ネメシス
「はっきり言わなきゃ分かんない? お前と身体の相性最悪。こっちは経験豊富だけど、お前みたいなやつ初めてだよ。やってて全然楽しくねーの」
誰も居ない空き教室でそう言われた少女は、顔を真っ赤にしたかと思うと次の瞬間真っ青にして、涙を浮かべながら少年に背を向けて出て行った。間を置かずにその少女が出て行った扉から少年の友人が現われる。
「またやったのか、当真」
「ああ。今ので十五人目。俺凄くね?」
当真と呼ばれた少年はけらけらと笑って友人に言う。その様子を見て友人は一人思い悩んだ。当真がこんなことをするようになったきっかけ。
あれは今から一年前、二年進級の時。思い出作りで卒業文集を作ろうということになった。それをやるのが自分のクラスだけということで、担任はやたら誇らしげだったらしい。しかし製作に携わるのは一部の人間だけという奇妙な事態。
出来上がった文集には何とかランキングというものがあり、「可愛い人」「センスある人」「運動できる人」「頭良い人」 など多数あり、ほとんどの人が何かに複数かぶっていて、読み返せば心が温かくなるような出来だった。一部を除いて。
当真には「イケメンな人」 一位しかなかった。よりにもよってそれに気づいた先生がツボに入ったのか生徒全員の前で爆笑しながら言った。
『お前、顔だけってお前、ククッ、いやいや、顔も立派な長所だけどな!』
その担任は今、先生を辞めている。そもそもそのランキング、完全な偏見だった。別の項目では「ブスだと思う人」「実は嫌いな人」「将来やばそうな人」 があり、その三冠をとった少女がいたのだ。その少女は引きこもり後、自殺した。製作に携わった人間が、特定のいけすかない人間にダメージを与えるための文集だった。おそらくは当時硬派だった当真も。少女よりマシではあったが、癒えない傷を当真に残した。
『顔だけか……。なあ、顔だけでどこまで俺やれると思う?』
濁った目でそういう当真に、最初は同情していた。顔なんてよくても悪くても自分では選べないものだ。なのにそれを笑われる。少しくらい無茶やる権利はあるだろうと思っていた。
その結果がこれだ。手当たり次第女の子に声をかけ、交際し、身体の関係を持った直後にボロ雑巾のように棄てる。そうするとこんなことが出来る俺は凄い、と自尊心が守られるらしい。あの文集で、当真は歪んでしまった。だが。
「もういい加減にしろよ。まだ気が済まないのか」
俺は後悔していた。最初に止めなかったことに。最初の数人が関係者だったからって甘く見ていた。意外にももてない男達からの受けが良かったことも災いした。もう許される範囲などとっくに超えているのに気づきもしない。無関係な人間をも弄んで傷つけて、こいつは善悪の区別もつかなくなっているのか?
「ハァ? 俺は勘違い女をただしてやってるだけだ。ブスが調子乗ってるの見るとむかつくんだよ」
返ってきた答えに、俺は絶望して諦めることにした。こいつはもう駄目だ。矯正が無理なら、もう関わりたくない。火の粉を被るのはごめんだ。
「……分かった。けどお前、このまま続けるといつか痛い目見るぞ」
友人だった最後の情けとしてそれだけ言って、俺は教室を後にした。
残された当真は物分りの悪い友人だと舌打ちし、盗んだクラスの名簿を見て、またチェックをいれる。これでクラスの女子はほぼ制覇した。残るは一人。
小暗蛍。これが成功すればクラスの女全員クズだと証明できる。あの時も、クラス全員で笑っていた……。
その少女は良く言えば天真爛漫、悪く言えば空気が読めない人間だった。当真はまず少女ににこやかに話しかける。
「やあ小暗さん、良い天気だね」
顔だけは適う者がない、と言われたこの容姿で笑いかける。顔しか取り得がないと言うが、だったら顔だけの男にどうにかされる方がもっとクズだよなと思う。今までの女はいきなり話しかけられてしどろもどろになりながらも、悪い気分にはならないのかそれなりに返事をしてくれた。
「……。……あ、ごめん。今日朝ごはん食べてなくてちょっとだるくて……何?」
予想外の反応だった。誰もが認めたこの容姿に少しでも引っかかるものは無いのだろうか? 少しカチンときたが、もしかして近眼なのかもしれないと思いなおして優しく接する。顔がダメなら中身だ。付け焼刃でもそれっぽく振る舞うだけなら、顔だけの俺でも出来た。
「ご飯食べてないって、どうしたの?」
「寝坊……そのせいでお弁当もないの。おなかすいた、力が出ない……」
机の上に突っ伏して、心底だるそうな蛍。それを見てふと、女の子のだらけた姿は見たことないなと思う。自分の前では、顔にあてられるのかいつも少女達は緊張していた。……何を考えているんだ俺は。とにかく好感度あげるなら、今食べ物でもくれてやればいいのか? といかにも親切そうに振る舞う当真。
「大変だね。よければ俺の弁当食べる? 俺はあとで買えばいいから」
「え? いいの! ありがとう!」
蛍はぱぁっと笑顔になった。差し出した弁当箱をむんずと掴んで、休み時間終了のチャイムが鳴り終わるまでに平らげる。少々引きつつも、こんな裏表ない態度、初めてじゃないかとぼんやり思う。がっつくように食べて、可愛く振る舞うように努めていた今までの棄ててきた少女達は大違いだ。それに。
『ありがとう!』
……感謝される、なんて、随分しばらくぶりな気がする……。
そんな当真の心情を、本人よりも棄てたれた少女達のほうがよく分かっていた。教室で散らばりながらも、いつもと変わりなく過ごしながらも、当真の行動を彼女達は見逃さなかった。
放課後、当真は蛍を下校デートに誘った。バイトの給料日だから奢るとか適当なことを言って。
「え、いいの? ありがとう! 当真くんって優しいね!」
くすぐったい、と当真は思った。とにかくくすぐったい。容姿を褒められることはあっても、中身を褒められたことなんてあっただろうか。同性からはやっかまれるし、異性からは……それっぽいこと言われたこともあったけど、俺が誰とも付き合う気がないと言ったら皆態度を一変した。「ふざけないでよ、ガチで付き合おうって訳でもないのに石頭。自意識過剰なんじゃないの」
付き合おうか? と言って来た少女は俺が軽い気持ちでそういう事は出来ないと言うとそう怒って去った。数週間後、偏向文集が出来た。
一番辛かったのは、振った少女達だけでなく先生や他のクラスメートまで笑ったこと。ああ、世の中クズばかりなんだ。だったら、俺だって何したっていいはずだ。
なのに、何だか、蛍を見ていると、この偽りの優しさを本物にしてしまいたいような、嘘を永遠についていたいような、そんな気持ちにさせられる。
何でだろう……。
数日後、蛍は当真とデートをしに待ち合わせ場所に向かった。お弁当のお礼がしたいと言ったら、「券が余ってるから付き合ってくれないか」 と言う。大ブレイクして街を歩けば主題歌を口ずさむ子供もいる映画を見に行く。楽しみだ。
交差点で信号が青になるのを待ちながら、着いたら今日は私の作ってきたお弁当があるのを話して、それで映画が終わったら、カップルが多いっていうあの公園に誘ってお昼を……。
そんなことをニヤニヤしながら考えていたら、いきなり何者かに道路に突き飛ばされた。
最後に見たのは、こっちに向かってくるトラック。
怒声や悲鳴が辺りに響くのをよそに、当真に棄てられた少女達は顔色一つ変えずにその場を去った。
「いい? 警察が来たら、みんなで口裏合わせるのよ?」
「うん。でもさ、あの子自身に非はなかったよね」
「だってこのほうがあいつが悲しみそうじゃない? 責任を取らせるなら、あいつ自身じゃなくてもいい。そっちのがあいつにダメージ与えられそうならね」
「あはは、私達悪女ー」
「ってかさ、あいつ、何時間待ってられるか賭けない?」
「面白そう! じゃあ交代で見張りもしないとね」
そんな一幕を知らない当真は、待ち合わせ場所で浮かれていた。会ったら何を話そうか。お昼は今まで行ってた女の子が好きそうな店より、二人でゆっくり出来る場所がいいな。帰りはどれくらい遅くなってもいいかな。それにしても……。
「蛍、遅いな……」