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青い鳥

作者:蒼井 拓
「退屈だ」
 倉科文庫は困っていた。
 夏休みに入ると、学校へ行かなくなる。学校へ行かなくなれば、図書室に入り浸ることもできなくなる。文化系の部活動向けに、各部の活動拠点である特別教室は、鍵が貸し出されたりするが、図書室はそうもいかない。開放してくれてもいいのに、と思うものの、何人来るともしれない生徒のために図書室を開放する、というのもどだい無理な話だった。司書さんも大変だろう。私なら毎日通ったって構わないけれど、と文庫は思う。
 倉科文庫は、くらしなぶんこ、と読む。冗談でも何でもなく、文庫、という名前だ。
 父親がつけた。父親はビブリオマニアだった。あまりに本が好きすぎて娘にこんな名前を付ける始末。いじめにあったりしたら、とかは考えなかったのだろうか。幸い、そういうこともなく、平穏無事にこれまで生きて来られた。
 そんな父親を見て育ったためか、あるいは父親の遺伝子がそうさせるのか、彼女自身もまた、気付けば読書狂になっていた。本とともに過ごす時間こそ、至高のひとときだった。
 そういうわけだから、彼女はとても困っていた。
 市立図書館へ向かうべきか。本は確かに一杯あるが、人が多くてうんざりする。音はせず、声もせず、静かではあるが、人の気配がうるさい。
 途方に暮れて、結局、なけなしの小遣いで本を買うことにした。この暑い中街へ出るかと思うだけでぞっとしないが、止むを得ない。
「買うなら、図書室に置いてない本にしよう……」

 そういう経緯だったから、それも、多分偶然じゃなかったのかもしれない。
 向かった先、ある書店で、見知った人影を見つけた。すらりとした、線の細い、男の子だった。クラスの女の子が、よく話題にしていた、ような気がする。あまり興味がなく、よく覚えていない。別段、親しい間柄というわけではなく、ただのクラスメイトだ。声を掛ける理由もないので、気にせず、構わず、何か良い本がないか探してみる。が、うーん、これはある種、仕方のないことなのかもしれないが、見知った人間がどのような本を好むのかということに、ふと、興味が沸いた。読書狂というのは好奇心の塊みたいなものだ。一度気になると、ずっと気になるものだ。
 そうっと。
 こそこそする必要もなかったのかもしれない。ただ、他人の嗜好、というか、プライベートなものを覗き見るような、後ろめたさがあった。
「あれ?」
 あっという間に見つかった。
 気まずい。
「え、えと。こんにちは」
 誰だっけ、名前、何て言ったっけ。逡巡。思い至るより早く、彼が口を開いた。
「倉科、さん、だよね。どうしたの?」
 どうしたもこうしたもない。本屋にいるんだから本を買いに来たに決まっているだろう、と思ったが、不機嫌さは表に出さず、
「本、買いに」
「そうなんだ。ぼくも、同じ」
 そう言って、一冊本を掲げてみせる。『荒野』とあった。桜庭一樹か。最近の流行りではある。
 一応尋ねてみた。
「桜庭一樹、好き?」
「あ、知ってるんだ。ていうか、そうか、そうだよね。倉科さんって本読むの好きなんだっけ」
 何で知ってる……とは言わなかった。生徒の間で、文庫のことを密かに『図書館の主』などと称しているらしいことは、知っていた。校内ではちょっと有名人らしい。
「それなりに」
「桜庭一樹は、ずっと前から読んでてさ。『荒野』も、シリーズが途中までだったから、完結したって聞いて。倉科さんは、何を?」
 何を買いに来たのか、と問われれば、
「特に。面白そうなのがあれば」
「あ、そうじゃなくて。桜庭一樹だったら何が好き?って聞こうと思って」
「赤朽葉家の伝説」
「……それはまた」
 首を傾げた。読んでないのだろうか。面白いのに。
 さておき、
「ここには、目的の本はないみたい」
 ひととおり目を通した見たけれど、別段、買うべき本もない。ここに並ぶような本は、もうずっと前に読んでしまった気がする。それはそうだ。売れ筋の本を並べるところなのだから、ここの本は、売れ始めてから並ぶ。売れ始める前に読んでしまっている。
「え?」
「他の本屋に行く」
 店のを外へと視線を向ける。車道に、逃げ水が見えた。少し気が遠くなる。
 ここまで来ると、半ば意地だった。
 クラスメイトの名前もよく知らない男の子が、尋ねてきた。
「何だろ、面白そうだ。ぼくもついていっていい?」
「好きにすればいい、と思う」
 断る理由もなかった。べつに、いやだとも思わなかった。ただ、わずらわしいな、とは少しだけ思った。思ったけれど、文庫も、少し面白そうだと思った。他人の視点で初めて気付くこともあるかもしれない。
 ただ、一つ困ったことがあった。
「……けど、きみの名前を知らない」
「同じクラスなのに」
 男の子は、絶句していた。

 彼は、長谷川遊真と名乗った。なるほど、線の細そうな名前だ。
 長谷川と、本屋巡りをすることになった。
 妙なことになった、と文庫は思った。
 ちょっとの好奇心と、ちょっと面倒くささとを天秤に掛けた結果、彼の同行を許可することになった。自分で決めたことではあった。けれど、そのときに、ちょっと考えればよかったのだ。彼は、そういえば同じくクラスの女の子から、少し人気があったような気がする。見つかると、少し面倒くさいなぁ。そういうことにできるかぎり関わらないようにしてきたのに。そんなことを考えながら、本屋を目指す。

 何件回ったところだろうか。
「ええと、まだ、見つからない?」
 長谷川が音を上げた。
「どうせ暇潰しだから読むのはなんでもよかった。ただ、どうせ暇を潰すのなら、たまには本屋巡りも楽しい」
 肩で息をする長谷川を振り向き見ると、涼しい顔をして文庫は答える。
「倉科さんって、意外と体力、あるんだね……」
「中学、陸上部だったから」
「そう、なんだ……」
 涼しい顔を装っているが、実際、身体中に汗をかいてとても気持ち悪い。暑いし、結構足も痛い。水分とナトリウムだけは欠かさないようにしたから、熱中症にはならずに済んでいるみたいだ。一方、長谷川の方は、軽い脱水症状を起こしているように見える。放っておくと、あんまりよくない。
「水、飲んだら?」
「というか休みたい……」
「男の子なのに」
 無言で長谷川が指差した。
 その方向を見る。
 何だろう。少し古めかしい造りの建物がある。看板が出ている。喫茶店だろうか。『からすとうさぎ』と書いてあった。変な名前だ。喫茶店。確かに、休むにはちょうどいい。
「じゃあ、そこで」
「やったー」
 無邪気に喜ぶのを見て、なんだか微笑ましく思えて、文庫はくすり、とこっそり笑みを零した。

「おや、いらっしゃい」
 中に入って、まず溜め息。
 ただの喫茶店ではなかった。
 壁一面、見渡す限り本棚。本棚に囲まれている。書斎のようだ。
「あの」長谷川が尋ねた。「ここ、喫茶店ですよね」
 マスターと思しき、初老の男性が答える。なかなか、渋い趣のある男性だ。女性に人気がありそうだった。文庫にしても、割と好ましいと思ったが、今はいない父親への憧憬の重ね合わせのようにも思え、少し居心地が悪かった。
「そう。古書喫茶」
「こしょきっさ?」
「漫画喫茶みたいなものだよ」
 文庫と長谷川は顔を見合わせた。
 文庫にしてみれば、願ったり叶ったりである。静かで、人があまりいない。本が読める。涼しい。しかも飲み物つき!
 角の席につくと、
「アイスミルクティー!」
 長谷川が真っ先に口を開き、
「を、二つ」
 と続けた。
「面白いお店、ですね」
 飲み物が出てくるまで、間がある。ひとりでいるときは、その間が心地良いのだけれど、他人といるときは窮屈でしょうがない。だから、長谷川がそう尋ねたのは、少しありがたかった。
「趣味でね。昔からの夢でもあった」
「青い鳥」
 ぼそ、と呟いた。
「そうだね、紆余曲折あったから、そうかもしれない」
「青い鳥って、メーテルリンクの?」
 長谷川はそれなりに本を読むらしい。なかなか、著者名まではぱっと出てこないものだ。
「今日のわたしたち」
「……散々な目に遭ったよ」
「ついてこない、という選択肢もあった」
「……そりゃ、その」
 長谷川はなぜかうろたえた。首を傾げる。
「ははは」
 そんな様子を見てか、マスターが屈託なく笑いながら、やってきた。手には、盆。盆には、グラスが二つ。
「お嬢さんはなかなかいじわるだね。あまり男の子をいじめるものではないよ」
「そういうつもりじゃ、ありません」
「ところで『今日の私たち』が、『青い鳥』というのは? 聞かせてくれるかい」
 マスターが興味深そうに聞いてきた。少年のように、瞳を輝かせて。
「彼女に付き添って、彼女が満足する本を探していたんです。結局見つかりませんでしたけど」
 非難めいた色があるが、仕返しのつもりなのだろう。
 文庫は気にしない。
「なるほど。『青い鳥』だ。ああでもない、こうでもない、とあれこれ試してみるのだけど、結局どれも求めるものと違うんだな。『青い鳥症候群』なんていう言葉もあるね」
 仕事が長続きしない若者のことだろうか。わたしには関係ないな、と文庫は思った。
 ――司書以外になるつもりがないから。
 けれど。
「ところで『青い鳥』のラストは、目が覚めると、飼っていたハトが青い鳥だった、という結末だったね」
 君たちの青い鳥は見つかったのかい?
 そう尋ねているのだろう。
 文庫は答えた。
「青い鳥、見つかりました」
「ほう」
「ここです」
「なんと」
 マスターは大きく目を見開いた。長谷川も。
 けれども、二人とも、その次の言葉で、もっと驚いた。
「夏休みの間、ここでアルバイトをさせてください」
「それから」と、長谷川の方を向き直り、付け加えるように。
「ありがとう。きみのおかげで、素敵な夏休みの過ごし方が見つかった」
 長谷川は、なぜか目を逸らした。
たぶん初出は2008年の夏頃。うろ覚え。

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