獣族の邪神セラカニ 其の一
世界と世界の狭間にある世界。宇宙のように広大な空間に浮かぶ浮遊大陸。それら大陸のひとつひとつに、その地を司る神たる精霊が存在する。
狭間世界の大地に生まれた人々は、その地の精霊の加護の下、文明を築き、繁栄と衰退を繰り返す悠久の営みを続けていた。
そんな浮遊大陸のひとつ、カルツィオの大地に、一人の若者の魂が異世界より召喚された。
世界に循環をもたらすその存在は、精霊から特殊な力を授けられた『邪神』として光臨する。凡そ三百年周期で精霊に喚ばれし改革の使者。
カルツィオには、古来より繰り返されて来たこのシステムに精通し、邪神の扱いに熟知した指導者を持つ国があった。
この時代、カルツィオを支配しているのは、『神技』と言う特殊な能力を宿す神技人達である。世界を創りし四柱の神に祝福され、それぞれの神を象徴する力を与えられた神民とされる神技人。
彼等が崇拝する『四大神信仰』の発祥の地と言われるのが、『大国ノスセンテス』であった。
ノスセンテスの首都である『古都パトルティアノースト』は、古の巨大王宮を要塞化した街とも言われている。
この国の指導者達は、代々伝承されて来た『邪神の役割と扱い方』に基づき、その時代に光臨した邪神が意思疎通の可能な知的生命体であった場合は、その身柄を確保し、邪神が宿す奇跡の力を国家の繁栄と安泰の為に利用していた。
この度光臨した『邪神・セラカニ』も、そうしたプロセスの下、光臨して早々にノスセンテスの使者によって『保護』され、パトルティアノーストに生活の場を与えられた若者であった。
現在セラカニは、この古都の中枢施設改修と、各区画の通路整備の仕事を任せられていた。
等民制という、神技人社会の身分制度に基づき、五つの区画に分割されているパトルティアノーストは、元々は一個の巨大な建物だった。
歴史ある建造物だけに、内部に張り巡らされた通路は新旧入り混じって、迷宮のように入り組んだ造りになっている。
造られてから数千年以上が経つと言われる建物だけに老朽化も問題になっており、特殊な生産系の能力を持つセラカニには、古都全体の補修や補強も期待されていた。
「いよう、セラカニ。作業は進んでるかい?」
東の外壁通路を歩いていたセラカニは、巡回中の若い兵士達に声を掛けられて足を止める。
「ああ、内部の問題個所は殆ど把握したから、街の改修はもうすぐ終わるよ」
セラカニは、今は中枢塔の改修作業に着手しているという。この国の指導者達が詰める中枢塔は、下っ端の兵士達は一生足を踏み入れる事すらない、雲の上の存在だ。
「跳ね橋の巻き上げ装置を設置したら、次は井戸の水を自動で汲み上げられる装置を作る予定さ」
「ほほぅ、例の水道ってやつか。しかし中枢塔に出入り出来るなんて、すげえ栄誉だよな」
「流石は獣人様ってとこか」
兵士達はそう言って感心する。『獣人』と呼ばれたセラカニ、彼は全身を青味掛かった灰色の体毛に覆われ、狼のような頭部を持つ、獣型の人間だった。
「城塞門の開閉装置といい、獣人の仕掛け神技は便利で面白いな」
パトルティアノーストの出入り口を護る巨大な城塞門は、朝と夕方に行われる開閉に十人程の労力が必要だったのだが、セラカニが改良を施したおかげで今は門番の兵士一人で行えるようになった。
何せレバーを引くだけで、セラカニの作った仕掛けによって巨大な門の開け閉めが出来るのだ。
「神技とは違うんだけどなぁ……ところで、何だか騒がしいみたいだけど」
「ああ、また白の盗賊が出たらしい」
「白の盗賊……ガゼッタって国から来てるというあの?」
「そうだ。このところやけに多くなってるみたいでなー」
ノスセンテスと国境を接する山岳地帯には、ガゼッタと呼ばれる下民の国がある。
カルツィオには神技人の他に、四大神の祝福を受けられず、神技の力を持たない『無技の民』が存在していた。そんな無技人達が住む不毛の地とされているのがガゼッタであった。
かの国のどこかには無技の民を治める無技の王が居て、神技人国家の中心たるノスセンテスへの侵攻を企んでいるのだとか。
「この街は抜け穴も多いから、しょっちゅうどっかから入り込まれるんだよ」
「うーん、それじゃあ表の立派な門とか意味無いような……」
「いやいや、軍勢が攻め込んで来られないようにする意味でも城塞門は必要さ」
白の盗賊は毎回単身でパトルティアノーストに忍び込んでは、金目の物を盗んで逃げて行くらしい。捕まえても捕まえても次の盗賊がやって来るので、キリが無いそうだ。
「そう言えば、見せしめの処刑とか聞かないね」
「昔はやってたらしいけどな、何か問題が起きて止めたらしいぜ」
抑止効果も無く、娯楽にもならないという理由により、白の盗賊は捕らえても秘密裏に処理されると言われている。
「お前さん、よく一人で人気のない場所とか歩き回ってるんだから、出くわさないように気を付けなよ?」
「ははは、忠告ありがとう。気を付けるようにするよ」
巡回の兵士達と別れたセラカニは、伝令用の通路整備を進めるべく、外壁通路の地下部分へと下りて行った。
「さて、ここにも明かりを置こうかな」
外壁通路の地下部分は、一時期水没していた事もあり、長い間放置されたままになっていた。壁に設置されていた照明用の金具は、殆どが朽ちている。
通路の途中にある幾つかの小部屋も、干からびた水草の塊が山盛りになっていたり、壁や床一面に苔が生していたりと酷い荒れようだった。
まずは人が出入り可能な環境を整えねばと、セラカニは照明器具を創り出すべく集中する。
イマジナリー・クラフト
彼がこの世界に喚ばれる際、この世界の神たる存在から与えられた邪神の力。
心に思い描いた物を具現化するという能力で、例えば照明器具を創る場合、明かりの灯るランプを思い描き、その形やデザインを決定する。
すると、その造形が半透明で任意の空間に現れる。この時点ではまだ、セラカニにしか見えない。物体を構成する為の素材が近くに揃う事で、半透明の造形は徐々に明瞭となり、やがて素材を消費して現実世界に現れる。
何かの装置や機械類を具現化する場合、それがどのような働きをする物なのかというイメージを具体的に思い描くだけでよく、その装置や機械の内部構造や仕組みについての知識は不要。
つまり『思い描いた機能を有する物体』を出現させる創造生産系能力だ。その物体の具現に必要な素材さえあれば、何でも具現化されるという仕様。
当然ながら、あまりにも非現実的な機能を有する物体は、その機能を実現させる為の素材がまず揃わないので、いつまで経っても具現化出来ない事になる。
具現化した物体の設置もイメージによって任意の場所に出現させられるが、その場所に何か別の物があって、イマジナリー・クラフトの造形と重なっている場合は具現化設置は出来ない。
壁に大きな機械を埋め込みたい時などは、予め工事でもして置き場所の確保が必要だ。
暗い地下通路に明かりが灯る。創り出した複数の照明器具を床に並べて、足元の視界を確保したセラカニは、とりあえず手前の小部屋の片付けから始める事にした。ここに通路整備用の素材を運び込んでおけば、後の作業が楽になる。
「うん?」
湿気った空気を入れ替えるべく換気装置を創ろうとしたセラカニは、腐った水草とカビの臭いが充満する小部屋の中で、僅かに人のニオイが交じっているのを感じ取った。
こんな場所に誰か来ているのだろうかと、照明器具の一つを拾って小部屋の中を照らす。小部屋の床は濁った水たまりに苔、黒く酸化した木片が散乱している。
「うーん……腐敗臭では無いようだけど」
人のニオイは、部屋の隅の方で山盛りになっている干からびた茶色い水草の辺りから漂って来る。まさか死体でも紛れているのだろうかと、セラカニは水草の山に近づいた。
次の瞬間、水草の山から何かが飛び出して来た。
「うわああ!」
思わず後退ろうとしたセラカニの脚をつかんだソレは、セラカニの片脚を取ったまま軸足を蹴り払って彼を押し倒す。同時に、首元に短剣を突き付けた。
「動くな、騒ぐな、そのままじっとしていろ」
仰向けに倒れたセラカニの手にはまだ照明器具が握られており、彼の胸上に圧し掛かっている水草の怪物を照らし出す。
「っ……!」
紫掛かった髪に緋色の瞳。干からびた水草を何枚か頭から垂らしている、十歳位の半裸の少女。こんな場所に子供が居るとは思わなかったセラカニは、思わず跳ね起きる。
「子供!?」
「うわっ、急に起きるな!」
セラカニの胸に跨る恰好で短剣を突き付けていた少女は、身体を起こされた拍子にバランスを崩して転がり落ちた。
「あ、大丈夫か? 君、こんなところで何を――」
助け起こそうと手を伸ばし掛けた所で、短剣を向けられて動きを止める。よく見ると、その半裸の少女の服は引き裂かれたように破れており、身体には無数の痣や擦り傷があった。
もしやここで暴漢に乱暴されたのかと思ったセラカニは、努めて優しく、安心させるように話し掛ける。
「大丈夫だよ、ここには僕しかいない。傷の手当てをしよう、何処か痛いところはあるかい?」
「うん? お前、何か勘違いをしているな? ……それに、この波動は」
短剣を向けながら訝しむような眼で睨んでいた少女は、何かに気付くような表情を浮かべると、一言告げた。
「お前、邪神か」
「え……」
セラカニが邪神である事を知っているのは、このノスセンテスはパトルティアノーストの中でも、神議会という意思決定機関に君臨する四人の最高権力者、各神民議長とその周辺幹部達だけである。
神民議長達から『邪神である事を知られてはいけない』と言われているセラカニが動揺しているのを他所に、少女は一人得心したように呟く。
「そう言えば、ちょっと前に予兆があったな。こっちの活動が忙しくて忘れてたわ」
「ええっと……一体何の話かな? 君はその……ええと」
何と言って誤魔化すか、あるいは何故『邪神』の事を知っているのか問うべきか、そもそも君は何者なのか、どの話題を優先すべきか迷うセラカニに、少女は短剣を下ろして自ら名乗った。
「わたしはアユウカス。ガゼッタの者だ」
「ガゼッタ? って、確か白の盗賊の――」
最近よく侵入されていると巡回の兵士達が言っていたが、この子が白の盗賊なのだろうか? とアユウカスを見やる。
(いくらなんでも幼過ぎるだろう……まさか子連れで盗賊をやってるとか?)
ついさっき、上の外壁通路で白の盗賊が出たと騒いでいた事を鑑みるに、この子は仲間とはぐれてここに潜んでいたのだろうかと考える。
「あ、そう言えば……君はどうして邪神の事を知ってるんだい?」
「わたしは邪神とは少々深い縁があってな。それにしても良く出来ているな」
アユウカスはそう言ってセラカニの顔に触れると、その毛を引っ張った。
「お前の本当の顔を見せてくれ。人間なのだろう?」
「いや、これが僕の顔なんだが……って、何だいその顔は」
獣頭のマスクを剥がそうとしていたアユウカスは、掴んだ感触とセラカニの言葉に目を丸くする。
「これ、被り物じゃなかったのか!?」
「ふひをひっはるほはやへへふれはいひゃ?(口を引っ張るのはやめてくれないか?)」
ビローンとセラカニの下あごの皮を引っ張るアユウカス。その時、小部屋の外からガチャガチャと甲冑を鳴らして通路を走る足音が響いた。
巡回の兵士だろうかとセラカニが出入り口を振り返ると、アユウカスが溜め息交じりに一言零す。
「ち、今回はここまでか」
次の瞬間、出入り口に槍とボウガンで武装した騎士が現れた。普段巡回している一般的な兵士ではなく、中枢塔などの重要施設周辺を警備する神仰騎士団だ。
小部屋に踏み込んで来た彼等は、セラカニが何かを言う前にボウガンを射ち放った。
「うぐっ」
「な……っ!?」
複数のボルトが、アユウカスの小さな身体に次々と突き刺さる。驚いたセラカニが彼等を止めようとする間もなく、槍を持った騎士達がアユウカスを串刺しにした。
「何をするんだ! こんな子供に……っ!」
騎士団のあまりに残虐な行為に思わず抗議するセラカニだったが、彼等は踏み込んで来た時と同じく、速やかに退室して行く。複数のボルトが突き刺さり、串刺しにされて血塗れとなった少女を引きずりながら。
「おい、待て!」
「我々の任務に干渉は不要です。貴殿は己の役割を果たされよ」
掴み掛かろうとするセラカニの腕を払った隊長らしき騎士は、短くそう言い放つと、部隊と共に立ち去った。
静寂の戻った小部屋には、濁った水たまりと生した苔の上に、夥しい量の血痕と引きずられた跡、それにアユウカスが握っていた短剣だけが残されていた。
「……」
地下通路でそんな出来事があってから数日後。
「そうか……まあ、神仰騎士団って言やあ神議会直属の特殊部隊だからなぁ」
顔見知りの巡回の兵士に、先日の出来事について相談するセラカニは、邪神云々の部分はぼかしつつ、あの年端もいかぬ少女を問答無用で惨殺した神仰騎士達が信じられないと心情を吐露する。
「ああいうエリート層にはさ、俺達の感覚じゃ考えもつかないような、責任感みたいなのがあるんじゃねーのかなー」
任務遂行の為なら私情は勿論、一切の倫理、道徳的観念も捨て去り、ひたすら命令を実践する。そういう忠実な実行部隊が存在してこそ成り立つ秩序。それによって維持される民の平穏な生活。
「まあ、騎士団を一言擁護するなら、罪人に大人も子供もねぇってとこかなぁー」
「それは理解は出来るが……」
「ははっ、感情では納得しかねるって気持ちも分かるよ。お互い、そこまで非情になりきれねえもんな」
セラカニの気持ちに理解を示す顔見知りの兵士は「お前さんがそんなに気に病む事は無いさ」と言って巡回に戻って行った。
兵士の気遣いに内心で感謝しつつ、一つ溜め息を吐いて気を取り直したセラカニは、伝令用通路の整備作業を進めに建物内の連絡通路に向かう。
そうして街の中心部から遠く、寂れた通路を一人歩いていたセラカニは、不意に人間よりも鋭いその嗅覚に覚えのあるニオイを感じた。
(……っ! このニオイは!)
周囲を見渡し、自分以外の人影が無い事を確認したセラカニは、寂れた通路沿いに並ぶ空き部屋の一つに飛び込んだ。
傾いた古い家具や色褪せたカーテンが壁際に散乱し、朽ちた天蓋付きベッドが部屋の中央に鎮座している。そのベッドに腰かけ、足をぶらぶらさせていた人物が、セラカニに声を掛けた。
「おう、また会ったな。獣頭の邪神よ」
「アユウカス……」
空き部屋に潜み、厨房からくすねて来たらしいパンを齧っていたのは、先日騎士達に惨殺された筈の、白の盗賊の少女、アユウカスだった。
――これが、獣族の邪神・セラカニと、後にガゼッタの里巫女と呼ばれる白の盗賊・アユウカスとの出会いであった。