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第一部 邂逅編
16 神様の身長測定 1
 椿に教えてもらっていた町のホームセンターまで行き、あれこれと生活に必要なものを買い揃えた春臣が自宅の玄関まで戻ってくると腕時計の針は六時を回っていた。
 両手に抱えきれない荷物を持っていた春臣は玄関を開け、居間までナメクジのようなすり足で辿り着くと、そこでようやく休息を得た。

 そのまま力尽き、畳の上に仰向けに寝転がる。
 荷物の袋からはみ出しているフライパンの取っ手を見ながら、一日で買い物できる量ではなかったと今さらながら後悔した。
 せめて、数日に分けて買出しに向かうべきだったのだ、と。

 疲労困憊とはまさにこのことだろう。
 だらしなく放り出された両腕にはまともに力が入らない。それはまるで、伸びきったゴムのようだ。じき、筋肉痛になって軋むように痛みだすことは間違いない。自分の情け無い様に苦笑しながら、なんとか起き上がり、電灯のスイッチを入れる。

 そして、テレビのリモコンを探そうとして、はっとした。
 いつもならテレビが置いてある台の上に、その空間がぽっかりなくなっているのである。台の上の埃を被っていない露出した真新しい部分だけが、ただ空しく、確かにテレビがあったことを示していた。
 これはどういうことか。

「あ、そうか」

 と春臣は右手で左手の手の平を叩き、合点がいく。それと同時に、上階から少女の笑い声が聞こえてきた。
 媛子の笑い声である。

「あいつ、もしかしてずっと見てるのか」

 そうぼやきながら階段を上がり、部屋のドアを開け放つと、テレビの前でリモコンの上に乗って熱心に見入っている少女の姿があった。
 行儀よく座布団の上に座り、興奮しているのか、小刻みにその姿勢のままジャンプしている。

「おい、媛子」

 その声で春臣に気がついたようで、媛子はお気楽に手を振った。

「おお、帰ったか春臣。買い物は済んだのかや?」
「ああ、なんとかな。重たすぎて手が吊りそうだが」

 春臣はあぐらを掻いて座りながら、おもむろに二の腕辺りを揉み解す。テレビを一瞥して、そして、呆れたように媛子を見た。

「ずいぶん、テレビが気に入ったようだな。下の階からわざわざ持って上がった甲斐があったぜ」

 というのも、実は買い物に出かける前、春臣はあることを考えた。
 それはここに媛子を一人にさせることで、それについては今朝の教訓から、よくないことだと学習していた。
 たとえ、媛子にきちんと説明したところで、一人になることに、彼女はまた不安がるかもしれないと危惧したわけである。

 そのために春臣が考えた案がこの、テレビだ。
 見ているだけで退屈せず、長時間暇つぶしができ、この人間世界のことを学ぶのにも最適なそれを持ってくることにしたのである。

 そして、一石二鳥も三鳥もお得なそれを、彼女は電源を入れると同時に食い入るように見始めた。
 まだこの世界の物に免疫のない彼女が、もし、拒絶すればどうしようかと考えていた春臣だったが、それは杞憂に終わった。

『春臣、箱の中に人が!』

 というどこかの漫画や小説で聞いたような知性も個性の欠片もない台詞を叫び、飛び跳ね、小躍りしたのである。
 喜んでもらって何よりだったが、そんな彼女は神様というよりも、やんちゃ盛りの五歳児にしか見えなかった。

 ともかく、そんな好奇心旺盛な手乗り神様に、春臣は簡単にリモコンの使い方を教え、手の届く位置に小さく刻んだ羊かんを置いていると説明したが、すでに彼女は上の空で、空しくなったまま家を出たのだ。

「そんなに楽しいかよ?」

 そう訊きながら、ともかく機嫌を損ねることがなかったようで春臣は内心ほっとしている。

「ああ、いつまで見ておっても飽きぬ。人間の世界にはこれほど面白いものがあろうとは、思ってもみなかったぞ」

 彼女は嬉々として飛び跳ねた。
 そして、

「わしがこれまで見てきたものの中で、他のものを蹴落とし、一気に一位に上り詰めたな」

 とどこかで聞いたような台詞を言う。
 たしか、以前は羊かんだっただろうか。

「媛子のランキングはずいぶん安っぽいんだな」

 そう皮肉を言うと、媛子はふくれっ面になってふんと鼻を鳴らした。

「新しいものに感受性が高いと申せ、わしはいろいろなものを受け入れる寛大な心を持っておるのじゃ。保守派の神々とは違う」

 神にも派閥があるのか、と春臣にはそっちに驚き、

「そ、そうなのか」

 とクエスチョンマークの付きそうな曖昧な返事をする。

 そして、ふとテレビ画面を見ると、夕方のニュース番組を映していた。どこかの道路で速度違反の車とパトカーがカーチェイス紛いなことをしたらしく、興奮気味の評論家が昨今の交通死亡事故について声を荒げて論じている。
 画面が切り替わり、今度はパトカーのけたたましいサイレン音と赤い光が明滅した。

「おお! 何じゃ、何じゃ!」

 すると、彼女が不謹慎極まりない弾んだ声を出す。
 春臣は苦笑いをしながら、これはこれで、後から話をしないといけないかもしれないと心に留めた。

「まあ、テレビもほどほどにな。晩飯にするぞ」
「おお、分かった。して、今日は何があるのじゃ?」

 振り向いた彼女に期待たっぷりの視線で見られ、春臣は持ってきたスーパーのレジ袋からそれを取り出すのをためらってしまう。動きが止まる。

「どうしたのじゃ?」
「いや、そんなにうれしそうにされると、少しがっかりされるかなって、思ってさ」

 額に嫌な冷や汗が垂れた。
 無理もない。
 媛子にと買ってきたものはとても安価なもので、普段はあまり好まれて食べるものではなかったのである。

「うん? よいから見せてみよ」

 促され、仕方なく春臣が袋から取り出したのは、レトルトパックに入れられた、おかゆだった。
 温めてから食べるもので、柔らかく、そのまま飲み込め、小さな媛子でも食べ易いと思い選んできたものだったが、さすがにこんなものでは、彼女の人間の食べ物に対する熱い期待には応えられなかったらしい。
 パックに印字されたおかゆの文字を見て、さすがの彼女にもそれが何であるか判ったらしく、あからさまに落胆した。

「はあ? わしは病人か?」
「まあまあ、結構俺も考えたんだぞ。小さい媛子でもすぐに食べられるものをと思ってな」
「ぬしは何を食べるのじゃ? もちろん、神がかゆを食べるのじゃから、おぬしもかゆじゃろうな?」
「いや……俺はこっちの弁当があるから」

 後ろめたくなりながら、春臣はちらりと袋の中身を見る。少々奮発して豪華な幕の内弁当にしたのだが、この状況において、彼女の前でそれをこれ見よがしに食べるのは、あまりにも酷な話だ。
 予想した通り、弁当の単語だけで彼女の怒りを買ったらしい。

「な、なんじゃと! は、恥を知れ、この愚民が! いますぐにその弁当をわしに寄越せ、ぬしはかゆで上等じゃ」

 そう居丈高に吐き捨てる彼女。
 しかし、そこまで言われるとは春臣もさすがに心外だった。

「ちょっと待て、買ってきてもらってその言い方はないんじゃないのか?」
「な、なに?」
「普通ここは気に入らなくても、一先ず礼を言うのが普通だろう? まさか神様ともあろう者がそんな礼儀すら知らないんじゃないだろうな?」
「そ、それは……」

 すると、彼女の言葉が詰まる。
 どうやら春臣が思いついた新しい抗戦方法は功を奏したらしい。
 彼女が振りかざす、「神様」という威厳に満ちた肩書きを、逆に利用するのだ。

「ほら、ありがとうぐらい言えるだろう?」
「あ、あ……」
「ありがとう、だ」

 まるで、赤ん坊に言葉を教えるように春臣は教える。もしかしてそれでまた機嫌を悪くするかもしれないと危惧したが、意外にも彼女はしおらしく従った。

「……ありがとう、春臣」

 微妙に口元を手で隠し、恥じらいを見せるその表情に、その後褒めてやろうと思っていた言葉が喉の奥に引っ込んだ。
 可愛らしい、と思えなくもない。
 いや、嘘は言うまい。事実、可愛かった。
 いくら小さく、神とはいえ、その姿は人間の少女そのものなのだ。

「これで、よいのか?」

 傾けた首で、鈴がなる。

「あ、ああ、分かったよ。弁当もやるから。それに、俺もかゆなんて買ってきて悪かった」

 なんとかそれだけ言って、平静を保つことに成功した。

「うむ。もうよいぞ。それでは一緒に食べるとするか」

 機嫌を取り直した彼女は笑顔で頷くと、座布団の上から降りた。
 そして、春臣の足元に近寄ろうとして何かを発見したのか、はた、と立ち止まる。
 また興味を向くものを見つけたらしい。その視線は春臣の影になるあたりに隠していた箱に注がれている。

「春臣、その後ろにある箱は何じゃ?」

 全く目ざとい神様だ。
 油断ならないな、と溜息をつく。

「それはケーキだよ。晩飯の後で食べるために買ってきたんだ」
「けーき、ケーキ、とな!」

 すると、彼女の目が輝きだす。

「なんだよ、知ってるのか?」
「先ほどテレビでやっておったのじゃ。この春の新作スイーツ特集じゃったか? ともかく、あんなに色とりどりでうまそうな食べ物は見たことがない」

 どうやら、さっそくテレビでの学習の成果が発揮されているらしい。知識が身についたのならそれはいいことである。
 しかし、もしかするとあんまりテレビを見せていては、その内にあれが食べたい、これが食べたいと次々に要求され始めるのではないだろうか。
 春臣はそんなことを想像して、不安になった。

 ただでさえ、使える金は限られている。そうなった場合は厄介だ。
 その内、神への情報規制が必要になるかもしれない。もちろん、本気で思っている。

「まあそれは、晩飯を食ってからな」

 そう話して、彼女を机の上に乗せ、弁当の蓋を開ける。

「ああ、そうじゃ!」

 てっきり、豪華な幕の内弁当の中身に選り好みしているかと思いきや、再び彼女は何かを思いついたようだった。

「今度はなんだ?」

 うんざりしながら訊いた。

「その前にすることがあったじゃろう?」
「することって、ああ、あれ《・・》か」

 春臣もすぐに頷き、彼女を手のひらに乗せ、部屋の隅に出っ張っている柱の一つまで運んだ。
 媛子はその柱まで歩いていくと柱に背を向ける形で、ぴたりと張り付いた。
 そこで何をするかと言うと、彼女の身長測定である。

 これは今朝のこと、彼女が話していたことがきっかけで始まった。
 媛子曰く、昨日に比べ、彼女の減った分の身長が元に戻り、力が回復しているということは、神の世界からの存在の力が彼女に溜まったという事実を物語っているのだそうだ。
 つまり、この存在の力はここが異空間という特殊な空間であっても、神の体にエネルギーを蓄積させることが出来る「性質」を持っていることが判明したのだ。

 それがどうしたと思うかもしれないが、これは、大きな発見である。
 要するに、彼女がこの空間に留まっているだけで、神としてのエネルギーが溜まっていき、身長もその分、伸びるという真実を示しているからだ。
 いずれは、本来の姿と力を取り戻すところまでいけるだろう。
 そうなれば、後は彼女自身の力で神の国に帰れるというわけである。

 それを聞いた春臣は、どうやら永遠に彼女がこの空間に居座らなくてもよいらしい、と知り、とても嬉しく思った。

「よかった、よかった」

 と彼女と小躍りまでしたのである。
 しかし、これで元の世界に戻れるという確証は得たのだが、今度はそれまでにどれくらいの期間を要するのか、という疑問が持ち上がった。

「本来の姿を取り戻すまでに、何十年、何百年もかかるようでは、さすがに時間がかかり過ぎじゃからの」

 と彼女は不安げにそう言うのだ。
 それで、そのためにはいったい彼女の身長の伸び率が一日につきどの程度なのかを調べなくてはならない。そういう結論に至ったわけだ。

 身長測定はそのために毎日行うことになったのである。


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