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ASAGI 〜ユートピア殺人事件〜
作:K+K



1−6


翌朝は、どうしようもないほどの快晴だった。
俺はくらくらする頭を押さえながら外へ出た。時刻は九時半。実は、昨日あんなことがあってから、一睡もできなかったのである。アサギさんの姿、意味深な言葉、そして目を射るかのごとく光る月、それらがまぶたの裏から離れず、悶々として過ごしたのだ。
アサギさん自身は、泳ぐだけ泳ぐとさっさと自室に引き返し、とっとと眠ってしまったのだろう。今はけろっとしているように見える。眠りの深いタイプなのだろう。
俺たちは、今、一隻のクルーザーの前にいた。かなり大型のタイプで、ここにいる全員が乗れそうだった。
「ああ、あのチラシを見てきたのだね。私がツアー担当者の三木です、よろしく」
クルーザーの所有者と思しき初老の男性が頭を下げた。サングラスをしているが、人のよさそうな顔をしていることがわかった。肉付きはよく、一目でスポーツマンだとわかる。
「スキューバダイビングの方も私が指導しますよ。まあ、そもそもスキューバはある程度練習が必要なシロモノでして、一般的にライセンスを取得せずにいきなりタンクを背負ってもぐったりはできません。しかしながら、ライセンスを持たずにどういったことをしたから罰せられる、といった類のものでもない。とりあえず、シュノーケルを使って顔をつけて海の中を楽しむ、というところから始めます。それから潜水の練習に移ります。M島本島ではサマースクールでライセンス取得も可能なので、今度の夏休みにでもおススメですよ」
「なんだか面倒くさいんだなぁ〜」
由梨乃がぼそっと耳打ちをしてきた。
「結局、本格的なスキューバダイビングはできないってことじゃない? ん〜、せっかくだから本当にライセンス取っちゃおうかなー」
お前なら一発だろうよ、と俺は思った。まあ、俺たちとしてはどちらでも構わなかったし、むしろ島で適当に遊ぶ方がメインになりそうだった。香坂さんたちは今日もバーベキューでもする予定らしく、大きな荷物を抱えている。
「これから行く島はK島、M島の離れ小島ですが距離は大したことありません。片道十五分ほどで到着します。人の手入れが入っていないためM島本島より自然の質が良く、全国的にも珍しい蝶などの目撃情報もあります」
などの適当な観光案内のあと、
「では出発します。参加者の方はお乗りください……おや、君も参加するのかい?」
三木さんは突然子供に対し話しかけるような口調になった。見ると、俺たちの後ろ、最後尾に、何気なくついてきている男の子がいた。
ハーフなのだろうか、皮膚の色や顔立ちは日系人だが、眼の色が青みがかっていた。年のころは十歳前後といったところか。
男の子は何も答えずに三木さんを睨んでいたが、やがてプイっとそっぽを向くと、スタスタとクルーザーに乗り込んでいった。
「皆様のお連れの方ですかな?」
三木は尋ねたが、俺たちは顔を見合わせたが、誰も知っているものはいなかった。
親がどこかにいるのかもしれない。ほうっておくのは気が引けるが、本人が参加を表明している以上、無下に下ろすわけにもいかない。とりあえず、由梨乃がアプローチに挑戦していた。
「もしもし少年、きみ一人かいっ? 渋いねえ、この年でひとり旅!? くぅー、憧れるじゃないか!! この海も、空も、どんな景色も一番の楽しみ方は孤独であることってね!! でも、ちょっと早すぎるんじゃないかな〜。……おいおいっ、レディーが話しかけてるのに沈黙はいかんよ少年。ははーんさては家出だな〜? 理由はアレだ、お母さんが君のベッドの下のアンナモノやコンナモノを見つけちゃったからじゃないかなっ!!? 
くぅ〜〜、わかるっ! わかるぞ少年! かつてあたしにもそんな時期があったからねぇ〜〜。あたしなんて、箱いっぱいのアレが見つかったときにはグレて北海道まで家出してやったもんさ。札幌でトウキビ食べてじゃがいも食べてラーメン食べて…。あ〜時計台もいったな〜しょぼかったけどね。そんで馬鹿兄貴があと追いかけてきて、捕まるかと思いきや家の大人がいないのをいいことに夜通し飲み明かしたっけ!! 勝手に部屋を掃除する大人たちの悪口言いながらね〜。いやーーーいい思い出だわ〜なははは。
まあ、とにかくだよっ! 親を心配させちゃだめだよ!! 親御さんの君を思う心はこの日差しよりも強くこの海よりも深遠であるにちがいないさ!! 今からでも仲直りするのだ!! きっと暖かく受け入れてもらえるさ!……でも、もしどうしてもこの年上のお姉さんたちと今しばらくの逃避行を楽しみたいというのなら仕方がない!! 今日一日、君は絶海の孤島にて水着のお姉さんたちと遊べるかどうかがかかっているんだものね! そのかわり、ちゃんとお父さんお母さんにお願いしてから」
「うるさい」
うわ。由梨乃のマシンガントークをぶったぎった、やりやがったあのガキめ。…てか、由梨乃お前女だよな? なんでそんな思春期の少年的な過去があるんだ。
「・・・う、うるさいとはなによ! あたしはあんたの心配してんのに!!」
「それがうるさい」
「あーーーー!! ムカつくーー!! このガキ殴っちゃるーー!!!」
あ、由梨乃が切れた。俺は仕方なく後ろから押さえつけてやる。どうも、さっそくこいつを守るというよりこいつから人を守ることになってる自分が滑稽でならんのだが。
「どうします? ホテルの方に連絡して親の届けが出てないか聞いた方が…」
「いい」
また子供が口を開く。
「親父もおふくろも、最初からいない。俺一人でいい」
ずいぶん低い声の、ぶっきらぼうなしゃべり方だった。まだ声変りもしていないため、余計に言葉のとげとげしさが目立つ。
「…君、名前は?」
三木さんが訪ねる。
「…鎌田」
青い目の生意気な子供は答えた。

  ☆

ほどなくして、クルーザーは出港した。
海は青く、昨日の月に代わって太陽の光を乱反射する。俺達――――俺、由梨乃、美音子さん、アサギさん、優叔父さん、香坂さん、陣野さん、芦田さん、本条、藤、久我野、三木さん、そして鎌田の総勢十二人を乗せて船は行く。優さんだけ年輩だが、三木さんと話をしているうちにすっかり仲良くなってしまっていた。今度釣りを一緒に楽しもうという約束までしていた。
俺は、連絡船の時と同じように甲板に出て一人コーヒーをすすっていた。女性陣…由梨乃、美音子さん、アサギさんは中でなにやらおしゃべりをしていた。すっかり仲良くなってしまった女三人衆の間に、男の立ち入るすきなどないのだ。
ぼうっと遠ざかってゆくM島のビーチを眺めていると、となりに誰かが立つ気配がした。なんだ、また香坂さんあたりがからみに来たのかな、と思ってみると、大学生三人組の一人、本条だった。
「あー、昨日はどーも。せっかく飲みに誘ってくれたのにすっかりつぶれちまって…。いやあ、アハハハ……」
「別にいいよ。高校生なんてそんなもんだしな。……ところで、あの子たちってお前の同級生とかだろ? お前の彼女とかいんの? あん中に?」
「え!! か、彼女?」
不意打ちに俺は驚いた。由梨乃、あいつとは確かに仲はいいが少なくとも恋愛関係にはない。全くもってない。美音子さんについても詳しく知らないし、アサギさんにいたっては会ったばかりだ。
「い、いないっすよ、そういうのは…」
とりあえず、「彼女がいない」ではなく「あの中にはいない」的なニュアンスで返しておく。男として、前者は情けないというか、プライドが許さないというか、そういうところがどうしてもある。
「ふーん。まあお前といちゃついてるようなやつはいなかったから? そうだろうとは思ったけどよー。んじゃなに、あの子たちって別に彼氏いんの?」
どうだろう…。由梨乃がいないことは知っている。美音子さんとアサギさんに関してはそういったデータは今のところ……って、なんでこんなこと聞いてくるのだこの男?
「ん? いやーあはは、どうせならこの旅行の間に一人くらいとイイ関係になっとくのも悪くねえかなって思ってさ。あの由梨乃っていう子? なんかえらい元気いいけど時々見せる眠そうな時の表情とか、なんつうの? かわいいじゃん? その、ギャップっつう奴?あの子お気に入りなんだよねー何が趣味なの? お前知ってる?」
俺はだんだん腹が立ってきた。おいおい、由梨乃に手を出そうってのかよ…。上等じゃねえか。香坂さんや陣野さんのエロトークはまだ冗談で言っているようなところがあって聞いていて心配になるようなことはなかったが、なんとなくこいつはやばい。ほうっておいたら本当に女の子に手を出す類の奴だ。俺は瞬時にこいつが嫌いになった。おそらく昨日酒を飲んでいるときもこんな話をされたのかもしれないが、残念ながら記憶になかった。だからあながち向こうからすれば不意打ちと言うつもりでもなかったのだろうが…。
「……あいつは驚くほど多趣味なやつですから。でも、あいつはやめといた方がいいですよ。恋愛とか興味なさそうだし、友達になったら振り回されっぱなしで疲れる一方です」
「ふーん。でも、そういうやつって? 案外、ひとたび恋をすると見事に化けたりするんだぜ? その、なんつうの? 今まで女の子扱いしてなかったあいつが、急にお弁当づくりを始めてみたり、休み時間に窓辺でため息をつくようになったり。よくドラマとかであんじゃん? ああいうことって本当にあるんだぜ? ああ、あいつも女の子だったんだなあって、まわりの男どもは後になって気づくのさ」
むむむ。ますます気に入らない。この男、本気で由梨乃に声をかけようというのか。まあ、俺も別に由梨乃が気になってるとか、いや別に、そういうことは全くないわけだし、そういうしおらしい由梨乃も見てみたいことは見てみたいのだが、その、こいつが由梨乃とくっつくのだけはどうにも気に入らないのだ。まあ、こんな軽そうな男にホイホイついていく由梨乃でもないと思うのだが。
「とにかくやめた方がいいです。不快な思いしても知りませんよ」
「……ふ〜ん、やけに止めるねえ。お前、もしかしてあれ ?あいつに惚れてんの? 相手にされてなさそうだけど、片思い? みたいな?」
なにい。俺が相手にされてないとは何事だ。
本条は、ムキになっている俺をからかうのがすっかり楽しくなってしまったらしく、さらに続けた。
「まあ、見てろや。この旅が終わるころにはあの子は俺にベッタリ? だからよ。そうだ、今からちょっとお話に誘って…」
「おいっ!!!」
俺は思わず声を荒げた。やばい、こいつは嫌だ。なんとなく、ええい、こいつは許せない。由梨乃じゃなくとも、美音子さんやアサギさんだとしても、こいつが声をかけるのはどうにも許せない。
「……おいってか。あははは、おいおいお前、年上に向かって失礼じゃねえの?」
「すみません。言葉遣いが汚かったのは謝ります。でも、彼女らをナンパするのはやめてください。あなたでは釣り合わない気がします」
「……ほぉ〜……。言ってくれるじゃないの?」
俺は、思わず言ってしまってすぐに後悔した。…だが言ってしまったことは仕方がない。大体この本条、どこからどう見ても遊び人だし、女をたぶらかすタイプだ。根拠はないが、身体目当てで女の子に近寄ることも多そうな気がする。俺みたいな女の子にあまり免疫のないタイプにとっては忌むべき存在。そのため、ついつい喧嘩腰になってしまったのだ。
「じゃ、ひとつ由梨乃ちゃんを巡って喧嘩でもしてみる? 俺にパンチの一つでも入れてみるか? できたらやめてやってもいいけど?」
「の、望むところです」
俺は緊張しながら返す。恐ろしいが仕方がない。ここで変に謝っても逆効果というか、俺がかっこ悪すぎる。一応昨晩、アサギさんに向かって「由梨乃を守る」と約束した俺だ。ほいほいと引くわけにはいかないのだ。
「じゃあ、こうしようか? 俺はお前が参ったというか10秒立てなくなったら勝ち、お前は俺の顔や腹に一発でもパンチを入れられたら勝ち。腕じゃだめだぞ? お前が勝ったら俺はこの旅の間、由梨乃ちゃんに一切声をかけないでやる。ただし、もし俺が勝ったら俺があの子と何をしようがお前は口を出さないってのはどうだ? お前にとって不利な条件ではないと思うけどな?」
「の、望むところだ」
とりあえずノックダウンしなければいいのだろう…。俺は去年まで喧嘩は何度か経験してきた。必ずしも強い方とは言えなかったかもしれないが、腕に覚えが全くないわけでもない。一発ならなんとかなるかもしれない…。俺はそう考えた。
「んじゃ決まりな。へへへ、なんか面白いことになったぜ」
そう言うと本条はアロハシャツを脱いだ。その下には薄いTシャツに覆われた、がっしりした肉体。とくに腕の筋肉の付き方は、何か武道をしていたことを容易にうかがわせた。
「さて、少年、意中の人を守れるかな? くくく、これじゃ完全に俺が悪役だな、ひゃひゃひゃひゃ!!」
これじゃなくても完全に悪役な男を前に、俺は脚をぶるぶるさせながら構えをとった。いや、これ武者震いだから。本当にな。
クルーザーは大人数用でかなり広いため、今目に見える範囲にはこの喧嘩を見ているものはいない。陽気に鳴きながら滑空するカモメだけを観客に、俺は「俺」史上一番か二番目の大勝負を迎えることになった。












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