3.佑香/1
【佑香】
それから――
二学期初日、金曜の朝。
冴えない顔で高校に向かう道すがら、後ろから追い抜いていったバスが先の停留所で停まった。
降りてくる生徒たちの中に木田佑香の背中を見つけた沙耶は、
「あっ、居た!」
と叫んで走り出す。
すぐに息が切れて、名を呼ぼうにも声が出ない。やっとのことで追いつくと、その肩にぶら下がるように手を掛けた。
「えっ? だれ!?」
振り向いた佑香のショートヘアが、さらりと広がった。同級生の八割方がしている化粧やアイラインなど引いていない大きな目が驚いてさらに見開き、沙耶の息の上がった顔を見る。
「あれ? “サーヤお嬢様”から呼び止めてくれるなんて珍しいー。どうした? なんで走ってるの?」
沙耶は息を整えるまで喋れそうにない。佑香はブレザーのポケットから携帯を取り出して時刻を確かめる。
「まだ遅刻の時間じゃないよ」
あと十分でHRは始まるが、正門はすぐそこだ。
沙耶は答えもせずにただ首を振ると、ただじっと恨みがましい目つきで佑香を睨んでくる。その仕草は、沙耶が怒った時の定番だった。
「え? なに? ヤだ、超怖いんだけど。なんなのよー?」
佑香は軽く笑ってやり過ごそうとしたが、今日の沙耶は、その程度のことでは引きそうもない。“サヤお嬢様”の呼び名はからかい半分のようだが、同年齢の他の女子に比べて格段に気難しい沙耶との付き合いに気を遣っているのは、むしろ佑香の方だった。
「……先週っ!」
沙耶が喉から絞り出すような声で訴えてくる。「登校日の帰りに、あたし一人で行ってきたんだからねっ!」
「『行ってきた』って、どこにさ?」と佑香。
「例のあそこよっ。“夢屋”っ!」
その途端、佑香の顔つきが引き締まった。
「えっ、マジ!? ヤだ、何それ、もうー!」
佑香は半分怒り、半分困った顔で声を荒げる。「あたし、最後に冗談だって言って置いたでしょっ!? マジに受け取らないでよ!」
「だけど! 『火の無いところに煙は立たない』って言うじゃん!」
後から来る生徒たちは、睨み合う二人を川の中洲のように避けながら注目しては通り過ぎる。沙耶は一歩も引かない。
「大体、“登校日に来てなかった”ってことは、まだ家にも帰って来てないってことでしょっ!? 二学期もこのままかと思ったら、あたし、どうしてもじっとしてられなかったんだもん!」
「……それ、もしかして“山ジュン”のこと言ってる……?」
佑香は、その名前を先に自分から口に出したことを既に後悔しながら聞いた。
こくりと頷く沙耶が前々から潤に想いを寄せていることには、佑香も気付いていた。だが、あえて知らん顔をし続けたのは、相談など受ければ、自分も苦しくなることがわかっていたからだった。
沙耶も同じ顔を思い浮かべていると知った瞬間に顔を紅潮させた佑香は、周囲の足が速まったことなどお構いなく、咄嗟に沙耶の両肩を民家の塀に押し付け、その目を強く覗き込んだ。
「沙耶! マジ、バッカじゃないのっ!? あたし言ったはずよ! 『“夢屋”のことはただの噂だ』って! それをあたしが、『辻が森の“うめや”かも知れない』って思ったのにだって、何の根拠もないの! 話の種にと思って、ただ面白おかしく話しただけなのに、マジに受け取るなんて、やめてよ! もうっ!」
佑香は一気に上がったテンションで捲くし立てる。「だってさ、『どんな“夢”でも大金次第で叶う』だなんて虫のいい話、最初からあるわけないじゃん! そんなのがもしも本当なら、世界中から相談者が押し寄せて、あんなちっぽけな町だって、もっと有名になるはずでしょ!? 魔法使いのお婆さんなんか、ホントにいるわけないのっ! なのに、沙耶ったら――もう、信じられないっ!」
興奮し切ってはいるが、それでも周りに聞こえないよう、一応本人は声を潜めて喋っているつもりだ。
舐め上げるように佑香の顔を見ていた沙耶は、その興奮理由が『うめや』のせいか、それとも『潤』のせいかを見極めようとしていた。
「そりゃそうだけど! ウソでも冗談でもいいから、もしも金でどうにかなることなら、頼んでみたかったの! 目の前に潤を連れて来てもらえるなら、あたし、もっと稼いでくるもん!」
うろたえた佑香は、ぎゅっと掴んでいた沙耶の肩を一度放した。至近していた二人の間に十数センチの距離が空く。
「『稼ぐ』って――沙耶、あんた、まさか……」
そしてもう一度鷲づかみにして揺すった。「あんた、まさか!」
「フン」
確かめた佑香の視線の先で、たじろぎもしない沙耶。佑香は荒く鼻息をついて顔をしかめ、乱暴に首を振った。
「ねぇ、沙耶! あんた、『稼ぐ』って、マジやっちゃったの? もうっ! 『そんなのダメだ』って、前にも言ったよ、あたし!」
そっぽを向いた沙耶の目線を捉えようと、佑香はその先に自分の顔を移動させる。
「山ジュンだって、家出したからには、それなりの根性入れてんだよ。今頃はどっか新しい土地でフリーターでもしてさ、ちゃんと自活――」
「いいっ、やめてっ! あたしが佑香から聞きたいのは、そんなことじゃないのっ!」
今度は沙耶が、自分より握りこぶし一つ分は高い位置の佑香の肩を揺すった。
「ね、ね、教えて? あの婆さん、マジ本物っぽかったのよ。ホントは幾ら持って行けばやってくれるのかなー。佑香が『出来るだけたくさん』って言ったから、そりゃ苦労して金作ったんだからっ」
スッと爪先立ちすると、佑香の耳元に口を寄せた。「一人なんか、すっごい油ハゲで、変態エロでさ。超サイアクだったのよっ。ま、すれすれのところで、金だけ取って逃げ出してやったけどね。最後までやるわけないじゃん、このあたしがさ。そんな馬鹿じゃないよ」
「沙耶……」
「けど、あのババァったらさ……最初はすっとぼけていたくせに、金を見せた途端につりあげ始めやがって。親たちも、ババアも、大人のすることなんか、みんな一緒な。ずるいのが見え見えなんだよっ。それに『おととい来な』なんて訳わかんないこと言いやがって。タイムマシンでも無きゃ、今から“おととい”にあの店に行けるわけないじゃん! バカにしてさっ! もうっ、悔し過ぎー!」
口を荒げ、目を三角にしながら、キツイ表情で悔し涙を浮かべる沙耶と、呆れながらも友達の無事に安堵の息を吐く佑香は幼なじみで、小さい頃はよく近所の公園でままごと遊びをした仲だった。沙耶は人見知りの激しい内向的な性格ではあったが、佑香とは気が合い、日が暮れるまで一緒に遊んだ。
だが、沙耶一家は小学6年の夏休みに3学区先に建った新築マンションに引っ越した。
中学生になると時折書き合っていた手紙も間が空き、翌年には年賀状だけのやり取りになって、受験期には沙耶からの連絡は一切途切れた。
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