国民総キラキラネーム化
最近はテレビを見ていて、出てくる子供の名前が、全く読めないものばかりになっている。読めないだけならまだしも、響きだけしか重視していない、漢字の意味などどうでもいいような、当て字のような名前ばかりだ。
まるで子供をペットか何かと勘違いしている。
こんな名前をつける親の顔を見てみたいものだと、そういう光景を見るたびに思う。だが大抵は、そういう親はでしゃばりで、子供とセットでテレビに出ることが多い。
そこで驚くのが、思ったほどはじけた親ではないということだ。
そこら辺にいるような、普通の主婦に見える人なのに、子供の名前が宇宙だったりする。
どうしてそうなった。
気でも狂ったのか。
私はそんな親たちを見下していた。
だから、自分に娘ができたときは、きちんとした名前をつけた。
清美。
人間として正しく、澄んだ心を持ち、汚れなく清らかに育ってほしいと言う意味で清の字を、そして女性として美しくなってほしいという意味で美という字を使った。
このご時世では古臭いと言われるかもしれない。でもそこには私の、この子への思いや願い、そして愛が詰まっている。
そんじょそこらの薄っぺらい、響きだけの名前とはわけが違う。
私はこの名前がとても好きだったし、夫も両親も親戚もみな、良い名前だと賛成してくれた。
そしてその清美が、今日から幼稚園に通うことになった。
私も楽しみだったが、娘はその何倍も楽しみだったようで、いつも以上にはしゃいで幼稚園に向かった。入園式は無事に終わって、子供たちと別れて、保護者の顔合わせが始まった。
大体同い年くらいの親御さんが多くて、話が合いそうだと、私は少し安心した。
それぞれの紹介が始まった。
自分の子供の名前を言って、決まり文句のような挨拶を言う。それだけだ。それだけなのだが……。
「あ、えっと、相田舞蹴の母親の瞳です。どうぞよろしくお願いいたします」
「私は、石崎宝石の母の里美です。よろしくお願いします」
「板沢威夢蘭安波弩の母の京香です。何卒よろしくお願い申し上げます」
ま、マイケル? ジュエリ? イムランアハド!?
お前ら一体何人だ!? 絶対日本人じゃないだろ!
この三人だけならまだしも、何と私の娘以外の全員がこんなふざけた名前の子供だった。
どうなっているんだ。これは。本当に現実なのか。
すっかり気が動転していた私は、自分の順番になっても暫くは気付かなかった。
「あ、すみません。えっと、渡辺清美の母、美菜子です。よろしくお願いします」
娘の名前を聞いて、周りの親たちがざわつき始めた。聞こえないと思っているのか、それともわざと聞こえるように言っているのか、
「古臭い名前ねえ」
「センスがないわ」
「頭の固い方なんだわ、きっと」
などと、好き勝手に言い合っている。
しかし、私は気に留めようなどとは思わない。
センスがないのはどっちだ。
所詮は、頭のおかしな親の戯言だ。
驚愕や呆然、そして落胆と憤慨。色々な感情が渦巻いたが、何とか初日は終わった。
それから数日が経った。
私が幼稚園に清美を迎えに行ったとき、清美は私に抱きつきながら、上目遣いにこういった。
「ねえ、どうして私の名前は、みんなみたいに可愛くないの?」
「えっ?」
「みんな言ってたよ。私の名前、古いんだって。今は、もっと名前もオシャレじゃないとダメなんだって」
「……そう」
私は胸が苦しくなった。娘がそんなことを言われていたなんて。
同時に怒りが湧きでてきた。子供にそんな事を教えるなんて、他の保護者の教育はどうなっているんだ。
私は先生にその場で相談することにした。
「今は清美ちゃんみたいな名前のお子さんは数少ないんですよ。ですから、そういわれるのも無理ないかもしれませんね。……わかりました。子供たちには、名前のことでからかったりしない様に注意しますし、次の保護者会の時には、そこを配慮していただくように、言っておきます」
先生はそう言ってくれた。
だが、また数日経ったら、娘が私に言ってきた。
「ねえ、私って悪い子なの?」
「どうして、そんなこと言うの? 悪い子なわけないじゃない」
「だって、私とは誰も遊んでくれないし、話しかけても知らんぷりだし……」
「それ、本当?」
清美は悲しそうな顔で頷く。
私は許せなかった。幼稚園でさえもいじめが起こるなんて。
次の保護者会で、私は他の親たちに向かって、怒りを込めて言った。
「どういう事なんですか! 私の娘だけ無視するなんて、ひどいじゃないですか」
「そう言われてもねえ。名前が古いって言ったら、うちの子が叱られるわけですし。本当の事なのに、怒られるなんて、子供からしたら理不尽でしょう? そういうのが嫌だから、遊ばなくなったんじゃないですか?」
私の怒りなど、彼女たちにはまったくどうでもいいようだった。口々に皆そんな勝手な事を言っている。私は怒りを通り越して、呆れ果てて、遂には自分の責任だと思うようになり始めた。
私が、私が清美なんて、昔の名前をつけるから、だからこんなことに……。
意味を重視して、しっかりした名前を付けるなんて、今やただの親のエゴなんだ。子供にとってみたら、響きの可愛い名前のほうがいい名前なんだ。今はそういう時代なんだ。
私は一晩中泣き通した。
自分のつけた名前で、大事な娘がいじめを受けているなんて、夫や両親にはとてもじゃないが、言えなかった。
どうしたらいいのだろう。清美、ごめんなさい。ママが悪いの。あなたは悪くないの。
翌朝、泣き腫らして真っ赤になった目で、私は清美に尋ねた。
「ねえ、清美?」
「なあに」
「もし……清美がもっと可愛い名前になったら、嬉しい?」
「うんっ! 私、可愛い名前がいい!」
そう答える娘の満面の笑みを見て、決心がついた。
私はその日のうちに、夫と両親に承諾を得て、清美の名前を変更することにした。
家庭裁判所への申請で一ヶ月かかったが、許可は得ることができた。
正直、書類を提出するときには、本当に悩んだし、胸を引き裂くような痛みに襲われた。よっぽど変えるのを止めようかと思ったが、その度に娘の悲しげな顔と、あの満面の笑顔が脳裏に浮かんで、結局はそのまま提出することになった。
そして、晴れて清美は、最愛として生まれ変わった。
するとどうだろう。あれほどまでに、私や娘を拒絶していた他の保護者の態度は、掌を返したように一変した。
清美……いや、最愛も子供たちと仲良く遊べるようになり、普通の幼稚園生活を送れるようになった。
これでよかったのだ。
だが、娘の名前を呼ぶたびに、色々なことが思い出されて、涙が溢れそうになった。
それから一年が経って、最愛も進級して、新しいクラス、新しい生活に心躍らせていた。
今ではもうすっかり、娘の名前にも違和感を覚えることはなくなったし、名前に愛着までも湧いてくるようになっていた。この名前にしてよかったとさえ思う。
そんなある日、私は最愛と一緒に、スーパーに買い物に出かけた。するとそこで、幼稚園の保護者とばったり出会った。
「あら~、美菜子さん、最愛ちゃん、こんにちは」
「ああ、保美さんに加奈子さん。いつも最愛がお世話になってます」
「いいのよ。それより美菜子さん。実は私たち、」
「名前変えたのよ」
「へっ?」
驚いて目を丸くしている私に構わず、保美が言った。
「私は雪で」
続けて加奈子が、
「私は音乃」
す、すのう!? のんの!? おいおい、どうしたんだ。ついにとち狂ったか。
「そ、それはまたどうして?」
「いやねえ、美菜子さん、知らないの? 最近はお母さんも子供に倣って、こういう名前にしておかないと、それが原因で子供がいじめられたりするのよ」
「そうそう、それに、娘からも言われるのよ。お母さんの名前、古臭くてダサいって。それで変えることにしたのよ」
「三島さんのところも、矢倉さんのところも、羽田さんのところも、名前変えたそうよ。早めに変えておかないと乗り遅れるわよ」
「じゃあ、私たちはこれで」
そう言って、ポカンと口を開けたまま呆けている私を尻目に、彼女たちは談笑しながら買い物を再開した。
来るところまで来たか。親までこんなキラキラネームにしなければいけないなんて。流石にそれはない。いい加減にしろ。
私は拳を固く握りしめて、絶対に自分は迎合しないと心に誓った。
しかし数か月後、戸籍の変更書類を手に、役所に出向く私の姿が、そこにはあった。