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前世の記憶

作者: ししおどし

私には前世の記憶がある。


思い出したのは、十歳の誕生日の次の日のこと。

学校の図書室で借りてきた本を読んでいる最中、ぴしゃりと雷に打たれたような衝撃と共に、手にした物語に出てくる主人公が、私の前世であったことに気がついた。

元々年齢の割りに大人びている、と言われる事が多かったけれど、前世を思い出してからはそれもそうかと納得した。前の私の記憶は二十までしかないけれど、少なくとも成人するまでの記憶はあるのだ。今生とあわせれば、三十年分。はっきりと記憶を取り戻すまでも、無意識のうちのそんな精神的な年齢が影響を与えていたに違いない。周りの子供たちから少々浮いてしまうのも、年齢を考えれば仕方のないことだ。


前の私も今の私も、暮らすのは現代の日本で社会に大きな差は無かったけれど、暮らす環境は大きく異なっていた。

前は小さなアパートに家族六人で暮らす、ちょっぴり貧乏な家庭に生まれたけれど、今の私は大豪邸といって差し支えない広い家に住む、お嬢様だ。家にはお手伝いさんが何人も居るし、毎日学校まで運転手つきの車で送り迎えされでいる。前の私からは、とても考えられないような暮らしだ。


お嬢様の暮らしは、結構大変だ。

放課後は日替わりで習い事が詰まっているし、一人で家の外に出る事も許可されてはいない。パーティーにお呼ばれした時は行儀よくしてなきゃだめだし、学校の成績だって落とせない。さすがあの家の娘だって言われるような、完璧な優等生でいなきゃ両親に迷惑がかかってしまう。

前世の記憶を思い出す前は、そんな生活が窮屈でしんどくてたまらなかったけれど、思い出してからはある程度は割り切れるようになった。

だって見た目は子供のままでも、中身は大人なんだから。

子供にとっては難しいことでも、大人にとってはそれほどでもない。

それに前は望んでも習い事なんて出来る状況じゃなかった事を考えれば、今の私は恵まれすぎているといっていいほど恵まれている。せっかくのチャンスを、ただ適当に流すだけで棒に振ってしまうのは勿体無い。

どうせやらなきゃいけない事なら、積極的に学んで身につけるべきだと考えを改めた私は、一層習い事に力を注ぎ、学校の予習復習を頑張った。前世の記憶を勉強にも生かせれば良かったのだけど、残念ながら前の私はあまり頭がよくなかったらしい。初等部の内容なのに分からないことも多かったから、一からやり直すつもりで取り組むことにした。


学校の友達との関係は、微妙な感じだ。

記憶を取り戻す前から、それほど親しく付き合っている相手はいなかった。

私の家が大きな会社をいくつも経営している影響で、心にもないお世辞を言って擦り寄ってくる子や、関わりあいにならないように遠巻きにする子があまりにも多かったから、途中から誰かと親しくなろうとする努力を放棄したのだ。自分ではどうにもならない家の関係で態度を決められることが、幼心に暗い影を落としていたらしい。

そして記憶を取り戻せば、周りの態度も仕方ないものだと理解して許容する事は出来たけれど、改めて誰かと親しくなる気は起きなかった。無邪気にはしゃぎまわる子供に合わせるのは、記憶を取り戻した今、以前にも増して難しい事に思えてしまったからだ。

幸いにして私は優等生で、周りに合わせなくても許される空気があったから、それに甘えて今まで通り過ごしている。


何かほしい物があればお手伝いさんに言えば、翌日には届けられている。

ご飯は毎日食べきれないほどの量が並べられるし、クローゼットには毎日違うものを着てもとても追いつかないくらい、沢山の服が並べられている。

何不自由ない、お嬢様の暮らし。

給料日の前には食べ物に困ることもあった、前の暮らしとは大違い。


だから、これだけ恵まれているから、少しくらい不満があったって、許容しなきゃいけない。

たとえ毎日、お父様とお母様が、家に帰って来なかったとしたって。



ある日の夜。

一人で夕食を摂っていたら、少しだけ家の中がざわつき始めた。

どきりとして食事を中断した私は、席を立って食堂の扉を開け、こっそりと様子を伺う。

そこには久しぶりに目にするお父様の姿があって、それだけでも十分嬉しかったのに、勢いよく開いた玄関から中に入ってきたお母様の姿に思わず目を丸くした。


ああ、どうしよう。まさか二人とも、帰ってきてくださるなんて!


すっかり舞い上がって二人に駆け寄ろうとした私は、直前で思いとどまった。

お父様とお母様は、外では仲が良いけれど、家の中ではそうでもない。

顔を合わせると喧嘩ばかりで、今だってほら。

ぐっと表情を固くして、お互いをぎろりと睨み付けて、厭味の応酬を始める。


――あらあら、珍しいこともあるものですこと。

――君こそどういう風の吹き回しだい?

――着替えに寄っただけよ。すぐ出るわ。

――ふん、毎晩毎晩よくもそう遊び回れるものだな。

――ああら、あなたには言われたくないわあ。


喧々と響く二人の声をそれ以上聞いていたくなくて、そっと食堂に戻り、食事を再開する。

しばらくすると、荒々しく玄関が閉められる音がして、それから幾らも立たないうちに、もう一度、がしゃんとドアの閉まる音が聞こえた。

二人とも、もう出て行ってしまったらしい。

ざわざわと揺れていた家の中の空気はあっという間にしんと静まりかえり、まるで何事も無かったかのように重く沈黙する。


「なあんだ」


今日は私の十一歳の誕生日だから、二人とも帰ってきてくれたのかと思ったけど。

どうやら違ったみたい。


ふっとため息をついて、まるで子供みたいに舞い上がっていたさっきまでの自分を、苦笑いで自嘲する。

じわりと口の中に塩味が広がってゆきそうになったから、慌てて水を飲んで洗い流し、諭すように自分に言い聞かせた。


大丈夫、期待なんてしてなかったもの。

私はもう大人だから、分かってたもの。

大人だからもう、子供みたいに誕生日をお祝いしたりしないの。


そうしていつも通りの食事を終えて、自分の部屋に戻る。

本当ならお風呂に入って、予習と復習もちゃんとしてから寝なきゃいけないけど、今日はなんだかやる気が起きなくって、机の上に置いてある一冊の本を手に、すぐにベッドへと潜り込んだ。



私には前世の記憶があって、前と今を合わせれば、三十歳になる。

だから私はもう大人で、子供なんかじゃない。

大人だから簡単に泣かないし、傷ついたりもしない。

大人だから、わがままも言わないし、期待もしない。

大丈夫、大丈夫、大丈夫。

だって私は、もう大人なんだから。

それにほら、ちゃんと愛された記憶はここにあるもの。

私の前世を思い出させてくれた、一冊の本。

その中で前世の私は、両親と三人の兄と姉に囲まれて、貧乏ながらも楽しく愛されて暮らしていた。

誕生日にはホットケーキにろうそくを立ててお祝いして、ぐしゃぐしゃってみんなに頭を撫でられておめでとうって言われて、お兄ちゃんとお姉ちゃんに代わりばんこにだっこされて、大きくなったなってまた頭を撫でられて。

大丈夫、大丈夫、ほら、私はちゃんと、愛されてた。

だってここに、ちゃんと書いてあるもの。

やさしくて幸せな私の前世の家族のことが、いっぱいいっぱい書かれてあるもの。


一人で寝るには大きすぎるベッドの上、布団の中でぎゅうっと本を抱きしめる。

つっと頬を流れた涙は、悲しい訳じゃなくって、子供のままの体に引きずられただけだ。

大人な私の心は、傷ついたりなんてしていない。

大人だから、傷つく訳がない。


大丈夫、大丈夫。

私には前世の記憶がある。

家族に愛されて暮らした、記憶がある。

だから、私は、大丈夫。


たとえそれが、偽物の記憶だとしたって。


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