18.再会
【再会】
「うめさん、ポン太くんは今、何歳くらいなのです?」
電話帳に大きく「往診します」と書いてあった番号の獣医を呼びつけていたうめ。
「そう……『あれから』ですから、もう……五十歳は超えているのですけれど」
「またー。忘れちゃったなら忘れちゃったって、そう言って下さいよ」
もちろん、獣医は本気にしない。うめはちゃんと答えたのだが。
……やれやれ、『わかって下さい』とお願いするほうが、無理な話ね。
自分とポン太の歩いてきた数奇な運命など、だれにわかってもらえるとは思えない。深く溜め息をついたその時、突然、脈絡もなく俊三のことが思い出された。いつもの思慕とはまるで違うレベルの強さで。
どこからか呼ばれた気がしたうめは、獣医とポン太と自分しかいない店の中をキョロキョロと見回す。
……気のせい……?。
ポン太に目を戻した途端、ぎゅーんと強く引っ張られる感覚に襲われた――。
次の瞬間、さっき浩司の記憶から見た病室に飛んでいた。他には誰もいない。薄暗い店から突然白い壁に囲まれ、うめは眩しさにしばしばと瞬きをする。
目の前には、酸素マスクを外された浩司の祖父。どこかで見た気がすると思っていた感覚が、更に強くなった。
……この方が、どうしても逢いたい人って――?
うめはベッドに近付いて、呼び掛けた。
「あの……もしや、オメさん(あなた)?」
うっすらと目が開いた。すっかり年を取って互いの姿形は変わっていたのだが、目の中の光の色は変わらないままだった。見合わせた瞬間に、「あっ……」と言葉を失った。
「俊三さん?」
「小梅、ちゃん……?」
すると、二人の間に大風が吹き、気がつけばあの若かりし頃の姿格好に戻っていた。
相手の変貌を見、自分の変わり様を見る。見つめ合った目の中に、互いの想いを確信した。
そして――。
「小梅ちゃん!」
「俊三さん!」
そう呼び合った途端、今度はあの夏の日の、秋田フキの生い茂る葉陰に飛んだ。もう何も迷うことなどなく、目の前の相手に手を伸ばす。
長い、長い間逢いたいと思い続けてきた女性にやっと逢えた俊三。
捜し求めていた男に、ようやくめぐり逢えたうめ。
ひしと抱き合い、初めて感じる相手の温もりに、強く目を瞑った――。
どのくらいそうしていただろう。永遠のようでもあり、ほんの一瞬のようでもあった。時間の感覚のない、不思議な世界。
うめは長年の想いを告げるべく、俊三の胸から顔を離そうとする。だが、そんなうめの心を全部知っているかのように、俊三は抱き締めるその手を緩めない。
「なんも喋らんで(言わなくて)ええ。やっと逢えたス。それだけでええ」
こくり、こくりと頷きながら、うめは俊三の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
汗と土埃にまみれた俊三の着物。働く若い男の焦げ臭いくらいの匂いに、身が熱くなる。
夕方の風が頬を撫で、遠くにはヒグラシの声が寂しく響く。
戦争が起こる前のあの時代。俊三が不埒な男どもをなぎ払ってくれたあの時。
もう一度ここから人生をやり直せるなら――だがそれは、叶わぬこと。
「俊三さん。生まれ変わったら一緒に……。今度こそ、オレ(私)と一緒に」
俊三は、強く頷く。
「これが夢なら、覚めね(ない)で」
とうめ。俊三の夢の中と知りつつ、そう呟いた。『夢屋』として人に施してきた力を、まさか自分自身が味わうことになろうとは――。
……あっ!? じぁ――!
浩司の祖父が俊三とは知らずに、安らかな迎えを念じたことを思い出し、絶句する。切なさに溢れ出した涙を目に溜めて、俊三を見上げた。
「俊三さん……」
その顔はとてもいい表情をしていた。温かく、優しく、穏やかで、満足げな。
見惚れるうめに、言葉は無い。
「……もう何にも思い残すことはねよ。ありがとう、小梅ちゃん。ありがとうッス」
俊三の深みのある穏やかな声を最後に、うめは再び、ぎゅーんと現実に引き戻された。
大きな波に揉みくちゃにされるような、あるいは乱気流に巻き込まれたような感覚の後、ハッと気付くと、自分の店にいた。
ポン太を心配して中腰になっていたうめだったが、その場によろりとへたり込む。
「おいおい、うめさんまで具合が悪くなっちゃ困るよ。どれ脈でも見るかな?」
三十代の若い獣医が手を伸ばしてくるが、
「い、いえ。大丈夫ですから」
と身を引いた。折角の俊三の感覚に、他の念を上書きしたくなかった。
やっとの思いで正座し直して、ポン太を見る。スースー眠っているように見えたが、獣医は首を横に振った。
「老衰ですね。どこも苦しがっていないのが救いと思ってもらった方がよさそうだ。入院させて人工呼吸器をつけてやってもいいが、どうします?」
うめは静かに口にした。
「いいえ、このまま逝かせてやります。どうもお世話になりました」
獣医を店先まで見送り、深々と頭を下げた。扉に鍵を掛けると、静かにポン太の元へ戻る。
「ポン太、オメさん、俊三さんと繋がってたの? ……一緒に逝っちゃうつもり? オレドゴ(あたしのこと)置いて、あっちゃある(あの)人と一緒に……?」
『小梅小町』の頃の口調に戻る。若い頃の自分を再現してきたばかりのうめ。最後にほんの短い間合わせた唇の感触も、瑞々しく残っている。
「ありがと。ポン太。お世話になったズ。また逢おうナァ」
静かに背中を撫でる。
綾乃が抱いてきて、膝の上に乗せたときの子猫の姿が思い浮かぶ。
俊三との縁、ポン太との縁、浩司との、潤との。どれ一つ欠いても、この瞬間はない。
「ありがと。ポン太。ありがとう」
眠るように逝ったポン太。俊三も苦しまずに逝けたとわかった。
うめはその晩、朝までまんじりともせずに、俊三とポン太の冥福を祈った。
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