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本編
66話:災厄の影




 フョルナーの火月の五日目。


 ヴォルアンス宮殿の上層階では、朝からヴォレットの楽しげな笑い声が響いていた。

「ぶわっはははははは」

「スン……」
「ご、ごめんなさい」

 スンの誘惑に鼻血を出して倒れた事がヴォレットにバレた悠介。現在絶賛笑われ中である。

 舞踏祭と休暇も終わり、スンと悠介は昨日の夜サンクアディエットの屋敷に戻って今日からの衛士隊活動に備えていた。
 今朝、宮殿に出勤するなり決闘の話を聞かせろとヴォレットにせっつかれたのだが、今日は神技の指輪を配る日だったので、悠介は決闘を特等席から見ていたスンに話し相手を任せて、宮殿衛士隊の控え室まで自分で指輪を届けに出向いた。
 控え室にいたヒヴォディルから休暇中の事や舞踏祭でのヴォレットの様子などを聞き、帰って来たら邪神の祠での出来事まで話が進んでしまっていたのだ。

「しかし、そーか。ユースケは鈍かった訳ではなかったのだな」

 二重の意味で女と距離をとっていたのかと納得しながら、ヴォレットは腹筋の辺りを擦っている。

「そんな事より、例の話はどうなるんだ?」

 とりあえず話題を変える努力をする悠介。調整魔獣の研究について、旧ノスセンテスの研究組織に関する情報を探りにガゼッタまで赴くという悠介の提案。

「ん~それなんじゃがのう……とりあえず父様に相談してみるから、明日まで待て」
「気が進まなそうだな」

「流石にな。ガゼッタが今後どう動くか、まだはっきりしておらんし……あの男は油断ならん」

 悠介が直接ガゼッタに出向くという提案には難色を示すヴォレットだったが、ガゼッタから情報を引き出す事については賛成なので、一応、悠介の提案も交えながらエスヴォブス王に話をしてみるという。――悠介の努力は報われたようだ。






 パトルティアノースト、中枢塔――


「ブルガーデンからの問い合わせ?」

 女王リシャレウスの名で送られてきた書簡には、元最高指導官の余罪追求という名目で旧ノスセンテスの研究組織の中に魔獣の研究を行っていた組織が存在していなかったかという内容の問い合わせが綴られていた。

 シンハは最近トレントリエッタとフォンクランクの国境付近で起きた事件の情報などを踏まえ、この書簡はフォンクランク側からブルガーデンに依頼したモノでは無いかと推察し、アユウカスもその説に頷く。そしてそれは当たっていた。


 結局、悠介のガゼッタ行きは見送られる事になり、フォンクランク王室からブルガーデンのリシャレウス女王を通じてガゼッタに問い合わせを試みるという方法が採用されていたのだ。
 リシャレウス女王がシンハ王と個人的に親しい間柄にあるという部分を見越しての策である。


「調整魔獣の情報を求めているのなら、それを利用しない手はないか……」
「例の研究者達について教えるのかえ?」

「いや、情報は渋る。代わりに色々煽ってやるのさ」
「ほぅお、シン坊も考えるようになったもんだ」

 里巫女アユウカスはシンハが何か悪手を打ったり、未熟を露呈するような行動を取ると幼少の頃の呼び方でちゃかすので、この呼ばれ方をするとシンハは大抵嫌な顔をする。

「……それより、何時までここに居るつもりだ婆さん。早く里に帰れよ」
「ワシの家はここじゃからして」

 遥か昔このパトルティアノーストの中枢に住んでいた事もあった里巫女は、そう言って手をひらひらさせながら空中庭園の散歩に出掛けて行った。その背を見送るシンハは、何年経とうが彼女からすれば周りは皆子供なのだろうなと、内心で呟く。

『見た目がアレだから余計に納得いかんがな……』

 シンハは溜め息を吐きながら書簡の返答に手紙をしたためるのだった。






「リシャレウス様、ガゼッタの王から手紙が届いておりますが……」
「手紙?」

 旧ノスセンテスの研究組織に関する問い合わせに対して、リシャレウスの元に届いたガゼッタからの返答は『心当たりはあるが、公表するのは差し控えたい』という内容であった。
 正式な書簡ではなく、シンハ王の私書という形で届けられた事に、リシャレウスは今回の問い合わせに際してフォンクランク、エスヴォブス王からの依頼があった事を見抜かれていると悟る。

「……? これは、どういう意味なのかしら」

 手紙の片隅には『災厄の再来に備えられたし』という謎のメッセージが添えられていた。

 これらの内容は直ちにフォンクランクへと伝えられ、ヴォルアンス宮殿の官僚達は『知っているが教えない』という実質的な隠蔽とも取れるガゼッタの返答に、ガゼッタは調整魔獣を兵器として使うつもりなのではないか? という意見が大勢を占めた。
 だが、ガゼッタとの敵対を明確にすべきかについては其々意見が別れた。

「やはり討伐軍を組織すべきだ! ガゼッタが国力を付ける前に叩かなくては、手遅れになる!」
「そう事を荒立て無くとも良かろう、ガゼッタとて折角手に入れた国土をみすみす戦火で荒らして疲弊させるとも思えぬよ」
「然り。無技の民は土地の開拓一つとっても我等神技の民の数倍は手間が掛かる。国家を維持するだけで精一杯だろうさ」
「そんな悠長な事をっ!」

 ガゼッタ討伐を唱える開戦派は謎のメッセージを神技人国家への攻撃予告と捉えた。ノスセンテスの滅亡を神技人社会の災厄とし、調整魔獣を使って再びその災厄を起こす事を示唆したモノだと訴える。

 開戦否定派は『災厄』の解釈には同意を見せたものの『再来』に関してはガゼッタの攻撃予告などではなく、今後予想されうる調整魔獣の被害を皮肉っているのだろうという考えを示した。

 神技人の脅威となり得る調整魔獣を作りだしたのが神技人研究者であろう事は既に疑いなく、嘗てブルガーデンの破壊工作によってフォンクランクの牧場に放たれていた魔獣が調整魔獣の原型であったらしい事から、それらの事実を指して皮肉を効かせた忠告であろうと。

 開戦派の中でも特に過激な発言をする者達からは、無教養で野蛮な無技共にそんな持って回った言い方で皮肉を込めるような真似が出来るものかと、開戦否定派のガゼッタに対する捉え方を過大評価だと批判する声が上がっている。
 が、無技人が無教養であるとする認識こそ無教養であると知っている開戦否定派(ゼシャールドの弟子達)はそれらの批判を黙殺した。

 謎のメッセージについては宮殿官僚達の間でそんな風に取り扱われていたのだが、レイフョルドを伝っての情報網からメッセージの内容を耳にしたゼシャールドは、別の解釈を懐いた。

「シンハ王……彼奴らは災厄の邪神について色々知っておるようじゃからのう」

 ガゼッタのどこかにある白族の里には、三千年に及ぶ邪神の歴史が記されているという。
 パウラの長城前でシンハが悠介に語った内容や、邪神に関するガゼッタ側の見解などから『災厄の再来に備えられたし』の意味を考察したゼシャールドは、カルツィオの歴史に嘗て現在の状況と似たような事態があったのでは? と推察した。

 『災厄の再来』が果たして邪神を指しているのか、或いは調整魔獣を指しているのか。前者ならば、何かを切っ掛けに悠介が邪神として目覚める事を示唆しており、尚更悠介をガゼッタに近づける事は避けたい。
 後者の場合、過去に降臨したらしい邪神の中に、調整魔獣のような存在がいた事を仄めかしているとも考えられる。

「白族、無技の民が繁栄した時代とは如何なる世界だったのであろうか……?」






 フョルナーの火月の九日目。


「やっぱ難しいか」
「うん……環境はこれでいいと思うんだけど、何か要素が一つ足りないっぽい?」

 悠介邸の地下に作られた培養施設。ラーザッシアが中心となって進めていた太陽苔の栽培は、今一歩の所で行き詰っていた。

「苔が張り付くっていう木が鍵なんじゃないかなって事で、トレントリエッタに行きたいなーと」
「……旅行の口実にしてるんじゃないだろうな?」

「ぎくりっ!」
「ははっ まあ、ヴォレットに聞いてみるよ」

 すっかり打ち解けあっている悠介とラーザッシアは、何時もこうして砕けた調子で接している。
 ソルザックの店に出向いた時など、屋敷の外ではラーザッシアが悠介の世間体に気を遣って畏まった話し方をするので、彼女の内と外でのギャップが話のネタにもなり、悠介に懐かしい家族の空気を思い出させてくれるのだ。
 悠介にとって、スンやヴォレットとはまた違う意味で大切な人となりつつあるラーザッシアだった。




「うむ、トレントリエッタなら構わんぞ」
「そっか。じゃあ早速準備に入るよ」

 調整魔獣に関するトレントリエッタの疑惑も薄れていた為、トレントリエッタ行きには割とアッサリOKが出された。
 これにより、闇神隊は太陽苔の産地であるトレントリエッタの姉妹都市『デリアルディア』に向かい、太陽苔の張り付く木を調査する、という任務を賜わる事となった。今回、専属従者であるスンの他に、調査の助手としてラーザッシアも同行させる。

「わらわのリーンランプが使えるようになるのを期待しておるからな」
「栽培に成功したら宮殿中の灯りをリーンランプに切り替えられるぞ」

「おお! それは楽しみじゃ」

 今日も試作動力車で屋内訓練場を走り回っているヴォレットは、姉妹都市(デリアルディア)の土産話も楽しみにしているぞと言って笑った。






 トレントリエッタの樹海の奥。蔓草の生い茂る木々の折り重なる中に、白っぽい岩が突き出ている。一見すると樹海の至る所で見られるただの岩石なのだが、その突き出た岩の根元には武装した神技人の警備兵らしき人影があった。

「そろそろ交代だな」
「ああ、やっとまともな飯が食えそうだ」

「俺は当分無理だ……肉とか絶対、吐いちまう」
「あんなもんは慣れだよ、慣れ」

 自然の洞穴を加工して造られた地下研究施設。ここでは生物兵器の開発や、特殊な薬を作り出す研究が行われている。
 元々は新薬の臨床試験として人体実験を行う極秘研究施設だったのだが、偶々捕らえた魔獣から何か新しい薬を精製できないかという研究を進める過程で、実験中の薬を投与された魔獣に特殊な能力が備わる事を発見した。

 これを発見した研究者はその後も少しづつ実験と研究を重ね、魔獣を催眠状態にして簡単な命令に従わせる術を編み出すにまで至ったのだが、施設の趣旨から外れた研究だったので予算が貰えず、自費による細々とした活動で研究を継続させていた。
 一時期は研究資金を稼ぐ為に同志を募って曰くつきの商品を専門に扱う闇商人を雇い、獣兵の実験モデルとしてコッソリ隣国に販売するなどもしていた。

 本国ノスセンテスが滅亡してしまってからは、脱出の際に掻き集めたありったけの機材と資金を持ち込んでこの極秘研究施設に引き篭もり、連日実験を繰り返しては『魔獣兵』の完成を目指している。

 非人道的な研究を行っていた彼等は故国が滅んだ今、自分達の受け入れ先など無いと認識していた。それならばこそ、生きて行く為の糧と居場所を、自分達で確保しなくてはならない。
 強力な魔獣兵、調整魔獣の研究開発は、国を失った自分達の生存を賭けた『事業』なのである。

 伝統と格式を謳う神議会の支配統制という庇護から解放された彼等は、武力を調えて資金を蓄える為に、闇商人組織というアドバイザー(新たな支配者)の下で、僅かに残っていた倫理の箍も外れてしまったかの如く研究に没頭していた。




 頑丈な檻が並ぶ魔獣研究室の一室にて、目の下に隈を浮かべてぶつぶつと呟きながら薬品の仕分けを行っている研究員に同僚が声を掛ける。

「おい、食事に行くぞ」
「これを……ああ……直ぐ行く……検体の標本……脳の萎縮が……」

 この研究員は担当している野外育成の調整魔獣に異常行動が見られたという報告を受けて、連日その原因を調べる作業に従事していた。

 二十日程前に届けられた報告によれば、巣の一定範囲内に近付くモノを攻撃するように調整してある魔獣が、その時は何故か巣に火を放たれるまで動こうとしなかったという。
 仕方なく調整魔獣に命令を送る『魔笛』を使って巣に火を放った冒険者グループらしき集団を攻撃させたものの、弓などの武器で反撃されて神技阻害の波動が乱れ、返り討ちにあってしまったそうだ。

 ここ数日、徹夜で作業をしているらしい彼のうわ言のような返答に、だめだこりゃと頭を振った同僚は一人で食堂に向かった。魔獣に投与する調整用の劇薬が入った薬瓶を移動させようとした研究員は、扉の閉まる音に気を逸らす。

「あっ」

 研究資金が足りなかった頃から使われている安物の入れ物は、床に落とした瞬間粉々に砕け散った。幸い、中身は少なかったので床に劇薬の水溜りを作る事は避けられた。だが、幸いなのはソレだけだった。

 『このくらいであれば、水で薄めながら拭き取れば問題ない』思考力の低下したボンヤリした頭でそんな事を考えた研究員は、拭き取り用の布と水差しを持って中腰になると、気化した劇薬を吸い込んでしまった。

「……う……うう……ふっ……ふへへへへ」

 薬の中毒で強烈な幻覚症状に見舞われ、興奮状態に陥った彼は、鬱積した疲労とストレスによって開放に執着する行動を見せ始める。閉じているモノが我慢ならず、戸棚や机の引き出しなどを片っ端から開いていく。

「ううう……開放だ! 解放なんだ! うう……嫌なんだよっ もう!」


 朦朧とした彼の視界に、調整予定の魔獣を繋いである沢山の檻が映った。

「かい……ほう……」







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