7話:炎の姫君
「嘘じゃっ! ゼシャールドがわらわ達を裏切る筈が無い!」
「事実です。お気持ちは察しますが、どうか冷静に」
ヴォルアンス宮殿上層階の一室で、ヴォレットの怒鳴り声とそれを宥める側近の冷静な返答が交される。蹴倒された椅子を起こし、どうぞと促す側近を睨みつけたヴォレットは、やり場の無い怒りと不安と焦燥を八つ当たりにして彼にぶつけた。
「貴様はゼシャールドを疎んでいたな! 内心で嘲笑っているのではないのかっ?」
「いいえ、そのような事は」
流石に怒りに任せて神技を暴発させるような事は無かったが、テーブルの上に盛られた果実や花は床に散らばり、カーテンは引き裂かれ、壁の一部にはぶつけられた食器の欠片とワインの染みが付いている。部屋の中は滅茶苦茶だった。
「くそっ……! 何故じゃっ!」
「姫様、言葉遣いにお気をつけを」
「うるさい! 出て行けっ!」
背中を向けたまま扉を指すヴォレットに、普段通りのお辞儀を返した側近は静かに退室した。彼、側近クレイヴォルは、ヴォレットの荒れる気持ちを理解していた。自分自身、もしや先日のアレが原因になったのではと思う所もあり、複雑な心境であった。
『しかし、宮殿内にも動揺が広がっている……彼が向こうに付いたとなると、追随する者も現れかねない』
今後は宮殿関係者の動向にも特に注意を払う必要が出てくる。クレイヴォルは先ず自らが率いる炎神隊の衛士に対する意識調査と、気持ちの引き締めを考えていた。
側近が起こしていった至高の腰掛を再び蹴倒したヴォレットは、肩で息をしながらワナワナと握り締めた両手を震わせていた。父王エスヴォブスは『ゼシャールドの事は言うな』とのみ返すばかりで、ブルガーデンの発表に対して何ら声明を出す事もない。
先日、偶然下街で会った時には、この国を出ようとするような素振りは無かった。まさか自分の行動が引き金になったのではと思うと、不安と後悔に苛まれて掻き毟られるように心が疼く。
「何故じゃ……」
ゼシャールドが裏切る筈は無い、何か理由がある筈だと、ヴォレットは伏せた眼の奥に滲む感覚を押し戻しながら悩み考える。そうしてふと、脳裏に浮かぶ黒髪の男。ユースケと呼ばれていた世間知らずっぽいあの無礼な男はどうなったのか。
「一緒に付いて行った? 或いは……」
伏せていた顔を上げて窓の外に視線を向ける。遥か遠くまで続く平地の先に、微かに見える小さな森。ゼシャールドが住んでいた無技の村に行けば、何か手掛かりが掴めるかもしれない。
目的を見つけたヴォレットの瞳は、何時もの自信に満ちた力強い光を携えていた。
ブルガーデンの公式発表はゼシャールドの事を知る宮殿関係者に衝撃と動揺を与えたが、街の一般住人は『また宮殿官僚から離反者が出たらしい』という程度の認識で、然程の影響も受けていない。宮殿事情を知る一部の識者達が討論のネタにしているくらいだ。
何時もと変わりない様子の街を、何時もなら表通りなど歩かず裏路地を行く男が晴々とした表情で歩いていた。
「へへ……これでやっと大手を振って街を歩けるってもんだ」
彼は数年間、サンクアディエットの貧民街で身を潜めるようにして生きて来た。ブルガーデンに亡命しようかと思う事もあったが、能力主義で身分が決まり、国の定めた労働に従事する事を強制される向こうでは、今のように自由な生活は望めない。
そんな窮屈な環境に身を置くぐらいなら、まだ日陰者生活でも自堕落に生きられるこちらのほうがマシだと思えた。
以前はうっかり表通りを歩いていてゼシャールドと鉢合わせるような事になればと、常に怯え、警戒していなければならなかったが、今や件の人物はフォンクランクを見限ってか隣国ブルガーデンの地へ。もう恐れる事はない。
「今なら何でも出来そうな気がするな。ハハッ 何か一発デカイ山でも当てたい所だ」
そんな彼が低民区大通りの広場に差し掛かった時、上の区画とを繋ぐ門の周辺に人だかりが出来ているのを見つけた。何かの見世物かと興味を引かれた彼は、その人だかりに近付いて行った。
「ええいっ 放せクレイヴォル!」
「なりません姫様、領内とはいえ街の外に出るなど危険です」
ゼシャールドが住んでいたと聞く無技の村、ルフクの村に向かおうとしていたヴォレットは、低民区の門を抜けた所で追って来た側近クレイヴォルに捕まっていた。宮殿に連れ戻そうとするクレイヴォルと、街の外に出ようとするヴォレットの攻防が続いている。
宮殿衛士隊を使うとクレイヴォルにバレると思い、巡回に出ようとしていた神民衛士を片っ端から護衛に付けてここまで下りて来たのだが、宮殿官僚満場一致でヴォレット姫は何かやらかすだろうとの予想の元、ここ暫らくは動向を監視されていたのだ。
「ちょっと無技の村を調べてくるだけじゃ! 危険などあるものかっ」
「王から関わらぬよう言われている筈です、彼が住んでいた村を訪ねる理由もありますまい」
クレイヴォルは民衆の耳を気にして微妙にその人物の名を避けながら説得しようとするが、猪突猛進中のヴォレットは王族の体面だとか、その辺りの体裁にまるで無頓着に自分の目的を口にする。
「ゼシャールドに何があったのか、手掛かりが掴めるかもしれんのじゃ!」
「……それでは理由になりません」
早速配慮も考慮も蹴散らしてしまう炎の姫君に頭痛を覚えながら、クレイヴォルは努めて理性的に御自重下さいと促がした。そんなちょっとした騒ぎの中、衛士隊の一人が遠慮がちに声を掛けて来た。
「あの、側近殿……姫様の言われる村の事でお耳に入れたい事があると申す者が……」
「ん?」
クレイヴォルが振り返ると、声を掛けてきた衛士の後ろに、みすぼらしい風体の低等民が頭を低くしたまま控えており、それと分かる愛想笑いを浮かべていた。その男に何処か危うげな雰囲気を感じ、クレイヴォルは眉を潜める。
「なんだ? 申してみよ」
「へ、へい……実は、あの村にはブルガーデンに通じてる村人が居たんでさ」
ヴォレットとクレイヴォルは互いに顔を見合わせた。
ゼシャールドの家の近くに作られた小さな畑に水をやっているスン。悠介は近くの川まで釣りに出掛けている。
「ん~ん~~」
鼻歌など歌いながら早く芽が出ないかな~と、悠介が作った便利な水撒き機を右へ左へと振っている。スンはこの小さい雨を降らせる道具を気に入っていた。今日の朝食では何かと御節介を焼きに来るバハナを話題に、悠介と世間話のような会話も出来た。
ゼシャールドの家で悠介と暮らし始めて七日目、少しずつ打ち解けあえている事を実感出来たスンは、このまま順調に過ごして行けるなら過去のトラウマも克服出来るかもしれないと、前向きな気持ちになっていた。
水撒き機を道具箱の中に仕舞い、昼食用の水汲みに井戸へ向おうと村の通りに出たスンは、サンクアディエットの方角に伸びる街道の先から土煙が上がっているのを見つけて小首を傾げた。土煙は徐々に近付いて来ている。
「?……なにかしら」
サンクアディエットの衛士隊を乗せた馬車が四台、土煙を上げながら街道を疾走していた。
「見えて来たぞ! あれがルフクじゃな?」
「姫様、走行中は危険ですのでお座り下さい」
衛士隊は其々攻撃、防御、治癒、移動と得意分野の神技を持つ者でバランス良く編成されていて、移動に特化編成した部隊の水技と風技による補佐を受けた馬車の移動速度は、早馬が単騎で駆ける速さに匹敵する。
座席から身を乗り出すヴォレットを諌めたクレイヴォルは、後続と周囲の様子を見渡して異常が無いか確かめた。本来ならヴォレットを現場に連れて来るなど有り無い事なのだが、宮殿に連れ戻してもまた直ぐ抜け出すのは目に見えている。
それならばいっその事、自分の目の届く範囲に居てもらった方が護り易いと同行を許可する事にしたのだ。割と堅物なクレイヴォルにしては柔軟な対応であった。お陰で一般衛士達は緊張しまくっているが。
「良いですか、姫様。絶対に私の傍を離れないように、くれぐれも勝手な行動をしてはなりませんよ?」
「分かっておる、お前は心配し過ぎじゃ」
ヴォレットは炎神隊も連れて来ているのだから、万が一ブルガーデンの密偵が潜んでいても問題ないと楽観的な態度だった。やっぱり置いて来た方がよかったかと軽く後悔しつつ、クレイヴォルは先程の告発して来た男の事を考える。
――ルフクの村にはブルガーデンの内通者がいた
数年前に土技の民の上司と村周辺の森を訪れた彼は偶然、無技の民がブルガーデンの密偵と取り引きしている所を見たという。
口封じを仕掛けて来た密偵と交戦の末、上司は殺害されるも自分はなんとか逃げ出せたが、密偵に加勢したのが元宮廷神技指導官のゼシャールドだった事を知り、何かの間違いでは無いかと思いつつ、今日まで言い出せなかったのだそうだ。
『確かに、時期は合う。しかし……どうもあの男の眼は普通ではない気がする』
長い間、独りで悩み過ごして来たのだと考えるなら、多少おかしな雰囲気を纏っていても不思議は無いのかもしれない、とも思えるだけに、クレイヴォルは告発者の男に感じる違和感を判断し兼ねていた。
そんな事を考えている内に、馬車隊はルフクの村へと入るのだった。
ルフクの村から少し離れた森の中を流れる小さな川で、悠介はカスタマイズして作った竿と釣り糸と毛鉤を使って釣りをしていた。漁をする川はもっと離れた場所にあり、往復には一日掛かってしまうので近場で小魚を狙ったのだ。
バハナがその内狩りの仕方を教てやろうと言ってくれるが、一応現代人な悠介には体力的にも少々シビアな提案だった。
「発明はそれだけ楽をしたかったから、なんて言うしなぁ」
悠介は森を駆け回って獲物を追い仕留めるより、性能の良い罠を仕掛けて楽に獲りたい等と考えている。透明感のある丈夫な釣り糸と、擬餌率を高く設定した毛鉤によって魚籠の中身は順調に満たされていった。
「このくらいで十分かな」
十匹目を釣り上げた所で、そろそろ引き上げようかと釣具を片付けに入った悠介は、ふと人の気配を感じて振り返る。
「ふむ、確かに素人のようだね」
「あ、アンタ」
何時の間にか背後に緑髪の男が立っていた。数日前、サンクアディエットでゼシャールドに声を掛けてきた男だ。ブルガーデンの密偵らしきその男は、自身を『レイフョルド』と名乗ると、悠介に早く村に戻った方が良いと促した。
「すこし、大変な事になってるみたいだよ」
「なんだよそれ、アンタ何かしたのか」
「僕はなにも?」
警戒する悠介の問いに、レイフョルドは軽く微笑みながらパッと手を開く仕草を見せる。
何だか掴み所の無い、ゼシャールドとはまた違った雰囲気の飄々とした男に多少の猜疑心を懐く悠介だったが、村が大変な事になっているという言葉が気になり、急いで戻る事にした。
「なあ、アンタ……って居ない!」
釣具と魚篭を纏めてもう一度振り返った時、既にレイフョルドの姿は無かった。
衛士の半数を村に残し、サンクアディエットを目指して昼下がりの街道を疾走する衛士隊の馬車。ヴォレットとクレイヴォルが並び座る車内では、内通の容疑で身柄を拘束された無技人の少女が、相変わらず身を縮めて震えている。
「お前、ずっと怯えておるなぁ。そんなに神技人が怖いのか?」
ゼシャールドの家に長く仕えていたというこの無技の娘を捕らえる時、村人の女性が無謀にも抗議を訴えて来た。曰く、この娘は昔、神技人の若者に殺され掛けた事で神技人に対する強い恐怖の念を持っている。だから手荒な真似はやめて欲しいと。
神民衛士達がそんな抗議や懇願に耳を貸す筈も無く、邪魔立てするなら容赦しないとばかりに神技を振るおうとするのを止めたのはヴォレットだった。ゼシャールドからは無技人達の暮らしぶりなども聞かされた事がある。
元々ヴォレットがこの村に来ようと思った理由は、村で暮らしていたゼシャールドの事を知りたかったからだ。その村の住人を無闇に傷つける事はしたくなかった。
村人の抗議にあったように、馬車に乗せる時もまともに歩けない程酷く怯える少女の様子を見兼ねたヴォレットは、ゼシャールドの事を聞きたいという気持ちもあって、自分の馬車で護送すると言い出した。当然の如く側近のクレイヴォルは反対したが――
『王族が無技の者と、ましてや内通の嫌疑が掛かっている者と同乗するなど!』
『お前が一緒だから大丈夫じゃ』
屈託の無い『信頼の笑み』を向けられ、敢え無く陥落した。エスヴォブス王に忠誠を誓う者としては、その姫君に信頼を預けられているのならばと、普段ヴォレットから邪険に扱われてきた分の反動が出たらしい。
「お前、ゼシャールドと暮らしていたのであろう? 何か怪しい奴が周りに居なかったか?」
「……先生を……知ってるんですか……?」
「ゼシャールドはわらわが幼少の頃、よく宮殿で遊んでくれたのじゃ」
え? という表情で顔を上げたスンに、ヴォレットは自信に満ちた勝気な雰囲気を感じさせる赤い瞳を向けた。
「お前の知るゼシャールドの話を聞かせてくれ」