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『ゆめや』
作:夢月こもも



12.俊三/1


【俊三】
大正初期の秋田の村落。
村娘のりんに、当時その村の名主(古き東北では肝煎(きもいり)と呼ばれていた)だった二回りも年上の野方(のがた)重吉(じゅうきち)の手がつき、身ごもった。
その後のりんは敷地内の小さな小屋を住まいに次々と子を設けさせられ、全部で六人の子の母となった。その三男として生まれたのが、浩司の祖父、俊三である。
その頃は長男が極端に大事にされる時代だった。
野方の本家(本妻)の一人息子だけは父親と同じ食卓に着くことが許され、三食とも白い飯が出されていた。
だが、りんの親たちの期待に反し、妾のりん母子に宛がわれる食いぶちは、本妻のその日の機嫌次第という不確かなものだった。
気位の高い本妻から、毎朝ひと握りでも米を貰えればいい方で、りんは他の雑穀とその米を鍋に入れると、道端に生えている野草や山菜を細かく刻んだものを足して何倍もの量にし、自分の分まで育ち盛りで腹を空かしている子どもたちに与えてきた。小さい頃から食べさせられていた粥とは言え、俊三は日に二度の食事を楽しいと思ったことなど一度もなかったが、母なりに一生懸命だったのがわかっていたから、物心ついた頃より、文句の一言も言ったことはなかった。
俊三は、やつれ切って気持ちに余裕のない母の顔色をうかがっては、いつも明るい声を出し、母の空の茶碗に、自分の粥を入れ戻すような子だった。
「おがっちゃ、食え! 半分こ、するッス!」
ニコニコの笑顔を向ける俊三に、りんはどれほどの慰めをもらっていたことか。

近くの炭鉱で働き始めていた上の二人の兄たちに代わり、俊三は忙しい母をよく手伝い、微々たる駄賃稼ぎに近所の畑仕事の手伝いにも積極的に出かけた。
痛いほどの空腹に耐えられなくなると、生い茂る草葉に隠れて、収穫した野菜を一つ二つ大急ぎで齧っては澄ましていたのだが、大人たちは見て見ぬ振りでいてくれたのだろう。口の周りを薄汚れた袖で拭きながら知らん顔で籠を持ってくる俊三の頭を「よぅ、がんばったな」と撫で、「ホレ、昼飯代わりに食うてええぞ?」と差し出したきゅうりに、慌てて首を振る俊三を笑っては、幼い両手に余るほどの野菜を分けてくれたのだから。
「何でもええがら、腹いっぺ(いっぱい)にしてェなぁ」
日々、頭にあるのは食べ物のことばかりだった。

朝から晩まで畑仕事に出ていたりんを助けて、赤ん坊だった弟や妹を背負って小学校に通った俊三の小さな肩は、いつもカチカチに凝っていた。
その姿で鬼ごっこをすれば、背中からぶら下がった小さな足先が俊三の膝の真後ろに勢いよくぶつかり、カクンと前のめりに転ぶこともあった。膝はしたたか擦り剥くし、泣き出した弟妹の大声が耳の傍でけたたましく、鬼にもすぐ掴まってしまうという踏んだり蹴ったりの状態に、悔し涙を飲んだ。
時折は、溜まった胸の内のもやもやをひとり夕焼けにぶつける俊三だったが、そんなことの繰り返しの中で育つと、だんだんと涙の回数も減る。
……どもなネ(仕方ない)、これがオレの定めダス。
子どもながらに諦めと開き直りの入り混じった感情に溜め息が出た。
だが、りんが寝しなに抱き締めてくれる度に心が落ち着き、また明日も頑張ろうと思えた。

やがて、背だけは子守のせいかあまり伸びなかったが、俊三は病気知らずの頑丈な身体に育った。それに、どこかひ弱で気も弱かった本家の一人息子に比べると、ちょっとやそっとのことではへこたれない精神力を養うこともできた。
それは感謝すべきこと。決して、自分から望んだものではなく、頑張り通した日々の中で身につけた“生きる手段”の一つだったのだが。
そして、同じくいつも空腹だったはずの母が懸命に子育てをしてきた姿を間近に見ていたことで、思いやりも強くなり、それが他者への優しい気持ちをも育てた。自分と同じ苦労を将来背負うことになるはずの弟妹たちにも、せめて幼い今のうちは自分だけでも優しくしてやろうと、ごく自然に思うようになった。
こうして俊三は苦しい生活の中にあっても、心根の真っ直ぐな男に成長したのである。

ある日の夕暮れ、まだ陽があるうちだからと下男の迎えを断っていたうめは、近所の和裁教室から一人、風呂敷包みを胸に抱えて家路を歩き出した。
あと10分も歩けば家の門前というフキ畑の脇道を歩いている時、静かな湖面に投げ込んだ石が広げるような波紋が突然頭の中に広がり、うめは荷を抱えて身構えた。と、肩近くまで生い茂っている葉の陰からが飛び出してきた二人の男に、あっという間に畑に引きずり込まれた。
天地がひっくり返ったのかと思う間もなく手足を押さえつけられ、口も塞がれた。その四本の手から頭の中に一気に流れ込んだあまりのどす黒い激情に、うめは気を失いかけた。

ちょうどそこへ、父の使いでこの村に出掛け、帰る道々で山に入っては、りんへの土産に山の幸を探していた俊三が通り掛かり、不自然にガサガサと大きく揺れる葉に気付いた。
「風もね(無い)のに……なんだべ?」
熊か猪だろうと遠巻きに様子を窺うと、男のくぐもった笑い声や、妙に焦る息までが聞き取れた。俊三は異様な雰囲気を感じて、足音を忍ばせた。
「あっ! おめどら(お前たち)、何しとるっ!?」
背負っていた籠を放り出し、夢中で手拭い覆面の男たちに飛びかかった。
その片方と殴り合いになったが、女を助けたい一心で奮う俊三の屈強な(ちから)(こぶし)が優勢なのは明らかだった。馬乗りになり、男の被っていた手拭いを剥ぎ取った俊三は、相手が同じ村の若い衆と知って驚く。
「お――おめは!?」
男は「ちっ!」と舌打ちをし、負けと知ったもう一人も、途端に泡を食って駆け出した。俊三も後を追った。
「待てっ! 逃がさねぞっ!」
 十数メートルも追い駆けると、後を走る男が腰を抜かしたように転がった。
「許さね、顔ドゴ見せろ――!」
 両肩をむんずと掴んで上を向かせ、その覆面を剥ぎ取った。
「――あ!?」
俊三は目を疑った。その男は自分の腹違いの兄――本家の跡とり息子だったのだ。
「……あ、“兄じゃ”。なして(どうして)――なして、こんたこと!」
だが、顔を見られて開き直った義兄は、口の端でニヤッと笑った。
「俊三、わかってるだべう(だろう)な? だえ(だれ)かに喋れ(言え)ば、おめどの小屋ドゴ取り上げるからな!」
そう脅しを掛け、走り去った。
――『おどが……おどがおがにした、まんまじゃねか!』
爆発しそうな怒りに、俊三は震えた。

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