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港には予想以上に大勢の旅客が集まっていた。
ゴールデンウィークということで海水浴や森林浴・登山に向かう家族、カップル、友人同士に大学のサークルなどの集まりがちらほら。単独の旅行者や、ホテルの経営関係らしきビジネスマンも見受けられる。老若男女問わず人気のあるスポットらしく、なんとも活気づいた景色だった。
連絡船とは名ばかりの、実質旅客フェリーの発着場脇の自動販売機、そこが由梨乃の叔父との待ち合わせ場所だった。
「おじさーーん!!」
由梨乃が元気に手を振る。真っ白のTシャツにショートパンツ姿が眩しい。先ほどまで羽織っていたジャケットは、やはり原付とはいえ暑くなったのだろうか、脱いでしまっていた。俺の方はと言えばやはりTシャツに色あせたジーンズ、のさえない格好だ。しかも汗でびしょびしょの、切り傷でズタズタである。ああ、早く船内で着替えたい。
由梨乃の視線の先には、由梨乃同様麦わら帽をかぶった初老の男性が立っていた。彼が噂の叔父の大本優。本業は弁護士で、今回俺たちが泊まるホテルの会員権を所有している。口元に鬚をたくわえ、こんがりと日焼けしている。
その隣に、なんだか恐縮しているような、いやあれは文字通り縮こまっているような…そんな気の小さそうな、見覚えのある少女が立っていた。
と、由梨乃が、
「あ、やっぱり先に来てたんだ!! 美音子ちゃーーーーん!!」
と、少女を呼んだ。縮こまっていた少女は更にびくっとしたが、由梨乃の能天気な姿を認めるとほっと息をついたようだった。どうやら由梨乃の叔父と二人きりという状況が気詰まりだったようだ。安堵の微笑みを浮かべて手を振り返してきた美音子さんは、思わずはっと息をのむほどに可憐で、かわいらしい。うむ、つくづく由梨乃とは正反対のタイプだ。
「なんだ、誘ったもう一人って美音子さんだったのか」
「そう。あの子。せっかく南の島でおいしい空気が吸えてたくさん遊べるんだから、ちょうどいいでしょ」
「ん、そうだな。ナイスチョイスだ」
「・・あんた、変なこと考えてないでしょうね」
んなわけねーよ、と答えながら二人に近づいていく。美音子さんはもともと病弱なうえに、去年の末には、先ほどもちらっと言ったちょっとしたトラブルに巻き込まれ、すっかり元気をなくしてしまっていた。今ではだいぶ調子も回復したようだが、まだまだ友人の助けを借りないと日常生活も危なっかしいように思える。
おそらく由梨乃は、そんな彼女のゴールデンウィークを環境のいい土地でのんびり過ごさせてあげて、元気づけようとしているのだろう。由梨乃は普段はアホで気がきかなくて無神経な鉄砲玉少女だが、本当に助けを必要としている人に対しては非常に気を利かすことができる奴なのである。
「やあ、よく来たね二人とも。自転車で来たのかい? 汗でびっしょりじゃないか。とりあえず船に乗るといい、冷房がきいているよ」
叔父さんが言う。
「あ、ありがとうございます」
俺はさっさと着替えたくて少しでも涼しい場所に移動するべく、連絡船に乗り込んだ。それに由梨乃、美音子さん、叔父さんが続く。
船内はだだっ広い乗客用談話スペースが仕切りによっていくつかに区切られただけの雑多な作りだった。俺たちはその一角に陣取り、荷物をまとめたのち、思い思いの場所へ散っていく。…俺はとりあえずシャワールームへ。この汗を一気に流してしまいたかった。
シャアアアアアアアア………。
さわやかな音が響き渡る。俺は水温を思い切り下げて、ひんやりとした水滴に全身を浸した。気持ちがいい。うん、運動した後は飲み物もうまいしいいことづくめだな…。しかし、この快感はあの地獄の坂のぼりがあってこそのものだと思うと複雑な気分だ。果たして由梨乃には感謝すればいいのか恨めばいいのか。……まあ景色の分も含め、相殺しておとがめなしということにしようか。
とりあえず今はぶっ倒れて眠りたい。そう思い、シャワールームのドアを開けたその時…。
はっとした。目の前に人間が立っており、その身体が視線を背ける間もなく目に入った。
その身体は……。男性のものにしてはあまりに華奢。そして美しすぎた。胸から腰のラインはほぼ完璧、すらりとした脚、肩までのやわらかそうなストレートヘアー、丸みを帯びた肩、鎖骨、そして…。
この間わずか0.1秒。俺は「ひょああっ」とか情けない声を出して飛びのいた。そこにあったのは、どこからどう見ても若い女性の裸体、ここにある筈のない…あまりにも素晴らしく整った芸術…。
な、何を恥ずかしいことを心内で呟いているんでしょう俺はっっっ!!
「こっ、ここは男用ですよ!!」
すると、眼の前の女性は俺の身体を確認するように(いや、確実に俺の気のせいだろうが)一瞥すると、
「あ、そうか」
とぼんやりとつぶやいた。
そして、手に持っていた体を隠すには小さすぎるタオルで前を覆うと、すたすたと出ていく。あっけにとられた俺をよそに、女性用シャワールームへ移動したようだ。
な、なんという……。サービスシーンは前触れもなく訪れる、ですか。今回の旅は俺に息をつかせるつもりはないらしい。しかし……。
めちゃめちゃ美人だったな…。あれは…。
しばし呆然と立ち尽くす俺。自分もまた前を隠さないどうしようもなく恥ずかしい恰好でいたことに気づいたのは、しばらくしておっさんが入ってきたときだった。
☆
当然眠気などどこぞへとすっ飛んでしまった俺は、甲板に出てぼうっとしていた。船が出港して10分ほどが経っていた。由梨乃は、呆けてしまったような状態の俺を見て「へんなの」と突っついてきたり足を引っ掛けてきたりしたが、反応が芳しくないのを見届けると、客室で美音子さんとトランプを始めてしまった。
くうー、くうーとカモメ(多分)の声が響く。そう、俺は今洋上にいるのだ。美しい空、白い太陽、青い海、そして目指すは南の島、まさに男のロマン!! と言いたいところだったが、今の俺の頭の中は別の男のロマンで完全に占められてしまっていた。
「だれだったんだろうな……ありゃあ…」
男性用シャワールームに突然全裸で乗り込んできた美女。いや、幼さの残る顔から年齢を判断して「美少女」と呼ぶべきか。
彼女もいない俺にとって、そのハダカはあまりに刺激的で衝撃的。湯気で肝心なところが見えなかったところが、余計に頭の中のもやもやを加速させているというか、いやもう、なんというか、どうしようもなくぼうっとしてしまう俺であった。
客室をそれとなくのぞいてみたが、彼女らしき影は見当たらなかった。代わりに由梨乃の叔父さんとは無駄に何度も会った。
「おやあ? 君は確かマキくんだね、あの二人のどちらかの彼氏かい?」
などとしつこく聞いてくるので、ごまかすのが大変だった。
潮の香りが心地よい…。俺は船の下、生み出される白いあぶくを眺めた。自分がちっぽけに思える、巨大な波が船に寄せ、また通り過ぎていく…。人間一人など、このあぶくに飲み込まれれば二度とは戻ってこれまい。
しばしの間、そうして風に吹かれていると、遠くから妙な声が聞こえてきた。
「……ゃ……ごめんなさい」
どうやら女性が男性に対し謝っているようだ。
「まあ……じゃん、向こうに着いたら……で……」
「……さい、連れがいるので……をあたってくださ…」
ふむふむ、女性は男性にナンパされており、具体的には向こうに着いたら一緒に遊ぼうと誘われているようだが、女性の側には全くその気はないと。
「…じゃねえかよ、少しくら…だからさあ…」
「嫌、放し……ださい、本当に…」
むむむ、これはあまりにもわかりやすい正義の少年の出番ではないですか。ここで颯爽と登場し不良軍団をぶっ飛ばした少年に、女性は一目ぼれ、そのまま島で甘い一夏の(夏じゃねえけど)ロマンスが…。しかしさっきのことといい、今回は女性運に恵まれているようだな、俺! くぅ〜、こんなチャンスは実際の世界では滅多にないもんだぜ!
腕に何の自身もないくせに下心だけは旺盛な俺は、背後でわいわいやってる不良たちに、正義の一声、「おい、お前ら、彼女はいやがってるじゃないか!」を発した。
しかしその声はより大きな声、「お前ら!!」にかき消されてしまった。
俺は反射的に声の主の方を向く。同時に不良連中もそちらを向く。そこには、先ほどシャワールームでお目にかかった美少女、が肩までの茶髪をなびかせて立っていた。
不思議な格好だった。服装自体はTシャツに風通しのよさそうなパンツ、といたって平凡だが、そのすべてが黒いのである。靴も、腕時計も、さらに小粋にかぶったワッチキャップもである。その黒づくめの恰好が何となく似合っているような似合っていないような、いずれにしても奇妙ながらも魅力的な雰囲気を醸し出しており、俺は思わず状況を忘れて微笑んでしまった。
「その娘になにしてる」
少女は凄みのある声で言う。あらためて「その娘」の方を見てみると、なんと美音子さんだ。いつの間にか甲板に来ていたのか。
「何って、ちょっと遊びに誘っただけだよ」
男の一人が言った。
「嫌がっているのが見てわからないか」
少女が言い返す。美音子さんはびくびくして成り行きを見守っている。
ここで、よくあるパターンでは不良が激高し、少女に襲いかかるが、少女はそれを軽くかわし鳩尾に一発強烈なパンチを叩き込み、残りの不良がそいつを抱えて「おぼえてろ」とか立ち去る…のだが、現実はそんな感じではなく、ただ不良どもが「あーあ、白けちまったな〜」とかいいながらすたすたと退散する、という何ともあっけない形で決着がついた。
「大丈夫? 何かされなかった?」
少女が美音子さんに優しく聞く。
「は…はい、大丈夫です」
美音子さんが折れそうな、か細い声で答えた。どうやら、本当に怖かったようだ。まだ少し肩がふるえている。
なんとなくスカした形になった俺は、蚊帳の外からそんな光景をぼんやり見ていたが、目の前に件の少女がいるという事実に気づくと、はっとして声をかけようとした、
「あ、あの……」
「あれーー!! なにやってんの?」
いいところに横やりを入れてきたのはハイテンション乙女・由梨乃であった。船内の自販機で買ったのだろう、棒付きのアイスをぺろぺろと嘗めている。
「美音子ちゃんと、マキと…。ええと、どなた?」
由梨乃は美少女の方を見て問うた。彼女が美音子さんの肩を支えていることにも驚いたようだった。
「美音子ちゃん、ちょっと船酔いしたからって甲板に出て見るって言って、なかなか戻ってこないから心配してたとこなのよ。もしかして気分悪くなってた美音子ちゃんをあなたが介抱してくれてたの? ありがとう!!」
相変わらず勝手に話を進める由梨乃は、美少女を親切な通りすがりのお姉さんと判断し、とりあえず礼を言った。まあ、当たらずとも遠からず、といったところか。
と、少女はすっくと姿勢をただすと、俺たちの顔を順番にしっかりと見据え、目礼をした。その凛とした立ち姿に、先ほどシャワールームで目撃した滑らかな肢体がだぶり、俺はおもわずカーッと頭に血を上らせた。
「どうも、鷹森アサギと申します。よろしく」
簡潔な挨拶を済ませる。これもまた凛とした、よく通る美しい声だった。
それが、少女アサギとの正式な出会いとなった。
☆
連絡船上・客室にて。
「……はい、2のセット、と」
「……8のセットですね。あ、由梨乃さん、もう二枚しかないですね」
「てことはこれで決着かもってことね。さ、引きなさい、どちらでも!!」
「…ん〜、このわざと突き出している方は逆に怪しいです。でも、その裏をかいてこっちかな、いや、そのさらに裏をかいて…こっちです!」
「かぁっ! やられた〜。あたしの負けね。てゆーか、やっぱり二人でババ抜きやってもイマイチね。緊迫感が足りないのよ。ね、スピードやらない?」
「…由梨乃さんとは勝負にならないから嫌です。こないだだって、男子相手に10人抜きしたらしいじゃないですか」
「あ、あははは。そうだね〜。あたしは強すぎるかも。まーあんときは男どもの方もちょっと腑抜けばっかだったからねー。マキや京介があいてだったらわからなかったかもだよ。
さてと、次はなにする?」
「…由梨乃さん」
「ん?」
「今回の旅行、私を誘ってくださって、…ありがとうございます。その、…本当にうれしかった、です」
「……」
「…由梨乃さん?」
「……くぅ〜〜〜っ! (美音子に抱きつき、頬ずりして)やっぱり美音子ちゃんはかわいいねぇ〜〜! 悪い虫がつかないように注意しなきゃだわ。いいのいいの、言っちゃなんだけど京介のアホがこられなくなった代わりなんだし、なんも遠慮することないの。今日からの4日間、もう一人のアホのマキも交えて、パーーーーっと楽しくやろうよ!」
「…そうですね、ふふ。本当に、嬉しい・・」
「…美音子ちゃん? あなた、その後、調子はどうなの?」
「(少しびくっとして)…あ、その、その後は良好です…。震えが起きることもなくなったし、薬の量も減ったし…。今回おいしい空気を吸って療養できたら、もっと良くなるかもです」
「そう、良かった…。美音子ちゃん、最近またちょっと顔色悪そうだったから、本当はちょっと心配してたのよ」
「…そ、そうだったんですか、ありがとうございます…。…あの、私、ちょっとだけ船酔いしちゃったみたいです。少し甲板に出て外の空気を吸ってみます」
「…そう? …うん、わかった。気をつけて、甲板にはたしかマキの奴がいるからね。もし気分が悪くなってもあいつを頼っちゃだめよ。チャンスとばかりに何されるか分かんないからね!」
「…ふふふ。わかってますよ。由梨乃さんの大事なマキさんに、ちょっかい出したりはしませんからw」
「…って、ちょっとなによそれ!! こら、調子に乗んな! 待てー!」
「あははは…(立ち去る美音子)」
「………。(ったく、あの子も意外と油断ならないわね。…でも、良かった。一時期はどうなるかと思ったけど、少しずつ元気になってるみたい…。まあ、多少まだ無理をしてるってのは、残念ながら見え見えなんだけどね…)」
嘘を見破られそうになるとその場を立ち去ろうとする癖が自分にあること、そして由梨乃にそれを看破されていることを、美音子は全く知らない。
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