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第一部 邂逅編
13 れっといっとびー
 すると、何かを思いついたのか、椿は目の前でぱしりと両手を合わせる。

「せや、ここで会うたのも何かの縁や。いつもの日課も終わったし、お近づきのしるしと言ってはなんやけど、この辺りの道案内なんてどうや?」

 やはりラジオ体操は日課だったのか、と理解をした後に、春臣は聞き返す。

「道案内?」
「そうやで。まだこの辺りのことなんて分からんやろ? うちが案内したるで」

 その申し出は春臣にとって願っても無いことだった。自宅近くの地理を早いうちに把握しておかなければ、いざというときに困る。

 特に生活に必要なものを手に入れる手段がない。
 春臣にとって今必要なものと言えば食料だ。
 なにしろ昨日越していたばかりなので、ろくに食べ物もない。実家から持ってきたものは僅かなものだったので、昨日の夜に大方食べてしまった。

 残り少ない高級羊かんでさえ、意外にも大食いな媛子一人で食べつくされてしまいそうである。
 早いうちに食料を調達することは必須事項だった。

「じゃあ、お言葉に甘えてそうさせてもらおうか」
「よっしゃ、うちにまかしとき。この辺りのことは大抵承知しとる。困ったときはうちに頼りや」

 そう言った彼女はちからこぶを見せるように腕を折り曲げてみせる。しかし、今にも折れてしまいそうな白く細い腕はあまりにも頼りなく見えた。
 春臣はそれを彼女の愛嬌と受け取ることにした。

「ああ、そうするよ」
「それで、どんなとこ行きたい?」
「えっと、とりあえずコンビニは、ある?」

 その質問に彼女の眉がピクリと反応する。

「おっと、それはここが都会と違うて不便な田舎やて上から見た発言か?」
「べ、別に違うって」
「ハハ、単なるジョークや。そんな冷や汗かかんでええよ」
「……さいですか」
「もちろん、コンビニはある。東区と西区に一つずつや。こっからそんなに遠くない」

 彼女は川を越えた向こうにある道路の向こうを指差した。道沿いに、商店がぽつぽつと点在しているのが確認できる。
 おそらくその付近なのだろう。

「そうか、それなら道案内を頼むよ」
「オッケー」

 すると、彼女は最後に一度だけ深呼吸をしてから、鳴り続けていたラジオを止め、自宅の方へ駆けて行った。春臣が石垣の門の前から中を覗くと、椿は玄関から上履きのままで膝をついて廊下に上がり、家の中の誰かに何かを喋っていた。

「うん、せやから、ちょっと出てくるな」

 そう誰かに告げ、彼女はまた駆け寄ってくる。

「ほんなら、行くとしよか?」

 彼女は春臣を先導して歩き始める。
 誰かに道を教えるのが楽しいのか、それとも、同じ大学に行ける同年代の自分と知り合えたことが嬉しかったのか、機嫌よく鼻歌を歌っている。元気良く腕まで振っていた。

「先ずは右に曲がるで」

 そして、方向をわざわざ指差して春臣に教えた。

「そうか」
「しばらくはこのまま直進や、それで次に舟木さん家の塀が見えてくる」
「……そうか」
「そこは右や、ええか、左やないで」
「……はあ」
「その次に目印になるのが、井上さんの家の手前にある郵便ポストや。そこのすぐ横のわき道を曲がる。これはコンビニまでの近道やねん。榊君には特別に教えといたる。その先の橋が……」
「……あのさ、青山。それはうれしいんだが」

 春臣は彼女の延々と続きそうな道順の説明にさすがに我慢できなくなり、ついに口を挟んだ。

「なんや? もう一回最初から話そうか?」

 違う、とかぶりを振る。

「いや、逐一説明してくれなくても、一度通れば覚えるから大丈夫だ」

 なにしろ、見渡す限り、民家か電柱ほどしか障害物の見えない田園地帯なのだ。店がある方角さえ分かればどうとでも行ける。

 しかし、彼女は意外そうに目を丸くした。

「ええ! 榊君って方向音痴やないの?」

 心外だった。

「……おい、何で俺は最初から方向音痴ってことになってるんだよ。なんでそんなに意外そうなんだよ」
「榊君は違うんか?」
「自慢じゃないが生まれてこの方、あの有名な人生の路頭というやつにも迷ったことは無いんだ」

 思い切り冗談で言ったのだが、彼女はそのユーモアがわかっているのかいないのか、「ほお、すごいな」と感心した声を出した。
 もし分かってそう言っているのなら馬鹿にされているのだろうが、様子を見る限りおそらく後者だった。

「それは失礼なこと言うてしもたな。実はうち、こう見えて方向音痴やねん。せやから案外慣れた道でもこうして言葉にして覚えとかな、時々迷子になんねん」
「何がこう見えてなのか分からないが。そう、なのか……」

 こんな分かりやすい道をなあ、という言葉は引っ込める。

「それにしても榊君、ええなぁ。方向音痴やないんや。それって超能力とちゃうか?」

 椿は手を組み、羨望の眼差しで見つめてきた。

「別にそんな大それたもんじゃねえよ」
「でも、うちにとったら超能力と一緒やで。尊敬してまう」

 過剰な褒め言葉はとりあえず無視をして、春臣は溜息をつく。

「……っていうか青山、さっきこの辺りのことは任せとけって言ってなかったか? そんなんじゃ、いざというときに頼りがいがないな」
「……ああ、そのこと? まあ、大した問題やないって」
「そうか?」
「迷ったとしてもなるようになる。そうや、れっといっとびーや」
「レットイットビー?」
「せや、れっといっとびー。ビートルズやったっけ?」

 そう言われて、春臣もビートルズにそんな曲があることを思い出したが、すぐにどうでもよくなった。
 青山のことで他に気になっていることがあったのである。

「そう言えば、さっきから気になってるんだけどさ。その、青山の大阪弁」
「うん? もしかして嫌いなんか?」
「いや、嫌いなんてことはねえよ。ただ、この辺って皆そんな口調なのか? つまり、この辺りの方言なのか?」

 すると彼女はぶんぶんと首を振った。

「ああ、そうやないそうやない。実はうちも一年前にこの家に越してきたばかりやねん。そのまえは関西の方に住んどった」

 そこで春臣は合点がいく。

「なるほど、だから大阪弁なのか」
「そや、せやから、昨日引っ越してきたいう榊君と同じ穴のナジムっちゅうやつやな」
「それを言うならムジナだって」
「あれ、そうなんか? 関西の方とこっちでは言い方が違うんやな。ふむふむ」
「……何で地域特有の言い方があるんだよ。慣用句は全国共通だ」

 いったいどういう解釈をすればそんな結論になるのか。
 続けざまにツッコミをいれながら、春臣はなるほどな、と心の内で頷いた。

 まだ出会ってから一時間も経っていないが、彼女という人間が、かなり把握出来た気がしたのである。
 ずいぶん楽天的でポジティブ、且つ大層な天然素質な性格であることは間違いない。そのため、話せば話すほど、彼女のペースに巻き込まれていく気が否めないのだ。

 でも、春臣は不思議と悪い気はしなかった。
 なんというか、新鮮な気がしたのだ。
 春臣の周りでこんな種類の人間に出会ったことがないからだろう。

 自分の誤りを指摘されても、椿は特に不快な顔もせず、

「へえ、そりゃ勉強になったわ」

 とにこにこと笑っている。

「それから言っておくけど、その言葉はあまりいいイメージがない。こういうときに使う言葉じゃないと思うよ」

 さらに春臣がそう補足をすると、

「ほお、そりゃあ親切にどうも」

 と彼女は丁寧にぺこりと頭を下げた。
 やはり、その動作にも嫌味な所は含まれていない。

「フフ……」

 思わず、微笑んでしまう。

「うん? 榊君、何がおかしいんや?」
「いや、何でもないよ」

 納得がいかなさそうに彼女はしていたが、すぐにどうでもよくなったのか、すぐに道案内を再開した。

「それじゃ、この道を右やから」
「ああ、分かった」

 返事をしながら、引越し早々、自分はどうにも奇妙で興味深い人間に次から次へと会うものだと、内心、不思議な気持ちだった。

 謎の老人に始まり、小人の神様、そして、この青山椿だ。

 これはもしや、この世を統べる神が結ぶ、何かの縁なのか。

 今頃、まだ自宅で眠っているであろう姫子の顔を思い浮かべた。


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