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廃業寸前の少女、黒竜を拾う 作者:椋本梨戸

II

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09 たったひとつの星空

(この子が、レシピ帳を持っていったの)

 あの少年竜のことは、覚えている。
 しょっちゅう傷を作っては、薬を塗りに来ていた。マナが少年期のころはもっと落ち着いていて、無茶してケガをするなんてことなかったのにと、可笑しく思ったものだ。そして、この子が桂花ケイカと同じ黄竜だと聞いて、納得したりしていた。

(あたしみたいな薬師に、なりたかったって)

 素人が読むには難しすぎるレシピ帳を、一生懸命読み込んで。
 それで、返すのが遅れたというのか。
 ニコラの肩から、へなへなと力が抜けていく。

(ムカつく。ムカつく、ムカつくけど)

 でも、そんな理由じゃ、腹の底から怒ることが難しくなる。
 薬師になりたい、憧れるという気持ちは、ニコラにも分かるからだ。
 幼いころ、両親を見ていた時の自分がそうだったから。

 けれど、マナの声音は怖い。低く抑えているけれど、相当怒っているのが分かる。
 マナはレシピ帳のために、力を尽くしてくれた。マナにも怒る権利は当然ある。

「ニコラ、出ておいで」

 マナに呼ばれて、ニコラは体を強張らせた。
 気配に敏感なマナが、ニコラに気付いていないわけがなかったのだ。

 ニコラは遠慮がちに店内へ足を踏み入れた。ろうそくの灯りが、マナと少年を照らしている。美しい竜たちは、一方は怒りを抑えこんだような表情をしていて、もう一方は今にも泣き出しそうな顔をして、ニコラを見ていた。

(ああ、もう)

 いくら薬師に憧れていたといっても、ダメなものはダメだ。
 人のものを盗んだら、ダメなのだ。

「ごめんなさい!」

 少年は勢いよく頭を下げた。

「本当にごめんなさい! オレ、とんでもないことをしちまった。本当に本当に、ごめんなさい!」

 マナは眉をしかめながら少年を見下ろしている。
 ニコラはひと息ついたあと、少年の真ん前まで歩み寄った。

「ごめんですんだら、ケーサツはいらないのっ!」

 少年の頭をぺちんっと叩き、肩をつかんで起き上がらせた。

「いててっ」

「いててじゃない! ここ数日、ほんっとーに大変だったんだからね!」

 ニコラは腕を組んで仁王立ちになる。
 少年の顔が引き攣った。

「うっ。ご、ごめんなさい」

「ここ数日の損害分、弁償してもらおっかなー」

「なんでもします、オレのお小遣い、ぜんぶ渡します」

「現金じゃなくて、体で払ってもらおうかなー」

「か、体?」

 少年は後ずさった。ニコラの隣で、マナがうなずく。

「そうだね。僕は王子だから、お金はいくらでも持ってるし」

「口先だけじゃ反省は伝わらないし、なによりあたしの気がすまないし」

 ニコラとマナに見下ろされて、少年の顔色が変わる。
 びし、と指をつきつけつつ、ニコラは言った。

「きみには罰として、この広ーーい屋敷をすみずみまでピカピカに掃除してもらいます! 何日かかってでも! そしてもちろん、このことは黄竜の長の息子である桂花ケイカに報告します!」

 少年は、カエルの潰されたような声を上げた。





 「明日、お日様が昇ると同時に掃除を開始すること」、と約束して、少年を中庭の通用口から見送った。
 扉を閉めて、それからマナは、我慢の限界といった感じで肩を震わせて笑いだした。

「掃除。掃除って」

「なんで笑ってんの?」

 ニコラは憮然とする。持ってた手燭を、「危ないから」とマナが引き取ってくれた。
 星がいっぱいの、秋の夜空だ。

「いや、ニコラらしいなと思って」

「この屋敷の掃除って大変だよ? ハンパなく広いもん。
 全部ピカピカにするのに半月以上はかかるよ。その間に足腰ガックガクになって筋肉痛バリッバリになるよ。女中さんたちに『使えないわねこの子』みたいな目で見られてさ。あたしだったら絶対やりたくない」

「まあ、そうかもね」

 マナはまだ笑っている。ニコラはむっとして、

「じゃあマナならどういう罰にしたの?」

「僕? 桂花に突き出しておしまいだよ。こっちで先に罰を与えないほうが、あいつも手加減なくやりやすいだろうし」

「マナってわりと容赦ないよね」

「普通じゃないかな」

「桂花、すっごく怒ると思う?」

 足を止めて、ニコラはマナを見上げた。マナは一拍置いた後、

「怒ると思うよ。あいつは曲がったことが嫌いだから」

「……あの子、可哀想かな」

「全然」

「将来薬師になること、あきらめちゃうかな」

「それは彼次第だよ」

 マナの手が伸びて、ニコラの髪に触れた。
 ひたいに優しいキスが落ちる。

「マナ?」

「他の竜のことで、これ以上悩まないで」

 金色の瞳が、甘い切なさに溶けていた。
 マナの後ろに広がる星々は、彼の目の色よりも薄い。

 ニコラの唇に、やわらかなぬくもりが重なる。目を閉じて、ニコラはそれを受けとめた。
 少しだけ熱くて、優しいキス。

「……ねえ、マナ」

 マナの胸の奥に抱き寄せられながら、ニコラは聞いた。
 侍女たちの言葉が、頭をかすめたからだ。

「マナはあたしのこと、どう思ってるの?」

「好きだよ」

「そうじゃなくて。そうだけど」

 ニコラは言葉に詰まった。

『綺麗だとか、麗しいだとか、そういったお言葉を掛けられたことは?』

 可愛いとは、何度か言われたことがあるけれど。
 でもそれは、仔猫がカワイイと表現するのと、同じようなものだと、ニコラは思う。

「どうしたの、ニコラ」

「マナは……ええと」

 ――でも、それを聞いてどうするの。
 ニコラの見た目を、マナがどう思っていようと、ニコラはマナが大好きで、夫婦になれた。

 一番近くに、ずっといられる。
 だからこれ以上のことを、マナに確かめる必要などないのだ。

 ニコラはまっすぐに、マナを見上げた。

「なんでもない。あたしも大好きだよ、マナ」

 マナは眩しいものを見るような目で、ニコラを見下ろした。

「ニコラは僕のすべてだよ」

 ニコラを優しく抱きしめる。
 紺碧の空を、流れ星がひとつ横切った。

「可愛いものも、綺麗なものも、全部。生まれた時からずっと、ニコラは僕のすべてだ」



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