「エルー、先生の所へ戻るならコレ持って行きな」
「ん……」
ひょいと差し出された野菜入りの籠を両手で受け取り、トテトテと歩いて行く緑髪の女の子。子供の頃のスンが帰って来たようだと顔を綻ばせたバハナが、その小さな背中を見送る。
先日、回復特効薬を箱詰めで運んで来た悠介がラサナーシャと共に連れて来た元暗殺児のエルフョナ。解体された特詮隊から保護という形で身柄を確保されていた彼女は、悠介が引き取ってゼシャールドに預けられる事となった。
ゼシャールドの屋敷で過ごすエルフョナは殆ど喜怒哀楽も見せず、非常に大人しい。持ち帰った野菜を洗って棚に仕舞うと、ベルーシャに教わりながら慣れない手つきでお茶を淹れる。
時々ぼしょぼしょと言葉を交わす二人は親子にも姉妹にも見えた。暗殺者同士シンパシーを感じる部分もあるようだ。訓練で培った愛らしい仕草や表情は鳴りを潜め、何処かぎこちない雰囲気のエルフョナだが、その瞳は好奇心に満ちて輝いていた。
ちなみに、エルフョナの服はバハナがスンと自分のお古を繕ってくれた。
広間のソファーに腰掛けて出されたお茶を飲みながら、二人の様子をうむうむと眺めていたゼシャールドは、自室の棚に保管されている回復特効薬について考えながら、先日の出来事を思い出す。
特効薬を用いたゼシャールドの治癒によって、ラサナーシャの身体を蝕む朽病の腫瘍は完全に消えた。不治の病は癒されたのだ。
一生付き合っていく運命と諦めていた朽病との闘病生活から開放されたラサナーシャは、しばし唖然とした後、悠介とゼシャールドの二人に心の底からの感謝を示した。カルツィオから難病の一つが駆逐された瞬間でもあった。
「これで、多くの人が救われる事になると良いのぅ……」
ノスセンテスが独占していた薬の精製法は殆どガゼッタが握ってしまった。幾つか市場に流出したモノが各国の薬師に伝わっているが、回復特効薬の材料となる治癒補助薬の製法は流石に出回らなかったようだ。
「ルード」
「うむ」
「……」
茶菓子を受け取り、三人で静かにお茶を啜りつつ、今頃は断罪広場でラサナーシャに刑が執行されている頃かと思いを馳せる。
「何れはユースケもガゼッタに出向く事になる、か……。 さてはて、上手くやっておると良いがの」
エスヴォブス王の統治下では実に珍しい、唱姫の恥辱刑を見物しようと民衆が集まる中、刑台に立つ悠介の隣でラサナーシャは恥ずかしそうに顔を伏せている。訳あって猿轡は噛ませていない。
「じゃ、始めるか……いいですね?」
「はい……」
係りの衛士達がラサナーシャを刑台に固定していく。唱姫のカリスマか、罪人であるもかかわらずその扱いは丁重だった。枷の状態を確かめ、準備が整った事を執行人の悠介に伝えた彼等が刑台から降りると、罪状が読み上げられて刑の執行が告げられる。
尻を突き出す様な格好で四つん這いに固定されたラサナーシャのスカートが、悠介の手で捲り取られようとした瞬間――
「おいっ なんだよ!」
「見えねーぞっ」
刑台の周囲に光の壁が出現した。壁はドーム上に刑台を包み込むと、小さな光粒が舞い消えて石の壁となった。誰の仕業かは明白だ。断罪広場には戸惑いのざわめきに混じって当然の如く不満の声があがる。しかし、それらの声は直ぐに治まる事になった。
バチーン
ひあぁんっ!
という壁の向こうから響く音と声が、見えない事で余計に妄想を掻きたてる。スラリと立つラサナーシャの美しい姿と、その美しい唱姫が刑台に固定された倒錯的な姿が事前に晒されていたので、彼女の嬌声にも似た切なげな悲鳴に思わず聞き入る見物人たち。
不満の声は次第にというか、一気に治まって行く。
通常、この手の刑では見物人の囃し立てる声や野次でガラの悪いお祭り状態になるのだが、下手に野次ると『静かにしろ!』と周りから睨まれてしまう為、騒ぐ事を目的に集まった若者達も大人しく耳を澄ませている一種異様な状況。 実に変な光景だった。
中には生々しく響く声と音に、壁の厚みはかなり薄いであろう事を推測して穴を空けようと試みる者も居た。禁止しないよう悠介に言われていた衛士達はそれを黙認していたが、ギアホーク砦に立て篭もった時にも使った対神技防御でガチガチに固めてある壁だ。
ブルガーデンの主力精鋭が放つ高威力な風刃でも表面にちょっと傷がつく程度で跳ね返す強固な薄壁は、街の一般民が使う土技程度
ではびくともしない。
ソルザック程の腕なら空けられなくもないが、彼はとても悩んだ末に穴を空けるのは断念した。
結局、刑の執行を視覚的には完全に封じ、声と音だけで『刑が執行された』という事実をもぎ取る悠介。反則というより詐欺みたいなやり方だが、元々唱姫とあまり接点もない民衆にとっては権力者たちが懐く国家の威信などにもあまり感心がない。
殆ど見世物的な催しだったので、刑の執行を終えると同時に壁が取り払われ、拘束の解かれた息も絶え絶えな様子のラサナーシャから放たれるなんとも形容しがたい、ねっとりと絡みつくような『唱姫が濡れ場で纏う色気』という、一般大衆には一生掛かっても拝める機会も無いようなレアな気配を感じられた事で、見物人達は概ね満足していた。
断罪広場から娼館に直行する若者が続出したとか。
本当に尻を叩いたか否かは、二人のみぞ知る。
「流石は唱姫って感じでしたね」
「お恥ずかしいですわ」
断罪広場から引き揚げる馬車の中で、悠介はラサナーシャの本気演技に感嘆していた。喘ぎを演出するような下ネタ的な演技でも、本物には迫力が出るのだなぁと実感させられる。猿轡を噛ませていなかったのは実はこの為だ。
「倒錯しそうでヤバかった」
「あら、私は構いませんでしたのに……」
冗談と分かっていてもゾクリとした感触を伴う唱姫の流し目に、笑って誤魔化すしかない若い邪神はポリポリと頭を掻いた。
刑の執行報告に宮殿へ戻る途中、悠介は自分の屋敷に立ち寄ってスンとラーザッシアを馬車に迎える。スンはヴォレットのお相手、ラーザッシアは悠介の自室で薬品類を選り分ける手伝いだ。
「わ、私も宮殿に行くの? ていうか入れるの?」
「勿論ですよ、ね? ユウスケさん」
「当然」
ラーザッシアが直接フォンクランクに被害を与える活動に従事したのは一応、今回の件が初めてであり、その境遇を考慮すれば特詮隊の命令に従わざるを得なかったという心情も理解出来ると判断された。
それまでの工作活動については、フォンクランク側も隠しておきたい内容が殆どという事情も踏まえて、彼女の処分については今回最もその標的となっていた闇神隊長の裁量に任せられる事になった。
任せるといっても、悠介が放免にすると言えば無罪になる訳ではない。罪に対する罰の一環として悠介に扱いを任される。表面上を繕えばそういった表現になるが、母国を失って身元も身寄りも無くなった元工作員の捕虜に人権など配慮される筈もなく。
要するに、悠介に与えられた奴隷であり、煮るなり食うなり好きにして良いという意味での『裁量に任せる』である。奴隷の証である黒い腕輪を填めて悠介に払い下げられたラーザッシアだが、『悠介の所有物である事』が彼女自身の安全にも繋がっていた。
ラーザッシアの薬の知識は意外に使えるという事が分かっていたので、悠介は屋敷に連れ帰って製薬の助手にする事を表明している。それを持ってフォンクランクに貢献させる、という趣向で、実質放免扱いにしている事の体面を保っているのだ。
「で、本当に尻を叩いたのか?」
「叩いたんですか……?」
「……叩いたの?」
「分かってて聞くなっ」
宮殿の一室に集まった闇神隊とヴォレット達、大使役だった三人にヒヴォディルと一部の衛士達は、今回の騒ぎも一段落したという事で、関係者だけを集めてのささやかな帰還パーティーを催していた。
皆にはルフク産キナ鳥の腿肉が振舞われている。先日、悠介がラサナーシャの治癒とエルフョナを預けに行った時に、バハナから貰って来た上質の腿肉である。調理前にしっかり叩いて解されているので、柔らかくてとても美味しいと評判だ。
銘々が料理に舌鼓を打ったり実酒に酔いしれたりしながら雑談に興じている中、難しい顔をしたクレイヴォルが悠介に声を掛けた。
「回復特効薬は、やはり治癒補助薬が無ければ作る事は出来ないのか?」
「流石にね、補助薬は何か別格って感じだったから、他の薬じゃ代用は難しいんじゃないかな」
カスタマイズ画面で治癒補助薬のステータスを確かめた時に見たレア度は、シンハの持つ白金の大剣や偽神器製作に使った重金属並に高かった。ちなみに、フョンケを実験に使った回復薬は水技で解析されて効果の近いモノが量産される事になっている。
「さらに効果を落としたモノを一般市場で売り出す予定になっているが、紛い物が出回らないかが問題だ」
「あ~、モノがモノだけになぁ」
水技の治癒に近い効果を得られる回復薬は衛士隊にも常備される事になっており、市場に売り出す薬は魔獣退治などを生業にしている冒険者達に売れるだろうと、それなりの収益を見込まれている。
特に、水技の民が不足しているブルガーデンとの交易は盛んになりそうだと予想される。
「だが、回復薬のような道具を最も重宝にしそうなのは……」
「……ガゼッタ、シンハ達か」
ノスセンテスが有していた貴重な薬品精製技術は現在ガゼッタが握っており、治癒補助薬の精製法もその中にある。
「当然、取り引きに使ってくるだろう」
「だろうね」
肉体派な戦士系であるガゼッタ軍にとって、回復薬は是非とも大量に手に入れたい道具だろうなと、悠介は頷いた。
「こりゃっ お前たち、祝いの席でなーにを難しい顔して話し合っておるのじゃ!」
「ユースケー、これ甘くして?」
「籠ごと持ってくんなっ 一個づつにしろ」
「姫様、はしたないので両手に腿肉を振り翳すのはお止めなさい」
真剣な表情で話し込んでいた悠介とクレイヴォルを襲撃するヴォレットとラーザッシア。何故か二人とも意気投合したらしい。
悠介の屋敷に連れて来られた時はまだ、塞ぎ込み気味で『安心させておいて絶望に叩き落とされるのでは?』と警戒感も露わにしていたラーザッシアだったが、高民区の屋敷に無技人のスンが住人として普通に暮らしている様子を見てまず目を丸くした。
夜伽の強要もされず、自分の部屋まで与えられ、スンと話をして悠介の在り方を再認識したラーザッシアは『彼を信じよう』と決心した。それからは、本来の姿であろう活発で明るい娘の素顔を見せるようになっている。
ちょっと甘えんぼうな所は悠介も意外に感じていたりする。
「ねえ、ラサはこれからどうするの?」
近いテーブルで男性陣に囲まれていたラサナーシャに、ラーザッシアが声を掛ける。罰を受けた事により、『唱姫』としての仕事はもう続けられなくとも、街唱としてなら超高級唱謡いとして需要は十二分にある。
が、もし廃業するなら言い寄るチャンスとばかりに耳を欹てている緑髪の遊び人風衛士や、古風な装いをした黄髪の紳士が見守る中、ラサナーシャは少し照れるような仕草を見せながら自らの行きついた結論を語った。
病気を完治させ、人生最大の危機を救われたラサナーシャは、悠介に忠誠を誓う。
「私、ユースケさんに唱を捧げたいと思います」
「ん?」
呼んだ? と隣のテーブルから振り返る悠介。数瞬の後――
「えええええええーー!」
という合唱が、闇神隊と大使一行帰還祝いのパーティー会場に響いた。
「なんだ、なんだ?」
他の皆は驚きの声をあげるも、ラサナーシャの言った言葉の意味が分からない悠介は一人、何事かとキョロキョロしている。
唱謡いが『唱を捧げる』というのは、その相手に自分の全てを預けるという意味があり、今回の場合、ラサナーシャは自ら悠介の妾になると宣言したようなものだった。悠介がそれを受け入れるか否かは別にして、だが。
「こ、こやつ……唱姫を落としおった」
「自覚ねぇ誑しスゲェー」
フョンケに本気で尊敬されてしまう悠介だった。
「ユウスケさん、ちょっとお話があります」
「え? え?」
その後、悠介は会場で一番大人しい少女にズルズルと何処かへ引っ張っていかれたそうな。
ちょっと強引になりましたが、これでこの章は終わりです。
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