39.浩司と桜子
【浩司と桜子】
数日経って。
俊三の葬儀を済ませた浩司が、先日の礼を言いに「うめや」にやってきた。
「こんにちは」
戸の隙間から様子を窺うが、小上がりにうめの姿はない。
「なんだ、留守かぁ? 鍵も掛けないで物騒だな、って心配するほどの物は置いてないのか」
ずかずかと奥に進み、この前と同じ場所に腰を下ろした。「ふーんんん、買い物かなぁ。猫の散歩……ってことはないか」
連れ立って道端を散歩している一人と一匹の姿を想像して、プッと笑った。
「ま、近所に買い物ってとこだろうな」
古い時計の振り子をぼうっと見ながら、ブレザーの胸ポケットに手を入れる。
取り出したのは、『小梅ちゃんへ』と表書きされた古い封筒。
俊三の箪笥の中を家族で改めた時に出てきた、厚みのあるそれは、中のものが布であることが手触りで分かる。浩司は、ただの後日談として
「祖父ちゃんが逢いたかったのは、この人だと思います」
と、うめに見せるつもりだ。
両手で弄びながらじっと見ていたが、それにも飽きて何気なくうめの机にポンと置いた。
そこに「カタン」の音がし、浩司は「おぅ、お帰りだ」と顔を向ける。
「こんにちは……」
だが、入ってきたのがうめではなかった。
「あっ!?」
自分にとても驚いている様子を見た浩司は、慌てて両手の平を見せた。
「あ、あの、僕は別に怪しい者じゃ――店番って訳でもないです。うめさん、今、出かけているみたいで……」
持っていたハンカチを口元に当てて、気を落ち着けようとしているのは桜子。肩を落としながら、自分を宥める。
……徹也のはずがないじゃない。
徹也を亡くしてから間もなくは、駅のホームで、行き違う舗道で、エレベーターの中で、テレビの画面で、他の人物に徹也の面影を載せて見てしまい、心の中をざわめかせては、それが違うと知って、よくがっかりしたものだ。
哀しみを更に深める心の動き――自分で自分の首を締めていた。
だが今は浩司を見間違えても、胸の痛みはあの頃ほどではなくなっている。桜子の心に変化があったからだ。
うめに念を施してもらったその夜、興奮する胸を押さえつつ、ベッドに入った。
何度か寝返りを打つうちに、眠いという感覚がないまま、ストンと時空の狭間に移動した。一瞬目を瞑っただけのつもりが、もう別の世界に立っていたという感じだった。
はっと飛び起きた。時計を見る。目を閉じる寸前に見た針の位置と変わりなかった。一瞬の幻影だったにしてはとてもリアルで、長く感じられた。
両手の平には、しっかりと徹也の温もりが残っていた。その手で強く自分を抱き締める。
「徹也――ありがとう。……ありがとう」
それから、心ゆくまで泣いた。悲しみだけだった胸の中に喜びと感謝が満ちあふれ、熱い涙がとめどなく溢れ続けた。
そして、やっと顔を上げた。
寂しいのは変わらない。だが、前より心の中が温かくなった。独りきりの部屋も、また昔の空気を取り戻したかのようだ。溜め息が前よりは哀しくなくなった。
その翌日。
桜子は、徹也の墓と事故現場とに足を運んだ。それぞれの場所で別れを告げたのは、涙ばかりの日々と、後ろ向きだった自分。
そして再出発の締めの挨拶として、「うめや」に礼を言いに出かけて来たのだった。
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