46◇新七英雄、集合ス
その後、幸助とリガルは酒場を後にし、同じ魔動馬車に乗って王城へと向かった。
二人は車内でライクに関する話をする。
「それにしても、ライクの所為でダルトラ全体の印象が悪化したんじゃないか? 俺のもといた世界なら、他国からの追及が凄まじいことになりそうだが」
それに対し、リガルは複雑そうな顔をする。
「うぅむ。それが、ライクの奴もただの愚者ではなくてなぁ……。口振りから察するにおんしは知らんのだろうが、このアークレアには神創同盟というものがある」
幸助は自分の無知を恥じるように表情を歪めてから、彼に説明を頼む。
「……悪い、説明してもらえるか?」
「そのつもりだ。この国だけでなく、アークレア大陸にある国家は基本的にアークレア神教を信仰しておる。そしてその発祥地とでも言おうかの、それが宗教国家ゲドゥンドラであることは知っておるだろう」
「あぁ、各国の特徴くらいは把握してる。さすがに歴史の解説は出来ないが」
空気が重くなり過ぎないようにだろう、リガルは無理に笑顔を浮かべた。
「充分だろうて。でだ、アークレア神教としては、人類自体が一つの群体であり、人魔大戦の勝者、すなわち味方同士ということになっておる。神は共通の敵がいなくなった時、人間同士が争い合うことを予測なさったのかもしれんな。ともかく太古の国々は神創同盟なるものを結んだ。加盟国同士の争いを禁じ、これを破った国家の民はアークレア教徒の資格を剥奪するというものだ。盟主はゲドゥンドラである。そして、エコナと共に過ごしたおんしなら気付いておるかもしれんが、ギボルネの民が信仰しておるのはアークレア神ではない」
――その通りだった。
幸助はエコナに貰ったミサンガを彷彿とさせる組み紐を見た。
ロロ・ラァ。ギボルネ語で“神の愛”を指す語だと、彼女は言っていた。
女の祈りを込めることで、男の死を一度回避してくれるという伝統品だ。
ダルトラでは、見かけない文化である。
例えば、今でこそ同じ日本領土だが、かつて日本列島とアイヌでは、文化の違いが当然のようにあった。
アイヌにとっての神は、カムイと呼ばれるそれらだったのだ。
この世界で、そういった差異があることに不思議は無い。
そして、その説明で幸助は理解してしまう。
「つまり、ギボルネは加盟国でもなければ、そもそも異教徒だから、侵略しても大きく非難はされないと? あいつ、無駄に頭が回るクズだったんだな……」
もといた世界の歴史的に見ても、宗教を下敷きにした殺し合いは数多く行われている。
異教徒を殺すなんて過激なことも、許された戦いが幾つもある。
「それだけではない。もし太平の世であれば批判もあったろうて。自国の利益のみを追求する国家としてな。アークレア神教は異教の徒を差別せん。でもなければ、そもそもギボルネと友好国としての関係も築けんかったろう。つまり今、まったく別のところでギボルネへの侵攻が看過されてしまう理由があるのだ、おんしなら察しがつくだろう」
「……アークスバオナとの戦争」
リガルが重々しく頷く。
正解したことを喜ぶ気にはならなかった。
「近年、アークスバオナの拡大政策は酷くなるばかりだ。同盟除名勧告を受けてなお魔術国家エルソドシャラルに侵攻し、既にその領土の半分を奪っておる。おんしが来る少し前、アークスバオナは遂に同盟から外されることとなった。しかし、そんなこと奴らには関係ないのだ。逆らう者は殺し、足りない労働力は奴隷にした他国の民で賄う。反発するアークレア教徒も大半は処刑されたという話だ。少数は我が国へ亡命しておるがな。わかるか? 奴らは魔術師を抱え込むばかりか、領土を増やすことで神殿をも数多く抱えておる。噂では、獲得した英雄の数も十を超えたとか。つまりだ、他国は今、ダルトラを責めるわけにはいかんのだ」
ダルトラが、同盟に所属している中で最も大きな軍事力を持つ国だからだ。
「ダルトラは同盟国としてエルソドシャラルに派兵しておる。強大な軍事力も強力な英雄も多く持たない同盟諸国にとって、我が国こそ生命線なのだ。そして、英雄の数で負けておるダルトラは、何としてでも英雄獲得確率を上げねばならなかった。……正直に言えばだな、ライクの処分に不満を持つ者もおる。多数決で許可された討伐だったが、つまり少数派の意見を切り捨てたわけだからな」
ライクはクズだった。それは覆しようの無い事実だ。
しかし、それでも英雄だった。
同盟としては、進んで戦争を起こすアークスバオナを許せない。
しかしアークスバオナは許さなくても構わないとばかりに侵攻を続ける。
それに対抗出来るのはダルトラだけ。
だが、あくまで対抗できるというだけだ。
アークスバオナの拡大が続けば、いつか勢力は逆転し、趨勢は傾く。
ダルトラが滅びた時、それは同盟諸国の破滅を招く。
だからこそライクの独断専行も、好意的に捉えられないと同時に表立って批判もされないのだ。
「分かるよ。俺が加わった後でライクが死んだから、結局英雄の数はプラマイゼロになってしまった。あいつを生かしておけば、プラス一になったのに」
「あぁ、加えて言うならば、国家の象徴たる英雄が不祥事を起こして処刑されたなど、醜聞でしかない。否、弱みとなる分醜聞に終わらぬ。まぁ『白の英雄』に続き『黒の英雄』を獲得したことで得た利点と比べれば、些細なものだが。アークスバオナは焦っておるのだ。自国こそが神の子の血族であると証明するに、神が率いた英雄を保有する以上のアピールはそうないからの」
以前、『蒼の英雄』ルキウスは自分が偽英雄と呼ばれていると言った。
彼と『紅の英雄』トワは、神話に刻まれし『蒼』と『紅』属性の遣い手では無い。
神話の七英雄。
『黒の英雄』『白の英雄』『紅の英雄』『蒼の英雄』『翠の英雄』『燿の英雄』『暗の英雄』の七人。
内、偽英雄も含めればダルトラは四名を抱えている。
後継者込みならば――幸助が知るのは『燿の英雄』後継者プラスのガンオルゲリューズ家のみなので正確なところは不明だが――五つ。
アークスバオナが焦るのも頷ける。
「だからこその、英雄会議か」
「あぁ、アークスバオナよりはダルトラの方がマシと信じて、乃公達は戦う他ないのだ。せめて愛する者の命がアークスバオナに踏み潰されぬように」
「その為なら、他国の民を苦しめるのも許されるって?」
自嘲するような笑みを浮かべた幸助に、リガルは真剣な表情で頷く。
「許されてはならんことと思う。しかし、そうしなければならぬのなら、そうするべきだ。例えのちの歴史書に血塗れの英雄と記されることになろうとも、我らはダルトラの英雄なのだから」
幸助は、英雄という肩書に改めて、あるいは初めて重みを感じた。
「信じる、ね。俺は前世で、自分しか信じてこなかった。自分しか信じなかったから、自分の目的を果たせた。リガル、俺はダルトラに住む人達が、基本的に好きだよ。少なくとも俺の知り合いは、良い奴ばかりだ。でもさ、国となると途端に分からなくなる。分からないまま使われたくない。だから聞くよ、どうしてアークスバオナよりダルトラが正しいと信じられる」
そもそも、国の行いを単純に善悪に振り分けることは出来ない。
アークスバオナの拡大政策だって、従う自国民は豊かにする筈だ。軍人になってしまえば、食いっぱぐれることも無いだろう。誰も得しないなら、誰かが逆らう。
そうはならずに拡大出来ているという時点で、考えなしの無能国家ではない。
世界征服なんて言葉を当て嵌めれば悪にも見えるが、それだって主観に過ぎないのだ。
両国共に、英雄と兵士に血塗れの道を歩ませるというのなら、そこにある違いはなんだ。
それを明確にしてもらわないことには、幸助とてダルトラの為に戦うことは出来ない。
「アークスバオナが求める結果とやらが、統一によってもたらされる一体化であれば、乃公とておんしと同じことを考えたろうな。変革を否定するつもりはない。世界が一つになることで国家の垣根が消え、敵国という概念すらも消失する。膨大な時を掛け、莫大な犠牲を世界に強いることとなるが、それでも、それが目的ならばまだ理解も納得も出来る」
「つまり、アークスバオナのやろうとしてることは、そうじゃない?」
リガルは頷く。
頷いたが、次の言葉が出るまで若干時間が掛かった。
やがて、胸の中の迷いを吐き出すような溜息を溢し、幸助を見る。
「アークスバオナの、否――現皇帝の最終目的は……神の掌握だ」
一瞬、どう反応すればいいか分からなかった。
純粋に疑問として受け止め、視線で続きを促す。
「現皇帝は即位前より知識欲の塊であった。いや、それならばまだよい。奴は物欲の塊でもあった。英雄を欲しがり、来訪者からもといた異界の話を聞けば、それを欲しがった。奴はな、神を超常的な存在として捉えながら、信仰の対象として見ておらんのだ。奴にとっては、神すらも、その力までも、『欲しい』という願望の対象でしかなかった」
話が一気にきな臭くなる。
「奴はな、神の力に着目した。死者を、異界から生者として連れてくる神の御業に。そしてこう考えた、『それを利用すれば、アークレアの人間を異界に送ることも出来るのではないか』とな」
幸助は戦慄した。
少年自身も、シロに初めて逢った日、尋ねたことがある。
もといた世界に帰る方法は無いのか、と。
しかしアークスバオナの皇帝が言う場合、それは当然、帰還という意味合いを持たない。
つまり彼は――異界に侵攻するつもりなのだ。
普通なら、出来るわけがないと笑うところである。
だがどうだ。
ダルトラの王族と、アークスバオナの皇族は、神の子としての力を使える。
御業を扱う資格を持つ。
であれば、神が持つ転生発動資格にすら、やりようによっては手が届くのではないか?
「奴はな、ただ欲しいのだ。全部全部、自分のものにしたいだけのガキでしかない。たちの悪いことにとびきり優秀で、自らに従う者にはそれに見合う幸福を与える支配者としての素質を持ったガキ。奴は言っておったよ、『沢山あるんなら、幾つかは戯れに壊してみたい』とな。それがおんしのもといた世界になる可能性も、ゼロではないだろう」
幸助は、背筋を虫が這うような悪寒に襲われた。
もといた世界に、未練がまったくないわけではなかった。
父も母も、あの世界でまだ生きている。
過去の友も無関係な人々も、死んでほしいなんて思わない。
でも、アークスバオナが勝てば皆蹂躙されるかもしれない。
世界を統一する為にじゃない。
遊びとして、だ。
「アークレア統一はその足がかりに過ぎんのだ。全ての神域と神殿を支配下に置き、徹底的に研究し、神の力を手に入れる為の、な」
今の話を聞いて、思うところは沢山ある。
だが、大きな疑問が一つあった。
「……リガル、あんたは知り過ぎてる。というより、口振りからは、まるでアークスバオナの皇帝と直接の知り合いのようにもとれる。あんたもしかして――アークスバオナ出身なのか」
リガルは驚くことなく、苦笑した。
「二十六年前にの、アークスバオナ領内の神殿に転生したのだ。そこで当時皇子だった奴に気に入られ、夢を語られたよ。止めようと思った。だが否定的な言葉を口にした翌日、乃公の許へ暗殺者が差し向けられてしもうての。それが英雄クラスなものだったから、乃公は命からがら逃げるのが精一杯だったというわけだ。そこをダルトラが現国王に拾っていただいた。奴の考えは極めて単純だ。味方を遇し、敵を殺す。正直、関わりとう無い」
「……じゃあ、どうしてこの国で英雄なんかやってる」
自然と、そんな疑問が口をつく。
彼は迷わず答えた。
「知れたこと。力が有ったから以上の理由は無い。乃公の正義を、乃公の理想を叶える為の力が、乃公には有った。だから使った。説明不要であろう」
「あんたの、正義?」
「クロ、おんしの以前いた世界は、どこかいびつではなかったか?
人に聖人であることを過剰に求めながら、世界の構造自体は穢れを含んだ者こそ成功を収められるように出来てはおらんかったか?
正しいことだけして生きている人間は、いつか他人の悪意に捕まった時、為す術もなく傷つけられてしまう。
正しいのに、ではない。正しすぎたから、だ。
だが、そんなの、間違っておるだろう?
正しく生きるのは、清く生きるのは、正しい筈だ。
乃公の元いた世界はな、そんな当たり前が、保障されていなかった。
何故か? ――簡単だ。
ルールの側が、一定数の悪を受容するのだから。
反して、この世界はどうだ?
まだ、完全には腐敗していないように見える。
残念なことに、始まってはおるがな。
しかしいまだ、乃公達個人が影響を及ぼすことの出来る範囲が、広い。
だから、乃公が創るのだ。
正しい者が正しく報われる世界を。
それは、アークスバオナの創る世界と共存出来ぬ。
奴らが創るのは、強い者があらゆる者を支配する世界だ。
だから、乃公は、恐ろしくとも立ち向かう。
矛盾するようだがな、その為にはどんな悪行でも、乃公は為すつもりでおる。
クロ、これは以前、ルキウスにも言ったことだがな。
おんしに頼みがあるのだ」
幸助は、慎重に首を縦に振った。
「……言ってくれ」
「――正義に、成ってはくれんか」
心臓が、鼓動を速めた。
正義。なんて、陳腐な言葉だろう。
しかし、彼が言うと重みが違った。
正直に言えば、幸助は魅了されていた。
幸助の妹・トワは理不尽によって殺されたも同然の被害者だ。
その犯人達は、ルールを操る者の庇護下にあったために罰を免れた。
悪い奴が悪いことをしても、罰せられない世界。
善人が一生懸命生きていても、悪意一つでそれがぶち壊される世界。
ぶち壊されても、多くの弱者がそれに反抗出来ない世界。
幸助はそれに絶望し、自分だけの力で復讐するという道を選んだ。
誰にも期待せず、自分だけに全てを求めた。
でも、リガルは言う。
この世界を、そんな世界にはしないと。
悪くない人は、悪い目に遭わない世界にしたいと。
アークスバオナが異界すらも勢力下に置き、時に悪戯に壊すという未来を回避させる為に戦うと。
この世界には、形を持った正義が存在するのだ。
目の前に――英雄という形で。
「いまだ果てが見えんくてな、乃公の人生一つでは足りんようだ。それでも、人は繋がることが出来る。ルキウスやおんしのような男に、意思を託すことが出来る。無責任にとれるだろうが、乃公はそのことを嬉しく思っとるよ」
「…………正義を背負うには、俺はあまりに若輩です」
敬語になったのは、無意識のことだった。
そんな幸助を、リガルは父親のような目で見る。
「かもしれんな。今すぐとは言わん。だが、アークスバオナの創る世界に正義が無いことだけは断言出来る。ダルトラの方針は平和の獲得だが、奴らの目的は大陸への君臨だ。乃公の思想に共感しろとは言わんが、英雄としてキリキリ働いて貰うぞ」
幸助は、彼の目を見て真剣に頷く。
「――はい」
馬車が止まる。
二人で降り、彼の案内のもと会議室へ向かう。
細部にまで金が掛かっていることが窺える王城内を歩き、観音開きの扉の前に立つ。
彼が先に入室したので、幸助は後に続いた。
巨大な円卓が、部屋の中央にある。
席は既に五つまで埋まっていた。
「……クロ、遅い。はい、わたしの隣、座って」
「そうですわおにいさま、わたくしの隣であり、おねえさまの隣でもあるこの席へお座りくださいまし?」
「アタシの隣も空いてるわよ~」
「トワの隣も空いてるけど、別に歓迎はしないよ。……拒否もしないけどね」
「これは僕も何か言った方がいいのでしょうか? 申し訳ありません、クロ、リガル殿。僕の両隣は既に埋まってしまっています」
それだけで誰が喋っているのかすぐに分かるセリフ群だった。
「おいおい、乃公の名を呼んでくれるのはルキウスだけと来たか……。少しはジジイに優しくせぇ。ったくおんしらは」
言いながら、リガルはエルフィとトワの間に座った。
おそらく、大人の色香を放つエルフィが好みに入っているからだろう。
幸助はクウィンとパルフェの間に腰を下ろした。
席順はクウィンから時計回りに幸助、パルフェ、トワ、リガル、エルフィ、ルキウスだ。
リガルがわざとらしく咳払いをする。
始めるぞ、という合図だろう。
「それではこれより――英雄会議を開始する」