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夢と幻のキネマ館 作者:黒枝 静

『夢と現のアリス』

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1.夢の始まり、現の終わり①

 
  夢と現のアリス

 1.夢の始まり、現の終わり①



  プロローグ


 ――二×××年。原初の王の膝下、アメリカの地より訪れる。
全ての夢を生み出し、新たなる夢の時代を築きし者。惰眠のなかの誠実。
  かの王の名は『微睡のツァトゥグァ』。
  その怪異は遍く夢を冒涜する。



 少年少女の時の記憶というのは、何よりも変えがたく、そして何より自分自身の理想の形を形成する重要な期間であることを、その期間中に知ることができないのは、一種の呪いでもあるようだ。
 第二次性徴における男女の関係は、皮肉なことに純粋であることさえ不純に取り替え、不純であったことに正当性を求めるようになる。キスからセックスに変わる少年の心というのは、いつだって純粋でありながら不純。そしてその不純であることを紛らわすかのように、不純の中にさえも純粋を求めるものである。
 では、永遠の少女たる「彼女」に宛てられる少年の心には、いかような不純が求められることだろう? いかなる不純も純粋へと塗り替えてしまう少年は、「彼女」に恋していたとき、キスしたいという感情から抱いてしまいたいというその心の変化に、どのように折り合いつけるのだろうか?
 そして、永遠の少女は永遠の少女。彼女は歳を取らない。ずっと少女のままであり続ける理想。妄想。幻想の象徴。少女は少年の心を惑わすことはあれ、少年の腕の中に収まることはない。彼女は歌うように小さくなり、大きくなり、しかし取り留めもなく変化する。紙面上の乙女だからだ。
 残念ながら、もう今年で二十歳となる僕は、その答えを出せずに、いつまでも少年であろうとした、閉じ込められた男だった。


 事件は二×××年のニューヨーク。
 怪物という未知の存在が現れて以降、世界はめちゃくちゃになった。そんなめちゃくちゃな世の中に対抗するため、人は「魔法」と「兵器」で立ち上がった。
 そんな対怪物機関「アクアリウム」が創立した魔法・兵装学校「オンタリオ大学」。
 オンタリオは五大湖の一つ。アクアリウムが作った機関の一つであることも同時に示している。
 隠秘術、オカルト、呪言、占い……その数を上げれば枚挙に暇がない魔法という学問において、「オンタリオ大学」は、怪物を破壊させることを至上とした学問を扱っている。
 その学院生ルイス・エインズワースは今年で二年生だ。実家を離れて魔法の勉強をしている。実家はイギリスの田舎。そこで両親は魔法使いをしている。
 もちろん、表向きではない。いかに時代が「怪物」という未知の生物に襲われているとしても、魔法が一般の目に触れていいものではない。
 特に「オンタリオ大学」で学ぶことのできる魔術は、「怪物」を殺すための技術を学ぶ学校である。その存在は表向き、かなりの胡散臭さを漂わせている。
 さて、胡散臭い大学校に通うルイスには、ついに今年も彼女が出来なかった。
 二十年という年月であれば、すでに女の一人と経験があってもおかしくないだろう。しかし、ついにルイスはそれすらも獲り逃してしまった。
 というのも、ルイスには頑なに貞操を守るような理由があった。
「おい、ルイスお前、ようやく二十歳だな。クリスマスには、それはもう、あたりを真っ白にするくらいの予定があるんだろう?」
 クリスマスと誕生日が同時にくるルイスに取って、このからかいはもはや聴きなれたもので、耳のタコが今にも破裂しそうなくらいだった。そこには無論、耳が赤くなるほどに怒りたくなる理由が、それはもう沢山あったのだが、少年の言葉に耳を貸す友人なんてものは、もう周りにはいなかった。
「馬鹿にするなよ、オズワルド。僕にはそんな不純なクリスマスを過ごすつもりはないよ」
 頑なに言うルイスの顔に、オズワルドの瞳が意地悪く睨んだ。目元に浮かぶうっすらとした隈が、こんこんと降り積もる雪の如く、深く濃くなっていくたびに、ルイスは反吐が出るほどの気分を味わった。見せつけているのだ。この男は。
「ああ。いとしの「アリスちゃん」かい? 出たよ。お前、それは居ない人間だぜ? お前のその寛大な自慰能力に敬意を表するよ。もちろん、俺は馬鹿にしてるんだぞ」
 ついにはその胸ぐらを掴んでやった。オズワルドはいきなりの攻撃にも動じる様子がなかった。へらへらと、見せつけるような黒っぽい笑いに、両耳は赤熱していくばかりだった。
「もういい。どこにでも行けよ。実家帰れよ。早く帰れよ」
「分かった、分かった。落ち着けよ。お前のアリスは馬鹿にしないよ。一途なお前の心を、俺は少なからず尊敬してるんだぜ。女々しいなァって」
 オズワルドを突き飛ばすと、彼は大きなブリーフケースを掴んだ。宿題を持って実家のイングランドに帰るらしい。
 時期はクリスマス。そしてニューイヤー。家族と過ごす生徒たちのために、年に数本しかでない「オンタリオ大学」の所有する戦艦に乗ってイギリス、ヨーロッパに帰ることができる。
 そのくらいでないと、怪物が跋扈する海を渡ることはできない。恐ろしいセイレーン。ダゴン眷属。ハイドラ眷属。クラーケンにシーサーペント。
 空中だって危険ばっかりだ。普通の飛行機は、もう飛ぶことができないくらいに「怪物」の時代がやってきているのだ。
 オズワルドが載るのはアメリカ対怪物局「アクアリウム」製のギガース級戦艦「ポセイドン」。いままで一度も落とされたことがない、巨大な戦艦だ。
 同時に、一般人などの運搬も行っている。年に数度、この「ポセイドン」が動き、ちょうどクリスマスのタイミングに全寮制である「オンタリオ大学」では帰郷が許される。
 同じ「アクアリウム」系列によって、ほとんど無料で「ポセイドン」に乗れる。
 安全性も快適性も、どの他の船よりもずっと良い。こんな機会は滅多にない。
 しかし、ルイスみたいに、家に帰りたくない人間にとっては、どうでもいいことだ。
 こうして、二人一部屋のこの寮室に、一人のルームメイト(馬鹿馬鹿しい響き)がいなくなった訳だが、ルイスにとって、この一人貸し切りの部屋に招く女なんていない。
 だが、ルイスもついに二十歳になったわけで、いつまでも「少年」でいることはできないのだ。
 不純の中の純粋、純粋の中の不純。
 フリップ・フロップ。振り子が廻るようなタイミングで、純粋と不純の天秤がメトロノームのようにリズムを刻む。ルイスの貧乏揺すりだった。
 気付けば、机の奥にしまった本を取り出していた。ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』。もはや説明などいらない、有名な童話。その発端は、大学教授だったルイス・キャロルが少女アリスの為に作った物語。
 主人公アリスは、時計を持ったウサギが時間に負われて走っていくさまを見つけて、追いかけていくと、不思議な国に迷いこんでしまった。
 単純にして奥深い話だ。そこには「童話」ならではの「推測」がひしめいている。「象徴」「隠喩」「少女の心理」「製作者の心理」「舞台」「世界観」。歳を取るごとに奇天烈を増す「不思議」。
 そして、それをあらゆる面で超越し、包括するのが「不思議な国」であり、主人公「アリス」なのだ。その行動、言動、登場人物に、一体どのような意味があるのか、いつだって男女構わず魅了してきた。
 ルイスも、その一人だった。
 彼がこの小説に出会ったのは、ちょうど主人公のアリスと同じくらいの歳だったはずだ。その頃には、ただただ不思議な物語の前に、呆然とするばかりだった。
 しかし、それは偉大な一歩だった。
 彼は夢を見た。それは「不思議の国のアリス」を読んだ夜の事。
 ルイスの隣でアリスが泣いていた。彼女は泣き虫だった。そして、その事を知っていた少年は、すっと手を差し伸べた。しかし少女がその手を取ることはなかった。アリスはずっと目をこすり続けるだけで、何度声を掛けても、手で触れようとしても、全くその実体を掴むことができなかったのだ。
 夢であるとは気付かないほどの、かなり深い夢。現実と夢の間とさえも言えるようなリアルな映像の前に、ルイスは静かに泣いた。
 アリスの痛みが、胸の中を深く突き刺した。彼女はずっと迷い続けている。不思議な国の中で意地悪な「いきもの」たちに遊ばれ、悪辣な女王に難問を突き付けられ、傍観する猫に大笑いされて、一人孤独の中で生きている。
 彼女の理解者は一人としていない。アリスとは正常な人間であるが故に、怪物的な思想が生きる世界においては一人だった。孤独だった。
 目が覚めた時、夢だと気付いた時には、もう遅かった。
 忘れることができない夢。夢のように儚く消えることがない、リアリティの創造者。
 アリスは自分の目の間に現れたのだ。ルイスという一人の少年に助けを求めている。ずっと、物語の向こうで。
 救われることもなく、手を差し伸べることもなく、一人で……。
 夢心地とも言える感情で、「アリス」の本を握った。すでに読み古された本。ページのめくった後が黒く付いている。それほど、子供の頃から持っている絵本だ。
 ついついこの本を手に取ると、ルイスは物思いにふけってしまう。握っただけでこの効果。ページをめくれば、さらにその世界は濃密にルイスを包みこむ。
 これが現実世界にないはずがない。確かに、ルイスはアリスを見たのだ。あれはきっとただの夢ではない。夢は正夢、いつかきっとルイスの差し伸べる手を受け取るアリスが居るはずなのだ。
 オズワルドの言葉を思い出して、怒りがふつふつと蘇ってきた。アリス。アリスちゃん。そうやって彼女を見下して、馬鹿にして……そういう奴は、アリスをいじめる悪い「いきもの」たちの仲間に違いない。
 だが、僕は違う。ルイスはそれを強く心の中に訴えた。まるで暗示を掛けるように深々と、染み渡るように、祈るように、自分の信じる「少年」のスペースを確保した。
 現在は十二月十九日。まだまだクリスマスまである。
 その間に、ルイスは自分の心の中に宿す「少年」は、毎年の如く、誘惑に負けないように、硬く、強い殻を構築していった。クリスマスという甘くてとろけるような魅惑。そして、女体を求める自分を抑えるための自制心を、深く心に刻みつけて、部屋を出た。
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