42◇黒の英雄、狼狽ス
「いやこれは違うんだ……」
幸助は釈明するべく言った。
判断屋へ寄るのは明日にし、貴族街にある貸し魔動馬車屋へ馬車を返却して、酒場・生命の雫亭へ入店した直後のことだ。
モップを持った巨乳の鬼神がいる。
シロだった。
白銀の毛髪を尾のように揺らし、可愛らしい顔で憤怒を表現している。
理由は、幸助の両腕にあった。
「おにいさま、この牛のような乳をだらしなく揺らす下品な女はなんですの? 錯覚であればよろしいのですけれど、不遜にもおにいさまのことを睨んでいるように見えますわ。お優しいおにいさまに代わり、わたくしが『斫断』致しますこと、どうかご許可願いますの」
左腕。
銀髪ゴスロリ少女、パルフェンディが絡みついている。
「……パルフェ。シロ、怒ってる。あなたが、クロに、くっついてる、から」
右腕。
金髪ビキニローブ、クウィンが絡みついている。
異色の、両手に花状態である。
より明確に、両手に英雄である。
国全体で七人しかいない英雄が、一酒場に三人も集まるのは、普通じゃない。
いつもなら声を掛けてくる馴染みの常連客達も、遠巻きに事の推移を見守っていた。
幸助はどちらかというと、助けて欲しかったが、他力に頼ることは出来ないようだ。
「あ、あのですねクリアベディビア卿。クロにくっついているのは、あなたも同じなんですけど」
シロがどうにか平静を保ち、それでも眉をひくつかせながら言った。
「……? わたし、クロと、友達、だよ? 仲良し、くっつく。普通、でしょ?」
話にならないと思ったのか、シロは溜息ののち、幸助を睨む。
「あのさクロ。あたしだって別に、交友関係にまで口出そうとは思わないよ? いくらクロが女の子だらけのパーティーを組んで、『俺、モテてる?』とか勘違いしても、全然いいさ。あくまでも、友達同士ならね」
「なら、問題無いんじゃないか……?」
幸助は、絶対無理と知りつつ、このまま話を流そうとした。
シロは、威圧するような顔になって、更に声まで低くして、呟く。
「本気で言ってる?」
幸助は降参することにした。
「パルフェ、クウィン、離れてくれ」
パルフェというのが、パルフェンディの愛称だ。
彼女は、幸助の言葉に怪訝そうな顔をする。
「あの、もしや、有り得ないことと思うのですけれど、おにいさま、この牛女と恋仲なんですの?」
「牛とか言うな。巨乳はいいものだ」
「そのフォローもわりかし最低だから」
幸助はシロの名誉の為に言ったつもりだったが、少女はお気に召さなかったようだ。
「というか……あの、メラガウェイン卿ですよね……。以前、情報聞誌にてお顔を拝する機会がありました。それで、あの、『斫断の英雄』殿が、うちのクロとどんな関係で?」
シロは表面上敬意を取り繕いながら、非常に不愉快そうだった。
「あら、市井の民にしては情報通ですのね。いいですわ、訊かれて名乗らぬは英雄の恥、その耳にわたくしの声が入る幸福に涙なさい――わたくしは、何を隠そう『斫断の英雄』パルフェンディ・フィラティカプラティカ=メラガウェインですわ! ダルトラを守護せし剣であり、クウィンおねえさま唯一の愛弟子であり、クロおにいさまの妾ですわ!」
周囲がどよめく。
幸助は天を仰いだ。
「これ、嘘。わたし、弟子、とらない」
あくまでマイペースに、クウィンが言う。
視線を戻すと、厨房から出てきたエコナと目が合った。
彼女は一瞬パァっと表情を輝かせたが、すぐに幸助の両腕を見て、悲しげに目を伏せた。
恋人といるところを娘に見られた父親の心境を理解する幸助だった。
「右に同じだ。パルフェとはさっき初めて逢ったし、何もしてない。誓ってもいい」
よよよ、とパルフェはゴスロリの袖で涙を拭う仕草を見せ、悲しみを表現した。
あまりにわざとらしく、逆に尊敬してしまいそうになる程の演技っぷりだった。
「あぁ、そんな。何もしていないだなんて酷いですわ、おにいさま。あんなに激しく、思いをぶつけあったではないですの。わたくし、おにいさまが果敢に突っ込んでくださった時の高揚、一生忘れませんわ」
「喧嘩な!? 喧嘩の話な!? 手合わせしようってことに流れでなったからな!?」
「わたくしのたった一度しか失うことのできない大切なものを、あんなにも激しく求めてくださったではないですの」
「命な!? 喧嘩つってもやっぱ殺気とかは本物じゃないといけないわけだからな!?」
シロはもうこの世の何も信じらない、というような顔をした。
「…………もういい。クロのばか! 何がパーティーだよ! どうせ迷宮攻略じゃなくて乱交パーティーでもしてたんでしょっ!」
「この前まで処女だった奴が無理してエロイこと言うな、な?」
「死ね! 乙女を処女ネタでからかう男はモップで頭を割られてしまえ!」
唐竹割りの一撃を、幸助は白刃取りする。
その時に二人を振り払うことにも成功したので、モップを奪いとってから床に放り、手を彼女の肩に置く。
「信じてくれ、シロが嫌がることはしない。裏切らない、絶対に」
この想いが本物であると、彼女に届くように。
幸助は視線に力を込め、彼女の瞳を見つめる。
やがて。
「…………わ、わかったから、手、離して」
顔に含羞の色を浮かべた彼女が、視線を逸らしながら呟いた。
「よかったよ。あ、エコナ!」
彼女に駆け寄り、抱き上げる。
「なんでいつもみたいに、そっちから来てくれないんだ?」
「……ご、ご迷惑かなと」
髪の毛を手で弄びながら下を向いて言うエコナに、幸助は悲しげに言う。
「お前がいて迷惑なんて時は、一秒もない。寂しいから次から気にしないで来てくれ。ほら、ただいま」
すると彼女は、少し時間を掛けて、だがしっかりと、微笑んだ。
「おかえりなさい、こうすけさん」
やっと一息つくことが出来る。
なんてことは無かった。
「おにいさま、この女の何処を気に入ったんですの? 乳ですの? ただの給仕娘に見えて、英雄に近しいステータスを有しているというのなら、理解できますけれど」
「パルフェ、お前の価値観や判断基準を否定はしないよ。ただ、俺にとって、情を向ける相手はステータスで選ぶものじゃないんだ。好きになったから、好きなんだよ」
パルフェは「ずきゅん!」と言いながら、胸を弾丸で貫かれたように胸を抑えて、床に膝をついた。
「……深い、深いですわ。それでいてわたくしへの気遣いも忘れぬお言葉。あぁ、おにいさま、今からわたしと宿屋に行きませんこと? 大丈夫ですわ、既に部屋はとってありますの」
幸助はこいつどうしたらいいんだろう、と思った。
「あの、それで、結局メラガウェイン卿はどうしてギルティアスに? クロ以外の英雄は皆様揃って御多忙だと聞き及んでおりますが」
クロ以外、という言葉に棘があるような気がしたが、幸助は気のせいと判断した。
ちなみにクウィンは、幸助と逢う為に仕事を前倒しで片付けたという。
幸助は、あぁ、と頷いてから、クウィンを見た。
言っていいものなのか、分からなかったからだ。
彼女が頷くのを確認してから、シロへ向き直る。
「今、英雄が全員ギルティアスに向かっているんだ」
「え、また式典?」
「いや、明日は、各英雄の担当問題を決める――英雄会議があるんだよ」