川澄 咲 5
一瞬、耳を疑った。
「えっ?」
ユーヤは顔を逸らし、腕組みをして忌々しそうな表情を浮かべたまま黙っていた。
空耳じゃないわよね。悪かった? ユーヤが、言った? 言ったわよね。間違いない。言った、言った。
こらえようのない感情と、それに釣られるように、まず口元がにやけてくる。
「えっ、えっ。もう1回。もう1回言ってよ」
「1回しか言わねえって、言っただろ」
確信した。どうしましょ、踊りだしたい気分だわ。今、目の前に募金箱があったら、喜んで千円札を入れちゃうわね。
謝ったのよ。ユーヤが。私に。バカで頑固で愛想がなくて、いちいち私に突っかかってくるあのユーヤが。屈服・・・そうついに屈服したのよ、私に。
もう気分爽快。晴れきった休日の朝に、窓を開けて太陽の光と、穏やかな風を浴びた時みたいに清々しい、実に清々しい気分だわ。
「ねぇ〜、お願〜い。もう1回言ってよ〜」
「嫌だって、言ってるだろ」
甘えた声で頼んでみたけど、さすがにだめみたい。まあいいわ。1回でも言った事には変わりないし、ユーヤも自分の立場ってもんを理解したみたいだしね。
それでもしつこく、まあ、からかい半分で言い続けていると、
「お前な、浮かれるのは勝手だけど、勘違いすんなよ」
そう言うとユーヤは私を睨みつけ、顔を近づけて来た。
「いいか、今のは、これまでの事をチャラにしようってことだからな。これからは態度を改める。とか、そんなんじゃねえからな」
「はあ?」
何よ、せっかくいい気分だったのに。でも、わざわざ謝ったってことは、ちょっとは気持ちの変化があったってことよね。ということは、これからユーヤが私の上に立つなんてことはないでしょ。
あれ? でも何で急に変わったのかしら? そんな話なんかしてなかったわよね・・・。
「とにかく、今までのことはリセットってことでいいよな? だから・・・」
そこでユーヤは表情を引き締め、
「次からは、相手に集中して・・・本気で行くぞ」
「えっ?」
次って何?
不思議そうな私の顔を見ると、ユーヤは、
「おい。『えっ?』じゃないだろ。次だよ。次の試合」
次の試合・・・、あっ、そうかバスケのことね。すっかり頭から飛んでたわ。何しろあんたが悪かった。なんて言うから・・・。
「あれ、じゃあ今謝ったのって・・・」
「当たり前だろ、次の為だ。あいつに言われたけど、オレだけじゃなくて多分サキもそうだったんだろ。相手にいまいち集中できない。ってのも、心の中で、オレ達は仲間ってより敵だって意識があった。お互いに信用してないってところがさ」
「あっ・・・」
そのかもしれない。ううん、「かも」じゃないわね。その通りよ。確かに、私は目の前の相手に勝ちたいと思っていたけど、最終的に勝ちたいのはこいつ・・・ユーヤだった。
「そういう気持ちはさ、あってもいいと思うけど、オレ達はそれが強すぎたよな」
ゆっくりと、染み渡るように、ユーヤの言っている事がわかり始めてきた。それと共に、私はさっきまで浮かれていた自分が、情けなくなっていった。
私がユーヤを誘ってきた。つまり言いだしっぺ。1番真剣にやってる気でいたし、負けて1番悔しいと思っていたのは、自分だと思っていた。にもかかわらず、勝つために何かを変えようとしたのは、ユーヤが先だなんて。
ちょっと待って、さっきの立花貴弘の言葉。あれでユーヤが変わったとしたら、1番考えてなかったのは私・・・。
負けたからって、ただあたり散らしたり、ユーヤが勝つために、私達の中に在るものを、少しでも取り除こうとして言った事を、単純に喜んだり。バカみたいじゃない。
ユーヤの言葉と、こういうことに頭が回り始めたからか、さっきの立花貴弘の言葉の意味も、だんだんと解ってきた。目的。考え。見てるもの。敵。結局言いたかった事って、当たり前で簡単な事なのね。
「さっき立花貴弘が言ってた事って、そういうこと?」
「多分な」
今日の目的は、この大会で勝つこと。チームとしてコートに立ったからには、お互い信頼しあわないといけない。それがどんなに嫌なやつでも。コートの中では関係のないことなんだから。そこでは目の前の相手に勝つこと以外に、優先されるものなんかない。そもそも、今日の目的はそこなんだから。
私だって、わかっているはずだった。それなのに・・・。
「おい、何呆けてんだよ」
情けなさと、ショックで、呆然としていた私を見て、ユーヤはまるで子どもをあやす様な笑顔で、
「リセットの意味、わかったろ?」
「あっ、うん・・・」
視線をそらし、表情を変えず頷いた私を見て、ユーヤは困ったような顔で、
「なんだよ、急に。らしくねえなあ。あのさ、むかつかねえ? 貴弘にあんな事言われてさあ」
「え?」
ユーヤを見ると、今度はいつものいたずらっぽい表情で、
「あいつだって、同じ様なもんだろ。だいたい中学の時から、チームプレイってのを1番無視してきたのは、あいつなんだぜ。自己チューだからな。そんなヤツに言われるなんて、オレは自分が情けないし、お前に言われたくねーよ。って感じなんだけど」
「そうなの?」
「そうだよ」
てっきりユーヤは、立花貴弘に感謝と謝罪の気持ちでいっぱいなのかと思っていた。いえ、実際はそうなのかも知れないけどそういうことを、口に出して言うヤツじゃないしね。それから、もうひとつ理由があると思う。それに気づいた。いつもだったら言ってたかも。
私だけじゃない、本当は立花貴弘にも、あんたは負けたくないのね。
ってね。
私は自然と笑みが浮かんできた。
「言われっぱなしじゃ、くやしいじゃん?」
「そうね・・・、言われっぱなしじゃあね。」
「それに、このまま負けて終わるってのも。お前、勝つためには、手段を選ばないんだろ?」
「あんたもでしょ?」
「当たり前」
2人でにやっと笑う。
そうよね。勝つためには手段を選ばないって、私の信念じゃない。そのためなら嫌なことだって、我慢しなきゃいけない時があるに決まってるのにね。これも忘れてた。じゃなかったら、こんなヤツとチームなんて組んでないわよね。
「わかったわ。あんたはむかつくけど、今はチームメイトだもんね。勝つためなら、あんたとだって協力してみせるわよ。あんたとの勝負はこの大会が終わってから、きっちりつけるけどね」
「そういうこと、そんじゃあ、次からの試合は全部勝とうぜ。それから――」
「立花貴弘を見返してやるわっ」
また2人して、笑いあう。
「よし、それじゃあ次の試合だけど――」
「あっ、ちょっと待って」
このままこの話を終わらせたくなかった。
ユーヤは気づき、変わった。私にも伝えてくれた。そして私も変われそう。まあ、大きな変化じゃないし、どちらかというと、思い出させてくれた。ってのが近いのかもね。それでも私は正直ちょっと感謝してる。サンキューって。それともう1つ・・・。
「ねえ、ちょっと屈んで」
「何で?」
「いいから、ほら」
ユーヤは少し顔をひねりながらも、腰を落とした。
「もうちょい」
「これくらいか?」
「うん、いいわよ」
ユーヤの目線が私より下がる。いつもと逆ね。
ユーヤは、自分が変わったってところを見せてくれた。私だって、このままってわけにはいかないわよ。
私は両手でユーヤの顔を包みこむ。
「えっ?」
驚いた顔。それがだんだんと赤くなる。私はそのユーヤに顔を近づけ、こぶし2つ分くらいまで近づいたところで、にっと笑う。そしてそこから加速。
ごつっ。
と鈍い音が響く。
「いって」
私の頭突きをくらったユーヤは、顔をしかめ、額に方手を添えた。私はその顔を持ったまま、
「私も、いろいろと、ごめん」
そこでユーヤの顔から手を離し、顔を背ける。
やっぱ謝るなんて、性に合わないわ。照れくさいのよね。でも、ユーヤだってやったんだし、私が出来ないってのも、悔しいじゃない。私だって、そんなに子どもじゃないわ。
そういえば、さっき私嘘ついて勝ってるってことにしちゃったから、1回少ないじゃない。・・・まあいいか。いろいろ気づかせてくれた事で、それはチャラにしてあげるわ。
そんな事より、さっきの私みたいに、ユーヤもさぞかしうれしそうな顔になってるんでしょうね。お互い様だし、それくらい覚悟してたからいいけどさ。
そんなことを考えながら、ユーヤに目を向けると、初めて会ったときに1回だけ見せた、あの澄んだ笑顔を浮かべて、私を見ていた。私は、何故かそれまで以上に、恥ずかしくなって、また目を逸らした。
「そんじゃ、次の試合の事考えるか。どっか座ろうぜ。あ〜、喉も渇いたな。ジュース買ってくか」
私が謝ったことには、一言も触れず、ユーヤはいつもの口調でそう促した。物足りないというか、何か反応が欲しかったけど、でも今はこれでいいような気がした。
「あ、うん。そうね。コーラ飲みたい・・・かな」
「さすがに、今はやめとけよ。腹にたまるぞ」
「そっか。そうだったわね」
「それとも、炭酸抜いてから飲むか?」
「あれは、死ぬほどまずいわ」
「だよな」
なんてことのない、普通の会話。だけど何か新鮮。思えば嫌味や、挑発のない会話なんて、まともにした事なかったかも。
少しだけ・・・ほんの少しだけだけど、ユーヤの本当の性格や思考がわかってきた。そんな気がする。そしてちょっと親近感を覚えた。それが、協力しようと思えた最大の理由。謝れた理由。
もしかしたら、私達ってちょっと似てるのかもね。今なら、素直にそう思える。また時間がたてば、冗談じゃない。なんて考えちゃうかもしれないけど。今だけは・・・。
でも、これからもユーヤとの喧嘩や勝負は、無くなる事はないって言い切れる。休戦してるだけだしね。やっぱり、ユーヤは私の最大のライバル。ユーヤには負けたくない。これだけは変わらない。ただ、今みたいに素直に笑い合える時も、これからは増えていくんじゃないかなと、ふと思った。
そして、それはそれで悪くない気がした。
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