妖怪たちがいる日常
相変わらず他の作品とキャラクター名がかぶっていますが、無関係。
春の心地いい風が、髪を凪ぐ。
川沿いの道には、たくさんの桜が植えられている。
満開を過ぎ、舞い散る桜の中を翔太郎は一人、自転車を走らせていた。
夕暮れ時。逢魔が刻とも呼ばれる時間。
翔太郎はふっと、自転車を止めた。
何かが目の前を横切った気がする。あたりを見回すが、変わったものは見当たらない。川のせせらぎと、車の走る音が遠くに聞こえるだけだった。
翔太郎は首をかしげ、自転車をこぎ始めた。
その時、すっと、黒いものが体の中に吸い込まれていった。
「……え?」
驚いて、自転車を止める。
何が起きたのだろうか。体を見るが、特に変わった点はない。
「……気のせい……」
『気のせいじゃねーよ! よく見てみろよ、この野郎!』
頭の中で声が響いた。
「え? え? え?」
もう一度あたりを見回すが、何もない。
『ちがうちがう! よく自分の影を見てみろよ!』
再び頭の中で声が響いた。
翔太郎は、右手に伸びる自分の影を見る。
明らかに、自分の体から猫のような影が伸びていた。
「……え?」
その影を見て、しばらく翔太郎はその場で固まった。
+++++++++++++
懐かしい夢を見た。
幼いころに亡くなった祖父の膝の上で、古いアルバムを見ていた。
大半は祖父や祖母、そして、曾祖父母の写真だった。
白黒の古い写真ばかりが並ぶなか、一枚だけ妙に古い写真があった。
紋付き袴を着た男性と、日本髪のきれいな女性が写っていた。
どうやら昔の結婚写真らしい。
祖父は言った。
「これは、お祖父ちゃんのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの写真だよ」
「お祖父ちゃんのお祖父ちゃん?」
翔太郎が不思議そうな顔をすると、祖父は頷いた。
「ああ。この人、綺麗だろう。この人はな…………って呼ばれていて、とても不思議な人だったらしい」
何と呼ばれていたのか、その部分だけ聞き取れない。
「え? 何?」
翔太郎の問いに祖父は答えず、話を続ける。
「……最初は大事にされていたらしいが、次第に人に疎まれるようになったらしい。
だけど、お祖父ちゃんは彼女のことが心配で、一生懸命彼女のもとに通ったらしい。最初は相手にされなかったらしいが、次第にあってくれるようになったと言っていたなあ」
どうしてこんな夢を見たのだろうか。
幼い日の、懐かしい記憶。
+++++++++++++
猫が生えている。
自分の体から猫が生えている。
その事実がとても滑稽に思える。
『俺も自分がおかしいわ』
頭の中で、猫の声が響く。
悪魔猫を自称するこの猫は、翔太郎の体に取りついてしまい、離れられなくなってしまったらしい。
『たまたまそばを通りかかっただけなのに……するん、とだぞ、するんと』
頭の中で、黒い猫がこぶしを握って悔しがっているのがわかる。
「で、どうするんだよ、これから」
夜。自分の部屋のベッドに腰かけて、翔太郎は問うた。
猫は肩をすくめて、
『仕方ねーだろ。離れられないならしばらくこのままだ』
「まじかよ……」
数時間前まで、ただの高校生だったのに、今はもう普通ではなくなってしまった。
『俺がお前に取りついたことで、問題が発生すると思うんだ』
「問題って、何?」
『ちょっと外を見てみろ』
言われるままに、翔太郎は窓の外を見た。
街灯の下に、誰か立っているのがわかる。
だが、何かおかしい。
向こうの風景が透けている。
翔太郎はそっとカーテンを閉め、そして、ベッドに戻る。
「今のってもしかして……」
『おう、見えたな。あれは幽霊だ』
「まじで」
猫が頷くのがわかる。
『俺のせいで、たぶん、お前はこの世のものじゃないものが見えるようになってると思うんだ。だからな、気をつけろ。
相手にお前が見えてるってこと気が付かれたら、面倒なことになるかもしれない』
翔太郎は、神妙な顔で頷いた。
「でさ、猫。俺はお前をなんて呼べばいい」
『好きに呼べ。名前は教えねー』
「何で」
『俺たちみたいなのは、名前を知られるっていうのは弱みを握られるようなもんなんだよ』
「へえ……じゃあ……」
翔太郎は考えて、一つの名前を言った。
「ニールで」
『なんだそれ』
「なんかのドラマに出てた、詐欺師の名前」
頭の中で、猫がずっこけるのがわかった。
+++++++++++++
ゴールデンウィークを過ぎ、そろそろ中間試験の話が出始めるころ。
猫と共存して一か月以上が過ぎた。
学校の七不思議と言うものの中には事実が含まれていることを、高校1年生の神原翔太郎は知ることになった。
七不思議にあった、黒板から出てくる顔や、体育館に住むというヘルメットおじさんの存在を、翔太郎は確認することができた。
怖いは怖いが、こちらが見えていることに気が付かれなければ害はないらしいので、翔太郎は校内のどこに何がいるのか見て回ったりした。
ある日の放課後、玄関から校門へと向かっていると、翔太郎の目に何か映った。
狐だ。校門付近に、狐がいる。
いや、狐にしては丸っこい。
色は白。
お稲荷様に祭られている狐のようだ。
たくさんの生徒が校門を通っているのに、その狐に気が付く者は、誰ひとりいないようだった。あれは普通の狐ではないということだろう。
いくら田舎とはいえ、こんなところに狐がいれば目立つ。
妖怪。
そう気が付いたものの、さて、どうするか。
相手に見えていることがわかったら、何をされるかわかったものではない。
翔太郎は、いそいそと狐の横を通り過ぎようとした。
「ねえねえ」
声が聞こえ、思わず振り返ってしまう。
誰もいない。狐以外には。
狐は翔太郎の前に回り、激しく尻尾を振って嬉しそうな声を上げた。
「あなた、僕が見えるのでありますですね?」
と言って、目を輝かせる。
まずい。
今更見えないとも言えず、どうしようか悩む。こんなところ、誰かに見られたらまずい。
悩んだ末に、翔太郎は狐の首根っこをつかむと、速足で歩き始めた。
すると、狐は喜びの声を上げる。
「やはり見えるのでありますですね? しかも、触れるなんて! もう感動で胸いっぱいでございますです」
と言って、こぶしを握り締める。
「おお! ということは、僕の願いを聞いてくださるのでございますですね? おお! 感激でございますです!」
そして、涙を流し始めた。
『ものすごくめんどくさそーなやつだな』
頭の中で声が響く。
その意見に翔太郎も賛成だが、今は狐にも声にも構うわけにはいかない。
辺りに人が多すぎる。
早く人気のないところに行かなければ。
+++++++++++++
学校の近くを流れる川のほとり。
橋の陰に隠れるようにして、翔太郎は狐を離すと、一息ついた。
辺りに人影はない。
狐は激しく尻尾を振りながら言った。
「いやあ、久々でござります。こんなふうに人と話をしたのは!」
狐は本当にうれしそうだった。
尻尾をふり、翔太郎の足にまとわりついてくる。
翔太郎は狐の前にしゃがみ、尋ねた。
「で、なんで学校に」
「ちょっと用があったのでございますですよ。いやあ、あなたのような方にお会いできるのは本当にうれしすぎてうれしすぎて……本当にうれしすぎでござります」
なかなか面倒な話し方をする狐である。
これでは話が進みそうにない。
翔太郎は狐の肩に手を置いて、言った。
「で、願いってな……」
言い終わらないうちに、狐はぱしっと翔太郎の手を掴んだ。
「おお! 僕のお願い! まだ話しておりませんでありましたっけ?」
言いながら首をかしげる。その言葉に、翔太郎は頷いた
『おい、さっさとしゃべれよ。その願いとやらを』
頭の中で声が響く。明らかに、声は苛立っている。その声は狐にも聞こえているようで、はっと、翔太郎を見上げた。
そして、両手を上げて、驚きのポーズをとる。
「おお! あなたには猫が住んでいるのでありますですか……おや。お前は悪魔! おのれ悪魔。この僕が退治を……!」
と言って、狐は二本足で立ちあがり、ファイティングポーズをとった。翔太郎の中にいる猫は、あきれたような声を上げた。
『俺を退治したら、こいつ、お前と話しできなくなるぜ』
それを聞いた狐は、再び両手を上げて、驚きのポーズをとる。
「本当でございますですか?」
狐の言葉に、翔太郎は頷いた。
彼の中にいる猫。自称、悪魔猫。この猫がいるから、今、翔太郎はこうして妖怪たちを見ることができるし、話すことができる。
もし誰かにお祓いなり、退治なりされたら、翔太郎は妖怪を見ることはできなくなってしまう……たぶん。
翔太郎自身、この妖怪や幽霊の類が見える状況を楽しんでいるので、見えなくなると正直困ってしまう。
「そんなことより僕の願いというものでありますが」
気を取り直したのか、狐は手をすり合わせながら、翔太郎を見上げる。
「人を探してほしいのです」
「人を?」
狐は頷く。
「人間の女性なのです。
その人間の名前を、どうしても知りたいのです」
狐が捜している女性は、狐的にはちょっと前の人。
けれど、人間的には結構前の人、だそうだ。
その人は皆に「みこさま」と呼ばれていたらしい。
「みこさま」の意味は分からないが、幼いころからそう呼ばれ、人々に可愛がられて来たそうだ。
狐は目を閉じて語った。その表情は心なしか綻んで見えた。
「不思議な女性でありましたです。
魑魅魍魎の類が見える、とてもかわいらしい女性でした」
しかし、時代は移り変わり、「幕府」がなくなり、「政府」ができて、人々の髪形も、服装も、街並みも徐々に変わっていった。
めまぐるしく変わる時代の中で、「みこさま」は気味の悪い人間扱いされるようになったらしい。
「彼女は、ある時からはたと来なくなってしまったのでありますです。
あの子がどうなったのか知りたいのですが、名前も思い出せず、時間だけが過ぎていきました。
きっと彼女は幸せになったと、僕は思うのでありますですが、でも、どうしても名前が気になってしまい……」
言いながら、狐は俯く。
「で、なんで学校に」
「たくさん人の集まるところでありますですから、なにか手がかりが掴めるかもと思ったのでありますですよ。
そうしたらあなた様に出会えましたのでありますですよ」
そう言って、狐は激しく尻尾を振る。
はなはだ迷惑で仕方がないが。
さて、どうしようかと考える。
江戸から明治の初めごろと言えば、そんなに昔とも言えなくもない。
といっても、百五十年は昔だが。
さすがに当時のことを知っている人間はいないだろうが、そう言った有名人ならば、調べようがあるかもしれない。
『たぶんこいつ、その人間てやつについてわかるまで離れねーんじゃないかな』
頭の中で、猫の声が響く。
翔太郎も、そう思う。
狐の願いはさほど難しいものとも思えない。
手がかりは少ないが、みこさまとここの地名だけで検索すればわかるかもしれない。
そして、翔太郎は狐の頭を撫でて言った。
「わかった。
その、みこさまっていうのを捜せばいいんだな」
すると、狐はうれしそうに目を細めた。
「ありがとうございますですよ!
質問があれば何でも聞いてくだされ!」
なら、まず名前を思い出す努力はしてほしい。そうは思うものの、たぶん無駄だろうと思い口にはしなかった。
翔太郎は、その場に座り込み、スマートフォンを取り出した。
狐は興味津々に覗き込んでくる。
「おお! それは若者からお年寄りまで夢中にさせる不思議な物体でございますですね。よく橋を渡る人間たちが、それを持って歩いているところを見かけるでございますですよ」
「スマホって言うんだよ」
「すまふぉでございますですか? それでなにを?」
「検索」
「けんさ……?」
狐は首をかしげる。
翔太郎はそれを無視して、スマートフォンにキーワードを入力する。
みこさま。というのが有名だったのならば、何かしら伝承など残っているかもしれない。
民間伝承について調べている人間というのは必ず存在する。
地名やその「みこさま」のキーワードでなにか調べられるのではないだろうか。
問題は「みこさま」というのが平仮名なのか、漢字なのか。
漢字だとしたらどの字を当てているかだ。
話の感じからして、「巫女」も「御子」もあり得そうだ。
検索した結果、平仮名と地名で引っかかったものがあった。
江戸の終わりから明治にかけて、「みこさま」と呼ばれた少女がいた。
少女は魑魅魍魎を見ることができ、厄介ごとの解決をしたりしていたらしい。
だが、時代の移り変わりとともに、少女は疎まれるようになっていった。
詳しい話は省かれているが、市内の寺に墓があり、今でもお参りをする人がいるらしい。
「おお! 今は便利でございますですねえ」
狐がしっぽをふりふり言った。
「このお寺ちょっと遠いから……行くのは明日でいいか? 明日は土曜日だし、授業は午前中だけだから」
「おお! わかりましたでございますです」
狐は何度も何度も頭を下げた。
+++++++++++++
翌日。
午前中の授業を終えた翔太郎は、お昼を食べた後自転車で河原に向かった。
狐は河原に座り込み、川を見つめていた。
近づくと、顔を上げ、ふさふさの尻尾を勢い良く振った。
「おお! お待ちしておりましたですぞ!」
翔太郎は、狐を抱き上げて言った。
「じゃあ行こうか」
「はい!」
狐を自転車のかごに放り込み、出発した。
河原から墓のあるお寺まで距離があるうえに、ずっと登り坂だ。百八の鐘がある、古いお寺。
ネットの情報によるとそこにみこさまのお墓はあるらしい。
彼女の話はいわば都市伝説となっているそうだ。
悪霊払いのほかに、天気を予測したり、呪いをしていたなど、いろんな噂が書かれていた。
事情は分からないが、早くに亡くなったため、その存在は神格化され、彼女を慕っていた人や、彼女の伝説を知る人たちによって墓は守られているという話だった。
『人間て勝手だな。疎んだ存在を、死んだあとに敬って、大切にしても遅いっていうのに』
翔太郎の中にいる猫が言う。
翔太郎も同じことを思うが、そんな話、昔話でもよくある。
よくしてもらったのに、裏切って、死んだら手厚く葬り祠を作る。いくらでもある話だ。
人のさがなどそう簡単に変わるものでもない。
自転車をこぐこと二十分。お寺にたどり着いた。
門の前に自転車を置き、狐を抱っこして寺に入る。時折吹く風が、境内の桜の葉を揺らす。
買い物から帰ってきたのか、ちょうど年配の女性が荷物を持って、本堂の横にある家に向かって歩いていた。
「あ、すみません!」
翔太郎は走ってその女性に話しかけた。
女性は首をかしげて、言った。
「はい……何か?」
「お寺の方ですか?」
翔太郎の言葉に、女性は頷く。
「ええ。そうですけど……?」
「すみません、突然。あの、『みこさま』のお墓、どこにあるかご存知ですか?」
すると女性は驚いたような表情をした。
「若いのに、よく知っているわねえ。貴方みたいな若い人が訪ねてくるなんて。
ちょっと待ってね。荷物置いたら案内してあげるから」
言って、女性は家の中に入って行った。
ほどなくして戻ってきた女性に、墓場を案内してもらう。
「ご親族の方以外にもお参りする人が時々いてねえ……お花が絶えないのよ」
そんな話をしながら、墓場を歩く。
「あの、『みこさま』の話、何かご存知ですか?」
翔太郎の言葉に女性は首をかしげ、
「そうねえ……魑魅魍魎の類が見えたとか、その程度しか知らないわねえ」
ほどなくして、墓にたどり着く。
古い墓石に、たくさんの花が手向けられている。真新しい花と、線香の後を見ると、最近も誰か参ったらしい。
狐は翔太郎の腕から降りると、墓を見上げた。
墓にはみこさまの戒名が書かれている。
巫女の巫の文字と、滝という字が読み取れた。翔太郎は手を合わせると、墓石の裏に回った。
そこにはみこさまの本名と、生年と没年が彫られていた。
神原たき。
自分と同じ名字であることに驚く。
たいして珍しい名字ではないし。たぶん、関係はないだろう。
亡くなったのは二十七か八の時らしい。
ずいぶんと早くに亡くなったようだった。
「どうして亡くなられたのかご存知ですか?」
翔太郎は、女性を振り返って言った。
女性はあごに手を当てて、
「たしか、病気だったと聞いているわ。子供もまだ小さかったと聞いたけれど」
「そうですか」
みこさまは結婚し、子供を産んでいるということか。
「じゃあ、私は戻りますので。何かあったら家のほうに声かけてくださいね」
言って、女性は去っていた。
その背中を見送った後、狐はおもむろに話し始めた。
「思い出したのです」
狐は翔太郎を見上げた。
「僕は、彼女の名前を知らなかったのでありますです」
「……え?」
狐は、みこさまの墓に視線を向けて、
「僕はあの子の名前を聞きませんでした。
長い時間の中で、僕はいろんな人に出会いました。
ですが、人間の寿命と言うのはとても短くて……せっかく仲良くなっても、皆すぐに死んでしまいました。
その人間たちと同じような名前を聞くと思い出してしまって悲しくて……それで僕は思ったのでありますです。
次、人間と仲良くなったら、名前を聞かないようにしよう。そうすれば、別れてもそんなに悲しくないかなと思ったのであります……」
けれど、現実は違った。
突然、彼女は狐のもとに来なくなった。
彼女に会えなくなり、どうして会えなくなったのか気にはなったものの、彼女を探す手立ては何もない。
「最後に会った日に、僕に彼女は言いましたです。
『次は貴方の名前を教えてもらうからね』と。そうしたら、私の名前を教えると、彼女は確かに言いました。
ですが、彼女は二度と来ませんでした。
何日たっても来なくて……どうして来ないのかもわからないまま、時間は過ぎていきました」
彼女の名前を知らないし、どこに住んでいるかも知らない。
彼女は話さなかったし、狐も聞かなかった。
彼女は狐のもとに来て、ただ一緒に遊び、話をするだけだった。自分のことは、あまり話さなかった。
ただ、きっと、幸せになっているだろうと思い込むことしかできなかった。
そして、名前を聞いていない、という事実すら忘れたころ、狐は気が付いた。
顔は覚えているのに、名前を思い出せない人がいることに。
他に出会った人は皆、顔も名前も憶えているのに、彼女だけは、名前が全く思い出せない。
きっと幸せに暮らしたことだろう。
きっと家族ができたことだろう。そう、想像していた。
だが、気になって仕方がなくなり、何か手がかりをと思い、学校へと足を運んだ。
たくさんの人が集まる場所に行けば、何かわかるかもしれないと。
「そこであなたに出会ったのでありますです。
あなたを見たとき思ったのですよ。あの子に似ているなって」
どういうことだろう。
まさか本当に自分と関係のある人物なのだろうか。
以前見た夢が、頭をよぎる。
狐は細い目をいっそう細めて、
「よかったでありますです。
あの子は結婚できて、子供もいたのでありますね。よかったです。あのまま孤独に生きていくのかと心配でありましたので……」
狐は翔太郎を振り返った。
翔太郎は狐を抱き上げると、
「ちょっとうちに来ないか」
と言った。首をかしげる狐とともに、翔太郎は家へと自転車を走らせた。
+++++++++++++
家に帰ると、翔太郎はちょうどパートから帰ってきた母をつかまえ尋ねた。
「ねえ、祖父ちゃん祖母ちゃんのアルバムかなんかない?」
母は首をかしげ、
「たぶん和室の押入れにあるけど……どうしたのいったい」
「『みこさま』って聞いたことない?」
言いながら、和室へと向かう。
後からついてきた母は驚いたような顔をして、
「どこで聞いたのその話」
と言った。
和室のふすまを開けながら、翔太郎は言う。
「ちょっとね。なんか不思議な人だったって聞いたけど」
「お父さんの曾おばあちゃんだったかその上だったかな。そういえば、結婚写真があったわねえ」
和室に入ると、母は押入れの天袋から古いアルバムを取り出した。
亡くなった、父方の祖父母のものだ。
その中に一枚、とても古い写真があった記憶がある。
幼い日、祖父が教えてくれた。
祖父の祖父が結婚した時の写真だと。
首をかしげる狐を横に置き、翔太郎はアルバムをめくった。
終りのほうに、一枚、アルバムからはがれた写真があった。
古ぼけた写真には、紋付き袴の男性と、日本髪を結った、若い女性が映っていた。
『なんでお前から俺が離れられなくなったか、理由がわかった気がするぜ』
猫、ニールの言葉に翔太郎は頷く。
もともと素質はあったということだ。
偶然から悪魔猫に取りつかれ、離れられなくなってしまった。
離れられないのは偶然ではなく、必然だったのだろうか。
祖父の祖母の力の影響のせいか。
今まで生きてきた中で、そんな魑魅魍魎が見えるなどといったことはなかったので、正直驚いている。
狐は翔太郎を見上げ、一言いった。
「この写真、触ってもよろしいでございますか?」
翔太郎が頷くと、狐は写真を手に取って、じっと見つめた。
狐の目には涙が浮かんでいた。
+++++++++++++
学校傍の川に架かる橋。その橋のそばに小さな祠があった。そこが狐の家らしい。
夕暮れの町を自転車で走り、翔太郎はそこに狐を送り届けた。狐は祠に着くと、ぺこっと頭を下げた。
「ほんとうにありがとうございましたです。
あなたのおかげで会うことができました。最後に、あなたのお名前をうかがってもよろしいですか?」
「俺は神原翔太郎」
『俺はニールだ。本名じゃないがな』
言って、翔太郎の中にいる猫は笑う。
狐はどこからか小さな銀色の笛を取り出して、翔太郎に渡した。
「僕の名前はごんでござりますです。
あなた……翔太郎殿に何かありましたら、この笛をおふきください。我が眷属が必ず力になりましょう」
「……ありがとう」
長さ五センチほどの小さな笛。
鎖かひもが通せるように、穴が開いている。
翔太郎はそれを財布の中に入れる。
「本当にありがとうございましたです。では」
言って、狐は祠の中へと消えて行った。