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第六部 黎明の炎編
159 終わった時代、終わらない渇き 4
「神が、消滅する、だと」

 馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な……。老人は、一気に意識が遠くなるのが分かった。まるで、足元の地面が溶けてなくなってしまうような、そんな浮遊感に晒される。
 自分が求めてきたものがなんだったのか、それが分からなくなり、脳内にぽっかり空間が空いた。
 ありえない、考えられない!

「人の子よ。信じたくない気持ちは分かるが、事実、現在わらわたちの世界は確かに消滅に向かっているのだ」
「嘘を……嘘を、つけ……」
「いや、真実だ。こちらの世界の人々はわらわたちを、神を、もはや必要としなくなっている。わらわたちという仕組みを不必要なものとして捉え始めている」

 世界は、その巨大な存在は、それを感じつつ、今や緩やかに衰退を始めている。
 神はそう言って、その後も、何だか意味のわからない言葉を並べ立て、説明をしていたが、それは、老人の耳にはちっとも入らなかった。
 老人の中にあるのは、ただただ空虚な感情だ。

 神が、完全ではないだと。そんな馬鹿な。
 しかも、現実はそれだけに留まらず、今まさに、神たちが衰退している?
 老人は思わず頭をかかえる。
 神が居なくなってしまえば、当然、神の力も手に入らない。
 それは老人が最も恐れていた事態だった。そのままでは、わしは不完全に、脆弱なままではないか。わしは、もっと完璧な強さをこれまで求めていたというのに。

 だのに……だのに!
 ここで、ここまで来て、わしにそれを全て諦めろというのか。
 すると、ひゅうひゅうと老人の喉から冷たく乾いた音が聞こえてくる。
 全てが狙い通り進めば……。
 そう……そうであったなら、この果てることのない渇きのような欲望も、終わるはずだったのに。
 ぎりり、と歯を噛み締める。

 すると、

「ふん」

 神は鼻で笑った。

「人の子よ、何を思うか。これから終わる終わらないではない。お前はもう最初ハナから『終わっていた』のだ」
「わしが、終わっていただと?」
「そうだ、お前はいつだって孤独だった。誰にもその心を許そうとしなかった。だから、そんな細い杖に齧りついてようやく立っておるだけで、他にすがりつけるものが無いだろう。分かるか? お前はいつでも、倒れればそれで終わりなのだ。そうなったら最後、二度と、自力では起き上がれない」

 神の声は四方八方から老人を攻め立てるように、圧迫するように、響いてくる。

「だからお前は、いつだって、歩き続けようとした。それは、立ち止まってしまえばそれで終わりであると、お前が薄々感じていたからだ」
「し、知ったような口を聞くな、神よ」
「知ったような口? 何を言う、わらわはお前の全てを知っている。いつだって、己のことにしか興味がなく、他者を排し、脅威を取り除くことしか眼中になかったお前は、その運命から逃れられぬ」

 まるで、判決を下す裁判官のような重みのある言葉である。

「馬鹿な!」

 しかし、神は老人への興味を失ったかのように返事をせず、しばらくして、


「しかし、あの少年は……」


 と、どこかしみじみと思い出すように続けて言った。

「あの、少年?」
「そう、あの少年だ。榊、晴臣。ああ、彼は何とも清々しくまっすぐな人間だった」
「あ、あのくそ生意気なガキとも会ったのか!!」

 途端、忌々しいあの自身に満ちた表情を思い出し、老人は激高した。一気に頭に血がのぼり、視界が霞む。

「わ、わしを虚仮にしようとした、あのガキを!!」
「ああ、会ったとも。ちなみに、あの少年も、お前と同じ色の絶望を抱えていたよ」
「うん? 絶望、を?」
「そうだとも、彼は実の多くの悩みをその肩に抱えていた。自分一人では抱えきれないような、苦悩を、な。しかし、少なくとも彼は大丈夫だろう。彼はお前とは違い、彼は倒れても、『何度でも起き上がることが出来る』からな。何度でも、何度でも」
「何だと、神よ、それはわしがあの青二才よりも劣っているというのか、この、わしが、わしがあああああ!」
「そうだ。それがなぜなのか理解出来ないお前には、永遠にあの少年には追いつけぬだろう」
「ぐうう、くそ、くそ、くそおおおおおおおおおおおおお!!」

 そんなことがあってたまるかそんなことがあってたまるかそんなことがあってたまるかそんなことがあってたまるか!!
 老人はむちゃくちゃに腕を振り回す。
 そうしていれば、目には見えない神をでたらめに攻撃出来るのではないかと思ったのだが、老人の腕はただ虚空を引っ掻いただけで終わった。
 荒い、老人の呼吸音。
 くそ、本当に、自分はこのまま終わりと迎えてしまうのだろうか。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす……」

 と、そこで神の声が朗々と老人の何もない暗闇に響いた。
 かの有名な、平家物語の一節である。

「……それが、何だ?」
「これは人の子の生み出した文章であるが、まさしく、言い得て妙よな。この者は、世の仕組みをずばり言い当てておる。古き時代の慧眼の士だ。わらわは、いつもそう思うのだよ」
「なに?」
「お前も、一時の栄華を極めた者であろう? 勢い盛んなものはいずれは消え行く。こうなることはお前も、最初から分かっているはずだ。それはわらわたち、神も同じ。いつかは、無慈悲な時の流れの前にただの塵芥じんかいに帰す我らならば、無駄なあがきはやめ、この流れに身を任せようではないか。なあ、人の子よ」
「ふざけるな!」

 老人は必死に怒鳴った。勢い良く唾が飛び散る。

「わしは、わしは、そんなものに甘んじたりはしない。最後の最後まで足掻いてみせるぞ!!」
「まあ、それもよいがな」

 と神は密やかに笑った。

「しかし、この眼の前に迫っている破滅をどう回避する?」
「破滅?」
「ほれ、聞こえてきただろう。お前を闇の檻につなぎ止めんと、地を駆ける早馬の足音が……」

 老人は、ごくり、と生唾を飲み込み、思わず、耳をすませた。
 すると、どこからともなく、それは聞こえてきた。

「――」

 それは、聞く者を不安にさせる、
 パトカーのギラギラとしたサイレン音だった。


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