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ヴィツェプレミエールの回想
作:我門隆星



§030 緊急入院


 私の酔いは、急に消え去る。
 トイレの前で、父がうずくまっていた。
 
 「ど……」と私は、そこまでしか声が出ない。
 「先に使え……」と父。
 「どうしたの?」
 「トイレやろ? 後でスプレーしておいて」
 
 G家では、
 
 「直後に利用希望者がある場合のみ消臭スプレーを用いる」
 
 ということになっている。
 
 私は消臭スプレーをまいて、トイレを出る。
 「情けないのう」と力のない声でつぶやく父は、相変わらず、うずくまっている。
 私は部屋に戻り、携帯電話を手に、トイレにかけつける。
 そして安宅の番号をかける。
 
 「今度は何でしょうか」と少しトゲのある声で安宅が応じる。
 「ええと。Gですが」
 「……あ、Gさんでしたか」
 着信音を個人別に分けるべきだな、彼女……。
 「どうなさいました?」
 「いい(必要ない)、大丈夫……」と脂汗を滴らせながら言う父は、けっして大丈夫そうに見えない。
 私は父の傍らの床に、正座する。
 「父が……」
 
 そう言いかけた瞬間、安宅は応えた、「すぐに、うかがいます!」
 つーっつーっつー……という音がしたので携帯を見ると、「通話終了ボタンを押してください」と表示されていた。
 門扉の呼び鈴チャイムが鳴る。
 
 「銀河帝国生化学局長官です」と、玄関の空気が震えて安宅の声を伝える、
 「入ります」
 玄関ドアのカギは外から開けられた。
 真紅と白の二色レオタード姿の安宅が、入ってきた。
 「Gさまお父様」と安宅、玄関脇のトイレの前でうずくまる父の側に寄る。彼女の足元を見ると、靴は、ない。
 全身を覆うようなレオタード状のソックスにも見えるが、裸足のようにも見える。
 
 「……だいじょうぶです。すぐに良くなりますから。ただ、ぜひ、ご同意していただきたいのですが。……これから、お父様には、緊急入院していただきます」
 父は目をつむったまま苦しそうに、尋ねる、
 「あれを、するのですね?」
 「……Gさまお父様は、よく、夜中に、ご自分で救急病棟に駆けつけて、お医者さまから緊急処置を受けていたようですが……」
 父は、床にうずくまったまま、無言で頷く。
 
 私は安宅の顔を見るが、安宅は私を無視して、続ける、
 「『あれ』すなわち、そのときの処置をこれからするわけでは、ありません。これから、完治させます」
 「手術ですか」と父、話すのも大儀そうに。
 「だいじょうぶですので」と安宅、そっと、父の頭上に、手をかざす、
 「少し、お眠りください。だいじょうぶです。朝には、完治いたしますので。お休みいただいている間に、処置はすべて完了いたしますので……」
 
 そのとき、彼女は、ヘマをした。父の心拍数・呼吸数を立体映像で、三人の前に表示したのである(後で、私のために表示した、と主張するのであるが)。
 私は無言で立体映像を指差す。
 「循環器を超空間経由にバイパスさせましたので」と数値がゼロなことは問題ない、とでも言いたそうに安宅は手を振った。
 
 父の体が虚空に持ち上がる。
 そして、虚空で、うつぶせの状態になった。
 彼女は、虚空に向け、「クレーンを引き上げても大丈夫」というように、手を上げた。
 
 次の瞬間、父の姿は消える。否、玄関も消えていた。
 私は、薄暗い金属製の床に座っていた。
 「今……」
 「本来のドアを使いました」と安宅は手を下ろす。
 私は立ち上がりながら言う、「視覚効果のないほうが、本来、ですか」
 
 「……滑らないように」と彼女。
 「うおっとぉ!」私は言っている側から、滑りそうになる。
 「滑らないように」と彼女が繰り返した。
 「いや、この靴自体が……」と私、靴が滑りやすいと言おうとした。
 私は室内で靴を履いていなかった。
 
 「おせっかい、でしたでしょうか」と安宅。
 「いえ……」と私、「多分、私の心理的に、靴があったほうが安心するとは思うのですが……。で、父は?」
 安宅は、ガラス製(?)の大きな窓を示す。
 薄暗い室内とは異なり、ガラス製の小部屋は、まぶしい光で溢れている。
 そして小部屋の中には、大きな透明のチューブ(?)。中では水か何かに漬けられた裸体の父。
 なお、「水か何か」は、帝国において保護液という。チューブのほうは「生成管」という。
 
 「エヴァ(●ゲリオ●)とか、(手塚)火の鳥・未来編とか……」
 無造作に積まれた父の衣服を手渡しながら、安宅が言う、
 「演じるのは、やめていただけないでしょうか?」
 私は、父の衣服を整理しながら、言う、
 「やめると、『言わない約束』が守れないよ?」
 「……そうですね。セキュリティの設定って、難しいですよね」
 「そうですよ」と私は安宅を見ずに言う。レオタード(?)姿の安宅は、目のやり場に困るからである、
 「セキュリティをかけるならば、徹底してかけないと、ほかの項目からの類推で、秘密がバレてしまうよ?」
 「……ご指導、ありがとうございます」と安宅が視界の隅で、深く頭を下げた。
 「いえいえ」
 と私が安宅に目を向けると、胸の深い谷間に視線がいってしまった。あわてて父に顔を向ける。
 
 「ところで、安宅さん?」
 「何でしょうか?」
 「……父の服についていた、醤油のシミがないのだけれど?」
 「付着物は除去して転送するよう設定したのですが……」と安宅。
 「においも?」
 「ええ……」
 私は笑いをこらえるように、無臭で新品になった父の衣服に顔をうずめる、
 「洗剤の宣伝で、新品を洗って汚れがとれたと主張するものがあったが」
 「ある意味で、新品ではあるのですが」と安宅、首を傾げる。そして、はらりと降りた前髪を、少しかきあげて言う、
 「付着物除去の折、繊維の補修もしておりますので」
 私は、父の着物のやり場にも困る、
 「これ、どうしたら、いいの?」
 「もう一回、お預かりしましょうか?」と安宅。
 私は笑う、「もう一回『転送』させたら、汚れが戻るのではあるまいな」
 「そういうことは、ありません」
 「一万回繰り返しても?」
 「……ありません」
 後に私はドアラインの不具合を確かめる立場になったから知っているが、当時の私に問題点など解るはずがない。ただし、直感的に、「何かおかしい」とは感じた。その時は黙っていたのであるが。
 
 私は、体を押しのけられた。薄暗い室内にテーブルが出現したからである。
 「……今」
 「はい」と安宅、「転送先に占有物があった場合、害にならないよう『どいていただく』ように、ドアラインシステムは改修されました」
 「それがあれば、われわれの蒙った事故も被害が少なかった、というわけだ」
 「いえ」と安宅、「まだ、このバージョンは、ここでのみ試験中の段階ですので」
 「え?」
 「現行運用バージョンのドアラインだと、まだ、あるケースの組み合わせにより、転送先占有物とある密度で重なると……双方ともエネルギー転換されるおそれがあります」
 「……ここ」と私、裸体の父を示す、「生物化学局?」
 「いいえ」と安宅、「北センターの中です」
 「では、帝国は、ドームを実験場にするつもりなんだ……」
 
 私の言葉に応えず、安宅はテーブルを指差した、
 「ご子息さま、大丈夫ですよね?」
 「へ?」
 テーブルを見ると、裸体の父がそこにいた。
 「……映像でしょう?」
 その立体映像は、透過処理がされており、綺麗に、内臓も把握できるようになっていた。
 「だから、映像でしょう?」
 ちなみに、私は、元の世界で父が手術を受けた折、終了後、切除された内臓の実物を見ている。
 
 安宅は首を振って、ペンを内臓の一部に当てた。
 周囲の何かと一緒に、引き上げる。
 「これが癌です。摘出はこれで、終了です」
 「え、もう?」
 私は拍子抜けした。
 じっと、安宅の大きな瞳が、私の目を見据えている。
 「あ、超空間経由、ということね……」
 「いえ」と安宅、首を横に振る、「癌、ということは、ですね」
 「遺伝子」と私。
 「……そうです。昭和世界も平成世界も、多くの世界では、病巣と伝播経路の切除で終わっております……。しかし、銀河帝国は、不老不死の世界」
 「細胞の正常な再生が妨げられてはならない」と私。
 「そのとおりです」と安宅、なれない舌打ちでBを真似る、
 「やりにくいなぁ、もう」
 「それは私のセリフです」
 二人とも、同時に俯く。そして、異口同音に、同じセリフを言う、
 「それは、『言わない約束』」
 「……で?」と私は立体映像を示す。
 「まあ、これは良いから、いいとして」と安宅は、ある内蔵をつつく。病巣は取り払われた。
 私は驚きの目で見る。
 「……いや、たいしたことではないので……。問題は、これです」
 彼女の指した内蔵の正確な名が思い出せない。まあ、どうでもよいことではあるが。
 「固形物、液体が消化されていきます……。が、消化不良を起こした上に、吸収後……」
 「障害が起きた、と」
 「ええ」と、とんとんとペンで立体映像を示す、
 「おそらく、今晩、トイレに向かわれても、何も出にくい状態ではなかったのか、と……」
 「ふーん」と私は、いくつかの病名の候補を、頭に浮かべた、「あ、もしかして、そちらも、癌?」
 「いえ……」と安宅は、今度は横から、立体映像を透かしてみる。……まったく、それでは、何のための立体映像なのか、解らない。
 「まだ、癌とまではいっていないようですが」
 
 ふっと、また、安宅はペンを振った。
 「これで、当面は大丈夫と思うのですが」
 「何をしたの?」
 「国家機密です。ただ、ヒントを申し上げますと、内臓のリセットを行いました」
 私は頭を抱える。
 「……さすがに、Gさんといえども、本物の内臓というのは、刺激が強かったでしょうか」
 私は両手を広げて、問題ないことを示そうとした、
 「だから、映像でしょ、これ?」
 「では、本物も、ごらんになります?」
 と安宅は、「明るい小部屋」を示した。
 「ん……? あれ? 開腹したわけではないのだよね?」
 「いえ、超空間経由で……、あ……」
 安宅は、すっと、左手を上げた。途端に、チューブは不透明になる。
 「すみません……」
 「超空間経由で、とくに三次元的なエネルギーを必要とせずに、視覚だけ、三次元的に閉じた中身の立体視を伝える……。たとえば、開腹せずに、内臓の立体視を伝える、というテクノロジーなのですね?」
 「すみません……」
 「すると……テレヴィジョン(映像を遠く)というよりも、このテクノロジーは……むしろペリスコープと呼ぶべきかな?」
 「すみません」と安宅は頭を下げ続けている、「国家機密です、忘れてください」
 「潜望鏡ペリスコープというのも変だけれど。『視界を側に』という原意にピッタリのテクノロジーと……」
 「すみません。すみません。どうか、どうか、忘れて……」
 と頭を下げていた安宅は、ゆっくりと指を持ち上げて私をさす。
 
 「へ? いや」と私は頭を横に振る、
 「(言わない約束には)入っていない、はずだけど?」
 ふうっ、と首を傾げながら安宅は俯く。
 「やりにくいですか?」と私。
 「ええ、少し。というか、かなり」
 
 そういいながら、安宅は、立体映像を少し撫でた。白いものが、何か、立体映像に張り付く。
 「これ、包帯? ……って内臓に包帯なはずがない」
 「一応」と安宅、『包帯』をペンで示す、
 「これからGさんは、われわれの仕事の一部を代行していただく形になるので、職掌の範囲内の情報を、お伝えいたします。これは……ガンマたちです」
 「あ、そお」
 むっと安宅は私をにらむ、
 「もっと、びっくりしていただけませんでしょうか?」
 「わあ、びっくりした」
 と私、白々しく応じる。
 ふうとため息をついて、彼女は内臓の包帯をペンで弄ぶ。
 「あ、いや、ええと、その」と私は傷心の安宅を見て、少々動揺した、
 「これって、あれ、ですよね?」
 「あれ?」と安宅、相変わらずペンを弄んでいる。
 「アシモフ『ミクロの決死圏』……」
 安宅は安心したような笑みを見せる、「うん、当たらずとも遠からず、です」
 「……当たってはいるのでしょう?」
 「少しだけ、違います。アシモフのあのお話では、治療をするために、入っていきます」
 私は無言で頷く。
 「今、お父様の体の、内臓の包帯として入ったガンマたちは、とくに治療を任務としてはいません。もっと困難なことを命じました」
 「……え、ひょっとして、そんな難しいことを?」
 「何をご想像なさったのかは存じ上げませんが。周辺の【全細胞の】再生をトレースして、ですね。癌の兆候を見つけ次第、アラームを鳴らす、という」
 「……どこに?」
 安宅は無言で、彼女の携帯を示した。
 「……ほう」
 「とりあえず」と安宅は不透明なチューブを示した、「四〜五時間生成管の中で安静にしていただいて、経過を厳重観察いたします。そして、ガンマたちは、これから、百年間、お父様の内臓を監視いたします」
 
 「ちょっと待った」と私、「では、今、もし、元の世界に帰ったら……どうなる?」
 「帰れません」と安宅、「いいえ、帰すことができません。どうなるか」と彼女は内臓包帯を示す、「おわかりでしょう?」
 レントゲン、超音波エコー、内視鏡などで見られると……、
 「銀河帝国さん、こんにちわ、ということか」
 「ですので、お帰しするわけには、参りません」
 「ねえ、安宅さん」
 「はい?」
 「どうやって、説明する、つもり?」と私は不透明チューブを示した。
 「誠意をもって、ありのままを……」
 私は首を激しく横に振る、
 「士郎『甲殻○動隊』のような状況が、父の精神的に、耐えられると?」
 「……その本、Gさんの蔵書に、なかったはずですよ?」
 「……あれ?」
 「Gさん、少し失礼しますね?」と安宅は、手を頭にかざして、私の頭から「読み直し」を図る。
 「……サイバネティクス・オーガン……なるほど」
 普通は「サイボーグ」と省略形で言うのであるが。
 「では、Gさんご子息様は、耐えられると?」
 私は両手を広げた、「違和感がなければ」
 後に私は同じ状況に置かれるが、だいぶ先の話であるので、今は書かない。
 「でも、お父様に、耐えられませんか?」
 
 私は、元の世界での手術状況を思い出していた。
 「無理だね。この手術と、所要時間、処置内容を見たら、父は、何と思う?」
 「さあ?」安宅は【理解したくない】と考えているようだった。
 「まず、所要時間が短すぎる。内臓包帯は、抗がん剤の投与に見える」
 私は、ゆっくりと、裸体に近い状態のレオタード(?)姿の安宅を見上げる、
 「平成時代の、末期がん患者に対する処置だよ?」
 安宅は、大きな目をいっそう大きく見開く、
 「え……でも、もう、これで、完治しているのですよ? あとの『包帯』は、予防措置なのですよ?」
 「……信用されない、と思う」と私は首を横に振った。
 安宅の見開かれた目は、すっと、細く狭められた、
 「お母様が、末期がんでいらっしゃったのですね」
 私は、それには応えない、
 「元の世界で手術を受けたとき」と私は、透明ガラスへと歩み寄る。そして、中の不透明なチューブを凝視する、
 「父は、疑心暗鬼になっていた。元の世界の不手際から、少々時間が延びた。ところが、『時間がかかった』ということを一つの安心材料にしたんだ。……終わった後で、癌の大きさをしつこく、聞いていたよ。……どうやら、医者にも疑惑の目を向けて『末期がんを完治したと嘘ついているのではないか』と問いただした、らしい」
 「それでも、信用していただくしか……」
 ふと、私は後ろを振り返ろうとしたが、あわてて、前のチューブに視線を戻す。……安宅の泣き顔を見てしまったからである。
 「信用されない、と思う」
 「どのようにせよ、と?」
 「まず、三時間かかった、と言うこと」
 「そんな……」
 「それから、今から五時間ぐらいかけて、ガンマたちを撤退させること」
 「治療を拒否なさるのですか!」
 「そうではない」と振り返ると、涙を流し続ける安宅の姿が見えた。私は、無視して、立体映像に視線を向ける、「ただ、この有様だと、外から、様子がわかるのではないか?」
 人工知能の【誰か】が、私の言葉を悟ったのか、立体映像に服を着せた。
 ……遠目にも、『内臓包帯』の跡が見える。
 「違和感ありすぎやで、これ」
 「しかし、必要な措置……」
 「だめ、違和感ありすぎ。……するなら、もっと目立たない方法でするとか。とにかく、これは、本人の精神的に、よろしくない!」
 
 それから、どうなったのであろう?
 午前3時ごろまで、安宅と治療方法を議論したと思う。確かに、帝国政府の国立図書館で調べれば、【正確な経緯と会話内容】が解るのであるが。
 ただ、この回想録のために、わざわざ調べるまでも、ないだろう。
 確か、私は、そのころ、ぐでんぐでんに酔っ払っていて、何回か安宅を泣かせたことだけ、覚えている。
 また、放り出されるように、自宅に転送された、はずである。そのときの時刻は、午前四時だった。
 そして、私がうつらうつらとまどろむうちに、携帯のアラームは目覚まし時計の音を響かせ、ドーム第二日目の朝を告げたのである。


(以上、「第一章 初日」
「第二章 日から週へ」に続く)











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