絶滅種
よくイヌの祖先はオオカミだと言われる。しかし、これに対して異を唱えている人もいるのだ。イヌの祖先は現代のオオカミではなく、その祖先である太古のオオカミと考えるべきだと。
現代のオオカミは家畜を食べてしまう害獣として人間社会から虐げられ、人間を警戒するように進化してきた。当然、人間にはあまり懐かないようになっている。その為、太古のオオカミと現代のオオカミは別物とした方が良いというのだ。
因みに、これに対して、イヌは人間に愛され、人間の好きパートナーとなるよう進化してきた。だから、現代のオオカミをイヌの起源と見なし、それを観察してイヌの性質を知ろうとしても無駄なのだそうだ。あまり参考にはならない。
この考えが正しいとするなら、太古のオオカミは遠い昔に現代オオカミやイヌに分かれ、その原型は既に存在していない事になる。絶滅種。もしかしたら、そのオオカミは、現代オオカミとイヌの中間のような性質を持っていたかもしれないけど、だから、それは今となっては確かめようもない事なのだ。その遺伝子は既に失われてしまっている。
これと似たような事例は、他の数多くの動物にも当て嵌まる。家畜のウシの起源に当たるウシの野生種は既に存在していないし、ウマの祖先だっていない。生物は進化しているのだから、当たり前の話だけど。
この事実に対し、喪失感を覚えるのは或いは、人間の感傷的なエゴに過ぎないのかもしれない。壮大な地球史の規模で観るのなら、絶滅していった生物は膨大な数になる。人間史の狭い世界観で捉えるから、大事のように思えるけど、実は些細な事なんだ。
絶滅危惧種の遺伝子を保管しようという運動が人間社会にあったけど、だからそれはあまり意味がない事なのかもしれない。
いや、もちろん、そうして保管した生物の遺伝子の中には、人間社会にとって有用な生物資源もあるのだろうし、それに、生態系のパーツを削っていく事でいつかは起こるだろう大崩壊も防がなくちゃならないから、生物多様性の保持は重要な事なのだけど。ただ、それでも、研究施設の奥深くで遺伝子がただ眠っているだけじゃ、生物の保護には絶対にならない訳で……
「それは、君が生きていた時代の話かい? 深田信司君」
そう突然、話しかけられた。
僕は真っ白な病室の中にいて、そこでパソコンを利用し、作文をしていたのだ。僕が目覚める前の事を思い出しながら。
「はい。今の時代では、通用しない話なのですか?」
僕がそう質問すると、幸村先生は言った。
「いや、通用するよ。ただ、今では遺伝子だけでは生物の特性が発現しない事は、常識になっている。細胞が増殖し、生育する環境がとても重要なのだね。だから、仮に遺伝子から生物を蘇らせたとしても、当時の生物を復元する事はできない。いや、仮に復元できていたとしても、それを証明する手段はないんだ。遺伝子だけが同じでも無意味なのだね」
パソコンに打っていた内容が読まれている事を、僕は承知していた。だから、別に驚かないし気を悪くもしない。代わりに別の話題で、こう軽く文句を言ってみる。
「先生。僕は早く外に出たいですよ。もう病気は治っているのでしょう?」
それに幸村先生はこう返す。
「確かに君の病気はもう治っているね。ただ、今の人間社会を見たら、君が大きな精神的ショックを受けるのは明らかだ。だから、もう少し間を置きたいと思っている。精神的に君がもっと安定してから」
プラスチック製の透明な窓の向こうに幸村先生はいる。僕を安心させる為か、微笑んで。その薄い膜の向こうに、僕は一度も出た事がない。もう充分に安定しているのに。
幸村先生達によれば、今は僕が生まれた時代から数百年の時が過ぎているのだそうだ。不治の病に罹った僕は、未来に治す技術が生まれるという希望に縋り、コールドスリープの処置を受けた。そして、幸運にも僕は今の時代に蘇生したのだ。だから僕の親や友人もとっくに死んでいるし、人間社会も大きく変化している。
さっきあんな作文をしていたのは、僕が生きていた当時に保管されていた遺伝子が、今の時代でどうなっているのか、少し興味が沸いたからだ。あの絶滅危惧種達は、既に絶滅してしまったのだろうか。それとも……。
無事、治療を受け、回復をした僕は自分の置かれた状況を説明されて大きなショックを受けた。家族や友人に会えないと知って悲しくもなったし、社会の変化についていけないのではないかと不安にもなった。だけど、僕自身はもう覚悟をしている気になっていた。どんなに社会が変化していても、同じ人間が暮らしているのなら、順応してみせると。
それに、幸村先生達はとても良い人達だったし。そして、そんなある日、僕は幸村先生からこう告げられたのだった。
「――もしも、君が望むのなら、そろそろ外に出てみるかい?」
僕はその言葉を聞いて、大喜びした。
「はい。是非、お願いします!」
そう僕が言うと、ゆっくりとドアが開く。そして、また声が告げた。
「なら、行くが良い。だが、忘れないでくれ。どんな現実を観ても、それは君自身が観たいと望んだ事だと……」
「大丈夫です」
僕はそう言うと、急いでドアの外に飛び出した。窓のない長い廊下を、興奮しながら速足で進む。
僕は恐れない。例えそこに、僕の時代に見たSF物語の中に出てくるような、ディストピアが広がっていたとしても。
やがて出口に辿り着いた。そして、そこに広がる光景に、僕は拍子抜けしたのだった。
確かに僕の生まれた時代よりも進んだ建築物がたくさん建っていたけど、それは充分に想像できる範疇だったからだ。
恐らくは太陽電池か何かだろうか? ビルの壁面などを、とても綺麗な材質の物質が覆っている。そして、未来というだけあって、たくさんのロボットの姿があった。
“凄い! 凄い!”
僕は喜びながら、その未来の街を走った。ロボット達が不思議そうに僕を見ている。そんな視線、どうだっていい。僕は更に走りを加速させた。
……しかし、しばらく進んで、僕は違和感に気が付いたのだった。
あれ? 人間の姿がない……
そう不思議に思い、立ち止まった僕の背後から、誰かが近付いて来ていた。振り向くと、そこには幸村先生の姿が。
僕はこう話しかける。
「先生……。どうしてなのか、人間の姿が見えないんです。人間は何処にいるのですか?」
すると幸村先生は、首を横に振りながらこう言った。
「いや、君はさっきから、人間達をずっと見ているよ」
そして、自らの顔面に手をやると、その表面を剥がしていく。僕は愕然となった。表皮の下からは機械の顔が。
「ロボット……」
僕はそう呟いた。しかし、そのロボットはこう言うのだ。
「違うよ。今の時代では、これが人間なんだ。君のような姿をした人間の祖先は既にいない。純粋な人間はね…… 遺伝子は君と同じだが」
僕はそれにこう反論する。
「冗談はやめてください! 機械なんて、生物ですらないじゃないですか! どうやって子を産むんだ!」
「いや、産める。
母親の胎内にいる頃から、人間の身体の機械化が行われるのだよ。母親の身体も半分以上機械化していているからそれが可能なのだ。赤ん坊の成長過程に関与し、機械と共に組織化を行い一つとなる。つまり、我々人類はロボットと融合したんだ。もちろん、その方がより優れた種になれるからだが……。
お蔭で、戦争や病気、資源や労働力の不足といった君達の時代にあった問題はほとんどなくなったよ。皆、仕合せに暮らしている」
僕はそれを聞いて叫んだ。
「嘘だ! 例え、仕合せになったって、機械になんかなったら無意味じゃないか! もう、そんなのは人間じゃない! いや、生物じゃない!」
激しく興奮していた。
その僕の叫びにロボットは……、いや、幸村先生はこう応える。淡々と。
「それは違う。君は自分自身で書いていたじゃないか。人間史の狭い世界観で捉えるから、大事に見えるだけ。地球規模で考えるのなら、それは些細な事。これも一つの正しい生物の進化の姿なのだよ」
それを聞いて、僕は周囲を見渡す。やはりたくさんのロボットの姿があった。いや、あれが今の時代の人間なんだ。
なんてこった……
僕は思った。
――僕は、絶滅種だったのか。
参考文献:犬はあなたをこう見ている 著者:ジョン・ブラッドショー 出版社:河出書房新社
及び、ウィキペディア
そんな訳で、正統派のSFで、キカプロコンテストに参加してみました。
ただ、企画から浮いているような気もしています。これ。
まぁ、いいか。
まだ投稿していないSFの長編もあるのですが、審査員の人たちが大変だろうな、と思ったので、ショートショートに。
いえ、なんかボランティアっぽい気がしたので、審査員の方々。商業企画なら、別ですがねぇ。
……気を遣い過ぎたかもしれません。
キカプロコンテストで、「もったいないで賞」を受賞したので、記念に歌を作りました。↓
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26832784