36.夢屋
【夢屋】
……やっぱり、ここの店って、いやな感じ。
戸口にぶら下がった板切れを手で押さえ、扉を引く。
……あ、開いた。
そっと入り込み、最後まで気を抜かずに戸を閉めた。音を立てずに済んだ。
……よし、成功。
会いたいと言う老婆に、どの面をさげて会えばいいのかわからなかった。迷い、迷ううちに、てるてる坊主さえ取り返せればいいと思いついた。
……蹴っ飛ばして死なれても困るしね。
減らず口を唱えながら、慎重に奥へと進む。
「このお人形も、持ち主のところに帰りたがっているけれど――」
暗闇だった店に、突然明かりが灯った。小上がりにちゃんと正座しているうめを見る。「――わっ! また? ……もう、びっくりさせないでよっ!」
「いらっしゃると分かっていましたよ。おうちを出られるところから、ずっとお待ちしていたの。人待ちする気持ちって、いいわね」
沙耶は強張らせた身体で、あたりを素早く見回す。
「ポン太? あの子はもう居ないの。怖がらなくて大丈夫よ」
「……もう居ないって? 車に轢かれて死んじゃったとか?」
無理に刃のような発言する沙耶に、うめはうっすらと笑みを浮かべた。
「命と命のご縁って、とても不思議なものなの」
大輝と初めて接した時よりは、ずっと打ち解けた言葉遣いだ。
「このお人形に籠められたお気持ちが、あなたを二人組の男たちから救ってくれたのよ。とても強い念を感じます。大切なお孫さんの無事を願うお気持ちを、ね」
「……何、言ってんのよ」
デニム地の短パンから伸びた脚を、イライラと揺する。「さっさと返して! あんたに用なんかないんだからっ!」
「もちろん、お返ししますよ。でもその前に――」
中腰になったうめから後ずさり、二メートルほど開いていた距離をさらに取った沙耶。
「な、なによっ! 見つけてくれた礼でも、寄越せっての!? だれもあたしは、探して欲しいなんて、これっぽっちも――!」
「いいえ。私が言いたいのはお詫びなの。――もっと傍にいらして」
疑り深い目を向けつつ、沙耶は小さく歩を進めた。
「沙耶ちゃん……ごめんなさい」
「なにがよっ!? なんで謝るわけっ!?」
うめは、きちんと膝で手を揃えて続けた。「沙耶ちゃんがここに来てくれた時、私はあなたの表面しか見ないで、追い返すような真似を……本当にごめんなさい」
戸惑った表情で、軽く口を尖らせた沙耶。あれこれ考えているのが、目の泳ぎ方に表れる。
「今までにこの力を何度捨てたいと思ったことか……それでも、私を必要として下さる方々にお会いできるのが私の生き甲斐だったはずなのに、人を選ぶなんてこと自体、私が間違っていました。沙耶ちゃんには、ひどくがっかりさせてしまって……この通りです」
そっと伏せるように、畳に手をついたうめ。沙耶は慌てる。
「い、いいからっ! 今頃になって謝られたって――!」
「お許し――願えるかしら……よかったら、もう一度やり直しをさせていただきたいの。今日は沙耶ちゃんのお望みが叶うお手伝いを――」
「あたしの望み? だって、ジュンはもう帰ってきたんだから、叶えるも何も」
「でも、会いたいお気持ちは、まだおさまっていないでしょう?」
……会いたい気持ち。
「さぁ、こちらへどうぞ」
うめの手招きで、小上がりに腰を下ろした沙耶。佑香よりも一回り小さく華奢な肩が、緊張している。
「私の出来ることは、ほんの小さなことですけれど――」
沙耶のバラけた髪をそっと掻き分け、うめはその額と後頭部に触れてきた。その手肌の柔らかさが、祖母のものとよく似ている。
「さぁ、口に出さなくてもいいから、沙耶ちゃんがもう一度会いたいと思う大切な方のことを思い浮かべてちょうだいな」
……会いたい人。もう一度、会いたい……人。
『お祖母ちゃん』
俯いた唇で、声に出さずに呼び掛けた。『会いたいよ……お祖母ちゃん。もう一度会いたい……』
……あ、熱っ?
まるで使い捨てカイロを宛がわれた程、高くなっていく手の平の温度。だが、それが気持ちよかった。ほぅっと力が抜ける。
……お祖母ちゃんの膝枕。お祖母ちゃんの手。あったかかった――
「はい。これでいいわ」
「え? おしまい?」
「今頃髪を結い直していらっしゃるかも知れないわね。自然体のお暮らしの中で、女らしさを大事になさった素敵な方のようでしたから」
ふふっと笑ううめに、気を解きかけ、はっと思い出す。
「あ、あたし……」
「もちろん、お代なんていただきませんよ。ずっとそうでしたし、これからもそう。お金なんて必要ないの。心豊かに生きていくには、必要以上のお金は本当に要らないものよ」
「じゃあ、噂は?」
「噂?」
沙耶はコックリと頷く。随分と表情が和らいでいた。
「出来るだけのお金を持っていかないと、やってもらえないって。『だれの紹介か』って聞かれたら『風の便りに』って答えないと、それきり相手をしてもらえないって」
「困った噂だこと。そんな変な話、どうして伝わっていくのかしら。――そう、そう。“便り”で思い出したわ。佑香ちゃんから最後に来たお手紙のこと、覚えていて?」
「最後の……?」
「そう。全部で佑香ちゃんは三十通ほど書いたの。出したのはそのうちの七通だけ。部活動でのつらいことや、お友達と衝突してしまって涙ながらに書いたお手紙は、今でも佑香ちゃんの机の引き出しにあるの」
「え――?」
「沙耶ちゃんに心配を掛けたくなかったから、出さずじまいだったのね。それに時間を掛けて書き直しても、どんどん新しく沙耶ちゃんから届くうちに、話題がずれてしまって、どうしたらいいかとだいぶ悩んだようよ」
「そんなことまで……佑香のおしゃべりっ」
うめは、ゆっくりと首を振る。
「いいえ、佑香ちゃんは何も言わなかったわ。この前、佑香ちゃんに触ったら見えたの」
まだ疑わしい目に、ニッと笑ったうめ。
「『信じ貫くよりも、疑うほうがラク』?」
「えっ――あ……」
「どちらでもいいけれど」
断りを入れてから、うめはさらっと言った。「でも、最後のお便りに、佑香ちゃんなりの想いが強く籠もっていたのは確かなの。何のことだか思い出せる?」
沙耶はメガネのフレームを爪で激しく弾き出した。
「えっと、えーっと……」
唇を噛み、必死に考える。
「おうちに帰って、もう一度読み返してご覧なさい。そうすれば、きっとこの状況が変わってくるはずですよ」
表情硬く、眉を寄せたままの沙耶。温かい手が、その手にてるてる坊主をつかませてきた。
「さぁ、どうぞ。連れて行ってあげてね」
七通目のことが気になっているのか、沙耶は挨拶もそこそこに店を出ようとする。その耳に、懐かしい言葉が響いた。
「『じゃあね、沙耶ちゃん。バイバイ』」
はっと足が止まる。「『ずっとここに居るから、いつでも遊びにいらっしゃいね』」
コマ送りのように、顔と肩で振り向く。
うめが、ほかほかの笑顔で見送ってくれていた。
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