」
「さむい」
「寒い?」

 まさか、幽霊のくせに風邪でもひいたわけじゃないだろうな。

 外の温度は春臣の感じる限り、それほど冷たくはない。ましてや、彼女は何枚もの布を纏っているだ、むしろ暑いくらいではないかと思う。

 妙だ、とは感じたが、すぐさま、

「部屋に入ればいいか?」

 と提案する。

「そ、そうしてくれ」

 彼女は頷いて応じた。
 春臣は彼女を連れて部屋に引き返し、外の空気が入らないよう、ガラス戸を閉めた。カーテンを閉め、ちゃぶ台の前に腰を下ろす。

「どうだ? これで少しはよくなったか?」
「い、いや、それが、まだ……」

 見ると奇妙なことに、先ほどよりも彼女は寒がっているようで、震える身体を止めようと、両腕を掴んでいる。

 明らかに様子がおかしい。

「何か温かい物でも飲むか? お茶ならあるぞ」

 と訊くが、彼女は首を振る。

「いや、おそらくそうしたところで無駄じゃ、これはそういう類のもので収まる震えではない」

 それから、彼女はまるで高熱に浮かされているように次第に荒い呼吸となり、手のひらの上でぺたりと横たわってしまった。手足を折り曲げ、身体を丸めながら、歯を鳴らしている。

 しかも、

「なんだ? 薄くなってる」

 なんと、彼女を形作っている体の輪郭が薄れていき、手のひらが透けて見え始めたのである。
 これには春臣も狼狽した。

「おいおい、どういうことだよ。あんた、死ぬのか?」

 いや、すでに死んでいる幽霊なら、それはつまるところ、成仏といったところだろうが、今の彼女はとても成仏できるような心穏やかな状態には見えない。むしろ、とても苦しんでいるのだ。

 とすると、これは何だ?

「た、頼みがある」

 震えながら彼女が口を開く。

「なんだ?」
「わしを、先ほどの部屋に、戻してくれないか?」

 それは息も絶え絶えで、今わの際を悟った病人の今生こんじょう最後の願いに聞こえた。どうすることも出来ない春臣はともかくその頼みを聞いてやろうと、消えそうになっている彼女を両手でそっと包み込むように持ち、居間を飛び出て、階段を駆け上った。

 扉を乱暴に蹴り開け、彼女が最初に立っていた机の上に寝かせてやる。

「どうだ? ここでいいのか?」

 と訊くと、やはり苦しそうではあるが、彼女はこくりと頷いた。
 そのまま眠りに落ちるように瞳を閉じる。

 すると、不思議なことに、どこからともなく、彼女の周りに小さな光が集まり始める。
 春臣はその様子に眼を見張った。

「……?」

 豆電球よりも遥かにか弱く、小さな光ではあるが、彼女を包み込むとまるで吸い込まれるように横たわった彼女の中に消えていく。そして、それが繰り返されるにつれ、再び彼女に生気が蘇ったのか、ぼんやりとしていた輪郭がくっきりと形を戻し始めた。
 こころなしか、彼女のか細くなっていた呼吸も落ち着いてきたようである。体の震えもいつの間にか止まっていた。

「大丈夫か?」

 と訊くと、

「ああ、なんとかなったようじゃな」

 彼女は横たわったまま、首だけ起こしてそう答えた。


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