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ASAGI 〜ユートピア殺人事件〜
作:K+K



1−1


薄紫の天井に射した、カーテンの隙間からこぼれる細長い光が、反対側の壁まで届いてゆらゆらと揺れている。それが、私が目を覚まして最初に目にした風景。光は壁で直角に折れ曲がり、まっすぐに下まで降りてきて、床を這ってベッドにも這い上がり、君の絹のような髪にまで達している。私の視界いっぱいに君が映り込んだ。
君は隣ですうすう寝息を立てている。屈託のない寝顔。柔らかい髪が枕からこぼれ、私の鼻先まで届いていた。シャンプーのいい香りがする。
対して私はひどく寝汗をかいていた。心なしか頭も重い。いやな夢でも見ていたのだろうか。むっくりと起き上がると、じっとりと汗ばんだ胸元を、涼しい風が撫でていった。見ると、少しだけ窓が開いているようだった。昨夜私が開けたのだろうか、よく覚えていない。
私はベッドから滑り降りると下着をつけ、洗面所へ向かう。寝癖がついてはねた髪と、うっすらとクマのできた瞳が私を出迎える。私は実に憂鬱なため息を漏らし、鏡の自分に向かって肩を竦めて見せた。…ここのところ、ろくに眠っていないというのに、昨夜はまた無理をしたものだ。
顔を洗うと、私は体を引きずるようにしてベッドへ戻る。君はまだ私が起きだしたことにも気付かず、この瞬間この世でもっとも幸せな人間であるかのような、あるいはいくら眠っても怒られない無邪気な子供のような、実に心地よさそうな寝顔をこちらに向けている。
私は君の額に軽くキスをする。すると君は「ん…」と悩ましい溜息をもらし、寝がえりをうつ。ゆったりと形のいい二つの乳房が上向きになり、君をやさしく包んでいた毛布が滑らかな曲線を描く。
私はいつまでも君を眺めていたくなる。この無垢な、天使のような寝姿は、今は私だけのものだった。この世で私だけが、君という芸術を独占する権利を有していた。
私は君が眠っているのをしっかり確かめてから、決して夢の中でさえも聞こえないのを確認してから、君に向かって、小さな小さな声で囁きはじめた。
私はいまだ夢の中にいる君に、決して普段からは恥ずかしくて言い出せないような、礼を言う。

去年の今頃、私はどうしようもなく孤独だった。
毎日毎日、こんなどうしようもない境遇に陥った自分を呪った。時には涙で枕をぬらし、時には飲んだくれて家に帰らなかった。
例えるなら、出口のない立方体の中に閉じ込められたよう。どんなに探しても出口は見つからないのに、次の頂点には何かがあるのでは、と必死で面上を走り続ける。角度を変え、方向を変え、どれだけの時間彷徨っても、決して出口は見つけられなかった。
本物の袋小路。私は、いつしか元の自分に戻る希望を見失い、膝をつき、走ることすらあきらめてしまっていた。私の運命は、闇に完全にのまれていくかに思えた。

そんな私の運命に。
光を差し込んでくれた君。
君との出会いこそが、私の人生にとって、最後の希望だろうと思えた。
だから、私はその希望に賭けてみようと、決めたのだ。
その瞬間、我が人生をやり直すチャンスをめぐる、本当の一世一代の賭けが始まったのだった。


     ☆


昼日中にうららかな日差しの中、堂々と夢の世界で大冒険を繰り広げられる学生という身分は、なんだかんだ言っても特権的なものであって社会に出ればいやでもその貴重さと儚さを思い知るのである。だがそれはまた未来のハナシ。俺は現在進行形で片田舎ながらも全国にそれなりの名を轟かせる進学高校の三年生をやっており、つまり受験生真っ最中なのである。
近年受験戦争という言葉が陳腐に聞こえるほど、名門を潜り抜ける全国一斉マス目塗りつぶし競争は加熱している。俺は文系だから詳しくは知らないが、医学部狙いなどになると二浪は覚悟せよとのことだ。…全く、日本中のうら若きティーンエイジャー達の青春を何だと思っているのかね、大学と文科省のお役人さんは。
などと八割以上の受験生諸君が一度は考えていそうな、考えても結局どうしようもない抗議をうだうだと脳内でこねくり回しているうちに、昨日の夜更かしが祟ってうつらうつらと舟を漕いでしまったわけで。まあ古文の山下の授業がまったくもって面白くないのと今日の今日室内環境があまりにもベッドの中の(ほの)温かさと酷似していたことを考え合わせれば無理もないことであって、むしろそれをちょっとでも反省した俺の姿勢を褒めて欲しいくらいである。こんなことなら最初から授業をサボって家で寝てりゃよかった、と。その方が疲労回復度も高く、のちの活動もさっぱりできる。うむ、一石二鳥。
そう、片田舎ながらも全国にそれなりの名を轟かせる進学高校の受験生という身分でありながら、俺は非常に不真面目な部類に入る、いわゆるオチコボレなのである。昨晩徹夜したのも、もちろん勉強のためなどではなく、他校に進学した不良連中と麻雀対決に勤しんでいたためである。もちろんがっぽり儲けた掛け金は今日の遊び代。こんな様子だから、教師も俺を問題児扱いこそすれ、他の受験生と同一に扱ってはくれない。
このままじゃ社会不適応者になるだの、この半年が人生を左右するだの、ガーガー言われてはいるが、正直もう耳タコである。俺はこの学生であるが故の自由という特権を思う存分行使する。毎日それなりにやりたいことはあるし、それはきっと今やらないといけないのだ。
や、こう言うと全く勉強も努力もしないダメ学生かと思われるが、一応やるこたやってますよ。ただ……、その、ね、どうにも結果が出ないだけで。
ま、それはいい。
とりあえず、俺は目前に迫ったゴールデンウィークの予定をどうしようかということに思考を移す。大半の生徒の目下一番の課題はそれである。皆さんは予備校でどんな講習を取るかという意味で、俺はその講習地獄をいかに回避するかという意味で。
俺の場合、例年のゴールデンウィークのほとんどは部活の合宿でつぶれていた。その部活の名はバドミントン部。ああ、何たる健全な青少年的スポーツ。テニスやサッカーのようにプレイ中に熱中症でぶっ倒れる心配もなく、そこそこ知名度もあり、さらに顧問の性格上のこともあるが厳しすぎずユルすぎず、まことにいい気晴らしであったことよ。だが悲しいかな、そのバド部はうちの高校では三年生になると合宿や朝練への参加が免除される。特別待遇といえば聞こえはいいが、要は引退通告、黙って勉強してろって事。
泣いても笑っても俺にとっては高校最後のゴールデンウィークだった。まあ最後とかはどうでもいいんだけど、何もないというのは我慢ならない。良くも悪くも俺はそういう性格だった。
……太陽が高い。気の早いツクツクボウシが合唱を始めている。そんな気だるくて自由な、四月も終盤の一日。
未来は靄がかかって見えるはずもなく。
かといって過去には価値はなく。
そんな、宙ぶらりんな年代が過ぎていこうとしている。

「おっそうぅううい!! まだまだ甘すぎるんだよマキっ!!」
俺が「溜まり場」に教室からジャスト10秒で到着し、11秒目でドアを勢いよく開けようとした瞬間、背後からの鋭い一撃が俺の脳髄を直撃、しゃがみ込もうとする俺の背にどでかい靴後を残し、12秒目には後続だったはずの由里乃が室内に突っ込んだ。13秒目に俺が見た光景は、とっくに室内でイスに座ってこっちを見下ろす京介と、その隣に華麗に着地してくるくる回っている由梨乃の姿であった。
「とうちゃーーーーく!! というわけで罰ゲームは今日もマキで決定ね!! さ、早く行った行った!」
俺は痛む腰と背中と頭を押さえ…るのは無理だから背中は妥協しつつ、のっそりと立ち上がる。いてえ。まったく手加減しねえこいつ。高二時代には近所のチンピラからよく喧嘩を吹っ掛けられた俺だったが、ここまで微塵も容赦なく脳天にパンチをくらわす野郎にはお目にかかったことがない。
そう、俺達「溜まり場メンバー」の間では、放課後一番最後にここに到着した人物があとのメンバーの夕食をおごるのである。ま、おごると言っても所詮は購買の菓子パン程度なのだが。毎日となると学生身分の我々にとっては痛い出費である。
ちなみに、「溜まり場」というのはここ、部室等の西端にある空き教室であり、「溜まり場メンバー」とはそこに勝手にたまって遊ぶなり勉強するなり勝手気ままに時間を過ごす輩のことを指す。現在構成員三名。幼馴染の毎度おなじみメンバーってやつだ。求ム新入部員。できれば俺より足の遅いやつを頼む。
俺と京介のクラスは三年七組、新校舎の東端であり、溜まり場からは最も遠い位置。しかし京介は元陸上部で、100メートルを11秒代で走る猛者だったのでバド部の俺がかなう筈もない。さらに由梨乃はというと、三年三組で階段に最も近い位置、いわば溜まり場に最も近い教室に属する。本人に言わせれば「女の子なんだからハンデは必要でしょ」とのことだが、実は今でも100メートルを12秒代で走り抜ける化け物だと聞く。・・・結局、俺が最弱にして最悪のポジションにいるわけである。おかげで今日で8連敗だ。
「ほらほら、泣かないの〜。しょうがないじゃん、天下のユリノお嬢様に負けたって恥にはならないよ〜。でもその様子じゃ10連敗はかたいわね。あ、私ベーコンエッグパイとバニラビーンズ入りメロンパンね。あとダイエットコーラも。京介は?」
「……俺は焼きそばパンとオレンジジュース」
「だそうよ。あ、あたしやっぱりブルーベリーヨーグルトも付けてもらおっかな〜。ええい、あたしもついてった方が早そうね」
全く、この女は遠慮のえの字も知らないのだ。この上晩飯はまた別に食べるというから恐れ入る。
「それで、マキはなににすんの?」
「……こんだけ絞り取られちゃ自分の分なんか買う余裕ねえよ……」
「あっちゃあ。そいつあ悪いことしたねー。ま、あたしが食べる量は変わらないけどね。悔しかったらもっと脚を鍛えること! くひひっ!!」
不愉快な笑いを洩らしやがる。ちなみにマキというのは俺のことである。特に本名とは関係がなく、「そんな名前の昔の友達に似てるから」というわけのわからない理由でこいつによって俺のあだ名にされてしまった。しかもそれがわりとあっという間にクラス中に定着したからタチが悪い。
「マキ、やっぱオレもヨーグルト追加」
ほら。こいつも呼んでるし。てか追加って何だおい。
「じゃ、とっとと行くわよ。京介、留守番たのむわよ」
奢ってもらう立場のくせに先導していく由梨乃。はあやれやれと溜息をつく俺。窓から差し込むちょっとくすんだ夕日。気の早いツクツクボウシが鳴いている。
そんな気だるくて自由な、四月も終盤の一日。
すべてが宙ぶらりんな一日が、今日も過ぎていこうとしている。

     ☆

「さて! 今回の議題ですが」
議題もクソもない。そもそもここは会議をする場ではない。
三人分のジャンクフードを買って(結局自分の分も買うことになった)、やっとの思いで帰ってきたのがつい先ほど。赤く染まった「溜まり場」で、俺たちはもひもひとパンを味わいつつだべりを開始していた。
「どうした?お前が何か用意してくるなんて珍しい」
「ふっふっふ。女子高生は日々進化し続ける生き物なのですよ〜。ところでモテない・金ない・予定ないのないない三拍子のそろった哀れな負け組男子お二人に朗報です。なぁんと!」
「あー…待った」
「何?」
珍しく京介が手を挙げた。普段は無口で時々絶妙なタイミングで相の手を入れてくれるオイシイキャラの彼だが、このマシンガントーカー由梨乃の連射に横やりを入れるとは、これまた珍しい。
「金ない・予定ないは認めてやるがモテない発言は聞きずてならん。現に俺は…」
「あ〜はいはい、あんたには美雪ちゃんでしょ。全くいちいち言わなくても分かってるのよ。ヒガミで言ってんの、どうしてわかんないかな〜。空気読めー、この筋肉ゴリラ」
「ゴリラに嫉妬してんじゃねーっつの、自分は猿のくせに」
「なにおおおおぉおぉぉう! 花も恥じらう乙女に向かって猿とは何事かこのゴリラ! キングコング!」
「褒め言葉だ」
ちなみに、美雪さんとは1年前から京介と付き合っている清楚で理想的な恋人さんだ。京介は陸上部でもよく活躍するし、ちょっとキツめだが整った顔立ち、引き締まった肉体、そしてその割に実は優しいというギャップとにより、かなりモテる方である。その、幾たびもの告白を断わり続けていた彼が一年前のクリスマスイブに、真っ赤になりながらクラス1大人しい美雪さんに告白したときは見ものであった。まあ、実のところその手引をしてやったのは俺なのだが。
さらにちなみに、由梨乃は運動万能選手なのにどこの運動部にも所属せず、意外なことに吹奏楽部に入っていた。しかし部が休みの日は、男子に交じってサッカーやバスケをやっており、さらに並大抵の男子では敵わないほどの腕を見せつけたというから恐れ入る。先ほどの100メートル走の記録も体育の時間にはじき出したもので、いろいろな部からかなり強く勧誘を受けたらしいが、本格的にスポーツにのめりこむ気はないとかなんとかで結局入らずじまい。
そんな二人も今はそれぞれの部で、俺と同様に「追い出し」をくらい、それ以来以前から何となく仲の良かった三人でこの「溜まり場」で何となく集まり、何となく遊び、何となく勉強する、ような日々を送っているわけだ。まあ実はこの二人の成績は俺のものより数段良かったりするわけだが。
そこで由梨乃の話に戻ってみる。
「おい、由梨乃が持ってきてくれたビッグなサプライズ企画ってのはなんだ」
「よく聞いてくれましたっ! てかよーくわかってるじゃんマキ〜。そう! 私が本日持ってきた議題とはビッグなサプライズ企画なのです!!」
「ひゅー」
京介が気のない裏声を上げながら拍手する。由梨乃は一瞬ムッとして突っかかりかけたが、大人しく話の続きに戻る。
「で、金がなくてモテなくて……あとなんだっけ? まあいいや、そんな二人に朗報! 今度のゴールデンウィーク、我々『溜まり場メンバー』の三人で、M島リゾートに大冒険しに行きましょー!!」
「「M島??」」
俺達は声をそろえて聞き返した。M島は、俺たちの県からわりと近い南方太平洋側の沖合の島だ。夏に台風に見舞われることがあるが、基本的に気候は穏やかで、近年リゾート地として開発が進んでいる。付近の小島も含めて自然が豊富で、海水浴・森林浴が同時に楽しめるためファミリーやカップルに人気のスポットになりつつある。
「あのM島に? なんでまた」
「ふっふふ、うちの叔父さんがそこのホテルの会員権を持っていてねー、安く泊まれるのだ」
「ベタベタな理由だな…。んで、大冒険ってのは?」
「この辺の小島は地形が複雑で地下洞窟とか山とかが豊富な上にわりと古いなんかの観測所とかもあるらしくて、結構退屈しなさそうなのよ〜。んっふっふっふ」
「ふーん…。で、どうして俺たちを誘ったんだ?部活の友達もいるだろうに」
「シーズンだから結構込んでてね〜。私がその話聞いて申し込もうとしたときにはすでに3人分しか部屋が取れなかった」
なるほど、それで膨大な人数のいる吹奏楽部から厳選して…という誘い方をするより、俺達を誘った方が気楽でいいわけか。まあ、女子のグループ構成員を「取捨選択」するのはきついものがあるよなあ。女の子の世界はなかなか大変なのだ。
「なるほど、納得。俺は乗った! どうせゴールデンウィーク何もないしな。どうやって暇をつぶそうか考えていたところだ」
俺、即答。ちょっと寂しいが。
「で、京介もいくだろ?」
「あ、わりい。俺はパス」
「え?」
由梨乃が目を丸くする。どうやら断られるとは思ってなかったようだ。困った顔つきになる。…しかし、こいつは本当に考えていることが顔に出るな。と、今度はニヤニヤと怒りを含んだようなフクザツな表情になったぞ?
「はは〜ん、さてはGWは美雪ちゃんとディズニーシーとか言っていちゃいちゃするつもりだねー?? そんでもって夏休みは二人で海に祭にプールにとイベント目白押し、クリスマスと大晦日は二人で手をつないで協会とか神社に行って手をつなぎながら『一緒に大学受かろうね』っていう王道パターンだなあっ!!? かあ〜〜〜〜っ! 羨ましいっ!! 眩しすぎる青春だぜこの色男!! だがっ! そういうのは別名『片方だけ受かるフラグ』っていうんだぜっ!! そう! 天はすべての人類に公平なのだよ!! 一人だけ受かってもう一人は浪人、それっきり何となく気まずくなって会わずに、だんだんと日々の喧騒の中互いの存在も忘れていってしまう…くうっ!! か、悲しい! 悲しすぎるぜゴリラの甘き初恋の結末!! だが泣くな! 初恋とは得てして甘酸っぱいもの!!      あたしが今夜も晩酌付き合ってやるよっ!!」
一気にまくしたてると、由梨乃はおいおいと号泣ポーズをとりながらバンバンと京介の背中をたたく。京介の方は途中から聞いていなかったらしく、あらぬほうを眺めながらもぐもぐと焼きそばパンをほおばっている。こんなことやっている間に何の話していたか忘れてしまったではないか。
「……と、まあ結局は京介は行けないわけだな。理由はいまコイツ(ぞんざいに由梨乃を指さす)が言ったようなので合ってるか?」
「いや、美雪は関係ないが。俺は俺で部の連中に慰安会ってやつに誘われててな。だいぶ前から計画してたらしいから仕方ないんだよ。悪いな」
そうか、陸上部の絆はなかなか強い方らしいな。シーズンが終わったら素知らぬ顔のわがバド部とはえらい違いである。
「まー、それじゃしかたないかなー。今回は京介抜きっと。マキ、誰か他に誘うあてある〜?」
「んー…」
しばし黙考。どうせなら俺と由梨乃、共通の友人がいいが…。
「ま、いっか。もう一人はあたしが適当に誘っとくわね。出発は29日朝八時にあたしんち前、遅刻厳禁!! いい?」

ま、そんなわけで俺の休日は埋まったわけである。












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