第八話「現れる白銀、そして暴れる感情」
「アアアァァぁぁああアァァァぁぁァァッッッ!!!!」
間合いが、十メートル近く離れていた間合いが一瞬で詰まった。―――いや、オレの足がその間合いを詰めていた。
「チッ………狂ったちゃったかな?」
狂う? 何をバカな。頭も心も冷めきっていて、驚くほどに冷静で、物凄い勢いで思考が頭の中で展開されている。ただただ、溢れ出す怒りだけは叫びでもしないと消えてくれそうになくて………
「狂ってなんかいるもんか。だがな、今の今まで感じたことのない感情が渦巻いてるぞ」
そう。ここまで明確な憎悪なんて朝霧涼喜として十五年近く生きてきたが、一度だって感じた事もない。
「ふ〜ん、そう。別に私にもう用は無いんだけどねぇ………ま、やる気になったなら」
そう呟き、ジャスミンが細剣の切っ先を翻す。オレの双剣を弾き返しながら今までとは違う構えを取った。
「―――いいわ、殺してあげるわよ。最悪、それでも構わないって言ってたからねぇ」
刹那、閃光が走る。その数、実に二十。細剣から放たれる刺突がオレの急所と言う急所全てを穿とうと迫ってきた。
「ハアッッ―――!!」だがしかし、その今までの穿孔とは格段にレベルの違う攻撃ですら、今のオレを止めるには全く持って不足。舐めてるのか、と聞きたい。ただの刺突でオレを殺す?
「笑えない冗談言ってると………」双剣を反転、逆手に握った『堕天使の翼』を一閃する。そのただ一つの閃光が、放たれた刺突を全て弾き返した。
そして、次の瞬間にはもう片方の手が動く。翻した刃が空を裂き、円舞曲を舞うが如くその斬撃をジャスミンへと叩き込んだ。
「足下掬われるぜ!!」
「えっ!? 速いっ―――!??」
自分でも驚くほどの速さで斬撃を交える。自分では一合の剣戟のつもりでも、耳に届く音と目に飛び込む映像はその十数倍の数であることを示していた。体と心と頭が三つに分離したかのような錯覚。だが、それでも響いてくる双剣の振動だけは確かに感じられて………
「ハアッッ!!」両の手から『堕天使の翼』が吹き飛ばないよう、しっかりと握りしめながら地面を蹴る。ジャスミンの懐に潜り込み、遠心力に身を任せ、右の刃を一閃!
「グウッ!? ―――な、何なのよ、こいつ………?」
金属音が響き、双剣と細剣の刃が大きく弾かれ合う。だが、その衝撃をすぐに殺し、再び地を蹴り、体を前へと運ぶ。
一秒たりとも足を止めるな。薙いで払って叩き付け、穿って砕いて斬り裂いて―――その魂、オレの前へと残さず引きずり出せ!
「リョー君ッッ!!」
ふと、何か懐かしく感じる声が耳に届く。だが、そんな物に気を取られている場合ではない。
「チッ!! 何なのよ、いきなり強くなって? 何とか逃げる時間作らないと―――」
「喋りながら戦ってると舌噛むぜ! オレを殺すんだろ? だったら、余計な事に気を懸けてねえで―――ただそれだけの為に全神経を集中しやがれ。さもないと………あっという間に喰らい尽しちまうぞ」
下からの逆袈裟斬りを細剣が弾く。だがしかし、その衝撃までは殺せずに宙へ飛ばされるジャスミンの体。堕ちて来るまで待っているのも時間の無駄。だったら………こっちからその体を分断しに行ってやろうじゃねえか。
「さっさと構えねえと、どうなっても知らねえぞ!!」
「ッ!? くっ、少しは休む暇くらいくれても良いのにねぇ!」
空中で三つの刃が衝突。空間を圧縮し、歪める程の衝撃が走る。そして、その剣戟は既に二十………いや、三十合は交えている。一合交えるたびに腕と足が悲鳴を上げ、脳髄に強烈な痛みが走る。このままこの状態で戦っていれば、今までとは比べ物にならないまでの力を得られるだろうが………
その反面、何かとても大切な物を犠牲にしちまうような―――そんな予感もする。
「だが………」そんな予感を振り払い、双剣を大きく薙いだ。
今この時、このオレの存在意義はたった一つの事に集約されている。他の何物でもなく何事でもなく、ただ一つの結果を叩き出すための存在。
「テメエをぶちのめすまでは、終われる訳ねえだろッッ!!」
十文字に斬り付けた双刃がジャスミンを吹き飛ばす。渾身の一撃は細剣に防がれたもののその衝撃を殺せる筈もなく、下向きに大きく吹き飛ばされて地面に叩きつけられた。未だ空中にいるオレはこのまま落ちるまでは何も出来ない訳だが―――
―――その時間すらも激しく無駄だ。体が動く限り、奴の所まで跳んで、この刃を振り続ける!!
「ハアアァァッッ!!」
空間を蹴る。物質としての固形を持たない筈の大気が今やオレの足場と化し、本来ありえない動きを導き出した。空間すらも今はオレの味方。反転するその存在意義は、誰にとっても公平なものではなく、今はただオレだけの物へと変わり果てる。
「なっ!? 空間を固定するなんて、もう“呪力”固形化のレベルじゃないのっ!! 第壱すら解除されてない筈なのに………何でここまで論外に強いのよ!!」上からの斬撃を細剣で受け止めるジャスミン。だが、その時点で左右ががら空きになる。全くもって全ての動きが、緩すぎる!!
「何言ってんだか知らねえが、集中しろって言った筈だぜッ!!」刹那、閃光が走り双剣が縦横無尽にその刃を反転させる。その数、実に五十。本来ありえない筈の動作も、今のオレになら出来る。“呪力”を注ぎ込み、感情の導くままに刃を振るう。ジャスミンを殺してころしてコロシ尽くすためなら、何だって出来る!!
渦巻く感情が強烈な力を、“呪力”を与え続ける反面、オレの内で何か貴い物を喰らい尽して行ってる。“呪力”を貪るように喰らい、新たな“呪力”を吐き出し続ける“化身”とは別に、ただの感情がオレの中で大きく育っている。今まで、ロクに抱いた事のない―――
―――憎悪、憎しみの感情が。
「殺る気がねえなら、とっとと消えやがれ!!」意識と共に反転する刃。疾風を斬り裂き、火炎を舞い散らせ、清水を湧き起し、大地を粉々に砕く。聖光で世界中を照らし上げ、絶望を暗黒で覆い尽くす。内に宿る元素と言う元素を味方につけ、魂の宿る全ての存在を従えて、このジャスミンを徹底的に殺し尽くす。
【疾風燕返し】
一瞬で、ホントに一瞬で“呪式”を発現させた。今までにない程の速さで“呪力”を展開し、呪法陣に流し込み、“呪法”として顕現させる。その複雑な行程を一瞬で行えてしまった自分自身に一番驚いていた。
だが、そんなことを気にしていようとも足は決して止まらない。
弧を描くように宙を飛ぶ双剣を追うようにジャスミンとの間合いを一気に詰めた。
「ぐっ………!? “呪力”が半端ないっ!! この出力って何なのよっ!?」
ジャスミンが悪態を付きながら純白に輝く『堕天使の翼』を弾き飛ばし、細剣を構えてオレを迎え撃つ。閃光となって放たれる刺突はしかし、オレの体を穿つことなく顔の横を掠め、その懐を大きく開ける。そこに生まれるは度し難いまでの大き過ぎる隙―――
「ッ!? しまっ―――」
「遅いんだよッ!!」一閃。双剣が唸りを上げてジャスミンに迫る。その速度はもはや音速。いかなる物理法則を無視し、あらゆる概念法則をも凌駕し、死殺を導くためだけの刃と化す。
「―――簡単にやられてたまるかっ!!」決死の力を振り絞り、ジャスミンの細剣をその体と双剣の間に割り込ませた。ぶつかり合う凶刃と凶刃は空間を歪ませるほどの衝撃を放ち、事実、そこに真空が生まれて火花が激しく舞い散る。
だがしかし、威力は圧倒的に双剣のそれが勝っており、細剣如きがその威力を殺しきれる筈もなく、一気に押し返され、疾風の刃がジャスミンの左肩を大きく切り裂く。
「ハアアァァアアァッ!!!」そのまま、怒声と共に気合いを振り絞り、踏み込みつつ両手の双剣を薙ぎ払う!!
「グッ!! ―――痛っ! やばっ、マジで危ないかも………」双剣の一閃に大きく吹き飛ばされたジャスミンは何とか立ち上がりながら細剣を杖に立ち上がる。ただそれだけの動作が妙に鼻につく。
まだ立ち上がるのか。
手間を懸けさせやがって。
ただの雑魚のくせにオレに歯向かうとは………万死に値する。
「リョー君、止まってッッ!!」
【大地弐刹・黄金の障壁】
瞬間、声と共にオレの目の前に黄金の壁が現れた。声、さっきからずっと耳に響いていたような気がするが、もうどうでもいい。そして、この壁はオレに歯向かうってのか? この“魂ヲ喰ライシ者”たるオレに歯向かうってのか? だったら―――
「喰らい尽してやるよ。第弐相、ヒュドラ―――限定解放ッ!!」
そして、内の“化身”が切り替わる。紅は蒼に、壱は弐に、焔と水は風と地に。反転する力が唸りを上げ、一瞬で“呪式”を構成する。
全宇宙に存在する生命をその頭で知覚し、そこに宿る魂全てを心で感知する。無限に広がる貴き幻想を喰らい、夢幻を導く空想の具現を貪り尽くす。命に宿る絶対領域を侵食し、魂の胎動する無限回廊を陵辱し、ありとあらゆる概念を凌駕し、この世界そのものを喰らい尽くすッッ!!
「全てを喰らえ―――ソウルドレインッッ!!」
【ソウルドレイン=薄明】
腕輪の周囲に展開された呪法陣を通り、純白の“呪力”が“呪法”として変換される。吸収概念を詰め込んだ“魂ヲ喰ライシ者”にしか扱う事の出来ない三つ巴の“呪法”の一角は、黄金に包まれた魂の結晶を喰らい尽そうと、この世界に顕現する。
放たれる純白の光。そして、その光は一瞬でオレの前に立ちはだかる障壁を覆い尽くす。貪り喰らい陵辱し、意識の反転と共に“呪法”の性質も反転してしまったのか、今までの“呪法”とはまるで違った概念をまき散らしながら褐色の“呪力”を喰らい尽していった。
「クッ―――!!」壁が無くなり、再びオレの前に姿を現すジャスミン。戻って来た光の球を取り込み、内に新たな“呪式”を溜め込んだ。
「さあ、再開だ。覚悟しやが―――」
「クリエイト、オン―――」
―――刹那。耳に届く凛とした声。ここに存在しない筈の声。オレでもジャスミンでも今まで耳に届いていた誰かの声でもなく―――
「えっ………?」次の瞬間には、オレは槍の山に閉じ込められていた。空から堕ちてきた、いや、空にいる誰かから放たれた槍はオレを包み込むように、円錐を創り出すように地に刺さる。その数、オレを囲んだ槍は合計十二本。その全てが絡み合うように立ち並び、オレを完全に閉じ込めていた。
「ミラみら、下がってて」
そして、オレの前に白銀が降り立った。槍の檻に閉じ込められたオレの真正面に現れたのは白銀を纏った一人の少女。
両の手に剣を握り、更に自らの周囲に浮かべた三本の剣。合計、五本の剣を持つ少女はその全てを装備していた。宙に浮かぶ三本の剣は彼女に触れていない筈なのに、それを装備していると感じてしまうのは何なのだろうか?
少女は、頭とほぼ同じ大きさの純白のリボンで纏め上げた、腰の更に下まで伸びる白銀の長髪を翻しながらジャスミンと対峙する。
腰を深く落として構えてるの以上に、かなりちっさい。オレより頭一つくらいちっさい。ちなみに、オレの身長は大体百七十くらいだ。
「ルーちゃん………」
「ルーシア・スフォルツァンド!? なんでここにっ!?」
重なる声はミラさんのものとジャスミンのそれ。オレは身動き一つ取れずに目の前のルーシアと呼ばれた少女を眺めるばかりだった。
「リョウ君を傷つけるのは誰であろうとボクが許さないよ」
「いやね、一方的に傷つけられてたのは私の方なんだけどねぇ」
ルーシアの言葉に肩を竦めながらジャスミンは立ち上がる。細剣を―――構えることなく腰に収めながら。
「帰って良いんでしょ? そっちには私と戦う気なんてないんだろうし」
「うん。別にボクがキミを倒す意味なんて今は無いし、あったとしてもそれ以上にリョウ君の事が心配だから」
その言葉にジャスミンが小さく笑みを浮かべる。その言葉が真実だと、嘘偽りのない本心だと判り、安心したように目を閉じた。
「んじゃ、逃げさせてもらうよ。私を殺す気なら朝霧涼喜を止める必要なんてないからねぇ。―――じゃ〜ねぇ、ルーシア・スフォルツァンド、ミラ・ディミヌエンド。それに、リョウ………朝霧涼喜」
その瞬間、大きな“呪力”と“呪式”が展開され、ジャスミンの姿が消え去った。それは空間転移。今や、この図書館、中央区にはジャスミンは存在しなかった。
「―――ふう、危なかった。後二分遅かったら完全に暴走してたかも」
ルーシアは白銀の髪を翻し、こっちに向き直った。その顔に浮かぶのは眩しいまでの笑顔。
「お前―――誰だ?」だがしかし、オレの中の、オレの中で暴れ続けるもう一人のオレがこの少女を拒絶する。
近づくな、関わるな、今すぐここから離れろ、それが出来ないなら―――コイツを殺せ、と。
「―――はぁ、十五年ぶりだけどそれより先にリョウ君を抑える方が先かぁ。もっと早く来れれば良かったんだけど」
そう呟いてルーシアは瞳の色を変える。髪と同じく、きれいな白銀の瞳であるのだが、今は冷たい殺気を込めた瞳に変わっている。
「ッ!?」その瞳に見つめられた瞬間、オレの中で、オレの意志とは無関係に感情が暴れ出す。そして、勝手に膨大な“呪力”を展開してオレを閉じ込めていた槍の山を全て砕き散らしてしまった。
「あぁ〜あ、せっかく高位宝具の山で閉じ込めたのに一瞬で砕かれるなんて………まだ一つも封印解いてないのに、流石だね」
そうぼやきながら剣を構える。右手左手、そして周囲に浮かぶ三本の剣。計五本の剣全てがオレにその切っ先を向ける。
その瞬間、体が勝手に動き出す。地を蹴り、双剣を翻し、逆手に握った二つの刃を少女に向けて叩き込む!!
「ん………限定解放でこの“呪力”。ホントにギリギリだったんだなぁ」そんな言葉を呟きながらルーシアはオレの放つ斬撃を剣で真っ向から受け止める。よくよく考えれば、オレ以上の刃の数を持つ相手と戦うのはこれが初めてか。
「ハアアァッッ!!」そして、意志とは無関係に反転する両手の刃。ただ無尽蔵に溢れて来る“呪力”を注ぎ込み、狂ったように少女に叩きつける。………………いや、実際既に狂ってしまっているのかもしれない。
―――オレには戦う気なんて、一切無いのに
「少し痛いかもしれないけど………我慢してねっ!!」
瞬間、五つの刃が全て翻る。全てが全て異なった動きをし、強烈な斬撃を連続してオレに叩きつけようとする。
だがしかし、オレはそう簡単に斬りつけられるつもりもないようだ。回転するかのように体を舞わせ、双剣を反転させ続け、全ての斬撃を受け流しては弾き返していった。自分でも驚くほどの剣戟を交え、少女へと切っ先を返し、斬撃を防ぎつつも逆に斬撃を放っていく。
「刹那―――」そして、ルーシアが間合いを大きく開きながら小さく口を開く。それは真名の解放。何故だか分からないが、直感が告げている。今から来るのは光属性の“呪法”だと。
だが、第壱相と第弐相では間違いなく吸収できない。それだけは間違いない。ここで展開しなくてはならないのは………
―――まだ見ぬ第三番目の相。
だが、もちろんその真名を知らないで解放など出来る筈もない。今までは第壱相にしても第弐相にしても謎の声が教えてくれた訳だが………
今はそんな声は微塵も聞こえて来やしない。
「何だよ、何なんだよ………………?」
今にも発動しそうなルーシアの“呪法”。白銀の“呪力”がルーシアの右手の剣に走り、空間に発現していく―――
「第参相………ラドン」
「えっ………………?」瞬間、ルーシアが言葉を紡ぎ出す。真名解放の途中にも関わらず、まるでオレに告げるかのようにその言葉を詠う。
「―――第参相」訳が分からんが、今オレにある手がかりはそれだけ。叩き斬られるよりかは、賭けた方がずっとマシだ。
「ラドン………限定解放ッ!!」
瞬間、右手の腕輪の色が切り替わる。澄み渡る水が如き蒼は、木々に茂る新緑のような翠に変わる。
そこに宿る概念は以前と同じ“吸収”だが、その喰らう対象は光と闇。
「ソウル………」もはや一刻の猶予も無い。ルーシアの“呪法”がオレを分断する前に、この“呪法”を完成させる!!
「―――聖流波」
【刹那聖流波】
オレの“呪式”が完成し切る前に、ルーシアの剣が薙ぎ払われる。そこから放たれるのは強烈な斬撃波。ミッシェルのエアロブラスト、ローラの疾風迅雷なんかとは比べ物にならないほどの広範囲、そしてあり得ないほどの空間断絶。触れたら万物を斬り裂くほどの斬撃が一瞬で迫ってくる。
「―――ドレインッッ!!」オレに触れる前に、ギリギリで“呪式”を完成させる。そして、真名解放と共に“呪力”が展開された。
【ソウルドレイン=黎明】
今まで使った事も見た事もない“呪法”だが、何故かその真名が頭に入ってくる。放たれる純白の光は三番目のソウルドレイン。
「よしっ!!」広範囲だろうと何だろうと、“呪法”に触れさえすればソウルドレインはそれを完璧に喰らい尽くしてくれる。広範囲なら広範囲なほどに当たりやすい“呪法”。そして、喰らい尽くすのにかける時間など、その大きさなど関係無く一瞬だ。
そして、斬撃波を全て吸収した。白銀に輝く“呪式”の構成情報が腕から流れ込み、ケルベロスを満たしていく―――
ドクンッ!!
その瞬間、跳ねた。だが、それは心臓ではない。鼓動の音なのは間違いないが、オレの胸から響いてはいない。
「グッ―――!?」左手で右手首を押える。鼓動の音が響くのは、腕と同化した白銀の腕輪………
「はく、ぎ、ん………?」
片膝をつき、ルーシアを見上げる。そこで、いつの間にか剣は一本まで減っているが、ルーシアが髪を靡かせながらオレを見下ろしていた。
「苦しいでしょ? 感情とリョウ君自身の理性とが今、リョウ君の中でぶつかり合ってる。………ごめんね、こんな事になるならもっと早くから来てれば良かったんだけどさ」
何を言ってるのか? 声を耳は確かに拾ってそれを正確に脳に伝えている。だが、腕輪から伝わる鼓動と共に脳髄に強烈な頭痛が走り、ありとあらゆる感覚を麻痺させていく。まるで、一度全てが壊され、新しく創造されるかのように。
「リョウ君。ボクは導かない。どうすればいいのか、呪法師としての本能が告げてくれる筈。だから―――」
―――自分自身の力で解き放って。幾重にも絡まる封印の鎖を
「な………何、を―――言ってる、んだ………?」
口が上手く回らない。ドクンドクンと脈打つ腕輪の感触に頭が支配されていく。
「意味が、分からな…い。何な、んだ、よこ、れ――?」
「リョウ君なら大丈夫。ボクもミラみらも傍にいるから、他の事は何も気にしないでただ集中して」
少女の声が、オレの体を包み込むようにかけられる。柔らかな絹のカーテンのようにオレを取り囲み、風がそよぐようにオレの肌を撫でていく。それが本当に安心出来て、世界中にまるでオレとその少女しかいないような感覚に囚われる。
「くそっ―――」訳が分からないが、オレになら出来ると少女は言う。だったら………やれるだけやってみよう。
自分の深層意識へと潜り込んでいく。オレは人の“魂”を喰う力がある。ならば、自分の魂まで潜っていくことなんか朝飯前だ。理性の殻を越え、本能の囲いを跨ぎ、そして―――
最後に辿り着いたのは、幾重もの鎖に雁字搦めに縛り上げられたオレ自身の魂だった。
「なっ―――!?」
ドクンッ!!
鼓動の音と共にそんな光景が霧散し、地面に跪いている現実に引き戻された。
訳が分からない。こんなこと、幻想に、少女の言葉に導かれて狂ったかのように暴走しているオレ自身がみている幻想な筈なのに、ひどく真実めいているように感じる。
自分の魂に降りていく? そんなこと、ついこの間までアースで暮らしていたオレに、民間人の出来る筈もない。
なのに、さっきまでの自分は、朝霧涼喜ではないかのような自分は、何を考えていた?
『オレは人の“魂”を喰う力がある。ならば、自分の魂まで潜っていくことなんか朝飯前だ』
「―――何で」
何でそんなふうに思えたんだろう? オレは、自分のことなんか全く知らないのに………
だが、さっきの光景が幻だろうと真実だろうと、一つだけ分かった。
魂が、オレ自身がああやって封じられてるから、こうも頭が狂ったようになっちまってるんだって。―――正確に言うなら、あんなふうになっちまってるから、オレは今の状況に捉えられて、朝霧涼喜を見失ってるんだってことを。
「封印の鎖―――」それを解くこと。それ自体はひどく簡単だ。やり方など、最初から朝霧涼喜じゃないオレが理解している。
―――だが、その別のオレはその行為自体を全身全霊をもって拒否している。まるで、それをすることでそいつが消えてしまう事を理解しているかのように。
「………………………第参相」
だが、そんな事はオレに、朝霧涼喜には関係のない事だ。だから、オレは目の前の少女、ルーシアを信じて事を起こすだけだ。
「ラドン――――――全解放」
瞬間、封印の鎖が一つ、完全に砕け散った。―――それが幻だとは分かっているが、オレの耳はその音を確かに知覚している。現実に響く音ではないのに、幻想の世界でそれを耳にし、具現の並ではないのに、それを夢幻の狭間に感じ取っている。
そして、その瞬間、オレの内で溢れ、暴れていた感情が全て消し飛んだ。朝霧涼喜としてのオレが戻ってくるのを感じる。
「何だ………………これ?」背中に熱いチカラを感じる。振り向くと、そこに輝くのは一対の―――
―――新緑に辺りを照らす翠の双翼だった。
「化身全解放の証。リョウ君の場合、ケルベロスに宿る力の一つ、第参相・ラドンの顕現の証となる聖痕。―――そして、リョウ君自身の幻想の現れ」少女は、ルーシアは心の底からの笑顔でオレを見ながらそう告げる。
「全解放? 今、確かに無意識にそう言ったけど、何の事だ?」
「む―――まぁ、その辺はミラみらに説明してもらって」
ミラみら、また妙な呼び方をするもんだ………と、そういや、オレはこいつの口からまだ名前を聞いてないぞ。ルーシアとか言うのは分かるが、それもジャスミンやらミラさんの口から聞いた名前で、自己紹介はまだだ。
「―――と言う事で、お前何だ?」
「む………その聞き方はレディに対して失礼だよ〜。人に名前聞くときは、まず自分から言うものだよ」
頬を膨らませ、全く怖くない表情でオレを軽く睨みつけてきた。いや、あからさまにお子様な身長で睨まれてもホント怖くないんだって。
「ふざけんな。お前、オレのこと熟知してるみたいな口調じゃねえか。不公平だぞ」
オレにとってはいきなり現れた謎の少女、それもかなり年下の少女なんだが、こいつは明らかにオレのことを知っている。
「む―――まぁ、それもそうだけどね。………まぁいいか」
少女は溜め息をつき、右手の剣を腰の鞘に納めた。その動作につられて、小さく揺れる白銀の長髪と、頭の後ろの白いリボン。その、何でも無い動きがオレの目を捉える。
揺れる長髪、跳ねるリボン、流れる白銀―――
「ボクの名前はルーシア―――ルーシア・スフォルツァンドだよ、リョウ君♪」 |