まえむきうしろむき
ある村に対照的な女子が二人おりました。
二人は、主に山芋を育てて暮らしております。
落合きび。
とても前向きで、きびきびした性格の女子。
追分あやめ。
とても後ろ向きで、うつうつした性格の女子。
二人は対照的な性格をしておりますが、それでも仲良しです。
どれだけ仲が良いかと言いますと、幼い頃から常に二人は一緒で、今は同じ家で仲良く暮らしておる次第です。
さて。
今日も二人は仲良く畑仕事をしておりました。
山芋がよく育って、待ちに待った収穫の時です。
そこへいきなり悪戯な風が笑うように吹いて、きびの手拭いを森の方へとさらっていきました。
その森には物怪が暮らしていると昔から伝えられており、村の人達は誰も近寄ろうとはしません。
「あれまあ。私の手拭い持ってかれちまった」
「きっと物怪の仕業じゃ」
「もののけなどおらぬおらぬ。私は取りに行くよ」
「森の物怪は若いおなごが好きじゃて。行ったら食われるよ」
「物怪も訳を話せば許してくれら」
「きび。よせ」
「あれはおっ母の形見だ。私はどうしても取りに行かにゃならぬ」
「はあ……嫌じゃけども私もついて行く」
「本当か!あやめがおれば安心だ」
こうして、森に行くことを決めた二人は、山芋が盛られたカゴを家の戸口にそれぞれ降ろして、さっそく連れ立って森の中に入りました。
「えらく暗えな」
森はしんと静まり返り、まるで日が落ちたように暗く鬱蒼としておりました。
「物怪が森を覆い尽くしとるんじゃ」
「馬鹿こくでねえよ。まあ心配なら、いっちょおっぱらってやろう」
「どうすんじゃ」
「歌でも歌ってけろ」
「私が?無理じゃ嫌じゃ」
「私は躍りは得意だけども、歌はあやめに負ける」
「反対に誘き寄せたらどうするんじゃ」
「その時は……お?」
二人が獣道を歩いていると、雑に立てられた立て札が一つ目先にありました。
そこには拙い文字で警告が書かれておりました。
「あちゃー駄目だ。私は字を読むのが苦手だ」
「この先立ち入る者どちらかを失う」
「さすがあやめ!」
「これはまずいて……帰ろう」
「帰らぬ!さっき言ったろう、あれは大切な形見だと」
「言うても……これは警告じゃ」
「私がおる。恐れることは何もない」
「きび……」
あやめはきびの着物を摘まんで、どんどん進むきびについて、二人はさらに奥へと進みました。
すると、少し開けた砂利道に出て、その先にまた立て札がありました。
「この先にある橋は二人も通れぬ」
「ほう。この先にゃ橋があるのか」
きびがすったかたったかと走り出したので、あやめは慌てて追いかけました。
先には大きな川があり、暴れるように激しく水が流れています。
また、そこに掛けられた丸太の橋は、今にも崩れ落ちそうなくらい朽ちておりました。
「えらくボロい橋だな」
「どうするんじゃ」
「二人は通れぬ。しかし一人ずつなら通れると、どうだ、こういうことだろう」
きびが自信満々に言いましたが、あやめはそれを否定しました。
「二人めが渡る時に落ちるやも知れん」
「ほう、あやめは頭がよく出来とる」
「橋を渡るのは嫌じゃ。私は死にとうない」
「他にどうして渡る」
「下流の落ち着いた所なら……もしかしたらじゃ」
「おお!それだそれだ、そうしよう」
二人は川に沿って、しばらく下流の方へと向かいました。
そうして二人は、何とか渡れそうな緩い流れの所まで来ると、手を繋いで無事に川を渡りました。
「なあ、きび」
「ん?」
「手拭いがこんなに遠くまで飛ぶか?」
「物怪が持っとるに違いない」
「ええ……よせよ」
「立て札が不自然にあったからにゃ間違いない」
「そう……そういうことなのかな」
「うん」
「少しは否定しろ!」
あっさり肯定するきびに対してあやめがつい叫びました
が、それをよそに、きびは嬉しそうに駆け出しました。
あやめはびっくりして追いかけます。
「さっきから置いて行くな!」
「ごめんごめん。それよか見てくんろ」
二人の前にはこじんまりとした団子屋がありました。
その両脇にはそれぞれ林道が続いております。
「これはさすがに怪しいて。たぬきが化かしよるんじゃ」
「キツネかも知れないよ」
「きび!」
「あ、よもぎ団子だ!」
横長の腰掛け椅子に、漆塗りのお盆と、その上にお皿が一つと、それに団子が三本盛られておりました。
「有難い。座ってご馳走になろう」
「馬鹿言うな。泥団子かも知れんのに」
「その時は、うーんと、後でぺっとでもすりゃええ」
「ええくない」
「ええの」
言って、きびは腰掛けてから団子を一本手に取りました。
あやめが止めようとしましたが、きびは串に三つ刺さるうちの一つを美味しそうに頬張りました。
「ああもう……私は知らんよ」
「うまい!こら絶品だ!」
「あーあ」
「あやめも食え」
「嫌じゃ」
「私を信じろ」
「そう言われても」
きびは、話すあやめの口に団子を一本くれてやりました。
あやめは瞬間、顔をくしゃくしゃにして泣きそうになりましたが、もぐもぐしてすっかり笑顔になりました。
「どうだ。うまいだろう」
「ん、美味しい」
「余りの一本は二人で分けような」
「三つ刺さっとるうちの二つをきびが食え」
「いい。あやめが食え」
「きび」
「あやめ」
「きび!」
「わかった怒るな。頂戴するから」
「それで良い」
のほほんと休憩を終えた二人は、改めて団子屋の前に立って、両脇に伸びる二本の道を見比べました。
左の道は暗い森の闇に続いていて、右の道はなだらかな坂道になっており、こちらはどうやら山道に続くようです。
「あやめ。決めてけろ」
「なして私が」
「私はあやめを信じる」
「信じるて言われても」
「さっきも、今までも、私はあやめに助けられた」
「それはお互い様じゃ」
「しかしどうか頼む」
「……明るい山道に行きたいけど、途中、足を滑らせて落ちたら嫌じゃ」
「私もあやめが落ちるのは嫌だ」
「私を落とすな。落ちるのはきびかも知れんぞ」
「悪かった。続けて」
「暗い森には物怪だけでなく、おっかない獣がおりそうじゃ」
「よし。森に行くぞ」
「なして?」
「獣なら逃げりゃ良い」
「私は足が遅いから」
「決して置いては行かぬ。手を引いて一緒に逃げる」
「約束するか」
「もちのろん!」
「わかった。なら森へ行こう」
二人はようやく決めて、暗い闇の奥へと向かいました。
闇の中には、背丈が低く鋭い木々が二人を襲うような形で待ち構えておりました。
「おお。まるで洞穴だ」
「怖い……こいつら動くやも知れん……」
「あ痛。チクッとした」
「平気?」
「頬を少し切っただけだ。心配いらぬ」
「あ痛」
「危ないから気を付けよ」
「うん」
二人は互いを気遣いながら、慎重に奥へと進みました。
やがて二人は大きな洞穴の前に来ました。
洞穴の奥から低い唸り声が幾重にも響いて聞こえます。
二人の肌を刺すような轟きです。
「物怪じゃ。間違いなく奥におる」
「おーい!」
「よせ!よしてくれ!」
「入りとうないなら呼ぶしかない」
「でも……」
「あ、岩に何か書いてあるぞ」
入り口の隣にどっしりと居座る岩に、何かで引っ掻いて書いたような文字がありました。
「中に入る一人は生きて、ここに残る一人は死ぬ。二人で進む、もしくは、二人で引き返す場合は命はない」
「困った」
「うん」
「しかし決めた」
「まさか、きび」
「私は生きてここで待つ」
「物怪相手に無理じゃ」
「こうなったのも私のせいだ。もし死んでも仕方ない」
「馬鹿なこと言うな!私は後ろ向きな奴じゃが、死だけはどうしても好かん!一緒に生きる!」
「あやめ……」
「一緒に行って話をしよう」
「物怪相手だぞ」
「私はきびを、団子屋の時も、今までも信じてきた」
「それはお互い様だ」
「二人なら、何とかなると思う」
「うん、何とかなる」
「私、きびのこと信じてる」
「私もあやめのこと信じとる」
二人は一緒に頷いて、洞穴へと一歩同時に踏み出しました。
その時、奥にぽうっと微かな明かりが見えました。
きびはそれをきびきびと足早に目指して、あやめはきびの着物を摘まんで、転びそうになりながらもなんとかついて行きました。
そうしてたどり着いた奥には泉がありました。
明かりはその泉から放たれていたもので、それはペカペカしていてとても神秘的な輝きでした。
その泉の前に、探し求めていた手拭いが落ちているのをきびが見つけました。
「ふー良かった」
「やっぱり物怪の仕業なのかな……」
「だっぺ」
にわかに、泉から一匹の黄金色をした穴子が顔を出しました。
「いやあ!きゃあ!食べないでえ!」
「ちっこいなあ」
「つつくでねえ」
「ごめんなさい!生きて帰してください!どうかお許しを!」
「あやめ、落ち着け」
きびはあやめの頭を優しく撫でてなだめます。
「ん……」
落ち着いたあやめは涙を拭うと、恐る恐る目を細めて穴子を見ました。
「あ、ちっこい」
「ほら平気だろう」
「うん」
「馬鹿にすっと怒っぺ。ワデはこう見えて物怪だっぺや」
「さっきの唸り声からして間違いない。ついに物怪が現れたんじゃ」
「唸り声でねえ。あら、いびきだ」
「寝てたのか」
「あまりに退屈でや。寝てしもっぺ」
穴子は大きくあくびをしました。
「退屈?」
きびが聞くと、穴子は泉から上がって、咳をひとつしてから言いました。
「おめえら仲良すぎっぺや。対照的な奴らがどうして」
「そら仲良しの友達だから」
「だから何で仲良しなるっぺや。相手の性格にイラッとすっぺが普通だ」
ここであやめが笑いました。
「怒ることないよ。好きじゃもん」
「好き?本当に好きっぺ?」
「きびは私に出来ない考えでいつも助けてくれるし、それは」
「お互い様!だから私も好き!」
「ぺげえ。人間の考えはてんで分からん」
「あの、穴子さん」
「もう帰ってよろしっぺ。なかなか勉強になった」
「食べないの?」
「二人で進む、もしくは、二人で引き返す場合は命はないとは書いたが。二人で進んで帰るならそれはいいっぺ」
穴子は初めから二人を食べるつもりはなかったのです。
穴子にとって全てただの遊びだったのです。
二人はそれを知らされることなく、泉にのそのそと帰る穴子を呆然と見送ることになりました。
「私らも帰ろう」
「うん」
二人は雀色時に、くたくたにくたびれて家に帰り着きました。
と、きびがそんな疲れを吹き飛ばすような歓喜の声を上げました。
あやめが何事かと戸口の方をよく見ますと、家の戸口に置いた山芋が盛られたカゴの一つが、ウナギが盛られたカゴに変わっていたのです。
「山芋が鰻に化けた」
「もっけの幸いだ!」
「嫌がらせかも知れんよ」
「嫌がらせならウナギに対してだろう」
「なら……安心かな」
「お腹も減ったし、さっそく鰻と山芋を調理しよう」
「うん」
その夜。
きびが焼いた鰻とあやめが蒸かした長芋は、今までになく美味でした。
「きび、もしじゃ。鰻の物怪が復讐に訪れたらどうしよう」
「私があの穴子を焼いて差し出してやら」
「ええ……」