34.本心/1
【本心】
それから沙耶は、しばらく不登校を続けた。
佑香は何度も会いに行くが、ドアに鍵をかけて一切を拒否する態度に憤慨し始める。
「ったく、ヘソ曲げるのもいい加減にしろってのよ。あたしたちがどんだけ大変な思いをしたか、全然わかっちゃないんだから!」
今日は佑香ひとりで沙耶の家に来た。何が原因であんなことになったのか、どうしても問い詰めたかったからだ。
「おばさん、すいません。少し騒がしくしちゃうかも知れないですけど」
沙耶の母は、拝むように手を合わせ、「言ってやって頂戴。私の言うことなんて、もう何にも聞いてくれなくて」と言う。
買い物に出る沙耶の母を見送ったあと、部屋の前に来て深呼吸をした佑香。足元に無造作に出された昼食の残骸を見て肩をすくめ、まずはノックをする。
「沙耶。また来たよ。あたし、しつこいんだからね」
無言だ。
「あんたが、なんであたしにあんな――大輝や潤まで巻き込んであんな計画を立てたんだか、今日はどうしても聞かせてもらうから」
物音もしない。佑香に少し不安げな色が走る。
「沙耶……ちょっと、聞いてる? 起きてるよね? ここ開けて――」
――と、ドア越しの溜め息が聞こえた。
「ウザい。用なんかないんだから、帰ってよ」
久しぶりの声。とりあえずは安堵するが、とっかかりの尻尾を掴まえなければ。
「ねぇ、顔見て話そうよ。それとも、あたしの顔なんか見たくないほど、嫌いなわけ?」
「……」
「ものすごーくキライだから、『オトコ雇って、やっちゃう』とか考えたんでしょ? 知らなかったなー、そんなに嫌われてたなんてさ」
「……」
「なんか言いなよ。今日はあたし一人だから、言いたいこと言っていいんだよ。おばさんは今、買い物に出たし。あ、でもケンカするなら、雄一君が塾から帰って来るまでには済ませないとね」
佑香なりに沙耶の心を開こうと歩み寄っているつもりだが、一向に動きはない。
「あー、もう頭にきた。人が優しくしてれば、つけ上がってさ! 何よ! 潤が好きなら好きでいいじゃん! 黙って譲るつもりなんか、これっぽっちもないけど、沙耶は沙耶の魅力を、潤にアピればいいでしょっ! それを、お金や汚い手を使ってどうにかしようなんて――どうしてそんな性格になっちゃったの? 昔は――」
佑香は長く息をついた。
「昔のあたしたちって、あんなに仲良かったじゃん……」
それきり黙る。ドアに寄りかかって、五年前を思い出した。
引っ越す沙耶の見送りで、ずっと握り合っていた手が、荷の積み終わったトラックのエンジン音で引き剥がされた時を――
「沙耶ちゃん! 元気でね!」
「佑香ちゃん、手紙ちょうだいね!」
「うん、いつでも遊びに来てね!」
「私のこと、忘れないでね!」
「うん、ずっと友だちだよ!」
「約束よ! 絶対よ!」
「沙耶ちゃん――!」
「佑香ちゃん――!」
互いに姿が見えなくなるまで、手を振ったあの日。
「……なのにさ、沙耶冷たかったよね。入学式であんたの名前を見つけた時、あたしすっごい嬉しくてさ。でもあの時のあの態度、なに? 別人だったじゃん」
小六の夏と高校入学式の春の落差を、苦く噛み締める佑香。「また前みたいに楽しくやれると思ってたんだよ。それなのに――」
「フン、笑わせないでよ」
沙耶から声が返った。俯いていた顔を上げた佑香。次の句を迷いつつ、慎重に選ぶ。
「――『笑わせないで』って、何がよ」
「前みたいになんて、やれるわけないでしょ? 別人になっちゃったのは、佑香のほうなんだから!」
「あたし?」
佑香は、目を丸くしてドアに寄った。「あたしのどこが変わったって言うの? あたしは前のまんま――」
「あの頃は!」
ドア越しに続く会話。「引っ越す前までは、佑香はあたしの親友だった。一番大事で、いつも一緒で、何でも全部わかりあってて!」
佑香も引っ込んではいられない。
「引っ越したんだから、会えなくなったのはしょうがないことじゃん。それだって、沙耶のほうが居なくなったんだよ!? あたしは引っ越してなんか欲しくなかったのに!」
沙耶の乾いた笑い声が、寂しく響いた。
「あたしだって引っ越したくなんかなかった。ママたちが勝手に決めて、あたしからお祖母ちゃんや、佑香を無理やりに引き剥がして――」
よくよく思い返せば、引っ越しを見送っていたのは自分だけではなかった。
行ってしまったトラックを一人残る家の玄関前でじっと見つめていた沙耶の祖母。その頃は気付かなかったが、今なら、なぜ祖母一人が残ったのか、なぜあんなに距離を置いた見送り方だったのかと不思議に思う。
「お祖母ちゃん……か。沙耶のお祖母ちゃん、あたし大好きだったよ」
そのことで語るのは初めてだ。「突然亡くなった時は、ホントに驚いた」
遊びに行くたび、分け隔てなく優しくしてくれた沙耶の祖母。佑香は母の情報網からその急逝を知り、焼香に行った。その時の遺影と、泣き伏していた沙耶の姿が目に浮かぶ。
「お元気だとばっかり思ってたし」
「……あたしが……殺しちゃったの」妙に幼い声。
「やだ、変なこと言わないでよ。あたしは、『出先で倒れた』って聞いたよ」
「そうだよ。何年かぶりに遊びに行くって連絡したら『ご馳走作って待ってるから』って。あたしが行く日の朝に、無理して遠くのデパートまで出掛けたの。重たい荷物を両手に提げて帰る途中に、お祖母ちゃん――!」
「そう……だったんだ」
ドアに耳をつけて、トーンが落ちた沙耶の声を懸命に聞き取っていた佑香。「でも、それは沙耶のせいじゃないよ。あの日は特別に暑かったし……申し訳ないけど、ご寿命だったとでも思ってさ――」
「慰めたりしないでよっ!」
怒鳴り声の近さで、ドアのすぐ側に立っているとわかった。
「佑香になんか、あたしの気持ち、わかんないんだから!」
「なんでそう思うの? あたしたち、あんなに昔は――」
「そうよ、昔はね!」
また声が低まる。「昔は佑香もあたしのことを考えてくれてた。あたしたち、一番の友だちだった」
「『だった』? 『だった』って何? あたしはずっと友だちのつもりで――」
「マジで、思ってる?」
軽蔑の色を帯びた声。「だとしたら、あたしがおかしいのかな。ねぇ?」
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