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ヴィツェプレミエールの回想
作:我門隆星



§058 休講


 実は、風邪を引いたようだった(何を今更とは思うが)。
 そういえば、初日以前から、ずっと体の調子が良くなかった。
 
 西暦一九〇六年(大正二十二年)一月九日火曜日の午前七時。
 早いとは思ったが、私はSの携帯に電話をかけた。
 
 「G君か……」と電話の向こうのSも、声に張りがない。おまけに電話のこちらも向こうも、咳き込んでいる。
 
 「ええ」と私、咳をしながら。
 「君……元の世界から、えげつないものを持ち込んでくれたな」Sによる風邪の示唆を、気づかぬふりも出来た。しかし、私は素直に謝ろうとした。
 
 「どうも……」すみませんとも何とも言えず、私は咳き込むのみ。
 「まあ。どうやら、インフルエンザではないみたいなので良かったようじゃが」
 実は、インフルエンザのキャリアも私が務めた、らしい。私自身が発病せず、東団地で破裂した、と後日に聞かされた。
 
 「すみませんが……欠勤ということに」
 「ああ、G君。これで、名実ともに、学級閉鎖、じゃな」
 「へ?」
 「Hも倒れちょるし、あの頑健なYまでも、倒れちょる。当然ながら、エカチェリナもな」
 私は無言で咳き込む。
 「これで講師も生徒も全滅じゃ」
 「生徒?」
 「妹さんも寝込んじょるし、お兄さんも寝込んじょる……。アルファは安宅医院をベースとして往診してくれちょるみたいじゃがな」
 
 げぼげぼと咳き込みながら、私はSに聞く、「安宅医院?」
 「紅旗亭の近くにできた、病院じゃ」
 「それは、好都合。通院……」
 起き上がろうとした瞬間、激しい咳の波が私を襲った。
 「心配しなくても」と向こうでも咳き込んでいる、「向こうから来てくれちょるよ」
 
 それは費用がかかる、と抗弁しようとしたところ、電話は向こうから切れた……。いたしかたないか。
 
 エアコンの暖房が入った。私は訝しげに見上げる。というのも、私の部屋にあるエアコンは、年代物。まずリモートコントローラーがない。スイッチは冷房と暖房の切り替えのみ。そして、当然のように、サーモスタットに直結するアナログな温度調節つまみがある。温度ではなく文字どおりアナログな1〜6の目盛りがついているのみ。
 
 視線を戻すと、そこにアトムコートがいた。
 「ええと。寝ていたほうが、よろしいか、と」
 エアコンは急激に、室温をあげつつあった……。
 これほど性能が良かったような覚えがないが?
 
 「さきほど、性能部のみ置き換えました」
 遠めにも、アトムコートの肩に、薄くδの文字が見える。
 
 「デルタということは、四番目の安宅博美さん?」
 
 「はい、Gさんの言い方だと、そういう形になります」
 「では隊長(一番目の安宅博美)は?」と私は両手を蒲団の中に戻す。
 デルタはその私の右手を蒲団から引っ張り出した、「言わない約束ですが、安宅医院を指揮所として、各アルファの派遣・監視の……」
 「管理をしていらっしゃる、と」
 「ええ」と医療カバン(?)からデルタは不透明な円柱を取り出した。軽く一回、上下に振る。そして、服の上から円柱を私の右腕に押し当てる。
 「何、それ」
 「いいものです」
 「怖いのだけれど?」
 
 無視してデルタは、円柱の上部に自身の親指を乗せた。ばしゅっという音。
 「注射ね……」と私。ええ、と小声でデルタが応えた。
 「でも、なぜ即効性?」急激にめまいがしてきたのである。
 「もう何も考えずに、ゆっくりお休みください」
とデルタは私の腕を蒲団に戻しながら言う、「明朝もお休みするよう、関係各所と取り計らっておりますので……。気分回復すれば、明朝、安宅医院に」
 「外来で……通院する……のね?」
 「あ、無理せず、お休みください」
 「安宅さん……」と私、デルタであるが構いもせずに言ってしまった、「ぼくと結婚……」
 「Gさん」とデルタ、「お手つき。私は隊長閣下ではありませんので……」
 しかし、そのときに私は、もう眠りこけていた。
 
 目が覚めると昼下がりの陽光が、窓辺に差し込んでいた。もうアトムコートもいなかった。
 起き上がる。頭がふらつくが、気分は少し回復している。
 
 「けほけほ」と軽く咳き込んで枕元を見た。銀のトレイに小さな紙袋が載っている。
 「銀の盆はない、と思うが」
 
 私は紙袋を見た。袋にはロゴ「安宅医院」とある。
 
 私は蒲団の中に、紙袋を手にしたまま横たわる。中身を見た。
 透明の白い袋には顆粒。元の世界と同様の抗生物質か何かだろう。
 錠剤が数点。胃腸薬と解熱剤、鎮痛剤といったところか。
 私は薬を飲もうとして、袋の文字に気づいた。
 
 ……一日三回、毎食後。
 
 食事はともかく、飲み物を探すべく、キッチンへと赴いた。
 キッチンには買い置きの、五百ミリリットル入り瓶詰め緑茶が、二ダースほど積んであったからである。
 
 自室からキッチンに向かうと、ダイニングがわりの座敷を通る形になる。居間、すなわち仏間兼用。仏壇があり、床の間がある。そして、仏壇と床の間に挟まれた作り付けカウンターの上、天袋の下には、母の遺影。
 見ると、ビデオが、元の世界のタイマーどおりに、何かを録画している……。全チャンネルがカラーパターンかニュースしかないというのに。
 
 ふと見ると、座卓には、今朝の新聞と、盆が置いてあった。盆には、白布で覆いがかけられている。
 まず、今朝の新聞を手に取る。
 「薄くなったものだ」と私は笑う。日付は、きちんと西暦一九〇六年(大正二十二年)一月九日。新聞名は……「滞在新報」銀河帝国の人間は、「遭難」という語を嫌う。……自己欺瞞ではないのか?
 「薄いというレベルではないな」と咳き込みながら、私は笑う。というのも、サイズは元の世界と同じ。しかし、紙面は裏表一枚のみ。その中に、今日の番組と滞在者たちが経営すると思しき各企業の宣伝(株式市場オープンに向けたものだろう)。中には、私が「こういう企業が欲しい」と申請して認可されたものもある。
 
 とりあえず、新聞は脇によけて、白布を取った。土鍋、メモ、小皿そして水薬の瓶(プラスチック性)。
 
 「暖めて、お召し上がりください/申し訳ありませんでした/安宅博美」
 
 はて……何を謝罪しようというのだろう?
 「さすがに、水薬を暖めよというわけではないだろうから……」
 そっと土鍋を触った。まだ少し暖かい。私はキッチンからスプーンを手に戻る。そっとすくう。
 
 「……少し暖めたほうがよいかな?」
 
 私は、数分、土鍋をガスコンロにかけて、暖めた。ちゃんと、元の世界同様にガスが点火できるようになったので、安心する。
 元の世界の癖、なのだろう。テレビをつける。相変わらずのBGMつきカラーパターン。
 
 私は、粥を食べながら、苦笑する。「……なぜ演歌?」
 
 日本の男性ベテラン歌手がよく歌った、意味不明な演歌。内容は簡単。ある男性は木こり。彼の配偶者は自宅で、織布を手操作の織機で作成する。その木こりに「配偶者が自宅で待っている」と終業時刻を示唆する……たったそれだけ。
 
 「たしかに」と私、「どういうわけか、その歌を(パキスタンの)カラチだか(エジプトの)カイロだかで聞いた覚えがある。国際的な歌と言えなくもないのだが、なあ……」
 
 後で聞くと、航空機事故で急逝した歌手が「失恋したから涙がこぼれないように上を向いて夜道を歩こう」と歌った歌も流そうとしたらしい。しかし、銀河帝国政府【だけ】の番組編成会議では、不謹慎ということで、その歌の放送が却下された。失恋云々の内容よりも、海外で日本の鍋料理の歌に化けたことが不謹慎とされたらしい。なお、同じ歌手が「明日という日も夢もある」と明るく歌った歌については「銀河帝国推奨」として放送しようとしたらしい。しかし、東団地基準で見ると不謹慎に聞こえかねない。そういう理由で、やはり見送られたという。
 
 粥を食べていると、また演歌が流れ出した。私の心に、苦笑を通り越して、怒りがこみ上げてくる。
 画面を見ると、一生懸命、各国語に「リリック」を翻訳してテロップで流している。
 ともかく……。次の演歌では、ベテラン女性が、「北日本のとある宿泊施設に私は滞在しています。愛するあなたに贈呈しようとしているセーターを縫っているのですが、あなたは着てくれないでしょう」と嘆いている。
 安宅は、不実な私を、それほどまでに詰りたいというのか?
 
 「……我慢がならぬな」と私は笑いながら激怒する。
 
 というのも、次の歌は、中近東風のリズムが印象的な、日本のポップス。「子供たちが両手を空に広げている」ような雄大な旋律が好ましいといえなくもない。しかし、内容は、やはり不実な私を詰っているように聞こえる。
 
 「私の指があなたという存在に届くかもしれないと、愚かにも夢想していました」
 「でも空と大地は触れ合うことなどありませんでした」
 「私という存在は、あなたにとって後ろを振り返ってみただけの異星人にすぎないのでしょう」
 
 私は自室に携帯電話を取りに行く。なお、安宅の名誉のために付言すると、この歌を選択したのは、シウだそうである。当初、安宅は別の歌を流そうとしたらしい。
 
 「私の肩に、一対の白い翼を取り付けてください。そうすれば、私は自身の翼をぱたぱたさせて、無限の大きな青い空の中へと飛び上がっていけることでしょう」
 
 番組編成会議が「非生産的にして逃避行為を促進する不謹慎な歌」として却下したのも無理はない。
 
 私は携帯電話をかけようとして、思いとどまった。ついに、エーゲ海マーチが歌詞つきで放映されたのである。
 
 最初どういうわけか、「インドネシア語?」と私は思った。続いて、どういうわけか、「ベトナム? タガログ? ……タイではないよなあ」とある国を迂回していることにも気づかずに、思った。
 
 決定的な語句を「エーゲ海マーチ」が詠唱する、「ウリナラ・マンセー」
 
 咄嗟に、私は頭の中の抗議内容を変更して、電話をかける。リフレインの後半になって、やっと相手は出た。
 
 「【あなたも】抗議なさるのですか?」と、いきなり安宅。
 「たぶん」と私、「他の人とは抗議する内容が違うと思うのですが」リフレインの後半は、私の怒りに油を注いだ。
 「本当ですかねえ……」と安宅。
 「南山の……」とエーゲ海マーチが歌いだしたとき、私は電話に、「ちょっと待って」と言った。
 「何を待つのですか?」
 「リフレインを……」
 「槿三千里、華麗江山」とメロディーもつけずに安宅は漢字を和風に発音して告げた。

 「そうではなく……」
 「では?」と安宅。私は指先で指揮者のように四拍子を取りながら、エーゲ海マーチがリフレインの後半に達するのを待つ。安宅にならって、私は歌詞の漢字を和風にカナ書きする。
 
 「ダイカンの人よ、ダイカンを永遠に保全せむ」
 
 私は外国語のボリュームに負けないよう、携帯に怒鳴る、「これよ、これ。……なによ、これ!」
 
 「ええと、ですねえ」
 「ちゃんと説明してもらおうかい」昭和・平成では、普通「大韓」と書く。
 
 結局、エーゲ海マーチではなく「愛国歌エーグッカ」作曲は安益泰。普通は、大韓民国の国歌である。
 
 私はテレビの電源をオフにした、「さあ、ちゃんと、納得できる説明を、してもらおうかい?」
 「Gさん、無理をしないほうが……。お体にだいぶ良くないと」
 私は先方の行動トレースを無視した、「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと説明せんかい、こら?」
 「それが……ですねえ」
 「しかし、おめえ、断っておくが」と私、「よりにもよって銀河帝国の中で韓国の国歌を延々と流し続けるという、ワケの解らぬ行動にちゃんと説明して。さもないと、ただではおかぬぞ?」
 「脅迫ですか?」
 「私は、正当防衛と主張したいところなのだがね?」
 ふう、と安宅は電話の向こうで溜息をついた、「Gさん、昨日、私の望まないことはしたくない、とおっしゃったばかりですよ?」
 
 「俺、『できる範囲で』とか言っていなかったっけ? 俺の『できる範囲』をとうに超えたところまで君、行ってしまっているのですけれども?」
 「それは誤解だと思うのですが」と安宅、小声で呟く、「確かに、他と違ったケースの抗議、だわ」
 私は安宅の呟きを、噛みつかぬばかりに聞きとがめる、「どこがどういう具合に、違ったケースなのですか?」
 「韓国の国歌と知った上で抗議してきた人は、Gさんが初めて、ということです」
 「昭和の人と【他の平成の人】で抗議してきた人はいないの?」
 「昭和の人は全員寝込んでいます。Gさまお父様は、ガンマたちによる治療に疲れたのか、ぐっすりとお休みです」
 
 「ああ……ひょっとして、風邪とかの原因って、もしかして、オレ?」北西団地と東団地では重篤な患者も出たと、新聞のトップに書いてあった。
 「ええ、そのとおりのようです」
 「それは……すみません」
 「いえ、それは私の謝るべき話です。Gさんが何回となく指摘したように、銀河帝国の検疫体制が、甘かったようです」
 
 「で、韓国」
 「えっと……少し長くなりますので、先に、お粥のほうを食べていただいたほうが。食べている間、私がかなり長々とご説明さしあげる形にしたほうが良いと思いますので」
 「まず、説明を」

 「しかし……そのお米、冷ますには惜しい、せっかくの新潟産ブランド」
 「へ? 銀河帝国に?」
 「Gさーん……。ひどいですよ?」
 「へ? 何が?」
 「そのお粥、【食糧庁の工場から直接】転送させたり再現させたりしたものではありませんよ? 土鍋はもともとGさんのおうちにあったものだし、お米もGさんの家の、買い置きのものだし……」
 「え……まさか。このお粥作ってくれたの……安宅さん自身?」
 「ほかの誰が作ったと思ったのです?」
 安宅が、この土鍋に触った……。洗った。米を研いだ……。
 「あ、Gさん、土鍋が熱くなっているので、頬擦りはなさらないほうが」
 「……ばれているのね」
 
 「ご説明申し上げますから。召し上がりながら聞いてください。……それでも質問が残っていらっしゃるならば、後でまとめて伺いますから。ね?」
 私は片手に携帯、片手でスプーンを咥えながら、頷いた。……あまり行儀の良い姿ともいえないが。

 「高麗世界つまり、北西団地の人々の世界を簡単に申し上げますと……。地球全土が共産主義になって長年経ったとお考えください」
 「げ」と私は粥を喉につまらせそうになる。
 「彼らの世界では、ルネッサンスが叫ばれています。すなわち、金銭の復帰、宗教の復帰……」
 「要するに反動、と」私は、粥を口に運びながら応える。やはり、あまり行儀のよいものではないが。
 安宅は応えずに続けた、「ところが宗教の復帰という段になって、三つの宗派が出てきました。キリスト教、イスラム教そして……」
 「仏教?」
 「いいえ、儒教です。儒教と仏教を混合させたものを『儒教』と呼んでいます」
 「ほう。では、日本は、意外とキリスト教圏ですか?」
 「東アジア全域は、儒教圏となりました……一部イスラム圏を除きますが」
 「で?」
 「もともと国名というものがなくなって久しかったのですが……儒教圏は、国名として『ダイカンミンコク』を選択しました」
 「で、韓国ですか」
 「字が違います」
 「……へ?」
 
 「説明を先に続けますが。ダイカンミンコクの範囲は、東は南北アメリカの西海岸、西はウラル山脈」
 ぶっと私は粥を噴き出した、「……は?」
 安宅は続ける。
 「ウラルからテンシャン山脈を通って、チベット高原を横切ります。そして、やや北上して、揚子江を下ります」
 「中国大陸の北部、ということか……。え、南部は?」
 
 「解りにくかった、ですか? では、逆に、イスラム圏を考えてみましょう……。まず、ヨーロッパ全域」
 ぶっと、私は再び粥を噴き出した。「全域? スカンジナビアも?」
 「スカンジナビアだけでなく、カナダの一部、アイスランド、グリーンランドもブリテン島も含んでいますね……」
 「すげ……」
 「アフリカ大陸全土、ロシアのヨーロッパ側、ウクライナ、中近東全域。旧ソ連の……」
 「ウズベクとかカザフとかも当然」
 「はい。もちろん、中国西部のイスラム圏も含みます。そこからインドに南下して、ブータン、ネパール……」
 
 私はスプーンを置いた。
 「あ、お召し上がりになったほうが」
 私は首を横に振る。
 「もう少し召し上がったほうが」
 「そうではなくて……。せめて、吹きこぼさないような話になるまでは、止めておこうか、と」
 
 「では、少し簡略にしますね。……要するに、東南アジア全域とオセアニア・オーストラリア・フィリピン・ハワイもイスラム圏になったとお考えください」
 「はあ……。すると残りの東側が儒教圏で、西側のアメリカ大陸の一部がキリスト教圏……と」
 「はい。そのような三極構造となりました。それで、儒教圏は、ダイカンミンコクと自称しました。どういう字を書いたでしょう?」
 「想像もつきません」
 「漢字の漢、です」
 「は?」
 「サンズイヘンに草冠……」
 「ああ、漢字ね……。て公用語は、中国語、ですか?」
 「Gさんが聞くと、韓国語にしか聞こえないと思います」
 
 「いやあ……なんというか。パラレルワールドのパターンには、可能性が無限にあるのだなあ、と痛感しましたが……」
 「そのことも出来れば【言わない】よう、私、エレベーターの中でお願いいたしませんでしたか?」
 私は、全力で思い出そうとする、「いいえ、お約束していなかったと思いますが?」
 「では、今、してください」
 私は、ただ、「はい」とだけ頷いた。
 
 「では、説明を続けますが……。儒教圏の国は、『大漢民国』と自称しました。古代中国の国『漢』の後継であることを意識したようです。ただし、儒教圏の首都は開城ケソンにあります。そして……日本という国は」
 「存在しないうえに、儒教圏すなわち韓国語圏の領土となっているわけね?」
 「それだけではありません。半島・大陸からの人員が押し寄せて、先住の日本人たちは脇に追いやられています」
 
 「ああ、なんとなく、解ってきたぞ」と私、「つまり、北西団地の世界では、日本人が米国先住民みたいな地位つまり、典型的な『マイノリティー』になっている、ということだ」
 「【全く、そのとおりです】」
 「なお、たちの悪いことに、高麗世界では、大陸からの移住者たちを先住民から守るように、隔壁で閉ざしている。……転送された北西団地のように、そうパレスチナとイスラエルの間のように。しかも、彼らは外の人間、つまり先住日本人に対して、米国民が先住民に対するような畏怖と軽蔑と、わずかながらの尊敬を抱いている、ということか」
 
 「でもGさん? こちらのトレースでは、『すげえ』不安感を検知したので申し上げますが……。Gさんの蔵書は帝国のみならず高麗世界からの滞在者・北西団地の人々も救ったのですよ?」
 「へ?」
 「Gさんの蔵書の中には、各国の国歌を掲載した本がありました」
 「ああ、そこから、韓国の国歌を見つけたって?」私は、その歌自体を失念していた。そもそもスイスとカナダの国歌を探すために購入したものだったからである。
 
 「帝国は北西団地のために、警戒を解いてもらうために、さらにはできれば他の滞在者のみなさんと北西団地が交流できるように、愛国歌をそのまま放送しました。……メロディーラインだけでも彼らに感銘を与えたのですが。歌詞を放映した今日、何が起こったか解ります?」
 「見当もつきません」
 「それではヒント。……彼らの世界、儒教圏は、比較的最近に、全土が、【イスラム圏から独立】しました」
 「……げ」
 「あ、正解のようです。どうぞ、おっしゃってください」
 「言うまでもないのだろうがよ……」
 「いいえ、是非、ご自身の口で、おっしゃってください」
 「まさか、イスラム圏って、イスラム原理主義?」
 「それは、ともかく、Gさん、お答えは?」
 「儒教圏の大漢民国に、国歌がなかった」イスラム原理主義は、音楽を禁じる。
 「はい、大正解です」もっとも、独立したての国に、国歌があるとも思えないが。
 
 「転送直後、彼らは、非常に警戒していました。……先住倭奴(ウエノム)。あ、ごめんなさい」
 「いいえ。彼らは、実際もっと酷い言葉を使っているのでしょう?」
 「そうですが……。とりあえず続けますね。先住倭奴(ウエノム)が攻撃してきたのか、と考えたそうです」
 「轟音なり何なりを攻撃の音、と考えたわけね?」
 「はい。音楽と、チョッパリと呼んでも動じず自国語で冗談を返す役人の登場に、多少警戒を解くことになったようです。そこに来て、彼らの言語で彼らに馴染みの深い地名を歌い上げる歌……。トドメが、彼らの言語で『ダイカンの人ダイカンを保全すべし』と歌い上げた……」
 「彼らは、韓国の国歌を自分たちの歌と誤解した……というわけね?」
 「それも深い感謝を銀河帝国に捧げてくれる形で……。帝国政府は、いえ、私としては、誤解ではなく、正解としたいのですよ、Gさん?」
 
 「そうは言っても、なあ……他の人は、紅旗亭の他の人たちは、どうお考えなのか……」
 「では、一人ずつ支障の有無をお伝えしましょうか……。あ、冷めますので、早めにお粥をどうぞ?」
 「はあ」と私は粥をすする。
 
 「まずBさんとEさんがたですが……。彼らの世界の朝鮮半島は、『ロシア自由市民同盟』の直轄領となっています」
 「はあ?」
 「江戸時代オランダの東インド会社みたいなもの、とお考えください」
 「はあ……」それは植民地会社ということか?
 「したがって」と安宅は私の疑問を無視して進める、「彼らは、韓国語の歌はおろか、韓国という存在すら知りません。朝鮮という地名は、知っています。しかし、国としての朝鮮は、【十三世紀以降に存在していない】ようですので」
 
 「おい……最初の説明と違うぞ」
 「何がでしょう?」
 「すげえ昔から時間が枝分かれしているではないか……」
 「ああ、あのときの説明は、わかりやすいように要約したものとお考えください」
 「はあ」勝手にしやがれ、とそう思った。
 
 「勝手ついでに説明を進めますが……。Mさんの世界では韓国らしき国がありますが、韓国語という言語が消滅しました」
 「ああ、日韓併合で、禁止されたのね?」
 「いいえ。Mさんの世界では、文禄の役で、李氏朝鮮も明も消滅してしまいました」
 「は……?」咄嗟に、私は、何のことだか、わからない。
 「詳しい経緯は省きますが。豊臣家による朝鮮出兵は大陸にまで到達したようです。そこで女真族の包囲にあって豊臣家臣団が全滅。朝鮮半島に侵入した女真族が、そのまま自分たちの国を建国してしまいました。自国語の美称を元に、『満州国』と呼ぶようになりました」
 
 「満州国? 清ではなく?」昭和・平成世界の女真は、豊臣出兵よりもはるか後に後金を建国し、後に清を自称したはず。
 「満州国です。朝鮮半島に、満州国があります」
 
 私は額を押さえた。
 「あ、発熱と頭痛が再発したようですね? 早く薬を飲んで、お休みくださいね」
 「……頭痛がするのは、風邪のせいだけではないと思うがなあ」と私はお粥を食べ終えて、薬にとりかかる、「要するにMさんたち(の世界)も、韓国語なり韓国なりは、なかったわけね?」
 「ないわけではないのですが、満州、と呼んでおられます」
 私は無言で粉薬を水薬で流し込んだ。
 「あ……量が多い」と安宅。
 「げ……」
 「まあ、その水薬は、主成分よりもプラシーボ(偽薬)が多いので支障は少ないと思うのですが」
 「あんたねえ!」どこの世界に、自分の出す薬がプラシーボだという医者がいるというのか、「それよりも、昭和の日本人に、エーゲ海マーチは通用しないでしょ?」
 「受け入れていただきます」
 
 「安宅さん……一人、お忘れでしょう?」
 「でも……Gさんは、本来、そのようなことを頓着なさらないはずでしょう?」
 「違うよ。父だよ」
 「お父様……だめですか?」
 「うーん。父の滞在条件に触れると思う。というのも、おそらく、俺に娘を作らせるという願いの次ぐらいに、韓国語を出してほしくない、出すぐらいなら元の世界に帰せとか言い出すのではないかな?」
 
 父は、一時期、韓国に住んだことがある。父は、純粋に個人的な体験から、韓国に対して、きわめて悪い印象を抱いて帰国した。そう、どれほど「名作の映画」と言われても、「韓国の」という言葉がついただけで、拒否反応が現れる。「韓国語は、もう二度と聞きたくない」とまで言い切っていたのである……。その父が、韓国語の愛国歌を受け入れることができるだろうか?
 
 「うーん……。どのように考えても、父には無理だと思うが?」
 「あのう……Gさん?」と安宅、「こちらのシミュレータでは、三割の確率で、お父様が受け入れる、四割の確率で『無視する』という結果がでていますが?」
 「うーん」しかし、私は別なことを思い出した、「でも……安宅さん? エーゲ海マーチで、もう誰かが現実に、すげえ抗議をしているのでしょう?」
 「ほんとうは国家機密ですが……。うん、いいや。Gさんにも関係のある話ですし」
 「は?」
 「実は、東団地の人々で何人か、強硬に抗議を申し入れてくるかたがいらっしゃいまして」
 「ぜんぜん、おっしゃることがわかりません」
 
 「あの……Gさん? お風邪で頭が朦朧とされているのはわかりますが」
 「薬のせいではあるまいな?」
 「それもありますが……。今すこし、考えていただけません?」
 「倒れそうなのですけれども?」
 「あと少しですから。……Gさん。あの歌をエーゲ海の歌と勘違いした人が……」
 「おれもだったがな」
 「いえ、東団地の人が……黄色人種の歌と気づいて」
 「は?」
 「【きわめて人種差別主義的な】言葉を連ねて、非常に怒っていらっしゃるのです」
 「……一人が?」
 「いえ、十数人ほど……」
 
 「何を怖がっているの、安宅さん?」
 「実は……。これは皆さんに黙っていたのですが。……東団地の中には、極東支部員のかたがたが十名ばかりいらっしゃいまして、そのかたがたが、非常に強硬に……」
 「フリーメイソンでもいますかね?」
 「いいえ。それが……そのお……。クー・クラックス・クラン」
 
 私は頭を抱えた。
 「あ……まさかGさん、黒人ではないから大丈夫とか考えてはいらっしゃらないですよね?」
 「……その逆だよ」白人でなければ、大丈夫ではない。
 「Gさん? ついでですから、もうひとつ情報を開示してしまいますね?」
 「まだ酷いニュースでも?」
 「それが……。東団地世界の、その団体……。Gさんが想像するよりも大規模になっていまして」
 「正式の政党としてナチズムでもやっていらっしゃるのですか」私は冗談のつもりだった。
 「まさしくそのとおりです。一時期は、地球規模のホロコーストと魔女狩りを同時にしたようなことも行われたようで……。いずれにせよ、東団地の世界で、有色人種といえば絶滅危惧種です」
 
 私は、ぱたっと、座敷の畳に倒れてしまった。
 「東団地の世界で生き残った有色人種は、よほどの資産家か、よほどの能力のある人か、よほどの人間的な魅力のある人か……、のようですねえ」
 おかげで、東団地のクー・クラックス・クランはナチス兼捕鯨再開論者のように見られていると言ってもよいのかも。
 
 「あ、Gさん、Gさん? 寝ないでくださーい。風邪が悪化しますよお?」
 私は携帯を掴んで立ち上がった、「も、寝る」
 「あ、Gさん。……眠っても、事態は悪化するだけかもしれませんよ?」
 「いったいどのように?」と私は携帯に怒鳴った。
 「あの……。彼ら……集会の準備とデモ行進を始めようとしているようでして」
 「誰かの等身大藁人形でも燃やそうというのですか」相変わらず冗談のつもりだった。
 「そのとおりです」の応えに、私はまた、ぱたりと畳に倒れた。
 「好きにして」
 
 「あの……彼らは、藁人形の次に、本人を燃やしに行こうとすると思うのですが?」
 「だれを?」
 「絵が似ていないので断言しかねるのですが。……トレースを見る限りでは、YさんとGさんのつもりのようですね」
 「おれさ……」
 「何でしょう?」
 「放送を分けろと言っていなかったっけ?」
 「それがそのお……。まさかここまで深刻な事態になるとは想定しておりませんでしたので」
 「一緒のチャンネルで東団地に放送をしてしまったのね?」
 「……はあ」
 「せめて、言語別に分けるべきだと思わない?」
 「いえ! それは! 帝国政府に負担が大きいので」後で聞くと、東団地の母国語を全部網羅しようとすると、十か国語ぐらいになるそうだ。
 
 「しかし……せめて、東と西に分けてよ。両方をくっつけると戦争になると言ったの、安宅さんではなかったでしたっけ?」
 それを言ったのは私だったと思う。しかし、「ええ、そうでした」と安宅は同意した。
 「少なくとも、東は……暴動が起きない程度の放送を」
 「すみません……。今まさに起きようとしています。どうしたらよいのでしょう?」
 
 「……愛国歌、止めた?」
 「止まっています」
 「北西団地は?」
 「彼らは気づいていませんが、有線放送に切り替えました。愛国歌のまま流れています」
 
 「東で、ボジェ・ツァリャ・フラニー」
 
 「効果ありますかねえ……」
 「どうなりました?」
 「あれ? 変ですね?」
 「何が?」
 「嘘のように、彼ら、大人しくなりました」
 「安宅さん」と私、「彼らって『東洋にエンペラーがいることが信じられない』そうですけれども」
 「ああ」と安宅、「そのように申し上げましたね」
 
 「つまり……とりあえずは白人の歌、と感じていただけたの、かな?」後日に当人たちに確認すると、今度は賛美歌のように誤解したという。すなわち、自分たちの愚行を諭すように聞こえたとか。
 
 「ああ、完全に沈静化したようです。どうもありがとうございました」
 「いえいえ、どういたしまして。……おれ、もう寝ていい?」
 「どうぞ、ごゆっくり……。次にお目覚めのときは、朝になっていると思いますので」
 そうなった。












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