『ネリ! ネリ!』
工事を急ぐあまり、しっかり補強されていなかった土台が雨で崩れ、建設中の長城部分が一部崩落。上道を歩いていた一般民数人がこの事故に巻き込まれた。
――プラウ! そこにいるの?
『おねえちゃんっ ネリが! ネリが!』
現場には工事の作業員もいた為、怪我人や崩れた防壁の下敷きになった人達は直ぐに救出された。幸いにも死者は出なかった。
――こりゃあ駄目だな、熟練した水技でもなけりゃ無理だろう
『どうしてネリをたすけてくれないの? はやく、スイギのお医者さんを呼んで!』
――無技の治癒なんかに呼び付けたら、へそ曲げられちまうよ
『ネリは家族だもん! 家族でともだちだもん!』
――プラウ……仕方ないのよ、ネリは無技なんだから
――早く楽にしてやった方がいいぞ
――嬢ちゃんには可哀相だけど、無技だからしょうがないね
――プラウ、いい子だから、ネリとはここでお別れしましょう、ね?
『ネリ……』
雨が降りしきる崩れた防壁の傍で、自分を庇って下敷きになった飼い無技、物心が付く頃から一緒に過ごしてきたネリの赤い血が、その命と共に流れ出ていく様を、幼い彼女はどうする事も出来ずに、ただ泣きながら見つめていた。
「……ん」
要塞内部にある部屋でも、雨の強い日には石畳を叩く雨音が微かに響く。気だるい寝起きに、何か哀しい夢を見ていたような思いを懐きながら、無意識的にそれを考えないようにしつつ、プラウシャは一つ伸びをしてベッドから起き出した。
「今日も指導官の所へ行かなきゃ……」
身嗜みを整え、パンと干し実を一切れ口にして水の団団員の制服に着替えると、彼女は兵舎区画の自室を後にした。
フォンクランクとブルガーデンの国境付近にディアノース砦が出現してから四日目、先日から降り続く雨はカルツィオの乾燥した大地を潤し、水不足気味だったパウラにも恩恵を与えていた。
三日間降り続ける雨の中、今日も今日とて岩場の影から砦の監視任務を続ける風技隊の視線の先で、どっしりとした佇まいを見せるディアノース砦では非番の衛士達が遊戯場に集まり、悠介が暇つぶしに作った遊び道具でゲームに興じていた。
回転盤の外側に赤、青、黄、緑、黒、白のマスがあって、その周囲の溝に玉を走らせ、玉の勢いが落ちると何れかのマスに転がり落ちる。マスの中には倍率の数字が書かれており、予想した色に札を賭けて遊ぶ賭博円盤。その名も『カルツィオ・ルーレット』
「よっしゃ! 赤二倍来た!」
「あ~~~~っ あと一つとなりに入ってればーー!」
これまでの賭博札遊びと違ってギャンブル性が高く、視覚的にも楽しめる事で娯楽に飢える衛士達には大人気となっていた。
「パチンコとか作ったらみんな無茶苦茶ハマりそうだな……構造が分からんから作れないけど」
「隊長、いいんですか? こんな……」
堂々と賭博遊びを許して良いのかと眉を顰めるエイシャに、悠介は『行き過ぎなければ大丈夫だろう』と、適度な息抜きの必要性を説いた。ちなみにこの砦内では、宮殿衛士隊の隊長である悠介が一番エライ人で、二番目が衛士団指揮官のヒヴォディルである。
その二番目にエライ人はルーレット台の前で、全部スってしまった賭博札を部下に奢って貰うというお約束な事をやっていた。
「よぉし! 次で勝負だ、一気に取り返してやろう」
「指揮官殿、それ三回目ですよ?」
ディアノース砦は概ねこんな感じであった。
パウラの長城部分に並ぶ空き部屋を適当に改装して整えた『水鏡本部』その一室にて、ゼシャールドは今日も組織の活動に勤しんでいた。活動内容は女王の統治するコフタの制度を少しずつパウラにも適応して行くという内容。
それは地味ながらもパウラの日常にある常識を覆すような内容であった。目に見えてその変化を確認出来る事柄に、無技人の扱いなどがある。パウラの路地などに屯する野良無技や、既に飼われている無技達にも奴隷の腕輪を付けて女王の所有物とするのだ。
女王の所有物となった無技人にはきちんと衣服を着せて食事も与えなくてはならない。無闇に暴力を振るってはいけない。
性処理に使う場合、本人の承諾が無くてはいけない。その際はきちんと水技による健康診断を受けさせなくてはならない等々、彼等を人として扱う事に重点を置いている。
初めの内は双方に戸惑いが見られたが、コフタから越して来た年配者などには、割とすんなり受け入れられていた。
「そろそろ昼になるのう、プラウシャ君も食事にせんかね?」
「あ、はい」
水鏡本部の中ではゼシャールドの周囲に護衛役の神民兵が交代で付いており、暗殺を警戒してゼシャールドに近寄る者には常に監視の目が向けられている。そんな中で、プラウシャは比較的近い場所にいられる特殊な立場にあった。
プラウシャが水の団暫定団員に取り立てられたのは、戦力再編で有能な人材の確保や神民兵からの引き抜きが盛んな頃だったので、偶々彼女の取り立て確保と水鏡設立宣言の時期が重なったものと認識されている。
元々ゼシャールドの教え子として水の団に入団希望だった事もあり、彼女が精鋭団の暫定団員となってもゼシャールドの傍にいる事に違和感や不自然を訴える者も無く、イザップナー陣営が差し向けた密偵の類を疑う者はいなかった。
本部内の簡素な長テーブルで食事を摂りながら、プラウシャは何か情報を聞き出さなくてはと気持ちを焦らせる。ここ数日、ゼシャールドの近くにいられるにもかかわらず、他愛無い話をする事しか出来ずにいたのだ。
組織の活動が忙しいので神技指導をお願いする訳にも行かず、その組織の事をあれこれ訊ねるのも不自然に思われるかもしれない。というような調子で、今日も内心の焦りとは裏腹に明日の天気など話題にしてみたりと、ほのぼのした時間が過ぎていく。
『ああー……やっぱり私、向いてないのかも』
「どうしたね?」
はふぅ、と溜め息を吐くプラウシャに、ゼシャールドは何か悩み事かと問い掛ける。
「い、いえその……そういえば国境に砦が出来たそうですね」
「うむ、ディアノース砦の事じゃな。 心配せずとも向こうから仕掛けて来ることは無いと思うぞい?」
「そう、なんですか? あ……でも、その砦には闇神隊の衛士がいるって聞きましたけど……」
「なぁに、あやつも争いは好まん者じゃからして、何も起きなければ動く事もあるまいて。皆、大人しくしておれば良い」
そう言って山菜の御浸しをポリポリ齧るゼシャールド。ギアホークの英雄について僅かながらも言及された事で、プラウシャは複雑な気持ちを抱えて思考の海に埋没する。その為、ゼシャールドの言葉の不自然さに気付く事は無かった。
ゼシャールドの近くに付いている水鏡の構成員はプラウシャに疑いの目を向けておらず、また、精鋭団の暫定団員に抜擢されたとはいえ、彼女はまだまだ未熟な少女であり。強化系水技の使い手であるプラウシャには武力的な脅威も無いと見られている。
しかし、暗躍するレイフョルドを情報源として持っているゼシャールドは、プラウシャがイザップナー陣営から諜報の依頼を受けている事を見抜いていた。先程の台詞の中には『事を起こせば闇神隊が動くぞ』というメッセージを含ませてあるのだ。
『とはいえ、イザップナーも大人しく指導者の座を手放すつもりは無いじゃろうのぉ』
本部内には今日も、女王直属の側近となった元神技指導官とその教え子が、仲良く並んで食事を摂る光景、祖父と孫のような二人の仲睦まじい姿が垣間見られた。その実、水面下では権威の象徴と権力者による静かな攻防が繰り広げられているのであった。
「大分雨も落ち着いたみたいだな」
「あ、ユースケ隊長殿」
三日間激しく降り続いた雨もようやく小降りになり、灰色に覆われていた空は霧のような白い雲が散り始めている。砦の屋上通路部分から周囲を監視している衛士に声を掛けつつ、悠介は箱状の物体をどっこらしょと石壁の縁に置いた。
「それは?」
「見張り用の望遠鏡」
サクサクとカスタマイズで架台を屋上通路の床と結合すると、作った望遠鏡を設置する。ケプラー式の望遠鏡で、倍率は約三十倍程は期待できると踏んでいた。ピントを調節しつつ架台の安定具合を確かめながら、水溜りの広がる砦周辺を観察する。
「んっ?」
「どうしました?」
「……覗いてみ」
悠介は望遠鏡の角度と方向を固定して衛士に接眼部を譲ると、先程見えた岩が並んでいる方角に向かって手を振った。
「……隊長、ギアホークの英雄が何か手を振ってますけど……っ! こ、こっち指差してますけどっ」
「まさか、気付かれたのか……? 拙いっ 移動するぞ!」
岩場の影に隠れていた風技隊の監視組は慌てて場所の移動を始めた。雨でぬかるんだ地面を這うようにして泥だらけになりながら、風技の索敵が近くに迫っていないか警戒する。
「しかし……なんで俺達の潜んでいる場所が分かったんだ?」
「向こうも何か覗き込んでましたから、偶々望遠鏡で覗いてて見つけたとかじゃないですかね」
「そんなわけあるかっ どれだけ距離があると思っている」
偶々で見つけられて堪るかとぼやく風技隊の隊長は、実は当たっている部下の適当な推測にツッコミながら、別の岩場に身を隠した。ちなみに彼等の使っている望遠鏡は任務に携帯出来る大きさの物で約四倍から六倍の倍率を持つ。
「あれはブルガーデン神民兵の風技隊ですね。 あ、どうやらあそこの岩陰に隠れたようです」
「他にもこっちを監視してる連中がいないか、適当に探しといてくれ」
「ハッ 了解しました。 それにしても……凄い性能ですね、この望遠鏡は」
砦の上から風技隊の動きを難なく追っていた衛士は、悠介が設置した望遠鏡の性能に驚いていた。衛士隊にも指揮官が使う偵察用のモノがあるが、この距離から人相まで判別できる程の望遠鏡は初めて見たという。
「なら、あと五~六台作っとくかな」
望遠鏡の出来に満足した悠介は、そう言って屋上通路を後にした。
一階に降りて来た悠介は出入り口付近に見知った後ろ姿を見つけたので、近付いて声を掛けた。
「イフョカ」
「ひゃいっ!」
文字通り飛び上がって驚くイフョカに、悠介も驚いた。
「そ、そこまで驚かなくても」
「え、あ、た、隊長……す、すみません」
どうも例の『視線』の気配を探して広範囲索敵に集中していたらしく、適度に緊張している所へ急に声を掛けられたのでかなり驚いたのだそうだ。まだドキドキしているらしい胸元に手をあてながら軽く赤面する姿に、中々可愛いな等と感想を持つ悠介。
今日までにイフョカよりも神技力の高い伝達系衛士数人が索敵を試みてみたが、イフョカが言うような気配は感じられないという結果が出ていた。それでも単なる気のせいで流すには引っ掛かりを感じるという事で、彼女にはその気配の調査を任せている。
「まだ感じてるのか?」
「はい、昨日の……雨足が強まった時は、かなり強く近くに感じましたが……」
今はまた、遠くにぼんやり感じるような感覚だと小雨の降る大地に遠い視線を向ける。近くに感じた気配は複数だったという。
「ふーむ、風技の索敵って何をどんな風に感じるモノなんだ?」
「えーと……」
基本、風技による索敵は神技の波動を感じ取れる範囲を、風によって拡げているモノらしい。通常、神技人は一般民でも普通に神技の波動を感じ取る事が出来る。これは視覚や聴覚ほど明確で直接的ではないものの、感じようと思えば感じられるレベルのモノだ。
風技の索敵はそこに自身の神技で起こす風の流れを使い、空気の微妙な震えを神技の感覚に感じ取る事で情報を識別する。同じ風技の索敵を使う者や、神技の波動に敏感な者なら、索敵の風を察知する事も出来るのだそうだ。
レーダーのようなモノかとイメージを膨らませていた悠介は、ふと、索敵に掛かり難い存在として神技の波動を持たない無技の民のことが心に浮かび、シンハの事を思い出した。何時だったか、クレイヴォルも『無技人は見つけ難い』と言っていた。
「なあ、イフョカは無技人の波動っていうか気配とかは感じ取れるのか?」
「無技人は、神技の波動が無いので――ああ! そっかっ これ……みんなの気配だったんだぁ」
唐突に何かに気付いたらしく、合点がいったように両手を合わせて声を上げる。珍しく人前で素を出したイフョカだったが、直ぐに自分の言動に気付いて恥ずかしそうに顔を伏せた。悠介はそんな彼女に、何か分かったのかと問い質した。 笑いを堪えながら。
「うう……えっと、わたしは……無技の中で育ったので……」
無技人の間で育てられたイフョカは、彼等が纏う独特の微かな波動に馴染んでおり、普段からそれを感じ取っていた。街や無技人街にいる時は当たり前に感じていた気配の様な波動だったので、こんな場所で感じるとは思わず、気が付かなかったらしい。
「じゃあ近くに無技人が複数いるってことか」
「そう……なります、ね?」
それも、砦に近付いたり離れたりしている。
「牧場からは遠いし方向も違う、いったいなんだろう?」
「うーん……」
イフョカがずっと感じていた視線のような気配が複数人の無技人だったとして、こんな街からも遠くてブルガーデンとの国境に近く、無技人にとっては色んな意味で危険地帯に何故? と二人して首を傾げあう。
「一応、警戒はしておいてくれ」
「はい」
悠介は謎の気配に対して、今のところ味方の中では唯一それを探る事の出来るイフョカに、今後の警戒を任せた。
夜――
星を隠し空を覆う薄雲の向こうにボンヤリと浮かぶ月灯りで、辛うじて闇夜を免れているカルツィオの大地。夕方まで降り続いていた雨によってあちらこちらに広がった沢山の水溜りが、揺れる月明かりを映している。
パウラの中枢施設、議会堂の執務室では、イザップナー最高指導官と腹心のヴォーメストが、女王直属組織『水鏡』への対策を話し合っていた。プラウシャの報告に混じっていたゼシャールドからのメッセージについて議論する。
「奴め、牽制してきやがったぞ」
「ですが、これで彼女を我々側の密偵として見ている事が分かりました」
餌がしっかり役割を果たしていると、ヴォーメストは良い傾向である事を仄めかす。
「しかし闇神隊か……砦の報告、風技隊の情報は信頼できるのか?」
「風の団で調査済みです、確かに砦が建っていたそうです」
女王派の多い神民兵組織所属である風技隊の情報、それもかなり突飛な内容に懐疑的なイザップナーだったが、砦の存在は紛れも無く事実であると告げられて眉を顰めた。自軍の主力を壊滅させたギアホークの英雄が、国境から睨んでいるというのだ。
「……意識が餌に向いている隙に、ベルーシャを使うか」
イザップナーは今、事を起こした場合を想定して各勢力の戦力分析に入る。報告書を照らし合わせながら戦略のシミュレーションを行うのだ。フォンクランク側の戦力は、砦から出て来られる実動部隊を五十前後と見積もる。
闇神隊の戦力は未知数だが数の上だけなら報告にある約二十、それに炎神隊が率いる衛士団、凡そ三十と合わせた数字だ。
「今は雨で地面がぬかるんでいる、馬車も走り辛いだろうし、野外戦では炎技や風技の威力も落ちるだろう」
つまりは、この要塞に立て篭もってしまえば、ギアホークの英雄がいかな神技を振おうと然したる脅威にならない。イザップナーはそう判断した。地面が多く水を吸っている現状は自然の防壁となっている、と。
水鏡の状況は、女王への忠誠が高い者を神民兵から選んではコフタに送っているようだ。女王に直接戦力を持たせるつもりなのだろう。今パウラに残っているのはコフタ行きを拒否した者と選定中の者、中にはこちらの息が掛かっている者も混じっている。
「事が起きれば寝返る可能性もあるな」
「頭であるゼシャールドを討ち取れば、烏合の衆です」
「ふむ、やるなら今がチャンスか」
「出来れば、神器の回収も内密に行うのが良いかと」
先ずは内乱状態を演出し、混乱に乗じてゼシャールドを討つ。失敗しても、そのまま組織のアジトを制圧してしまえば良い。パウラ内部での戦力差ははっきりしているのだ、旗振り役がいなければ組織的な抵抗も続かず、直ぐに壊滅するだろう事は予測できる。
「直ぐに使える各精鋭団を招集しろ、制圧作戦に入りそうなら訓練施設から候補生を使って構わん」
「では、直ちに」
ザッルナーの火月の八日目、まだ太陽が顔を出さない未明の刻。ブルガーデンの要塞都市パウラにて、内乱が勃発した。
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