35.沙耶の気持ち/2
胸がドキッとした。数年ぶりに見る佑香。真っ直ぐに掲示板を見つめながら歩いてくる。沙耶も祈る思いで、佑香の動向を見守った。
「あー! あった、あったー! やったー!!」
飛び跳ねる佑香を見て目を潤ませ、やっと喜びが湧いた。静かに噛み締める。
……やった。やったわ。これで、また佑香と。
自分の手で、人生を修正出来たと思った。駆け寄って、自分の合格も知らせたかった。
だが、佑香の周りを、あっという間に仲間が取り囲んだ。互いに一緒に喜んだり、泣いたり、肩を叩き合っている。
ひとり物陰に隠れていた沙耶は、出て行くタイミングを完全に逸した。ともに喜びたい気持ちを捻り潰すしかなかった。
……佑香は、あたしがどんな想いで入ったかなんて気付きもしないのよ。どうせあたしのことなんかっ。
どんなに嬉しいことがあっても、すぐに胸の中が冷たくなる自分。大嫌いだ。
入学式の時も、本当は佑香が声をかけてくれるのを待っていた。
だが素直に互いの入学を喜びあうには心が固くなり過ぎていて、久しぶりの再会に不似合いな言葉を投げつけただけの自分を呪った。
その目の前を横切った男子。
……あ――
優しく温かなオーラに、ひと目で強く惹かれた。
……何組? 何部? 何て名前……?
廊下で後を追い、下駄箱でその名前を見た。
……まやま――じゅん……!? そんな……
その名を知っていた。
佑香からの手紙で目に焼きついていた潤の名前。友達以上の関係になっていくことは容易に感じ取れていた。
沙耶にとっての潤は、一種の“恋敵”とでも言うべき存在。そして、その日から初恋の相手となった。入り組んだ想いが、胸の中を占めていった。
一方、同じ日に入学したのに、日々男女の別なく交友関係を広めていく佑香。孤立したままの自分とは大違いだった。
楽しく夢見ていた高校生活で、沙耶は佑香を羨み、いつも横顔や後ろ姿を目の端で追ってきた。その沙耶には、大輝が佑香を好きなことなど、すぐにわかった。
……ヒノとあたしって、どっか似てるのかも。
同族とは思いたくなかったが、同じ匂いは感じていた。
一年の終わる早春。ある日、背中で耳にした大輝のわざとらしい声。
――『オレよぅ、この前、金盗られちまってよ。爽やか系のアイツを疑いたくはないけどよ。もう、散々だぜ……』
……ジュンがそんなことするわけないもん。
だが沙耶は余計な口を挟むでもなく、ただことの成り行きをじっと見守った。
やがて、それほど日を置かなくても噂は面白いように広まり、あっという間に潤を取り巻く空気が変わった。
……へぇ。こんな風に動いていくんだ。そりゃあ、信じ貫くよりも疑うほうがラクだけどさ。フフッ、おっかしい。日めくりの漫画みたい。
追い詰められて笑顔が減っていく潤を見るのは少々気が引けたが、佑香が潤の非常事態になかなか気付かないのは愉快だった。
そうして、潤の姿が消えた。
大輝の企みが成功したわけだ。
乾燥し切った狭い社会の端に火をつければ、風向きで一気に燃え広がり、あとには灰とくすぶった煙が残る。
その構図を、日を追って目にした沙耶。
……あんなに人気者だったジュンが、抹殺される時は呆気ないのね。あたしがシカトされたのと一緒じゃん。あたしも、悪いことなんかしてなかったのに。
その潤は、今どうしているか。
いつ帰ってくるか。
帰ってこられるのか。
その時、皆はどう迎えるのか。
潤の帰りを待ちながら、あれこれ想像した。いつしか潤と自分が同化している時もあった。
担任や潤の両親の行動も、よく目にした。潤を愛している人間がうようよしている――そう感じて、羨ましかった。
潤が居ない間、沙耶は佑香を見るのが楽しくて堪らなかった。
……イイ気味。もっと、もっと、沈んじゃえ。
ひとりになれば、溜め息を吐く背中。それを出さないように、仲間うちではカラ元気を保っている横顔。潤を見られないことよりも、佑香が無理している様子を遠目に憐れんでいる方がずっと面白かったのだ。
……傍に好きな人がいないってことがどんなに寂しいか、イヤっていうほど味わえばいいのよ。
そう思って口の端に笑いを浮かべる自分を、もう一方ではひどく嫌った。
足りないものだらけの自分。
笑顔が足りない。勇気が足りない。思いやりが足りない。
欲しいものを欲しいと素直に言えないくせに、不満ならいくらでも並べられる自分。
「死んじゃえ! ……死んじゃえばいいんだ……あたしなんかっ」
扉を背に、両手で首をグッと絞めた。血の滞りの起きた首周りと頭で、血管が悲鳴を上げ始める。「生」を訴える頚動脈のリズムに、グイと親指を食い込ませた。
「グ、ググッ――」
膝から崩れ落ちる。
目の前が明暗反転状態になり、意識が遠のく。
「ゲホッ、ガホッ――ウゥッ…………」
気付けば、四つん這いで懸命に酸素を求めていた自分。
「バカッ! 意気地なしっ!」
悔し涙がとまらない。
枕に顔を押し付けて、泣くだけ泣いた。
じきにぼうっとした頭で、思い出す。
……あたしに会いたいって? ふざけんな。あの時、あんなに邪険にしたくせに。
口と想いは裏腹だ。亡くなった祖母以外、この数年で、だれが沙耶に会いたいと言ってくれただろう。不意に心をかきむしられた。キュッと唇を噛み、たまらず声にする。
「ね、お祖母ちゃん。あたし、いい子だったよね? 引っ越しするまでは、いい子だったよね?」
温かだった手を思い出す。
「沙耶。ご飯、置くから」
その声には、うんざりしていた。少し間を置き、廊下に顔を出す。リビングからテレビの音が聞こえてくる。足元の“夕食セット”の脇に、佑香が置いていったメモが落ちていた。トレイを部屋に引き入れ、メモをポケットにねじ込むと、部屋着のまま足音を忍ばせて、こっそりと家を出た。
「はぁぁー! 久しぶりのシャバってかー!」
思い切り伸びをしてから、歩き出す。「……にしたって、あのババァ、見つけてやった礼でも寄越せっての? フン、蹴っ飛ばしてやる!」
足は『うめや』に向かっていた。
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