42.待ち
【待ち】
それから、四六時中桜子のことが頭から離れなくなった浩司。
もともと根が真面目で、思い込むと一途になってしまう性格だから、そんな兄の様子は、真由から見ても目障りなほど鬱陶しい。
「ねーえー、最近のお兄ちゃんってヤバくない!?」
浩司は返事もせず、茶碗をテーブルに下ろしたまま溜め息をつくばかり。その耳元に息を吹きかける真由。
「……好きな人が出来たんでしょ」
浩司は身震いして、喉を詰まらせた。
「ブァッ、バカ言うなよ! だ、だれがっ!」
「へーんだ。わっかりやすーい!」
ケタケタと笑い出す真由とぶすっとした浩司を、母はジロリと睨む。
「さっさと食べちゃってよ! 香典返しやら何やら、することが山なんだからっ! 真由っ、手伝いなさいっ!」
後片付けを言い付けられた真由の頬が、プーッと膨らんだ。
「なぁ、真由……」
「なによ! お兄ちゃんのせいで――!」
「女ってさ……たとえばだよ、たとえば……」
付き合っていた恋人が突然亡くなった時、次の出逢いを考えるまでにどのくらいの期間の空白が必要なものか、と漠然と聞いた。
「なにそれ。まさか、お兄ちゃんが好きな人って、彼氏が死んじゃったばっかりの人ってことなの?」
「だから、たとえばの話だよ」
うろたえる兄に、向き直った妹。
「そうねぇ。そんな経験ないから、想像だけど」
フームと腕組みをして答える。
「次のカレ氏の壁って厚いでしょうねー。飽きたり、嫌いになったりして別れるのとは全然違うじゃん。あたしだったら、『このまま一生ひとり』とかマジ鬱になっちゃうだろうし、ヘタするとヤバいかも……」
「縁起でもないこと言うなよっ!」
浩司は本気で声を荒げた。
「へーっ、マジ惚れなんだぁ、お兄ちゃん。どこのどんな人なのよ、教えて」
「う・る・さ・い。お前なんかに言いません」
「あぁ、そう。何さ、人が真剣に相談に乗ってやれば、すぐそうやっていい気になって。“なにさん”だか知らないけど、どうせろくな女の人じゃ――」
「桜子さんを馬鹿にするなっ!」
「そう、“桜子さん”って言うの。家はどこ?」
「あっ、チッ、バッカ……」
乗せられた自分に歯軋りし、観念する。「駅の向こう側らしいんだけどな……」
「ヤッバ、近過ぎ―! で、キッカケは?」
「いいよ、もう」
真由のテンションに付き合い切れなくなり、席を立つ。
「あ、ご飯残した! 祖父ちゃんが居たら、『バチ当たり』って怒るよっ!」
胸がチクリと痛んだが、振り返らずに部屋に戻った。
翌朝。浩司は、朝食を用意していた母の背中に
「今日、早出だから。もう行くね。飯、食べないでゴメン」
と、ひと声掛けると、玄関から飛び出した。逸る気持ちで、商店街を駆けていく。
これから毎朝、こうして早く駅前に来て、遅刻ギリギリの時間まで、通勤の人込みに逢いたい姿を探そうと思い立った。いっときも目を離さず、自宅方向とは逆に目を凝らす。相手は勤めを辞めたばかりで、この方法が功を奏するとはとても思えなかったが、浩司はとにかく何かせずにはいられなかった。
二日、三日と過ぎていった。
帰りは帰りで、今度は高架駅からの降り口がよく見えるように、コンビニの雑誌売り場のガラスを背に立ち続けた。
浩司が帰ってくるのはいつも八時過ぎ。それから三時間、そこに立つ。
途中、電車の着く合間や降車客の波が途切れるのを待って、菓子パンやらお握りを頬ばった。
時計を見てそろそろ帰ろうかと思うが、「次の電車に乗っているかも知れない」と思うと、じりじりと焦る気持ちで、もう一本を待ってしまう。
そうこうするうちに十月になった。
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