16.優しさ/2
奥に、首から白いタオルを提げた四十代後半の男が立っていて、潤は驚いて立ち上がった。
「ダンナの俺は変わり者で、食いしん坊だけどな」
ニマーッと緩んでいく顔が温かくて、潤は瞬時に「ここだ!」と決めた。
「あの! 僕、真山潤と言います! 薪割りでもゴミ捨てでも、力仕事は何でもやりますから、しばらくここで寝起きさせてもらえませんかっ!? 給料なしで結構です! 一日一食でも食べさせてもらえば、一生懸命働きますからっ!」
男はじっと順の顔を見ていたが、やがてふっと頬を緩めて聞いてきた。
「幾つだ?」
「じゅ……」
咄嗟に「十八」くらいに言った方がいいのかと思ったのだが、口は素直に
「もうすぐ十七になります」
と答えた。
「高校生か? 学校はどうした? どっから来た?」
ダメ元で、正直に話した潤。トラブルの原因だけは言わなかったが。
「そうか……。ま、色々あったんだろう。引きこもるよりはアクティブでいいな。男はそのくらいの元気があっていいさ。けどなぁ……」
……断られるか?
だが所持金ゼロの潤は、何としても食い下がりたかった。背負っていたリュックを足元に落として、頭を下げた。
「お願いします! 働かせて下さい!」
「……薪割りに、ゴミ捨て、か……」
男は腕組みをした手で、ふーむと顎を撫でた。「じゃあ……その他にシルバーの散歩と女房の手伝い。それができるなら、四畳半の部屋と一日三食をつけてやるが、どうだ?」
潤は、目を輝かせて、再度身体を真半分に折った。
「あ、ありがとうございますっ! よろしくお願いしますっ!」
「俺は静谷道夫。女房は薫だ。ジュン……だったな? 真面目に頼むぞ、よろしくな。あ、あと一つ――」
「はいっ! 何でもやります!」
「家にすぐ電話を掛けろ。ちゃんとここの場所を伝えて、そのあとで俺に代われ。親に心配掛けるのだけはいかん。いいか?」
その晩から、潤はペンション「パノラマ」の住み込みで働き出した。
朝は五時半に起き、約束どおり、シルバーの散歩に行く。
帰り道は、パンが焼き上がる芳ばしい香りに引き寄せられ、シルバーとダッシュで戻った。
腹の虫を鳴かせつつ、暖炉や風呂用の薪割りをし、客の朝食を出し終えてから、ようやく新鮮な野菜とパンの朝食にありつけた。
買い出しの荷物運びから食器洗いまでよく働き、部活動で流す汗とはまた違う気持ちの良さを知った。
夕食後の片付けが終わると、『一期一会』と札の掛けてあるリビングサロンに集まる宿泊客と喋ったり、暖炉の側で蔵書を読んだりして過ごした。
溜まり溜まっていたはずの鬱憤が、二日目、三日目ですっかり空っぽになっていた。
澄み切った空気と、どこまでも青い空。
「自信だ。自信。それさえしっかり持ってりゃ、何があったって」
シルバーやオーナー夫婦との触れ合いの中で、気持ちが洗われた。
何を悩んでいたのか、過去のつまずきがいつの間にかとても小さなものに思え、やがて「もう一度学校に戻ろう」と思えるようになった。
「また、来ます!」
世話になった「パノラマ」に別れを告げ、半年振りに戻った東京の空は、狭く、低く感じたが、それでも頑張ろうと思って力強く歩いている途中で、ポン太に出会った。
それが新しいスタートを切ったばかりの潤がもらえた天からの小さな褒美――うめとの出会いだった。
「今すぐにでも会えたらって思う子はいます。でも、学校に行けば会える子ですし……礼なんかいいですから。じゃ」
頭を下げて出て行こうとする後ろ姿に、うめはもうひと声を掛けた。
「もしも、私が役に立てる事ができたら、そのときはまたいらっしゃいな。いつでも、ここにおりますからね」
『夢屋』のことも、うめのことも、何も知らない潤にとっては、それがどんなことなのかもよくわからなかったのだが、今は家に帰ることが先決に思えて、ただ素直にペコッと頭を下げた。
通りに戻ると、ますます気が急いて来た。今頃はまだ家にはだれも帰っていないだろう。母親の顔を思いながら歩き出す。
潤が帰った後、うめは電話帳を捲って、獣医の往診を頼んだ。
ポン太の息は、とてもゆっくりになってきている。
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