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その勇者、虚ろにつき 作者:パイルバンカー串山

第二話 三流記者と殺人鬼のワルツ

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解剖

 ギシリと音を立て、解剖室の扉が開いた。
 青ざめた表情の巨漢がのそりと出でる。手術用白衣と浅黒い肌、顔を覆う医療用マスク。鑑識主任のヴォドギン・ラウス。
 不安を隠せないまま、後ろへと声を出す。

「あ、あの、何度もさっきから言いますけど、許可なく検死に立ち会うのは署長への」

「邪魔だ。どけ」

 冷たい返答と共にラウスが吹き飛ぶ。潰れた声を上げて壁に激突。ずん、と重い音が窓ガラスを震わせ巨漢が停止。

「ゼントリーの検死立ち会いが終わった以上、お前に用はない。とっとと消えろ」

 ラウスを豪快に蹴った脚を上げた体勢のまま、白衣のウェイルーが呟く。怯えるラウスを見下ろす視線は、氷の温度。
 よろめきながら立ち上がり、ラウスが廊下を歩く。やがて自室へ姿を隠した。

「――解剖、したんですか?」

「ああ、ごく簡易的なものだがな。それで十分だ」

 待合いの椅子に座る青年を一瞥し、ウェイルーは身につけた手袋と白衣を外す。僅かに血がついていた。取り外したマスクにわずかに見える、移った口紅の薄い跡。

「家族への許可は事後承諾になるが、明日私が直接行く。ダクト、ゼントリーの親族の住所を教えてくれ」

 ゼントリーの検死はなかば強硬的に行った。渋るラウスを押さえつけ、ウェイルーも立ち会った。そうまでして、確かめたいことがある。
 親族には罵られることになるだろうが、なりふりは構っていられない。

「いえ、親族への許可は元々必要ありません」

「……どういうことだ?」

 腰を上げる青年。夜の非常灯に照らされた長身は、やたら細く見えた。

「――ウェイルー捜査官、先ほどは取り乱して申し訳ありませんでした。自分には警官としての自覚が欠けていました」

 静かにダクトは頭を下げた。声には、いままでの軟弱さはない。

「――いや、私もさっきはやりすぎた。死んだのはお前の上司である以上、取り乱すのも無理はない。それにゼントリーとの情報交換の事を話していなかった」

「それでも、冷静さを無くすべきではありませんでした。ウェイルーさんの言うとおり、ゼントリー警部が情報を渡そうとしていた場なら、どこまでも慎重になるべきだった――ウェイルー捜査官、ゼントリーさんの身内はアリシア・ダナという姪子さんが一人だけです。他の身内の方は全員病気や事故などで亡くなっています」

「……アリシア・ダナ? その名前は」

 記憶のどこかに引っかかる。たしかどこかで見た名前。

「この中に記載されています」

 手渡されたのは、「吊し切りケリーストレンジ・フルーツ連続殺人事件捜査概要」と書かれたファイル。
 開かれたページは、「被害者名一覧」

「まさか」

「はい、ゼントリーさんの唯一の身内は、二年前に吊し切りケリーストレンジ・フルーツの被害者として亡くなっています」

 記憶に残っていたのは、この事件概要を読んだ中に名前が載っていたからか。

「ゼントリーさんは、未解決に終わった事件をその後も調べ続けていて、解決失敗を掘り返されて失点に繋がることを嫌がった署長と対立していたんです」

「それが冷遇されていた理由か」

 明らかに嫌がられていたウェイルーの登場。その出迎え役をやらされていた、押し付けられていたということからゼントリーの立場が推し量れる。

「僕は、いえ自分はゼントリーさんから刑事としての一から仕事を教わりました。それでも、満足に仕事が出来ない自分では、ゼントリーさんの相棒にはなれなかったんでしょう」

 ダクトが何も教えられていないということは、何も期待されてはいなかったということ。

「ダクト、ゼントリーは恐らくお前に累が及ばないよう気を使っていたんだ。お前を私に付けたのも、私の近くの方が自分より安全だと判断していたから……」

「そりゃ、自分が優秀じゃないことはわかってます。わかってるんです。それでも、それでも、僕は……あの人の相棒になりたかった。ただの若造の増長だと思われても、それでも」

 言葉が消える。どれほどに願おうと、己の能力という壁の前ではなんの意味も持たない。
 目頭を抑え、青年は顔を覆う。
 ダクトはただの刑事だ。ただ凡庸と雑務をこなす野心も独立心も高い能力も無い下っ端の警察官に過ぎない。それは悪いことでもなく、ただよくある普通というだけである。
 そして、今、普通ではいられない、普通では戦うことの出来ない状況の中で、彼のような人間が選ぶ道は二つしかない。
 状況から逃げるか、普通である己を変えるため目覚めるか。

「……ダクト、そこからだ。よほどの天才でも無い限り、大抵の人間はそこ・・から始まる。己の無力を噛み締めて、勝てないものに抗おうとするところから人は目覚める。私もそこから始めた人間だ、いつだってそこから始めるしかないんだ」

 失うことで、敵わないことで、傷つくことで、人は目覚める。
 抗うために、繰り返さないために、乗り越えるために、人は変わる、変わることができる。

「……はい」

 顔を上げる。ダクトの視線は、真っ直ぐにウェイルーを捉える。決意の光が瞳に灯る。

「あの、それでウェイルー捜査官。ゼントリー警部の解剖の結果は……?」

「ああ、とりあえず腹部等を切開したが、そこには目立った外傷跡がない。恐らく死因は脳への長時間の血流停止」

「……それは、どういうことが原因の死因なんですか?」

 周りに大量の血液が溢れていたのはダクトもみている。だが外傷がないとは?

「腹部等には魔術使用痕跡を示す魔力残渣が観測された。それから、外傷がないのは胴体のみで、後頭部に打撲痕の内出血があった。致命傷ではないが、気絶くらいには繋がったかもしれない、そんな程度のな」

「ゼントリー警部を殺したのは、ウェイルー捜査官の追うミキシングですよね? ミキシングがゼントリー警部を殺す理由とは……」

「それなんだがな」

 腕を組み、しばし思推するウェイルー。やがて口を開く。

「ゼントリーを殺したのは、ミキシングではないような気がする」

「そ、それは、だってミキシングは凶悪犯で」

「そうだ、やつは予測出来ない怪物だ……そして高い知性と異質な思考、異常な戦闘能力を持つ。だが合理的なんだ。どこまでもな」

 ウェイルーの考えるミキシング観。無味無臭、無色透明、それでいて凶悪な劇毒。容易に飲み込まれ、体内深くで牙を向く。気がつけば、致命的な何かを招く。

「ヤツなら殺すだけならもっと簡単に出来るんだ。そしてゼントリーをそんな手間のかかる殺し方にする必要はない。――恐らくゼントリーの死因は、殴られて昏倒した所をナイフで刺されて死んだんだ」

「ナイフで、……刺されて? でも外傷は」

「腹部に魔術使用痕跡があった……恐らくはミキシングはゼントリーを治療していた。助けようとしていた、そう考えるとつじつまが合う」

「助け、ようと……? なぜ、なぜミキシングがそんなことを?」

 ダクトの問い。ウェイルーの思推が深まる。

「やつの行動の動機を考えてもさほど意味はないだろう。だがヤツの行動自体は、どこまでも――先ほども言ったが合理的だ。ゼントリーの殺し方は非合理的過ぎる。ミキシングは殺そうと思えば、即座に人を叩き潰せるんだぞ? それがなぜわざわざ原型を保たせ、なおかつ死体を修復しなければならない?」

 殺すだけなら、一瞬で、かつ徹底的にできる。それをしなかった理由。あるいは、最初から殺す気がなかった。

「胸部、恐らくは傷口の近くに極小さく薄い金属片が数個見つかった。推測するに、ゼントリーを刺したナイフの破片だ。ゼントリーを殺害した人間は、ゼントリーを殴り気絶させた後、倒れているゼントリーを刺して殺害した。しかもミキシングが助けようとしていたということは、それでもまだ即死ではなかったんだ。倒れている人間を確実に殺せない時点で、ゼントリーを殺した犯人はミキシングでも戦闘訓練を受けた人間でもない」

 ウェイルーの推理が続く。ゼントリーは、あの状況下で一体どの陣営に組する人間に殺されたのか。

「では、誰がゼントリー警部を?」

「わからん。そもそもあの場所にいたはずのゼントリーの連れてきた『証言者』の行方が不明だ。それらしき人物の死体も発見されていない」

 『証言者』、ゼントリーがウェイルーをあの場に呼び出した理由の一つ。それがいない。

「あれだけの戦闘です。下手をしたら死体が混乱で見つからないか、拉致されてしまったか」

「そう、拉致されただろうな。あるいは、うまく逃げたか」

 疑問、なぜゼントリーは殺され、『証言者』はいなくなったのか。

「ゼントリー警部の所持品で何かなくなっていたものは?」

「手帳、財布などだな。なにかゼントリーの書き残そうとしたものは見つかっていない。財布も金目当てというよりは財布になにか隠してないか危惧したのだろう。そして左腕の袖が引きちぎられていた」

 回想する。建物に鋼糸を引っ掛けて移動するミキシングが、何かを手に掴んでいた。

――ゼントリーは、左袖に「何か」を隠していた……? ミキシングはそれを見つけたのか? とにかく、この状況からゼントリーがストレンジ・フルーツの件だけで私にコンタクトを取ろうとしていたとは考えにくい。その件だけならばあれほど慎重になる必要がない。……やはり、今起こっている連続殺人とストレンジ・フルーツには繋がりがある、ゼントリーはそれを掴んでいたから消されたのか。

 この街で一人の男が死んだ。冷たい路上で心臓を止めた。ただ不器用な、名も無きただの刑事だった。
 事件は、その死さえも燃料に駆動し続けている。
 男が何を伝えようとし、何を残そうとしたのか。それさえも今はわからない。
 今わかることは、その男が「何か」を掴んでいたということ。

――「証言者」の生存、まずはそれに期待するしかないか……? とにかく、今は、

「ダクト、とにかくもう今は夜だ。やることも今より定まらん以上――メシでもいくか?」

 まずはカロリーを補給したい。そして休養が欲しい。

「え、あーあの、そのですね、ウェイルー捜査官……」

 食事の誘いに、ダクトは気まずそうに返答する。

「誘って貰って失礼なんですけど、家、帰らせて貰ってもいいですか? 犬飼ってるもので、そろそろエサやらないといけないんですよ」

「犬? お前はペットが飼えるところに住んでいるのか」

「いえあの」

 気まずそうにダクトが微笑む。

「単身者用アパートメントなんですけど、ペット禁止なんで秘密で飼ってるんですよ。ほら、暴れたり鳴き声も出さないよう丁寧に躾してるんで近所迷惑にならないですし」

 何がほらなのかわからないが、曖昧な笑顔を向けるダクト。

「そういうのはいつかバレるものだぞダクト、そもそも本当に鳴かない犬なんているの……」

「ウェイルー特別捜査官殿、よろしいですか」

 遮るように声がかけられた。振り向いた先には長身の背広姿が二名。
 腰に帯剣した男が二人、ガッチリとした体系。=アシュリー市の刑事達。

「署長よりウェイルー特別捜査官殿に今回のゼントリー警部死亡についての説明願いがありました。ご同行願えますか?」

 表情無く呟く刑事。蝋のよう生気の無い肌と目つき。大股でウェイルーとの距離を詰める。

「断る」

 即答。後ろを向くウェイルー。そのままゆっくりと歩き出す。進路は階段、目的地は出口へ。

「それはなぜで」

 問いが終わるより早く、ウェイルーが返す。

「理由は二つ。私は特別捜査官権限第十三項により『自己判断の重要情報封鎖権利』を発動する。ゼントリー死亡の経緯は『M』捜査についての重要情報と判断し警察への情報譲渡を封鎖するものとする。その上で私に聞きたいのなら、軍団長職以上の人間に意義申し立てをし、許可の判断が降りた上で伝えよう」

 早口に唱えながら、脚を速める。刑事もウェイルーへ追いつこうと歩行を早めた。

「そんな意義を訴えて許可を待っていたら、書簡の往復に三日はかかるぞ! なにを考えている!」

 怒鳴りつける刑事を無視し、ウェイルーが更に語る。

「二つ目の理由は、私は今空腹だ。署長の面を拝んだ後に食う飯はマズそうなんでな」

「こ、の!」

 刑事の右腕が、ウェイルーの左肩へと伸びる。

「触れるな、折れるぞ」

 忠告。左肩が掴まれたのはその言葉と同時だった。
 瞬間、ウェイルーが横へ半回転。掴んだ状態の右腕が、急激な動きに伸ばされる。
 伸びきった肘に、ウェイルーの掌底がぶち当たる。ミシリという音と何かが潰れる感触。
 肘の関節が、逆に曲がった。

「があああああああああっ!」

 膝をつき腕を押さえ悲鳴を上げる刑事。ウェイルーは冷えた目で見下ろしていた。

「私は言った事は守る性分でな、忠告はしたぞ」

「き、貴様あっ!」

 相棒の腕を折られ、もう一人が腰の剣に手をかける。

「ほう。いいな、抜けよ。――私も殺す言い訳に困らなくて助かる」

 ウェイルーは刑事を睨んでさえいない。視線さえ向けず、注意さえしていない。
 あの程度、目を瞑っていても難無く斬れる。

「あ、ちょ、ちょっと大人しくして! うわーポッキリイってるよ……」

 ダクトが腕を折られた刑事の手当てをしていた。刑事の剣を添え木代わりにしてやっている。

「……ダクト、何をやっている。早くお前も家に帰って休め」

「は、はいこれ終わったらすぐ帰りますから、ほらできた。じゃあこれで」

「おい! ダクト・マッガード! お前にも署長から呼び出しがあるんだぞ!」

 ウェイルーを前に動けぬ刑事が、腹立たしさにダクトを怒鳴りつけた。

「いや、ダクトは休息を取る必要がある。私の権限でダクトは帰らせるぞ。なにか異論は?」

 ウェイルーの言葉に、刑事は無言のまま停止した。
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